【命題】名は体を表さない
気づけば、先程と同じ白い砂浜に戻っていた。
「おかえり。色々と見てきたようだね」
目の前には、銀髪に白い肌、碧眼が唯一の色として目立つ少女がいて、
「自分が何者なのか、少しは分かっただろう?」
「ああ…」
ティアードロップは興味深そうにこちらを覗き込んできて、それに対して俺は物憂げにこう返す。
「アラブの石油王の息子ではなかったか…」
「万に一つあり得なかったと思うよ」
まあ、それは冗談として。
「自分が何者なのかについてはある程度思い出したが、肝心の自殺した理由となるとなぁ…」
「まだ記憶の全てを取り戻したワケでもないんだ。そう焦ることでもないだろう」
焦ることではない。まあ、それはそうなのだろう。何しろ、ティアードロップの背の向こうのPCの中に、その理由があるらしいのだ。
「というか、本当に俺は自殺したのか?なんか、そんなふうには思えないっていうか、まるで実感が無いんだよなぁ…」
死んだ実感、というのもなんだかおかしな話だが。
「それはもちろん。ここに来ることができるのは自殺した人間だけだ。そこに例外はない。もちろん、キミにもね」
とのことである。時々俺は、コイツが嘘を言っているのではないかと思うときがある。今が特にそうだ。
といっても、それを確かめる方法なんて思いつかないし、不本意でも今はそれを信じるしかない。
「ホント、なんで自殺なんかするんだろうなぁ」
そう俺が溢すと、ティアードロップは、思わずといった様子で微笑を顔に浮かべる。
「キミが記憶喪失であるということを加味しないで聞くと、なんともおかしな疑問だね」
「でも、実際そうだろ?俺が言うのはアレかもしれないけどさ。やっぱり俺は、どうして自殺なんかするのだろうって思うんだよ」
「それは、キミのいた環境がとても恵まれたものであった、ということの証左ではないのかな?」
「…まあ、それは否定できない。というか、うん。そうだ。きっと俺は、恵まれた環境で生きてきたんだろうよ」
極端な言い方にはなるが、飢えもせず、凍えもせず、何かに怯えて暮らすこともなかった。多少の不自由もまた、圧倒的な自由から来る余裕のようなものだろう。
「自殺したヤツっていうのは、きっと死ぬことより苦しいことがあったんだろうな」
「へえ。キミは、死ぬことが怖いのかい?」
「そりゃあ当たり前だ。死ぬことが怖くない人間なんているか?」
別に、自分の考えが誰にとっても同じと思うほど自意識過剰なつもりはないが、これに関しちゃあそんなことを気にする必要もない。
自分の命を代償に誰かを救う、なんてエピソードがたくさん世界各地から美談として持ち上げられているとしても、救った本人だって本当に死にたかった訳ではないだろう。生物として存在している以上、誰だって死にたくないと思い、生きたいと望むはずだ。
「まあ、そうだろうね。キミの言う通りだ。死ぬことが怖くない人間なんて存在しない。でも、だからといって、自殺した人間全員の動機が、死ぬ苦しさより生きる苦しさが上回ったから、というワケでもない」
空白。
言葉と言葉の間に静寂が生まれる。
では他の動機とは何なのだ。静けさは、そんな意識を煽り立てる。
「生きる苦しさが死ぬ幸福を上回ったなら、それは命を捨てるに値するのだろう。でも、それだけでもない。生きる意味を失い、そしてその喪失を死のみでしか補えない場合もまた、命を捨てるに値する」
「…そんなことがあるのか?」
「ああ、あるとも。ここには色々な人が来る。無論、みんな自殺した人間さ。そんな人たちに向かって、ボクはその理由を聞く。そうじゃないとお仕事ができないからね」
「じゃあ、いろんな人間の自殺の動機を知っている、ということか」
「そゆこと」
ふにゃりと笑って同意を示す。
呑気な雰囲気。会話の内容は不穏極まりないものであるが。
「生きる意味を失う、か。いちいち意味なんか考えて生きるか?大体、いつかは死ぬんだから、何をしようが無意味だろ」
なんて、自分で言っておいてアレだが、なんて達観したことを言うのだろうかと我ながら思ってしまった。
「意味を失う、というより、信じていたものに絶望する、と言ったほうが分かりやすいかな?得てして、そういう人間は今も昔も変わらず存在するものさ。よく分からない、という顔をしているね?では、とある一人の人間を例に出そう」
人差し指をピンと立て、軽い語り口調で語りだす。
「その男は画家だった。…この時点で、なんだかバッドエンドが予想できなくもないだろう?芸術家と苦悩というのは、切っても切り離せない宿命だ」
