彷徨える少女と下戸の少年

第1話 で、俺がうまれたってわけ

「——で、俺が生まれたってわけ」


 俺が行動できる範囲でのの話だが、ここは何処にでもある酒場。一階が酒場になっていて、二階では寝ることが出来る。

 まぁ、殆どの奴は酒だけ飲んで道端で寝るんだけど。

 柔らかなベッドで寝るより、酒を抱いて寝る方が好きらしい。


「っておい。聞いてるか?」


 目の前でエールを空にしているのが、俺の冒険仲間のトムだ。

 この男も布団より、酒の方が好きらしい。ただ、もう金が尽きたのか、洗い立ての時よりもカップがテカテカに輝いている。

 いや、決して綺麗って意味じゃないんだけど。


「おい。ラッシュ!いいかぁ?俺の爺ちゃんの爺ちゃんに聞いた話だから間違いねぇんだっての。」


 何度も聞かされた話だ。俺は面倒くさく思いつつも、トムの小話に付き合っている。

 既に記憶も定かではないこいつらに、俺が付き合っているのは仲間だからだが、もう一つ理由がある。


「で、そこで俺の爺ちゃんの爺ちゃんは言ったんだ。爺ちゃんの婆ちゃんはあの日、雷帝と一夜を共にしたってなぁ!」

「……お前の爺ちゃんの爺ちゃん、すげぇ長生きだな。」

「ぐ……。その話はすんなよぉ。俺の爺ちゃんはなぁ。俺が生まれる前に冒険の途中で……。だから爺ちゃんは勇敢に戦って死んだんだ。俺はぁぁ、話でしか聞いてねぇけどよ。」


