5話 だけどこれでよかったなあ、とも思うのだ

 瞬とキスした日、それ以上の行為はなにもせず、あたしたちはただ抱き合ったまま眠った。

 お風呂も入ってないし、歯も磨いてないし、あたしも瞬も怪我してるし、最低で最悪だけど、そんなことを全部塗りつぶすくらいにしあわせで。


 早くに寝たから早くに目覚めて、そのあとまたキスをして、しばらく抱き合ったあと、さすがに一度帰ろうということになり。

 翌朝、といっても丑三つ時ってやつだから当然ながら日も昇ってないような時間、あたしと瞬はそろりそろりと泥棒みたいな足取りで、声を潜めて階下に降りた。


「……蜜音ちゃん、蜜音ちゃん」


 そして、それを待ち構えてたような芽衣さんに、ひそひそ声で呼び止められた。ような、っていうか待ってたんだろう。

 誰もいないと思ってた場所から急に聞こえた声に、あたしも瞬も揃ってその場で飛び跳ねた。


「……芽衣さん」

「……その子、ともだち? まあ、いろいろ事情はありそうだけど。いまなら一花、ちゃんと寝てるから、静かになら出ていけるわ。でも、あとで説明はしてあげてね。すごく気に病んでたから」

「……もちろん。心配と迷惑かけてごめん」

「……いいってことさー」


 声だけでも朗らかさがわかる声音で芽衣さんが送り出してくれた。

 よく見えないだろうけどあたしはそれに手を振って別れる。


 店舗入り口を兼ねる玄関の鍵は、物音が立たないようにという配慮からかあらかじめ開錠してあって、あたしは芽衣さんに感謝した。

 なぜか、隣の瞬がぎゅうっと強く手を握ってくる。

 いま、芽衣さんに会ったから妬いてくれてるのかな。うれしい。


 店を出て、しばらく歩いた。空にはまだ満天の星が広がってる。星座なんてあたしは知らないけど、田舎だから澄んだ空の見慣れた星々は今日も降ってくるみたいだった。

 瞬と手をつないだままでそれを見上げて、あたしはゆっくり息をした。家を出るまで詰まってた息が、静かに夜に溶けていく。

 瞬も一緒に空を見てて、ぽつりとつぶやいた。


「きれいだね」

「うん。早起きはするものだ」


 早起きというには早すぎる時間だけど、おかげでこれを見られたなら、いいっこなしだ。


「あー。やばい。幸せすぎて死にそう」


 そんな甘い惚気を瞬が言ってくれるようになるなんて、あたしのほうこそ幸せすぎて変になりそうだと思う。

 瞬がつながれた手をきゅっと甘く握りしめながら、あたしのほうを向いた。


「今までと違う立場で、これからよろしく」

「……うん」


 それからもう一度、両手をつないで向かい合って、目を閉じてゆっくり長いキスをして、お互いの唇を味わって別れた。

 『これから』のことは考えないようにした。それは下手をしたら、今日にも起こること。でもいまは幸せに浸っていたかった。





            ※   ※   ※




 ところがだ。あたしのそんな悲愴の思いをよそにして。

 それからさらに二日が過ち、三日が過ぎても瞬の前に誰かが現れるってことはなかった。

 

「言ったじゃん、あんたが運命の人だって。今日も誰も来ませんでしたよっと」


 学校帰りにLINEであたしを家の外に誘い出し、勝ち誇ったように瞬はいう。

 その瞬に手を引かれながら、あたしはついさっき出てきた自分の家に向かっている。


 あれから、瞬とは当然のように毎日会ってる。人が少ない村だから、気をつけてれば余計な人と会う心配はない。

 引きこもり傾向に若干の改善がみられるからか、いちねえたちもあたしの外出になにかいうことはない。瞬と会ってるとは言ってないし、思ってもないだろうけど。

 それはそれとして、芽衣さんにはいちねえとちゃんと話してっていわれたけど、どういう切り口であんなこと説明したらいいのか、わからないまま問題を放置してしまっていた。


 という話を瞬にしたら、「なるほど。じゃあ謝らないとな。大事な報告だってあるし」と一言のあと、いつものようにいつものごとく、ぐいぐいと引っ張られて現在に至るというわけだ。


