【命題】小さいものには惹かれやすい

「起きるとそこは見知らぬ世界。自分の名前も分からないほど、すっかりさっぱり記憶がない。ああ、どうすればいいのか…不安で恐怖が恐ろしい。そんなとき!美の女神もかくやというほどの超絶美少女が降臨ッ!!その声音は美姫のセレナーデのよう…その笑顔は咲き誇る大輪の花のよう…。一瞬にして不安は消え去り、恐怖は希望へと転じ、身体中に活力が溢れ、今日も元気だ!たばこがうまい!」

「…なに言ってんだ?」

「前回のあらすじだよ」


 …言い方を変えようか。


「なんで前回のあらすじなんぞを語っているんだ?」


 アニメのOP前にやるアバンかよ。


「そりゃあ、さぞ混乱しているだろうキミのために、現在の状況を分かりやすく説明してあげたんだよ」


 説明?捏造の間違いではないだろうか。いったい、先程のあらすじに真実がいくら含まれていたのやら。


 まあ、それはともかくとして。


 仮にここが、自殺した人間が行き着く場所だとしよう。ならば、そんな場所にいる俺は?


「自殺者の来る場所、といきなり言われても混乱してしまうかな。なら、もう少し詳しく話をしようか」


 そんな俺の心の中を読むようにして、ティアードロップはそう言った。

 視界を白が支配する、色彩知らずのこの世界。少女は淡々と、今まで何度もそうしてきたように答える。


「ここは見ての通り、キミたちの住む現実世界ではない。死後の世界であり、しかし同時に生の前の世界でもある。ここに来た人間は、一つの選択ができるのさ」


 一つの、選択。反芻するように、奴の言葉が頭に響いた。


「きっと、色々な苦悩の上での選択だったのだろう。勇気のいる、一歩だったのだろう。ボクは、そんなキミたちの勇気に敬意を表するよ」


 “でもね”という言葉を枕に、少女は話し続ける。


「でも。そもそも、そんな勇気が必要だったということ自体、ボクはとても悲しい」


 視線は地面に。目尻が下がり、口はぎゅっと噤む。しょんぼり、といった雰囲気。落ち込んでいるように見えるだろうか。


「死は終わりだ。それは救いと呼ぶにはあまりにも悲しすぎる。だというのに、ここに来るような人間はみんな、生きることより死ぬことを選んだ。本当に、嘆かわしい」


 その一言で、周りの空気がずんと沈んだ気がした。


「だからせめて」


 ぱっと、顔を上げて。


「その気持ちが、自らを欺いたものでないか」


 双の瞳。この世界において、唯一の色彩を誇るそれは。真っ直ぐ、自分のほうへと向けられる。


「その最後に、本当に悔いは無かったか。ここはそれを、節介にも、もう一度確認するための場所なんだよ」


 ぱっちり、とラストにとびきりのウィンクを決めて、その少女は、輝きを幻視させるほどの笑顔を放った。

 しかし、そこまで聞くと、先程ティア―ドロップが困っていた理由もなんとなく察することができるというものだ。


「でもまあ…」


 でもまあ。逆接の意をもつその言葉が続く意味は分かる。何しろ俺は…


「キミ、どうして自分が自殺したのか、分かるかい?」

「いいや。全く全然これっぽっちも」

「そうだよねぇ…」


 “記憶喪失なんだもんねぇ”という声を聞いた。そう、つまりはそういうことだ。

 自分の過去どころか、名前すらも分からない男が、


「自分がどうして自殺したのか、分かるわけがないッ!!」

 

 中身の無い叫びが、このだだっ広い空間で、特に響くことなく散っていく。


「どうすんだよこれ」

「どうしようね」


 それ以降、互いに無口がしばらく続く。

 八方塞がり。どうしようもない静寂、その虚しさを、波音がさらに助長した。


「実は、こんなこともあるだろうと思いまして!」

「思いまして?!」


 おお!何か秘策が!?


「いやまあ」


 えへへ、と照れながら。


「思っていただけで、別に何か解決策を考えていたわけではないけどね」

「は?」


 オイッ!!と内心でツッコんでしまう。期待させておいてそれはないだろう。


「というかキミは、自分が自殺したワケを知りたいかい?」

「知りたくないって答えたら?」

「この小説が終わる」

「これは小説だったのか!?」

「キミは…なんだか主人公っぽくないね」

「どういう意味だコラ!」

「いやだって、主人公一話目にして死んじゃっているし」

「まだ本当に死ぬかどうかは決まってないだろ!」

「始まってから今まで、未だに名前すら分からないキャラが主人公っていうのもねぇ…」

「ミステリアスなのさ」

「現在、キミについて分かっていることなんて、パッとしないクソ童貞ってことくらいだよ?」

「おい待て!俺が童貞っていう情報はいつ解禁された!?」


 話がズレた。いったい誰の所為だ?

