【命題】愚か者に詐欺師は務まらない

「ぐげガッ!?」


 重量のある金属筐体が、見事に俺の後頭部へと直撃する。

 俺は、奇妙な叫び声とともに、顔面から思い切り倒れ込んだ。


「痛えぇえええええ!!!!!何しやがんだお前!!!」

「いや、だって、自殺しようとしていて危なかったし」

「危ないのはお前だぁあ!!!こんなもん投げてきやがって殺す気か!?」

「いやいや、逆でしょ。キミが自殺しようとしたから、ボクがそれを阻止してあげたんだよ」

「そんなことしても自殺が他殺になるだけだろうが!?」

「いや、現にキミが生きているのだから、ボクの作戦は大成功だよ。えっへん。というかよく今ので死ななかったねぇ」


 頭がくらくらする。最悪な感情だ。


「というか、そんなことしてもこの世界では死ぬことはできないよ?」

「……じゃあ、どうすればいい…」


 どうすれば、この苦しさから解放されるのか。


「ボクが許可すればね。そうすれば、キミは自覚することもなく、死に至る」

「なら、さっさと俺に死なせてくれ」


 もう、分かったから。悪いのは俺なのだ。死ぬべきなのは俺だったのだ。

 何もかもが手遅れで、後悔と罪悪感で押し潰れそうになるのを耐え続けるのは、もう嫌だ。

 死にたい。

 死なせてくれ。

 辛くて、痛くて、苦しいのだ。


「それにしても、この状況は暇ではないかな?」

「は?」


 唐突に、何を言うのか。


「いやなに。キミの窮屈な破滅願望は、まるで踊るが進まぬ会議のようじゃないか。まさしく、退屈極まりない」

「…死なせてくれないのか」

「そればかりだなぁ、キミは」


 やれやれと、ため息をつくティアードロップ。


「ならば良いとも。キミを死なせてあげよう。でもその前に、少しばかりボクの道楽に付き合いたまえよ」


 何を、と言うのも馬鹿らしい。しかし、ティアードロップはそんな俺の心を読んだかのように、何事もなく話し続ける。


「さっきの話に戻ろう。ボクはとても暇なんだよ。なにしろこんなところでずっとキミを待っていたわけだからね」


 俺は、もはや返事を返さない。ティアードロップもまた、返答を待たず、話し続けるのを辞めない。


「知っているかい?暇なときにやることといえば一つ、無駄話と相場が決まっているのだよ?」


 次第に、俺の心も冷めていく。こんな茶番に、付き合う意味もないのだ。


「俺は死ぬ。死ぬ理由はあった。だから死ぬ。話すことなんて無い」


 冷酷に、突き放すように。しかし、


「ならばこそさ。死にゆくキミの、今際の際に、最後に少し。ボクとお話しでもしようじゃないか」

「それが、お前の役目だからか?」

「ボクが、ティアードロップであるからさ」


 こほん、とヤツは咳払いを挟む。


「どうして、死のうとするんだい?」

「そんなこと、お前はとっくに知っているだろ」

「ボクはキミの口から聞きたいな」

「俺はそれを言いたくない」


 “ならば、別の質問だ”ティアードロップは、そう言う。


「キミは、彼女のことが、好きではなかったのかい?」


 ……………。


「…ああ。俺は、春陽が好きだったわけじゃない」


 好きだと思う気持ちは、偽物だった。苦虫を噛み潰すように、俺はその言葉を捻り出す。


「そりゃ残念。彼女は、キミのことが好きだったのに」

「え…?」


 不意に、びくりと体が震えた。


「いや、それはおかしい。だって…だって、俺はアイツに告白して、でも…」

「断られたからって、好きじゃない証拠にはならないだろう。それに、まあ、何というか。断ったのだって…て、照れ隠し?みたいなものだろうし」


 何でお前が照れているんだよ。


「そ、そんなことはともかく!彼女は、確かにキミのことが好きだった!そこんとこ、どうなんだい?」

「それは…」


 だとすれば、本当に俺は、最低な人間であるのだろう。


「もしも、お前のいうことが正しいとすれば。信じていた人間に、見捨てられるっていうのは、どれだけの絶望なんだろうな」