「たのもー」


 そしてあたしと手とつないだままで、瞬はお店の敷居をまたぐ。

 来店客を知らせるベルが音楽を奏で、今日も今日とて掃除をしている、いつものポニーにブラウスとジーンズという、ちょっと清楚感ある恰好のいちねえが、とてもびっくりした顔でこちらを見ていた。


「……ああ、びっくりしたあ。瞬ちゃんと蜜音かあ。お客さんかと思った」


 おい。長姉。

 あなたは仮にもお客を待ってお店開けてるんじゃないのかい。そんなツッコミを飲み込んで「ただいま」と言った。


「いらっしゃい瞬ちゃん。どうした?」

「買い物に来ましたっていえればいいんだろうけど、今日は重大なご報告があってきました」


 あたしみたいに曖昧に生きてる人間と違って、瞬は目上の人にはしっかりと敬語を使う。

 あいつ、だのあの女、だのと目の敵にされてる芽衣さんは例外中の例外だ。


「な、なに? 身構えちゃうんだけど」

「身構えてください。それだけ大事な話なので。……えっと」


 そこで瞬はなにか探すように首を巡らす。


「えっと、芽衣?」

「はい。おられますか? あの人にも無関係なことではないと思うので」

「芽衣にも?……本当にどんな話をされるのか、怖くなってきた」


 この間、いちねえはあたしと目をあわせない。あたしもそうしてる。

 いちねえはいまだにあたしに恨まれてると誤解してるだろうし、その誤解を解けてないあたしのほうだって気まずいことこの上ない。


 いちねえが2階に呼び掛けて、2階を掃除していたらしい芽衣さんが降りてきた。今日はフェミニンなふわりとしたスカートで可愛い感じだ。


「や。おかえり」

「ただいま」


 と軽く手をあげる芽衣さんにあたしは手を振り返す。瞬はといえば彼女を無視して会釈もしない。芽衣さんの口元に苦笑が浮かぶ。

 ……なんか、あたしたちといちねえたち、それぞれがお互いのパートナーと喧嘩してるみたいだ。


 そんなに大事な話だし奥に移ろうか、っていうことになりかけたけど、どうせお客さんは来ないしここでいいと、そのまま店舗でお話することに決まった。あたしとしてもそのほうが助かる。瞬が何を言う気なのか、なんとなし想像はついているから、できれば明るい場所で話してくれたほうが、せめても気詰まりが少なくていい。


 とはいえなんとなく厳かな雰囲気になって、カウンターの椅子にかけるいちねえと、お客さん用の椅子をその前に移動させたあたしと瞬が円形に向き合う。芽衣さんは壁際に立って腕組みしている。瞬が口火を切った。


「単刀直入に言いますけど。大事な妹さんを私にください。というより、もうもらってしまいました、ごめんなさい」

「待てよ」

「え? は? ……んん!?」


 最初の反応はあたし。次に戸惑って言葉に詰まったのがいちねえで、芽衣さんは立ったままくすくす笑い出している。


「その言い方だと、あたしが全部、瞬のモノにされちゃったみたいな誤解されるじゃん!」

「なにが誤解? あんた、いまだに私のモノになってないとか思ってたの?」


 そうだけど、そうじゃない。……あたしが言いたいのは、その、あれ。

 まだキスしかしてないじゃんっていうことで。いまだ全然現実感を持てない『そのさき』を想像して、あたしは恥ずかしくなって自爆した。


「と。こういうことですので」


 真っ赤になって俯くあたしを指さして、なんだか勝利宣言めいた物言いをする瞬が悔しい。


「え。えええ。ええー。……ほんとに、そういうこと? そうなの蜜音?」


 両手を口元にあてて、いちねえがあたしと瞬を交互に見る。その顔はちょっと赤面している。


「ちがうからっちがうからね、いちねえ」

「私はあんたが好きで、あんたは私が好き。だからお付き合いしてる。なにがちがう?」

「それはっ……ちがわ、ないけど」


 でもこのままじゃ本当に誤解されてしまう。もう、そういうことまでしてしまったようにいちねえに思われるのは、なんだか耐えがたいほど恥ずかしい。かといって行為の内容を振り分けして、ここまでして、ここからはしてませんなんて生々しく具体的な話はもっと恥ずかしくてしたくない。あたしは手詰まりに追い込まれてしまった。なんだこれ、あたしをいじめ殺す会合か?