 全く、話がかみ合わない。それは彼が財布の中身が空っぽになるまで飲んだから。

 そして、俺はこいつが酔いつぶれて眠るのを待っている。

 因みに、トム以外の男たちもきっと同じような話をしている。


「てーいーうーかー、ラッシュ!俺様が言いたいのはそんなことじゃねぇ。俺の爺ちゃんの爺ちゃんの婆ちゃんが雷帝と一夜を共にして……」


 そして、こいつらは決まって同じことを言う。


「それで俺が生まれたってこと!いいかぁ?俺はあのトール様の子孫っつーことぉぉ‼」


 最後に出てくる名前は違えど、「で、俺が生まれたってわけ」を言いたい奴らばかりだ。

 遥か昔に互いに滅ぼし合った神々、その末裔である筈がないと皆も分かっている筈だが、火のない所に煙は立たない。

 もしかしたら、それっぽい何かを言われながら育ったのかもしれない。

 そして、自分のルーツにも酔いしれて、冒険者たちはテーブルに突っ伏して寝息を立てる。


「トム?……おし、寝たな。んじゃあ、バルヴァさん。俺、こいつらをその辺に放り投げときます。」



 ここはビッツという小さな宿場町で、ゴブリンの森の少し手前にある。

 お宝を求めて、魔物の森を越える冒険者がこの宿場町を支えている、と言っても良い。


「おう。ラッシュか。今日も頼むよ。」


 そして俺もこの町を支えている、と言いたいが今俺が支えているのはトム。

 後はガイルにゲイルにボイルに、と男たちを支えていく。

 勿論、俺も冒険者だが、この町に貢献しているとは言い難い。

 今の俺に出来るのは、酔っぱらいを店の外で川の字に寝かせていくこと。

 幸い、ここまでゴブリンがやってきたという話は聞かない。


「良し。こんなもんだろ。バルヴァさん、んじゃ。俺は普通のベッドで寝るよ。」

「今日も悪かったねぇ。流石にこの歳にもなると、大男を運ぶのは流石に応えるでなぁ。ラッシュ、礼じゃ。一杯飲んどくか?」


 彼女も大概大きな体だが、やはり歳には勝てないらしい。

 そんな彼女が後ろにある酒樽を、親指で示して笑みを浮かべている。

 だが、その言葉だけで俺は厠を探したくなってくる。


「あの。俺」

「なんじゃ。まーだ、飲めんのか。そんなことで冒険者が務まるのかねぇ。いつもの部屋の隣を使いな。例の酒の代わりだよ。」


 その言葉を待ってましたとばかりに俺は一礼して、階段を駆け上がった。

 そう、俺は酒が飲めない。冒険者とは恐ろしい魔物が巣くう森を抜けて、過去の遺産を探し求める者たち。

 そして持ち帰ったお宝を売り、下手をすればその日のうちに酒に変わって体内へと入り、英気が満ち溢れる。

 宿場町は宿代よりも酒代で儲けている、というわけだ。


 だから、俺はこのビッツに何の貢献も出来ていないわけだ。


「ま。つまり俺の懐は暖かいんだけどな……」


 俺はピンと指で銀貨を弾いて上に飛ばした。今日もどうにか守り抜いた小銭。

 本当はもっと早く眠りたいが、あそこまで粘る必要がある。

 しかも、ちゃんと食べてます、飲んでますアピールも必要なのだ。

 冒険者になったばかりの頃、うっかり先に寝ると言った。泊まるのも前払いだから、そこで酔っ払いが絡んでくる。


「ラッシュぅぅぅ。まだ、酔ってねぇじゃねぇか」


 お金を分捕られるわけではない。勝手に俺の金で俺の酒を注文する。


「おいおい。減ってねぇじゃねぇか」


 などと、先ほど自分が注文したことも忘れて、俺の酒を飲む。もしくは違う奴が飲む。

 しかも、次の日にはその全てを忘れているのだから、質が悪い。


「酒は飲めるのが当たり前、酒が飲めない奴の気持ちが分からない。酒が飲めなければ職に困る。……それはまぁ、分かってんだけどな。」


 神様同士が戦って、一度世界は終わったらしい。

 その生き残りがどうにかこうにか、やり直した世界。


 ——ミズガルズ・・・・・と呼ばれる世界で俺は生きている。


「酒が飲めなきゃ、半人前だってさ。だから、取り分も人よりも半分。雇ってくれるだけマシだと思え、か」


 今日も言われた。昨日も言われた。どうして酔っ払いは同じことを何度も言うのか。

 ……いや、流石に本当のことだから、文句は言えないのだが。


「うぇぇぇ……。これをあんだけ飲めるって、あいつらの体はどうなってんだよ。ってか、少しずつ強くなるって本当か?」


 俺だって努力はしている。井戸水で薄めてみたり、ミルクと混ぜてみたり。だが、未だに酒が飲める気はしない。

 臓腑が燃え上がり、直ぐに顔面が林檎のように赤くなる。


「水……、貰ってこようかな……」


 一度、酒場に降りたが既に誰もおらず、仕方なく井戸水を求めて酒場の外に出る。

 二階の部屋でも感じていたが、外に出ると思い思いの体勢で寝ている酔っ払いの臭いで更に気持ちが悪くなる。


「うわ、こいつら何処で立ちションしてんだよ‼」


 そういえば、そうだった。今のこいつらにモラルはない。

 井戸の側で放尿されたら、流石にその井戸は使いたくなくなる。

 ここを拠点として一週間。毎回、順路を変えて森の調査を行っている。

 俺達の当面の目標は、水の確保だ。未開拓エリアを進むのだし、酒が飲めると言っても永遠に酒だけという訳にもいかない。


「とはいえ、こんな時間に森には入りたくないし——」


 だから水源があり、当面の安全が確保できそうな場所を探す。

 そこで数日分の水のろ過作業を行う計画だが、今のところ収穫はない。

 そんな時。


「仕方ない、今日は諦めて寝るか……、ん?」


 七日間もいたのに、初めて嗅ぐ臭いがあった。臭くはない。寧ろ良い香りがする。

 あのアルコールとアンモニアが混ざった悪臭から逃げたから、ただの空気が甘く感じただけかもしれないが。


 だが、それだけじゃなかった。

 何か、違和感がある。はっきり言おう。俺の十七年間の人生の中で感じたことがない感覚の主が森の中にいる。


「今、森の中に人がいた?目の錯覚かもしれないけど、なんか光ってたような……」


 ガサッ


 ただ、それは森の遥か奥にチラリと見えただけで、何なのかは分からなかった。

 ゴブリンだって人型だ。それに思ったより森に近づいていたらしく、直ぐ近くで聞こえた葉の擦り切れ音に、俺はたじろいでしまった。


「う……。ちょっとこれはヤバいか。とりあえず、明日隊長に報告しとこう。流石にこんな真夜中に森の奥に人がいるわけないか」


 俺は身の安全の為に宿に引き返した。

 ただ、今思うと。


 これがあの子と初めて会った日なんだと思う。

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