 それはともかく、俺は話を戻すついでに疑問を一つぶつけてみる。


「ていうか、もし俺が死にたくないって言ったらどうするんだ?」

「そこは大丈夫。キミが自殺する前まで、時間を巻き戻すだけさ」


 ふふん、と。事もなしとでも言うかのように、にわかには信じられないことを平然と言う。


「え?そんなこと出来るのか?」

「無論だとも。このボクを誰だと思っている?」


 一瞬考えた。


「意味深長で無意味に気取っている頭のおかしな小学生?」

「印象悪いな!」


 まあ素直な感想だ。悪く言ったつもりは無い。たぶん。


「おかしい…頼れるお姉さんとして今までキャラ付けしてきたはずなのに……」

「いやティア―ドロップ。お前がお姉さんキャラは……無理があるだろう、うん」

「どこ見て言っているんだキミは!?」

「お姉さんキャラといえば、やはり持つべきものが必要だよ。お前には無いけどな」

「な、なんてことを言うんだ!というかこの見た目は、キミの趣味嗜好に合わせたものなんだぜ?」


 おい。どういう意味だそれは。


「つまり、キミは健康なロリコンということになるね!」


 いや、ロリコンの時点で健康的では無いな、うん。


「良かったじゃないか!また一つ、キミのパーソナリティが判明したよ!」

「嬉しくないよ!というか童貞でロリコンとか、20代の日本人男性の基礎ステータスじゃねえか!!」


 閑話休題。


「じゃあ、ティアードロップ。もしこのまま時間を巻き戻せたとして、そのとき俺の記憶はどうなる?」

「それはまあ。時間は巻き戻っても、キミ自身は巻き戻るわけじゃないんだから、おそらく記憶は失ったままだろうね」

「そうなるかぁ…」


 まあ、薄々予想していたことだ。というか、そうでないと意味がない。


「結局、記憶喪失の状態をどうにかしなくちゃいけないわけか」


 うーむ、と、自分のなかで唸りを漏らす。記憶を思い出す…いったい、どうすればそんなことが可能になるだろうか。


「むぅ。ボクが居るのだから、もっと頼ってくれてもいいんだけどなー」

「じゃ、なんか良い案でもあるのか?」

「ん〜〜どうしよっかな〜〜?」


 もったいぶった、なんとも小憎たらしい言い方。


「“教えてくださいお願いします、超絶可愛いティアーちゃん”て言ってくれたら教えてあげようかな!!」

「じゃあ良いや」

「ごめんなさい聞いてくださいお願いします!!!」


 態度が一変。声と仕草が、手のひらを返すように変わった。まあ、それはいいとして、


「で、なんなんだよ」

「ふふん。とっておきというものは、最後まで隠しておくからこそ、ありがたみが増すのだよ」


 そう言って、ティアードロップは手を腰の後ろに回し、ポケット(普通、サマードレスにポケットなんて付いているのだろうか?)の中から何かを取り出した。


「じゃじゃーん!!」


 俺へと見せつけるようにして掲げられるそれは、四角い形状をした、手のひらサイズのサムシング。黒を基調として、中央と端に銀色を備えたそれは、おそらく…


「フロッピーディスク?」

「お、よく分かったね?」


 見たところただのフロッピーディスク。それが俺の記憶喪失にどのような関わりが?


「んで、そんな時代遅れの骨董品がなんの役に立つんだ?」

「はあ?今なんて言った?スマホで撮った画像一枚もロクに保存できない役立たず、だとぉ!なんて酷いことを言うんだキミは!!」

「一番ディスってんのはお前だよ!」


 駄目だ。コイツの不規則発言にいちいち反応していたら話が進まない。


「…んで、いったいなんだよそれ」

「なんと!これには、キミの人生全てが記録されているのです!」

「はあ!?俺の全人生は、たかがフロッピーディスク一枚程度に記録されてしまうのか!?低容量!!」

「せいぜい、1.5mbくらいだったかな」

「1.5mbって、どんだけ空虚な人生なんだよ!!自殺した原因それじゃねえか!!」


 思わず声を張り上げると、ティアードロップからは満足気な笑い声を返される。

 ここまで来ると、なんだか良いようにからかわれているような気がしてきてしまう。俺はヤツに釘をさす意味も込めて、声を低く、呆れた雰囲気で次を言った。


「で、なんでそんな都合の良いものがあるんだよっていうツッコミは棚に上げておくとして、そのフロッピーディスクでどうすればいいんだ?」

「それは単純さ。このフロッピーディスクをドライブで読み込んで、中のデータを閲覧すればいい」

「………本当に、俺の全人生がそこに記録されているのか?」

「ああ、もちろんさ。そう言っただろう?」


 にわかには信じられない。というか、信じたくない。俺の人生が1.5mbしか無いだなんて…


「ていうかフロッピーディスクがあったとしても、それを使うドライブが無いどころかそもそもPCすらないんだが?」

「え?あるよ?」


 ぽかん、と。

 もう一度、この場所の描写をしよう。白い砂浜に白い海、白い空がどこまでも続いているのがこの世界だ。そこに、PCなんてものはおろか文明の気配すら感じられない。それが、この世界の風景なのだ。