 そこまで口を挟まず聞いていると思った芽衣さんは、おなかに手をあて体をくの字に曲げて、「ひー。ひーもうだめ」と大爆笑していた。この人見損なった。すごい腹立つ。


「ひひひひひひぃー。くるしい。……きっかけはなに? 少なくとも、ちょっと前までは蜜音ちゃんずっと家にいたから、そのあとだよね?」


 仮にも天下の大女優がひひひひひなんて笑うべきじゃない。ファンが見たら泣くぞ。

 そして、ごく自然な疑問を口にしたって風でいて、今日の本題を誘いだそうとするかのようにアシストをしてくれた。

 それに、我が意を得たりと、瞬がちょっと芝居がかった調子で語りだす。……瞬からの一方的な嫉妬さえなかったら、この二人は実は相当、名コンビなのではなかろうか。


「16日の火曜日。おふたりも覚えがある日付かと思います」

「ええと、それって……三日前? あれ、蜜音の部屋の……」


 そこまで言って、いちねえが気まずそうにあたしの顔を見たあと、目をそらした。

 彼女のなかではあたしが彼女にキレ散らかして自分で窓を壊した日なので、仕方ない反応だろう。


「そう。私が、脚立でお宅の部屋の2階に入るために窓ガラスをぶっ壊した日です」

「はあ!? え、どういうこと!?」

「まず謝ります。ごめんなさい。まだ蜜音の部屋の窓は直ってませんよね? 弁償は必ずさせていただきます」

「え。え。あの、まずなにより、どうしてそんなことしたの。危ないじゃない」


 いちねえの口からまず出たのは、自分の家の設備を破壊された怒りではなくて、妹の友達が危険を冒したことに対する心配だった。

 ほんとだよ。誰の支えもなしで、細腕の女子高生が荷物かかえて2階まで脚立で上るなんて、いま思うと背筋が冷える。瞬が大けがしてたらあたしは正気じゃいられない。


「なぜかというと、あなたがたに当てられたからです」


 そこで、瞬はいちねえとそれから芽衣さんを見た。

 芽衣さんを長めに、見るというより睨むように。芽衣さんは面白そうににやにやしている。


「お二人の関係を知って、ああ、そういうことがあっていいんだと思わされまして。そしたら、どうしても蜜音に会いたくなったので」


 お二人の関係って言葉で、いちねえは赤面を深めた。

 瞬のセリフはもしかしたら一面で彼女の本音なのかもしれないけど、事実とは少し相克している。

 まあ、いちねえの前で、芽衣さんを色魔だと思ってたからそれで嫉妬に駆られまして、なんてこと言い出すほど瞬の理性はゆるくなかったということだ。


「つまりですね。あの日のあの事件の犯人は私なので。ということは、ここにいる関係者の間で、あの日の出来事について事実誤認があるということです」


 そういうことだ。

 いちねえがあたしを恐れるようになった出来事に、そもそも前提条件からして嘘があったということ。

 そこで瞬はあたしの背中に手を回して「ほら、こっからはあんたの番」と、押してくれた。


 いちねえは混乱している。目を白黒させて、あたしをじっと見てる。こんなに目が合うのは、瞬の侵入事件以来だ。

 人に謝るっていうことには勇気がいる。まして、完全に自分が悪いときほど、謝罪には誠意が求められるから、ますます言葉を作ることが難しくなる。

 だけど今は、背中に感じる瞬の体温があたしの気持ちを支えてくれた。


「いちねえ。本当にごめん。あたし、嘘ついてた。いきなり瞬が部屋に来て、窓ガラスは割られるわ、そのあとすぐいちねえたちが上がってくるわで、パニックになっちゃって。とにかく、瞬を犯罪者にだけはできないって、頭のなかがそれでいっぱいになって。あの場をしのぐためだけに、口から出まかせで全然心にもないこと、言っちゃった。本当に、ごめんなさい」


