第2話 本格調査の開始
冒険者パーティの隊長はダズリという三十代後半の男だ。
だからパーティの名前もダズリ隊。中の上くらいだと彼は言っているが、ミッドガルド中に冒険者パーティは飛び散っているから、他と比べてどうなのか、俺には分からない。
「ダズリ隊長!俺、昨日の夜に見たんです。なんか、得体の知れない人のような影、影って言うか光ってて。」
とりあえず報告はしてみた。ただ、話すタイミングを間違えたらしい。
アルコールの抜けない息が、俺の右側面に浴びせられた。成程、そういうモンスターもいるのかもしれない。
「おいおい。ラッシュ。森の中で光る人間だってぇ?酔って幻でも見たんだろう?」
「いやいや、ゴンザ。俺も見たぜぇ。絶世の美女でよ。俺のことを夜中離してくれなかったんだぜ?」
「グンナン、そりゃマジもんの夢だぜ。そんなこと言ったら俺だって、ブリュンヒルデが後ろに……」
「かー、ワルキューレは戦場に行きゃいるだろうよ。それに俺は毎日見てんだが?ラッシュぅ、お前にゃまだ言ってなかったよなぁ。俺はあのエギルを泊めさせたっつー家でよー。……………って、流れで俺が生まれたってわけよ。」
毎日聞いていますけれど。って感じで、こいつらは自分のルーツをやけに強調する。
それが必要なことだとは分かっている。崩壊した世界から再スタートした俺達は、毎日が開拓の日々だ。
特に冒険者パーティは、その先陣を切って戦う人々。日々、命を賭けて山へ森へ谷底へ突き進む者たち。
勇気を鼓舞する為に、己のルーツを必要ないのに敢えて口にする。
「いや、そういうことを言ってるわけじゃなくて、ですね……」
「ラッシュぅぅぅ。少し黙れぇぇ。今日が何の日か忘れたのかぁぁ?」
隊長ダズリがお得意の巻き舌で、俺の言葉を遮った。だが、何の日か、という言葉に俺は息を呑んだ。
俺達が何のために、一週間かけて入念に森のマップ作りを続けていたか。
「は……。そうでした。今日は俺達の雇い主……、じゃなくて組長が出陣される……」
「調子はどう、ダズリ。」
俺の後ろから聞こえた女の声。同時に息が出来なくなるほどの恐怖を感じた。
だから、咄嗟に振り返るもそこに居たのは長身で赤毛の美しい女、ただ一人だった。
しかも怒っているとか、血に飢えているとかでもない。
「アスラウグ様!すみません。俺らの方からむかわにゃならんのに。」
「いや。構わない。私が催促して早めに出発させたのだ。ん?見かけない男だな。お前の新しい小姓か?」
「いえいえ。流れ者を暫く預かっているだけです。こいつは臆病ですが、鼻が利くので最前線にと思いましてね。」
いやいや。そんな話、初めて聞くが?っていうか、臆病ってなんだよ。
なんてことは考えない。臆病者の何が悪い。
色んな所でお払い箱になったのも事実である。
時代が違えば、間違いなく奴隷として、誰かの所有物になっただろう、という自信さえある。
「そうか。流れ者か。小僧、名は何という。」
「ラッシュです……」
ここで数秒間の沈黙が流れる。理由は。
「名はラッシュ。……それだけか?」
今までの冒険者の性質を理解していれば、この沈黙の意味が分かるだろう。
「まぁ、そういうこともあるな。それより私も挨拶をしておこう。私の名からも察せるだろう。世界崩壊前のアスラウグが私の祖であり、世界崩壊後……」
つまり俺には、自分の出生を教えてくれる家族がいない。両親は生きているか、死んでいるかも分からない。
「——で、私が生まれたってわけだ。すまんな。歴史が古すぎて、長くなってしまうのだ。その為に早くに出立したのだがな。」
だそうだ。
確かに10分は自分の生まれについて話していたかもしれない。全然聞いていなかったけれど。
大体、世界崩壊とは何なのかも、俺には分からない。
ユグドラシルが半分以上朽ちているから、何かがあったことは分かる。
「らぁぁぁぁっしゅうううう。いいから、てめぇはさっさと準備しろぉぉぉ。アスラウグ様、手間を掛けさせてすみません。」
「はい‼」
「うむ。よい返事だな。若者!」
俺は隊長の言葉に救われた。
理由は分からないが、動けなかったのだ。
それにあの女を見て、生まれて初めて思ったことがある。
「あれって、本物?」
「おまっ!何を失礼なことを言ってんだよ。さっさとこっちに来い!」
昨日、相席したトムに引っ張られて、俺は部隊の先頭まで連れていかれた。
だが、心はここにあらず。美しい女性を見たからとかではない。
本物なのか、それも分からない。
アスラウグの父親はシグルス、母親は先ほど中堅冒険者の会話にも出てきたワルキューレ・ブリュンヒルデだ。
そしてシグルスは、あのオーディンの子孫である。
「いや、流石にそこまでは……。ありえない……よな。」
「ありえるっつーの。だから、あんなに金持ちなんだろ?今日だって……、ほら見ろ」