「いや、そんなの無いだろ」

「いや、あるよ?キミの後ろに」

「はあ?」


 ティアードロップにそう言われて、振り返る。

 無論、信じたというわけではない。ただ、とっさに、“後ろ”という言葉に反応してしまって。そのときすでに、体が右向きに動いてしまって。もはや、こうまでしてしまったのだから、後ろを見ずにはいられなかったのだ。


 そうして、右から回って視線を振る。


「え」


 あった。


「ほら、言ったでしょ?」


 振り向いた先には、この世界で場違いなほどの存在感を放ちながら、けれども最初からそこにあったような頼もしさを備えた、鈍い銀色のノートパソコン。それが、ここでもやはりと言うべきか。白塗りのデスクに、ちょこんと可愛らしく乗っかっていた。


「なんで!?いつのまに!?」

「まあまあ、驚くのは分かるが少し落ち着きなさい。とりあえず、少し覗いてみようぜ?」


 突然のことで混乱する俺をよそに、ティアードロップは、フロッピーディスクを手のひらで弄びながら、すたすたとパソコンのほうへ行ってしまう。


「え?マジで見られるの?俺の記憶が?」

「まだ疑っているのかい?」

「いや…状況についてこられてないっていうか…」

「なら実際に確認してみれば良い話さ。ああ、でも。見るのはボクだけだ。キミは見てはいけない」

「はあ?なんでだよ。それじゃあ意味がないじゃないか」

「まあまあ、直接キミが見なければ良い話だ。ボクが見てキミに伝える分には問題ない」

「そんな方法で、俺の記憶喪失が本当に直るのか?」

「記憶喪失といっても、なにも本当に失ってしまったわけじゃない。ただ、何らかの原因で思い出せなくなっているだけ。鍵が掛かっているようなものさ。ならば、開けるためのキーを探せばいい」


 パソコンの前に立ったティアードロップは、何やら準備を始める。俺に対して完全に背を向けている状態だ。だとしても、何をやっているのか多少は窺える。

 パソコンの電源を入れ、外付けの専用ドライブにフロッピーディスクを入れる。

 何かキーボード上で操作した後、こちらを振り向いた。


「さて、まず何から取り戻そうか」


 光を放っているだろう画面は、しかしティアードロップの体に阻まれて見ることはできない。


「…そうだね。最初はやはり、キミの名前からにしようか」


 俺自身。俺は、自分が何者なのかも分からない。夢も、性格も、信念も。名前、でさえも。

きっと、存在していた時間もあったのだろう。それらが存在しない人間なんているわけがないのだから。


「準備は良いかい?」


 念押しのその一言は、俺の気を楽にはしてくれない。腹の底に溜まるような、重く不快な緊張感。

 どうして俺は、自殺したのか。

 どんな思いが、俺をそうさせたのか。

 これはきっと、その疑問の答えに辿り着くための、最初の一歩なのだ。

 …良いだろう。分かった、分かったとも。何もせずにいるよりも、ずっと良い選択なのだろう。


「教えてくれ」

「ああ、もちろん。キミの名前は―――」


 ティアードロップの唇が、ゆっくりと、動き、開き、空気を孕み。静かに、けれどもそれは、はっきりと聞こえる大きさで、音をつくる。


「月宮悠斗」


 その名を聞いた瞬間、自分の意識が、朧げになっていくのを感じた。身体が、水のなかに沈み込むように。足元から、深くしていくように。脱力が纏わりつくような緩さが、五感の全てを曖昧にする。


 やがて、その緩さは顔まで達して全身を包んだ。熱くはなく、冷たくもない。生温かい感覚が全身を濡らす。動かす手足は重く、髪の毛やら服の裾やらがゆらゆらと揺れる。まるで水中にいるかのよう。だけれど、息苦しさは感じなかった。


 目を開ける。暗く、深く、見えるものなんてありやしない。無価値。無意味。虚無。空白。そういう言葉がふさわしいだろう。


 すると、どこからか声がする。何かを呼ぶ、声がする。月宮悠斗、と呼ぶ声がする。俺の名前を呼ぶ声がする。

 俺は、声の聞こえる方向に手を伸ばした。薄暗いこの中で、一箇所だけ光を放つそこに。必死に、届け、届けと念じるように。


 光が手に触れた。その瞬間、何かが自分のなかに流れ込んでくるのを感じた。色、音、匂い、味、感覚。それらを伴ってくる何かは、たしかに“そうだった”と思わせるものばかり。

そのとき俺は、きっとこれが自分の記憶なのだろうと直感した。


 これこそは、俺こそは、月宮悠斗という人間なのだ。

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