“おっと、それはどうでもいいか”ティアードロップがそう言った。
「その男は、絵がとても好きだと言った。見ることも、描くことも。絵さえ有れば、自分の人生は満たされる。そう言っていたよ。…少なくとも、口先ではね」
ニヤリと、口を円弧に歪めるティアードロップは、どこか不穏な様子。
「彼もここに来たとき、キミ程ではないけれど、軽い記憶喪失状態にあった。その時も、色々と記憶を取り戻す手助けをした。キミと同じようにね」
「俺以外にもいたのか」
「ちなみに、フロッピーディスクじゃなくてBlu-rayだったよ」
「聞いてねえよ!」
聞いて、ねえよ。ねえですよ。いや、もう、ほんと。聞いてないです。…ちくしょう、いい感じに忘れていたっていうのに…
「最初、ボクは彼に”キミは何のために生きる?“と聞いた。さすがにそれくらいは覚えていたようでね。すぐさま”絵のため“と言って返したよ。つまり、彼にとっての生きる意味とはすなわち、絵を描くことらしいんだ」
絵。絵を描くことが、自分の生きる意味。そんな人間。俺には、そんな人生を想像することもできない。
「まあ、結論から言うとだね。彼は、画家として全く売れていなかった。それが、自殺した理由の一つさ」
「一つ…?ということは、他にもあったのか?」
俺の問いに対して、ティアードロップは頷いた。
「ああ。彼は、絵さえ有れば満たされる。そう言っていただろう?趣味程度に抑えておけば良かったはずだ。彼はどうしようもなく無知だった。彼に、絵を生業にできるほどの才能は無かったんだ。そのことに、彼は気づけなかった」
その言葉を聞いて、俺は思わず俯きそうになる。そんなつもりは無いのに、否が応でも、その男の人生を想像してしまう。
「若い頃の彼は、自分の絵をコンクールに応募した。当然落選。その落ち込みは相当なものだったけど、それでも次第に立ち直っていった。最初のうちはね。そのあとも、何度も何度も、挑戦と失敗を繰り返した。あきらめない、と言えば聞こえが良いが、それは愚かなだけだ。失敗し続けた彼が、最終的にどうなったと思う?」
いくら頑張ろうとも、何度も苦しもうとも、信じた夢は叶わない。
「それは、実に悲惨なものだった。どれだけ時間を尽くそうとも、どれだけ自分を犠牲にしても、望む結果は得られない。叫びと嘆きが、アトリエに溢れていく。自分より年下の画家に、次々と先を越されていく。嫉妬と憎悪が、アトリエを包んでいく。発狂なんて常日頃。それでも彼は、絵を描き続けた。なぜかって?それはもちろん、絵が好きだからさ。そう信じたからさ。でも、彼は、やってしまった」
その絶望は、いったいどれだけのものだったのか。共感は、想像にすぎない。
「盗作さ。芸術家としての絶対的な禁忌を、彼は犯した。画家としての名声は地の底まで落ちていく。そうして、なにもかもが終わってしまって、ふと彼は疑問に思ったのだろう。自分は絵が好きなだけなのに、どうしてこうなってしまったのだろう、てね」
絵が好きなだけだったのに、ただ才能が無かっただけで、どうしてこうなってしまったのか。どれだけ思いが強くとも、才能が無ければ悪とでも言うのか。
その問いに対する答えは、じつにつまらないものだった。
「そこで彼は気付いたのさ。我に帰った、と言うべきかな。彼は、純粋に絵が好きだったわけではなかった。ただ他人に評価されたかっただけだった。絵は、誰かに認めてもらうための過程にすぎない。彼が生涯信じ続けてきた、絵に対する熱意、情熱。愛と言ってもいい。しかしそれらの根底にあったのは、単なる自己顕示のための道具にすぎなかった。ボクとしては、それはそれで良いと思うけど。彼はそれが許せなかった。それを知った彼は、自らの浅ましさを嘆いて、戻ることなく進んでいった」
きっとそれが、生きる意味を失う、“信じていたものに絶望する”ということだったのだろう。
* * *
スルスルスルリと向こうのほうから、摩擦が生み出す音がする。時々、カチリカチリと小気味の良い響きを交えながら。その音がする方向には、小柄な少女の背中。
「なんか見つけたか〜?」
そう気怠げに言う。問われた背中は振り返らない。しかし、声だけは返ってきた。
「いやぁ、面白いものは何もないねぇ〜」
「いや、面白いものじゃなくて…」
間延びした声が、いかにものんびりといった様子を連想させる。
パソコンを操作しているティアードロップは、フロッピーディスクに記録されている俺の記憶を確認している真っ最中。