 あたしは椅子から立ち上がって、深々と頭を下げた。


「口から出まかせってどういうこと?」


 あたしの心理なんて手に取るようにわかっているだろう芽衣さんが、あえての質問をしてくれた。ありがとう。

 あたしは深く息を吸ってから、なんとなく曖昧にしてしまっていたことを、きちんと言葉にした。

 それは、たとえこの件がなくたって本当はちゃんと伝えないといけなかった気持ちだ。いちねえたちが受け入れてくれたから、なんとなしでなあなあで済ませていていいことじゃない。


「いちねえ。あたし、あのときいちねえを責めるようなこと、言っちゃったよね。でも、本当はもう全然そんなこと思ってないよ。芽衣さんのこと好きだし、いちねえのことはもっと大好き。確かに、最初は戸惑って怒ったりもしたよ。だけどいまはいちねえが悩んで決めたことは尊重したいって思ってるし、二人のこともお似合いだと思ってる。応援してる。だから、ごめん。嘘の理由でいちねえを苦しめた。最低の妹でごめん」


 最低の妹というなら、それは本当にそう。

 だってあたしはいまだに真実の全部を開示してなくて、今日まで起きたことの根本原因がそもそもあたしにあるってことを言えそうもない。

 いちねえは被害者で、悪いのはあたしだよ、って言えてしまえばいいのに、やっぱり怖くてそれだけはいえない。


「うわあああぁぁぁ……っ!」


 あたしの告白を聞いて、いちねえはぼろぼろ、ぼろぼろと涙をこぼした。

 芽衣さんが肩を抱いてあげると、その胸にすがって本格的に泣き出した。

 あたしも一緒に抱きしめてあげられたらいいけど、いまだに嘘つきなあたしにそんな資格はない。


 そんなあたしを全部知ってる唯一のひとである瞬が、ぎゅっと手を握ってくれた。




            ※   ※   ※




 あれからさらに時間がたって、いちねえとの関係はぎこちなさこそあるけれど、だいぶ元通りになってきたかと思う。

 そうはいってもいちねえはいまだに自分を許してないし、このままならこれから一生苦しむだろう。


 いちねえの苦しみを取り除いて、完全にもとに戻るにはほんとうの真実を言ってしまうしかないけれど、そんなことしたら今度はあたしがいちねえに嫌われて憎まれてしまうかもしれないと思うと、そんなことないだろうなと考えつつも、やっぱりいえない。


 臆病者なうえに卑怯者なあたしは、だんだん自分を嫌いになりながら、今日も瞬とキスをしている。

 毎日してると、さすがに最初のあの日みたいに、口から心臓が飛びだしそうってほどには緊張したりしなくなる。

 逆に彼女の熱を一番に感じられるこの瞬間が、待ち遠しくてならなくなっている。


 瞬の存在を確かに感じる。つながりをとても深く思える。彼女への愛しさに没頭していられるこの時間以外は、早く過ぎて消えてしまえばいいとさえ思える。


 今日のあたしは芽衣さんから借りた、ちょっと大人っぽいワンピースを着ている。

 瞬にしか会わないけど、瞬にこそなるべく可愛い自分を見せたい。でもあたしはそんなに衣装持ちじゃないから、いちねえや芽衣さんに頼ることが多くなる。芽衣さんの服を借りてると知ると、瞬はちょっと不機嫌になるけど、あたしの気持ちを汲んでくれて、ただ可愛いって褒めてくれる。


 そして最近、あたしには困ったことが起きていた。


 あたしの背中を抱きしめてキスをしてくれてた瞬の手が、ワンピースごし背中をなぞったかと思うと、お尻のほうへ降りてきた。

 それを感じた瞬間、あたしは強く瞬の胸を押して突き放した。


「やだって!」

「……まだダメなの? ちょっと触るだけも許してくれない?」


 瞬は、あたしの全部をモノにしたいって欲望を、だんだん隠さなくなってきてた。

 ここ、野外だよ? 見られたらどうする? なんて表向きの理由で拒否してもいいけど、そしたら家で、ってことになったらあたしはもう逃げ場がない。あれから、あたしと瞬はいちねえたち公認のカップルになってるし、たぶん家でそういうことしても怒られないから。


