【命題】貴方に会えて、幸せでした

 そこには、鴉の濡羽がごとき闇色を、腰に届くほどに伸ばした少女がいた。


 それは、間違いなく、


「春…陽…?春陽…!?お前なのか…!?」

「他の誰に見えるっていうの?」

「いや……だって……!」


 脳の理解が追いつかない。だって、春陽は、あの日死んだはずなのだから。


「ゆーくんの到来を誰よりも嘆き悲しむ者、なんて。そんな趣味の悪い人間、私以外にいるわけないでしょ?」

「そ、その頭にくる言い方は…!」


 間違いない…これは、本物の春陽だ!!


「っていうことは、つまり…」

「ええ、はい。ティアードロップは私。まったく、私が命を捨ててまで助けようとしたのに、こんなことになるなんて…反省してよね?」

「いや、もうなんか、理解が追いつかないっていうか…」


 嬉しい感情と、驚きの感情と、意味不明の感情がぐちゃぐちゃになる。もはや、一周回って無感情だ。

 頭をおさえて仰ぐ。すると、声がした。


「ほんと、ずるいよ。ゆーくん」


 春陽は、恨めしいとでも言うかのように、俺をじろりと上目遣いで見た。


「本当は、このまま、私のことも知られずに別れる予定だったのに。そんなこと言われたら、耐えられるわけがないじゃない」


 あの日から、何度も願ったことだった。もう一度、春陽に会いたい。言葉を交わして、笑いあって、同じ時間を過ごしたい。

 そんなの、不可能だって分かっていたはずなのに。けれども、そう願わずにはいられなくて、だからこそ、それが何より苦しかった。

 しかし、願ったものは、いま目の前にいる。泣きたくなるほど、それは嬉しかった。


 俺の願いは、叶ったのだ。


「春陽……っ!」

「え?おおっと!」


 思わず、俺は春陽を抱きしめる。


「春陽…!ごめん…ごめん……!あの時、お前を…一人にして……!」


 涙が、堪えていた筈のものが、一気に溢れてくる。


「…会いたかった…本当に…会いたかった……!」


 その暖かさを、強く、離れないように抱きしめる。春陽も、その手を後ろに回してくれて、


「もう…ゆーくんってば、そんなに寂しかったの?ふふ。なんちゃってね。…うん。実は私も。私も、ずっと、ゆーくんに会いたかったよ」


 互いに、今までの空白を埋め合うように、熱い抱擁を続ける。

 ずっと、永遠にでも、そうしていたかった。いつまでも、この幸せが続くことを、渇望した。


 でも。


 終わりは、もうすぐそこまで来ている。


「もう…離れたくない……お前と一緒にいたい……!!春陽のいない世界なんて、悲しいだけなんだ……!」


 叫べば叫ぶほど、望めば望むほど、悲しみはさらに強まっていく。


「私だってずっと、あなたと一緒にいたい。これから続く人生を、ゆーくんの隣で過ごしたい。そうやって、笑い合いたい……!」


 ああ、そうできれば、どれだけ幸せであったことか。

 想いは共鳴する。抱きしめる強さを標として。だけど、


「でも、ゆーくんは、生きなくちゃ、ね」


 春陽は、一度強く抱きしめてから、ゆっくりとその抱擁を解いた。


「……ぁ」


 美しい光景だった。世界が、光で満ちていって。輝きが、破片となって。世界の全てを溶かしていく。春陽の姿が、光に埋もれ、遠く離れていく。


 夢が、醒めていくのだ。


「……春陽……春陽!!」


 繋いだ手は、容易く離れてしまう。もはや、言葉と視線が互いを交差するのみ。


「さようなら、ゆーくん」


 距離は、残酷にひらいていく。伸ばす手は、届くことなく虚空を掴んだ。


「あなたはもう、私がいなくても大丈夫」


 視界が涙で歪む。歪む視界にいる春陽は、それでも、俺が大好きだった、笑顔のままで。


 まだ、駄目だ。俺は、アイツに言わなければいけないんだ!!


「春陽!!!!」


 一際、大きな声で叫ぶ。見えなくなりつつある春陽に。最後の瞬間に、この想いを、伝えるために。


「俺は…!お前のことが好きだ!!誰よりも、誰よりも大好きだ!!!」


 春陽は、一度驚いたように目を丸くした。涙を流して、それから、


「…うん…うん…!私も!!ゆーくんのことが、大好き!!」


 もう、姿もほぼ曖昧になって。だけど、その笑顔だけは、今も輝き続けた。


「今までもずっと…!これからも、ずっと…!ゆーくんのことが、大好き!!!あなたと会えて、私は…!本当に幸せだった!!」


 最後の時が来た。


「………!」


 光は、視界を埋め尽くし、


「…ありがとう…ゆーくん」


 咲き続ける、大輪の花のような笑顔を、そっと、覆い隠した。

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