 他人事のように言えてしまう自分が、嫌になる。


 ああ。どれだけ、悲しいことだろうか。

 俺には、想像すら、できない。


「はぁ…」


 溜息が聞こえた。


「ばーか」


 ティアードロップは、俺を見てクスリと笑う。


「キミさ。一つ、嘘をついているだろう?」


 面白くてたまらない、とでも言うかのように、ティアードロップは、その柔らかい頬を緩ませる。


「…嘘なんて、数えきれない程ついている。他人にも、自分にも」


 アイツにも。


「ばーか」


 ティアードロップは、再びクスリと笑いかける。


「彼女のことを、好きじゃないなんて言わないでおくれよ。そんな、悲しいこと、言わないでおくれよ」


 その声は、ひどく優しかった。そんな優しさ、俺が受ける権利なんて、ある筈もないのに。


「キミはさ。本当は、見捨ててなんかいないんだろう?」


 * * *


 奴の言葉で、一瞬ざわりと心が騒いだ。揺らぐ心を、忌まわしく思う。


「それ…は……」

「違くはないさ。ボクはそれを、よく知っているよ」


 そんなことはない、と。そう言ってやりたかった。


 だって、それは、何の意味も無かったのだから。


「感傷に水を差すようだが、あのときキミが何をしようが、どうあれ彼女は助からなかっただろう。そもそも、彼女はかなりの重傷だった。運ぶにしても時間がかかりすぎる。二人とも脱出する前に、トンネルの崩壊が来るかどうかは、まさしく神のみぞ知るっていうかんじかな?どうあれ、結局は結果論でしかないんだ」


 そう言われることは、正直、たまらなく安心できた。

 けど、俺はその救いに甘えるわけにはいかない。


「たとえ死ぬことになっても、俺はそれでいい。春陽を見捨てずに、俺は一緒にいるべきだったんだ」


 もしも本当に、春陽のことを、好きだと思っているのなら。


「ばーか」


 まただ。

 そんな俺の覚悟は、鼻で笑われる。


「だから、さ。キミは、彼女を見捨ててはいなかったじゃないか。見捨てようとして、だけど、見捨てられなくて。だからキミは、戻ってきたのだろう?」


「……………」


 無言は、肯定と同義。ああ、認めよう。そうして、俺は俺自身の醜さを重ねよう。


 たしかに、ティアードロップの言うことは本当だ。

 一度は、春陽を見捨てることを選んで、しかし決意の浅かった俺は、再び戻っていってしまった。

 けれど、戻ってきた時にはもう、春陽は息絶えていた。あの笑顔を、もう二度と、浮かべることはなかった。


 …ああ。だからこれは、本当に意味が無かった。結局春陽を、1人にさせてしまった。俺が、春陽を見捨てた所為で…


「一つ、キミに言っていないことがあった」


 沈む思考に陥る俺を、引っ張り上げるかのような声がした。


「彼女の、死因についてだ」

「…どういうことだ?」


 それは、三つの呼吸の間を挟む。


「彼女はね。自分で命を絶ったのさ」

「…………え?」


 一瞬、聞こえた己を疑った。

 自分で、命を絶った?

 それではまるで、自殺ではないか。それは、まるで、


 俺と、同じではないか。


 でも、何のために?


「キミだけでも、生きてほしかったからだよ」


 返ってきた答えは、あまりにも綺麗で、それゆえに穢らわしい。

 …そんな、そんなこと、信じられるか。


「彼女がキミを愛していた、ということの証明さ。その恋情は、文字通り命を燃やすほどのね。それでも信じられないというならば、直接見てくるといい」


 見てくる?それはいったい…


「…?」


 疑問を口にするより前に、感じるものがあった。

 熱い、太陽のような何かが、空っぽの心に火を灯す。誰かが迎えた、最期の記憶。それは…


「彼女のものだよ。来瀨春陽という人間の、その最期。その記憶。見て、あの日起きた、本当のことを知るといい」

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