アイツの言うところによれば、記録された俺の記憶は、整然と並べられたものではなく、脈絡なく散らかってしまっている状態らしい。
「そんなに時間がかかるものなのか?」
「まあ、それなりに。こういうのは少しずつ明かされるからこそ面白いんだよ?ページをめくる手はゆっくりと、ね」
とのことだ。言われた通り、気長に待つことにする。というか、それしかすることはない。
どかっと、地面に座り込む。砂がズボンに付くが気にしない。胡座のような姿勢になって、何となく周りをぼんやりと眺め始める。
といっても、目につくものに目新しいものは全くない。別に長い間ここにいたわけではないが、早くも俺は、この風景を異常と捉えなくなってしまった。
俺は、自殺した。そうらしい。だから、今はその理由を探している。でも、本当にそれで良いのだろうか。自殺の理由を知ったとき、果たして俺はどうなるだろうか。
時々、俺はそれが分からなくなる。自分が何のために、今こうしているのか。なんのために、理由を探しているのか。これは、死にに行く事と同じではないのか。
死に値する理由を知ったとき、俺はそれを否定することができるのか?そもそも、否定することが正しいのか。
…分からない。どうすれば……
「あぁああああああ!!!!」
……………。
シリアスな雰囲気に浸っていると、突然後ろから叫び声がした。
「いきなり何だよ…」
「“好きな人”っていう項目があるぅううう!!!!」
「なにぃいいいいいい!!!!」
「しかも男だぁあああ!!!」
「はあぁあああああああ!?!?!?!?!?」
疾風迅雷、音を追い抜き抗議を叩きつける。
「おい、ちょっと待てかなり待て!人を勝手にホモにするな!!」
そんなツッコミと共に、パソコンの画面に見入るティアードロップの横に並び、俺も画面を覗き込む。
「あ、ちょっと!」
隣で声が上がるが気にしない。ディスプレイに表示されているものは、
「来瀨、春陽?」
たしかに、好きな人という項目の中に、そんな名前がある。覚えはない。というかそれよりも、
「おい、」
「なんだよぅ」
「これは男の名前じゃねえだろ」
「春陽くん、かもしれないだろう?」
「いやまあ、その可能性もあるだろうけど。でもこれは、どちらかというと春陽ちゃんのほうが確率高めだろ普通」
2人並んで、パソコンのディスプレイに視線を向けながら、横目で互いに言い合う。
「ホモじゃないの?」
「ホモじゃねえよ」
「ま、それはどうでもいいか」
「どうでも良くはないが」
はぁ、とため息をつく。対するティアードロップは何やら満足気だが。いったい、何が楽しいのか。
ティアードロップは、こほんと咳払いを前置きにする。
「人は単独で生きているわけではない。多くの他者との結び付きが、人を人足らしめる。自分以外の関係性というのは、記憶においても重要なファクターだ」
俺は、先ほど目にした名前を思い出す。来瀨春陽という名前の人物も、そんな関わり合いの中にいるのだろうか。
「人生という名の舞台劇。主人公はキミ、けれども役者が一人ではつまらない。倒すべき悪が必要だ。救うべきお姫様が必要だ。共に戦う仲間が必要だ。キミの物語は、多くの脇役によって彩られる」
芝居のような語り口。それはとても、胡散臭く聞こえるようで、けれどどこか、胸をざわつかせるようなものを感じさせる。
「これからキミが取り戻すのは、そんなものだ。かかずらいの記憶、一人の自分と多くの他人。準備は良いかい?いや、覚悟は出来ているか、と聞いたほうが適切だろうね。なにしろそれを知れば、キミはまた一歩、自分が自殺した理由に近づくのかもしれないのだから」
ごくり、と息を呑む。無意識に。どうやら俺は、緊張しているようだ。
「教えてくれ」
でも、その一言だけは、どうにか素直に出てくれたようで、
「もちろん」
俺の言葉に対して、ティアードロップはニヤリと笑みを含む。
「じゃあ、始めようか」
その言葉は、変わらない響きで届く。
もうすぐでまた何かを思い出す。そんな予感が嫌に意識させられて、強く脈打つ心臓のの鼓動は、そんな緊張からくるものだろうかと思いもする。
とにかく今は、これから思い出す記憶が、さぞ面白おかしいものであることを祈るばかりであった。
「これから思い出すのは、キミとキミ以外の記憶だ」
一度目と同じ。意識がぬるく、微睡んでいく。
視界が、プツリと途切れた。
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