【命題】これは正しい選択である

 * * *


 ふう、と息をつく。

 なんとか、ここまで来られた。最初は少し、自信が無かったけれど。それでも、彼は生きると言ってくれた。

 自分のことでこんなに悲しんでくれるなんて、なんだか常に愛の告白を受けているような感じで、恥ずかしさ大爆発だったけれど。なんとか我慢できた。まったく、本当に頑固者なんだから。最後に一言、怒鳴ってやろうかとも思う。


 …ああ、そうか。


 これで、最後なのだ。本来なら、こんな最後すらも迎えることはなかったのだから、今のこれを惜しむのは贅沢だ。


 彼はまだ、私に気付いていない。いやまあ、気付かないように振る舞ったのは私だけど、それでもなんだかイラッとする。てか少しくらい気付けよ。

 でもまあ、それで良いのだろう。ここで彼が私のことを知れば、この別れは、もっと辛くなるに違いないのだから。彼にとって?いやいや。


 ………ふふ。


 だから、このままで行こう。少しだけ、ほんっとうに少しだけ、悲しいけれど。これで良いのだ。


 ふう、と息をつく。

 心配させてはいけない。笑わなければ、そう思った。


「なあ」


 そのときだった。


「暇なときにやることといえば一つ。無駄話と、相場が決まっているんだろ?」


 * * *


 どこか遠くを見つめるティアードロップに、俺は暇を持て余してそう言った。


「だからさ。なんかおしゃべりでもしようぜ」


 ヤツは、いつもと変わらない笑顔で、言葉を返す。


「…ああ、もちろんさ。ボクも、今まさにそう言おうと思っていたところだよ」

「といっても、何を話すかなんて決めてないんだけどな…」

「おいおい。とんだ企画潰れじゃないか」

「ま、まあ。なんか思い付くだろ」


 そう言って、何を話そうかと思索に耽る。すると、俺が考えつくよりも先に、ティアードロップが口を開いた。


「じゃあ、さ」


 少し、迷うような素振りを見せて、そう言う。


「ボクに、彼女のことを教えてくれよ」

「春陽のことか?」

「ああ。どんな毎日を過ごしてきたのか。その思い出を、感想を。ボクに聞かせておくれよ」

「めちゃくちゃ長くなるかもしれないぞ?」


 悪戯混じりにそう言った。


「ふふん。むしろ望むところさ」


 しかしティアードロップは、さらに鼻で笑い返した。

 それにしても、春陽のことか。いったい何から話したものか…


「…あれは、小学校2年の時だったんだけどな?」


 * * *


 そうして、俺は春陽との思い出を語り始める。それはまるで、アイツとの毎日を追体験しているかのように。


 笑った日があった。怒った日があった。泣いた日があった。そのどれもが鮮やかで、輝かしいばかり。

 昔のはずなのに、思い出すそれは、今もなお鮮やかで。


「ずっとずっと昔から知り合っていたから、それはもう当然かのようで気付かなかったんだけどな。高校2年になって、ようやく分かったんだ。俺はアイツのことが好きなんだって。だから、そう思ったならやっぱ、言葉にしなくちゃなって。そんな感じで、告白したんだよ。でも、」


 悪いものなんて無い。あったとしても、今になってはそれすらも、記憶を彩るスパイスだ。そんな、輝くような幸福で、今の俺は存在しているのだと思った。


「え?嫌だけど?って普通に断られたよ。それでまあ、その日は色々と落ち込んだりしたんだけど、次の日からは、いつもと変わらなかったな。いつも通り話せている。だからまあ、意識すらされてないのかとも思ったけど、まさかそういうことだったとは…」


 その後も、たくさんの思い出を話し続けた。宝箱から、宝石を一つずつ取り出すように。そのときのことを思い出して、思わず笑顔になったりもする。


「どうでもいいようなことを、よくアイツと話した。でもさ。なんだかんだで、やっぱ俺は、そういう時間が気に入っていたんだと思うよ」


 幸せだと感じるのは、そういうことだ。楽しいときも、悲しいときも、喜んだときも、苦しかったときも。隣には、アイツがいてくれた。


「どんなことでもさ。アイツと一緒だったから、楽しいと思えたんだ。…ひどく安上がりな人間だな、俺は」


 思わず苦笑する。

 ああ、こんな毎日に囲まれていた俺は、なんて幸せだったのだろうか。そのときの俺は、そんなことにすら気付いていなかった。本当、馬鹿野郎と殴ってやりたい気分だ。


「…ああもう、本当に楽しかったよ……」


 時は、刻一刻と近づいてくる。

 まだ、話してない思い出はたくさんある。まだまだ、到底語り足りない。

 だというのに、


「……本当に…楽しかった……」


 目の奥が熱くなって、喉が震えて、うまく喋れない。


「本当に、幸せだったんだ………」


 俯く。視界が潤む。頬を伝う、何かがある。

 涙の意味は、すぐに分かった。


「…だから、さ」


 想いが、溢れるのが止まらなかった。


「…もう一度、会いたいなぁ……」


 想いが、想いを呼んでいくように。


「会って、いつものように、話したい……」


 まったく、こんな気持ちになるのだったら、アイツの話なんてしなければ良かった。こうなるなんて、分かりきったことだったのに。どうして、断らなかったのか。


「何でもないことを話して、いつものように笑いたい……」


 その幸福は、もう、どこにも存在しない。手に入れることもできない。


「もっと、お前と一緒に、したいことだって…たくさんあるんだ……」


 だから、この願いは、絶対に叶うことがない。そんなこと、分かりきっている。


 だけど、


「会いたい…」


 どうか、お願いします。


「会いたい、よ…っ」


 神でも良い。悪魔でも良い。どうか、この願いを叶えてくれ。

 誰よりも、誰よりも、大好きだった、アイツと。もう一度、共にいる時間を。


「…春陽……!!」


 そのときだった。


「もう、駄目でしょ?」


 声が、した。


「…まったく、いつまで泣いているの」


 気の所為じゃない。それは、ひどく懐かしいもの。高く、よく響く声。その声は、ひどく聞き慣れたものだ。


「下ばっかり見てないで、前を向いたら?じゃないと、目の前の幸運も逃しちゃうかも」


 声がするほうに顔を上げた。そこは、ティアードロップのいた方向。


「やあ?また会ったね、ゆーくん」


 太陽のように、満開の笑顔を咲かせる少女がいた。

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