第4話 アスラウグからの勧誘

「……ん。この辺ならどうにか眠れるか。っていうか端っこなんですけどー」


 俺は殆ど森に差し掛かった辺りに座り込んだ。

 とても悲しいことに、気が付いた時には日が落ちていた。

 今日からのミッションはアスラウグ隊が指揮するので、食事などは用意されている。

 とはいえ、浄水器の設置は明日以降らしく、水は新たに支給されたものしかない。

 近くに小川はあるが、間違いなく腹を壊して、結果的に全身の水分を失うことになる。


「流石、アスラウグ様‼ここまで酒樽をお持ち頂けるとは‼」


 皆が火を囲んで、楽しそうに酒を飲んでいる。そして、俺はあの輪の中には入らない。

 食糧が支給されるから、いちいち酒場でつるむ必要はない。

 それに、俺は今とても悲しんでいる。


「あの匂いはなんだったんだよ。俺が眠っている間に回収された?起きた時にはアルコールの臭いしかしないし、この臭いは暫くここに充満してるし。」


 嗅覚は案外、直ぐに慣れると聞いたことがある。

 だが、絶対に!間違いなく!アルコールの臭いがしているということは、空気中に小さなアルコールが飛んでいるのだ。


「もう、どんな匂いだったかも忘れてしまった。ってか、上書きされ続けているんだけど。あれさえあれば、こんな冒険者稼業とっとと辞めて、海辺でひっそりと暮らすんだけどなぁ。」


 逃した魚影は間違いなく魚だったと俺は確信している。

 どうして確信が持てるのか、それは逃がしてしまったからだ。もう、手に入らないなら何とでも言える。


「小僧、冒険者を辞めたいのか?」


 その声に俺の肩が跳ね上がる。相変わらず、彼女は苦手だ。

 しかも、先ほどまで彼女を讃えた声が聞こえてきた筈だが、いや既に酒臭いのでさっきまであの輪の中に居たのだろう。

 女だけで、男たちの輪の中にいるだけで、正気を疑いたくなるが、あれを見せられたら流石に何も言えない。


「そりゃ、そうっすよ。俺、酒が飲めませんもん。」

「あー。それで倒れたのか。稀にそういう体質の者がいると聞くが、……今までよく生きていたな。それでどうして冒険者なんだ?水の確保が難しい冒険で、保存が利く酒は必需品だが。それに強敵と出会った時にも役に立つぞ。」


 実は冒険者だけではない。漁師や採掘などもアルコールで水分補給をする。

 更に、農家でも。水は農業用水として活用されているから、飲料水はアルコールだったりする。


「何度も死にかけたっすよ。気が付いたら冒険者に囲まれてたのが一番の理由っすけど。話に聞く限り、一番稼げるのも冒険者。なら、稼い稼いで新鮮な湧き水が出る土地を買う。それが俺の夢っすよ」


 崩壊以前の世界では、ここまで水の汚染は進んでいなかったらしい。勿論、神話の話だから嘘かもしれないけれど。

 ただ、本当だったとすれば、再生の神が酒が大好きで酒におぼれて再生をサボったに違いない。


「ん。ラッシュ、だったな。それは殆ど不可能ではないか?大体、そういう水源は……」

「貴族階級が大体押さえてるのは分かっていますよ。だからって諦めるわけにはいかない。」


 飢餓で死んだ者、脱水症状で死んだ者を何人も見てきたが、綺麗な死に顔は見たいことがない。

 それに彼らの魂はヘルヘイムに運ばれる。勇敢に戦って死んだと見做されないからだ。

 勿論、その理屈も世界が崩壊した今も通じるのかは分からないのだけれど。


「んー。それなら……」


 その時、全身が総毛立った。直後、俺の右肩がグッと掴まれた。そして以外にも柔らかい体に左腕が当たった。あれだけの技を放つのだから、もっと筋骨隆々かと思っていたのだが。

 俺の方がガチガチだったから、その感触もよく分からなかったけれど。


「良い考えがあるぞ。と言っても、ラッシュが良い働きをしてくれたら、だがな。」

「良い考え?」

「あぁ。私が持っている土地には新鮮な水が出る湧き水がある。働き次第では私がお前を雇ってやろう。」


 俺は素直に目を剥いた。この状況、いやアスラウグの言動に違和感があったからだ。


「あのぉ……」

「お前、私を最初に見た時、ビビったろう。」


 綺麗ではあるが、怖い女。それはそうだろうと俺は首肯した。

 すると、彼女は何故か笑みを浮かべた。


「え?なんですか?それって普通じゃ——」

「普通、私を見ても誰もビビらない。勿論、肩書きや財産、武具を見て目の色を変える奴はいるがな。」


 ん?


