【命題】決して色褪せない

 その一言は、全てのノイズを切り裂いて、息苦しい静寂を連れて告げられる。

 まるでそれ自体が音を消す魔術の詠唱であるかのように、風の音も、波の音も、今まで存在していたそれら雑音は、もはや意識の外に追いやられて、音有る無音を作り出す。


 その犯人は、もう一度口を開いた。


「来瀨春陽という少女は、すでに死亡している。キミが自殺した、少し前に」


 ティアードロップの表情はどこまでいっても無機質で、言葉の奥を探らせない。


「なぜ?どうして?」


 その一言が契機だった。


「知っているだろう?」


 ……………。


「そうでなくても良いさ」


 駄目だ。


「知っていなくても、これから思い出すのだから」


 これは、駄目だ。


「キミはどう思った?どう感じた?」


 この記憶だけは、駄目だ。

 説明できない不安が、分かりもしないこの先にサイレンを鳴らす。これ以上この記憶に近づくことを拒絶する。だって…だって!


 死ぬ理由がある。生きない理由がある。生きる苦しみが、死によって取り除かれる。死によって忘れられる。…俺は、それを、その苦しさを、忘れるためにそうした筈で!


「キミはなぜ、死のうと思った?」


 静けさに色があるとすれば、そのときあった静寂は、何より深い暗黒だった。あたりに満ちるそれは、俺に記憶を巡らせる。そう、強制する。考えてはいけないものを、呼び起こしてくるのだ。


「知っているだろう?」


 やめろ。


「分かっているだろう? 」


 考えるな。


「覚えている、はずだろう?」


 死ぬことよりも、恐ろしい苦しみが、来てしまう。


「………!?」


 風が吹く。顔を上げる。目の前に立つティアードロップは、この世の何より恐ろしくて、


「さて」


 ティアードロップは口を開く。言葉の一つ一つが脳髄に届く度に、全身が震え上がる。

 まるで、そこは処刑場のようだった。今にも振り下ろされんとする処刑の刃が、首筋の上で、ぴたりと構えられる。


「キミは、」


 断罪の合図がくる。絶望の感情が回帰する。


「どうして、」


 もう、手遅れだった。


「死のうとしたのだい?」


 ぐにゃりと、視界が歪んだ。


 その一言が始まり、それとも終わりか。俺の無価値と、無意味と、虚無と空白は、ようやく居所を見つけた。


 記憶が、濁って泥を含んだ濁流のように溢れてくる。それは自分の意識を押し潰す。順序立って思い知らされるのではなく、音と光と痛みだけが、何より先に流れてくる。熱くて、痛くて、苦しくて。悪夢のようなそれは、しかしどうしようもなく夢ではない。


 死んだ理由。死のうとした理由。絡まり解けないその謎が、一つの事実で解体されようとする。


 ああ…俺は、どうしてもこの苦しさから逃げられないらしい。


 融けていく意識のなかで、俺は最後にティアードロップの声を聞いた。


 それは、


「ごめんね」


 ……………。


 なぜ、お前が謝る?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る