 あたしは、瞬とそこまでの関係になる気がなかった。

 もちろん、瞬以外ならいいなんて話ではなくて、誰とであっても同じことだけど。瞬とは、特に。


 気持ちが一番大事で、行為なんて何をしても上っ面のものだという意見もあるかもしれないけど、あたしの考えだとそうじゃない。

 やっぱり、ある一定以上の深い関係は誰とでも結ぶようなものじゃないし、それを許してしまった瞬間、その関係はもう後戻りの許されない深みにはまりこむのだという感覚が常にある。


 ふたねえみたいに割り切れたらいいのだろうけど、あたしはきっとタイプとしていちねえに近い。

 陸斗さんと聖也とあんなに深く心をつなげてしまっていたからこそ、どうにもならないほど苦しみ抜いているいちねえを見ていたら、瞬とこれ以上の進展をすることが怖くてどうしようもなくなった。


 欲望だけに目を向ければ、瞬にされたい気持ちも、あたしから瞬に触れたい気持ちも、強くある。

 それが強ければ強い分だけ、いつか失われることが約束されている関係で、そんな深みにはまりこむことは、あってはならないと思えてしまうのだ。


 だからあたしはそれ以上を瞬に許さないし、自分にも許さない。これからさき、きっと、ずっとそうだろう。


 あたしはもう瞬のものだ。

 たとえこれから彼女に運命の人が現れて振られることになったとしても、あたしの気持ちはそう決まってしまっている。

 なにより瞬もそう考えてくれているからこそ、あたしたちの意思の乖離は日に日に拡大している。気持ちが同じであっても、向いている方向は真逆だった。


 瞬は、あたしが本当に嫌がることはしない。

 だから今日も手を離してくれたけど、耐えきれない何かが彼女のなかで募っていて、それがもう溢れ出しそうなのも見ればわかる。

 だけどあたしはそれに答えてあげることはできないのだ。


 苛立たしげに、瞬が自分の髪をぐしゃぐしゃとかきまぜた。

 あたしに見せるためにきれいにセットしてくれていただろう髪型が乱れていくのを、あたしはとても悲しい気持ちで見た。


「もう一週間以上になるよ。まだ信じてくれないの」


 あたしのなかの躊躇の原因を、ほぼ正確に読み取っている瞬がそう言った。

 瞬にだけはすべての事情を話してしまったから、あたしが何を恐れているのか彼女はよく知っている。


 だからといって、それに解決の方法があるわけでもない。

 そもそも、あたしは自分が彼女に相応しい人間だと思ってなくて、いつかきっと彼女にもっと見合う、はるかに素晴らしい人が現れるのだと信じてしまっている。

 それはきっと、あたしの中にあるこの変な能力と、本質的には関わりない恐怖で、もしかしたら能力のことはそれに拍車をかけているに過ぎないのかもしれない。

 要するにあたしは予防線を張り続けていないと、彼女とこんな恋人未満程度の関係を維持することもできないのだ。だったらいっそ、彼女のことを手放してしまえばいいのにそれも選べはしない。


 そんなあたしに、俯き加減でなにを考えているのか表情を見せなくなっていた瞬が、ぼつりと言った。

 その声は、なにかとてつもなく暴力的な気配を孕んでいた。


「ああ、もう、キレた。ほんとにもういい。考えてみたら馬鹿馬鹿しい。なんで我慢してたんだろ。あんた以外のことなんてマジでどうでもいいのに。私はそんなキャラじゃない」


 顔をあげた瞬は、恐ろしくギラついた目つきであたしを見た。

 これから何をされるのかと、あたしは竦んで後ずさりしてしまった。


「え、なに」

「来いよ」 


 そう言って、瞬がものすごい力であたしの手を引きだした。 


「来いってどこに……」

「陸斗さんの家」


 これから暗がりにでも連れ込まれるのかと警戒したあたしに瞬が言ったのは、まったく想定外の言葉だった。

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