誇らしげに革袋を掲げるトム。それは確かにその通りで、俺の背中にもそれらがたんまりと乗せられている。
「水とワインと干し肉……。ワインは要らないけど、水と干し肉は有難い。……ま、死ななければの話だけど。」
「勇敢に死ねばいいんだよ。それに死んでも酒と肉は俺達が食ってやる。」
「だな。気にせずにラッシュは突っ走りゃいいんだよ。」
俺には家族がいない。どうやって生まれたかさえ分からない。
物心ついた時に売りに出されたってことは覚えているが、その売り主だって俺の本当の家族ではないらしい。
「うす。今日も頑張るっす」
捨てられていた赤子を拾ったらしい。五体満足だったから、小姓として育てようとしたらしい。だけど、冒険者組合に売った方が金になると気付いた、とその時に言われた気がする。
つまり、奴隷と大して変わらない。
十年働いて、やっと給金が貰えるようになったという話である。
「今日は二日目に通ったルートでいいっすか?」
「どこでもいいぜ。とにかくあの岩場まで行けりゃいい。ほら、行った行った!」
グンナンが鼻を鳴らして、顎髭ごと俺に前に行けと言った。
ここで俺達の目的をはっきりさせようと思う。
まず、俺たちはこの世界のことをあまり分かっていない。
九つあった世界は神々の黄昏によって崩壊した。ただ、同時に再生することも予言されていたから、ここは再生後の世界だと考えられる。
「どこでもいいって、また適当だなぁ。世界地図がないから、一週間かけて調べたんだろー。」
だが、どのように再生したのかが分からない。そんな中、一つだけハッキリしているのは、地平線の遥か先に見えるユグドラシルが中央部分でなぎ倒されていること。
これは高地から見れば、誰が見ても明らかだった。
「いいから歩けよ。この先にアースガルズかヴァナヘルムがあるに違いねぇんだから。」
「それ、本当なのか分からねぇんだろ。まぁ、いいけど。俺は飲める水を作り出せる魔法具が見つかれば、それでいいんだし。」
「はぁ?そこはビールが湧き出る大釜だろうがぁ。エギルの祝宴がそのまま放置されてるっつー話だぞ!」
伝承によると、殆どの神は死んでいる。
所有者がいなくなった魔法具を有難く頂戴したい。
これがとにかく冒険者を育てようとした大人たちの考えである。
「人間を通さない道、
神話を引っ張り出したり、民間伝承を取りまとめたり。
色んな事を偉い人が考えたらしい。
そして偉い人の一人が今回の雇い主、アスラウグ様。どういう意味で本物か分からないが、あの風格は只者ではない。
だから、俺はマジでビビっている。彼女が本物だとすれば、本当にこの先にアースガルズがあるかもしれないではないか。
「でもよぉ、グンナン。スヴァルトアールヴァヘイムの魔物が出てくるのはおかしかねぇか?」
「んなこた、俺が知るかよ。ユグドラシルの根元の方もどうにかなってんじゃねぇか?ラッシュ!その木の裏ぁ‼」
「ヒッ!こ、ここかぁ‼」
「って、嘘ー。引っかかってやんの。全く、ビビりだなぁ。」
一番身分の低い人間が知らない道を歩かされる。よく聞く話だろう。
だが、実はこの風習には大きな欠点がある。そして俺がこの歳まで生き永らえた理由でもある。
「でも、用心するべきだな。こう来たら、こっちに避けて。うーん。それにしても重いなぁ。俺、ワインなんて飲めないのにワインのせいで上手く動けない。この辺に捨てて……」
「おーっと!ちょっと待ちな、ラッシュ。俺様ゴンザがどうしてテメェの後ろにいるか分かるかぁ。」
「あぁ?おめぇはさっきまで後ろにいたじゃねぇかよ。グンナン様こそが、あのワインを飲める器よ」
彼らはとても勇敢である。木っ端奴隷もどきを前に歩かせるなんて、彼らにとって何の意味もない行為だ。
一応、上の命令で俺が先頭を歩くことになってはいるが、会話できる距離にいるのはコレが目当てだったからだ。
「ちょっと。喧嘩はやめろっての。順番に少しずつ飲んだらいいだろ?」
水は少量、殆どは酒。但し、任務があるから一定量しか支給されない。
大切な水分補給品だが、俺にとっては真逆の意味を持つ。胃液までぶちまけてしまうから、水分を失わせる毒物でしかない。
「おい。飲み過ぎだぞ、グンナン!」
「お前こそ飲み過ぎだぞ、トム‼」
「いやいや、お前で終わりじゃねぇんだぞ、ゴンザ‼」
と、こんな感じが一週間続いていた。
いや、俺の人生がこんな感じで続いていた、と言うべきだろう。
「しゃぁぁぁ‼やーーっと、酒が頭に回ってきたぜぇぇ‼野郎ども!ラッシュなんて放って、ゴブリンどもを片付けるぞぉぉ‼」
彼らは勇敢である。そして彼らの勇気の源はアルコールである。
だから、俺がビビっているとかじゃない。勝手に盛り上がって最前線なんてどこ吹く風になる。
「いざ!ヴァルハラへぇぇぇ‼」
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