「それは俺も同じだった筈。」

「いーや。ラッシュは私自身に何かを感じた風だったが?……今もそうだろう。貴様には何が見えている。なかなかに珍しい男だ。まぁ、私の伴侶オットとなるには、色々と足りないからそういう意味ではないぞ。」


 彼女は、まるで愛と豊穣の女神フレイヤの如き言葉を使った。神話が本当だったらの話だが、オーディンの目から見たフレイヤはワルキューレの筆頭だった。

 神話に出てくるアスラウグの母はブリュンヒルデ、つまりワルキューレだ。


 うーん。戦いに身を投じることを生きがいとする男、オットを探している。

 正直な話をすると、みんな神話の影響を受けているから、それが彼女の本心かは分からないけど。

 アスラウグという名を付けられたことで、そういう生き方を選んだ、のかもしれないし。


 と、そこで。


「アスラウグ様!まだまだ夜は長いですよー‼」

「あぁ、今行く!」


 そして、彼女は呆気なく去ってしまった。


「それはそれで魅力的な話か。……ってか、本物が求める良い働きってなんだよ。ただの小僧の俺にそんなこと出来るのか?」


 そういえば、ここから先の目的は聞かされていない。

 ここを拠点に一か月間、探索することは聞いているが、それ以外のことは聞かされていない。

 神具や黄金などのお宝をアスラウグが手にすると決まっているからだろう、とは思う。

 良からぬことを考える冒険者がいないとは限らないからだ。

 ……さっきの俺のように。


「う。そう考えたら、あの時のことが悔やまれる‼俺にトロールを倒す勇気と力があれば……」


 猛烈に悔しくなってきた俺は、結局このままふて寝した。

 ゴブリン?寝ていても臭いで気付ける。だから、マジで拠点の端っこで、一番酒臭くないところでギュッと目を瞑った。


「は!そうか‼」


 と、思ったんだが、俺は飛び起きた。

 蒸留器は未だ完成していない。だが、その魔法具が手に入ったのなら、蒸留水を作る必要はないかもしれない。

 この場で魔法具を手に出来るのは雇い主のアスラウグのみ、わざわざ隠す必要はない。

 それに、それを欲しがる男がいるとは思えない。

 先の話で俺の目の前にぶら下げる報酬としても利用可能だった筈だ。


「……これはあくまで直感だが。あのトロールが魔法具を持っているとは思えなかった。っていうか、あそこには何もなかったんじゃあないのか?」


 一応は中堅冒険者としての勘である。

 それが導き出した答えはこうだ。


「俺は勝手にあると決めつけて、無駄にトロールと命がけの弾避けゲームをしていたんだ‼」


 実に馬鹿げた結論に辿り着いてしまった。

 だから、結局今度こそ俺はふて寝をするのだった。


 そして、夜。


「……て。……だ……れ」


 真っ暗な中に俺は居て、闇の奥から人の声が聞こえた。

 気になって、そちらの様子を伺うも、光のない世界は俺の網膜に一片の情報も寄越さなかった。

 ただ、その代わり。


「この匂い。あの……」


 そこで俺は思い出した。ここは闇の森の中。か細い声の女の子が助けを呼んでいる理由なんて決まっているじゃないか‼


「待ってろ!今、助けに行くからな。」


 知性を受け取ったウジ虫であるドワーフさえ、あのフレイヤの体を要求するほど傲慢な性欲の持ち主がいる。

 ならば、ウジそのものであるゴブリンはどうか。考えただけでも恐ろしい。


「くそ!何なんだ、ここは。俺は進んでるのかさえ分からない。壁?見えない壁があるのかよ。どうやったら、あの声の——」


 女の子の声は今も聞こえる。そして、その内容に彼は声を詰まらせた。


「……助けて。……もうすぐ、見つかってしまう」


 そこで、俺は闇の中をしっかり見ようと瞼を裂いた。

 それがきっかけで、目が覚めてしまったのだけれど。

 

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