第12話

「……かはッ!」

 目覚めた美郷が感じたのは身体中から感じる鈍い痛みだ。両腕のある場所には相変わらず何もない。息を吹き返しても今度は本当に死ぬんじゃないかと思えてしまう。

 倒れたまま顔を横へ向けると、うつ伏せになったままこちらを見る尊の顔が目に入った。疲れのあまり口を半開きにし、涙を流しつくしたのか目元は真っ赤に染まっている。それでも口から漏れ出す微かな呼吸音から彼がまだ生きていることがわかり、美郷はほっと胸を撫でおろす。

 それでも美郷には呑気に喜びにひたっている余裕などない。自分がこうして息を吹き返した理由を思い出し、身体を転がしながら化け物のいる方へ身体の向きを変えた。

 まだ本格的に動き出していないものの、もがきながら少しずつ立ち上がろうとしている。顔中を血だらけに染め上げながら、そこから覗き見える目はそれよりさらに赤い。怒りに燃えるその目は間違いなく美郷たちを睨みつけている。

「……まったくよ、そのままぶっ倒れてくれたらいいのにさ。楽をさせてくれないな」

 美郷は芋虫のように背中を丸めながら膝立ちで身体を起こす。それだけで全身に疲労感に包まれてしまう。まともに戦えるはずがない、そう理性が訴えるが胸の中から湧き上がるのは別の感情だ。

「……絶対に、尊は守る。それが俺ができる償いなんだ」

 奮える心は闘志を生み、熱が身体中からあふれ出す。異様なほどに心臓が早鐘を打ち始め、立ち上がる勇気が美郷を突き動かした。

「いくぜ化け物、リターンマッチだ、くそったれ!」

 裂帛の叫びとともに、ひと際大きく心臓がドクンと音を立てた。それに合わせて美郷の脳内に機械的な声が響き渡る。


『対象ー確認。適合ー合致。要請ー承認』

『Covenant!』

罪科顕現シン嘆きの乙女アイアンメイデン

 

 声に合わせて美郷の身体が白い光に包まれた。胸からあふれるその光が美郷の身体を熱した鉄のように燃え上がらせる。そして弾けるように瞬いたかと思うと、その中心から両腕を赤黒い金属状の手甲を身に着けた美郷が現れた。

 肩まで両腕を覆ったそれは手甲というにはあまりにも大きく、金属製の義椀のように見えた。しかし、その表面をまるで赤い葉脈のような文様が浮かんでおり、まるで生き物であるかのような印象を与えている。

 美郷はまぶしさから閉じていた目を開けると、ようやく自身の違和感に気付いたのだろう。失っていたはずの両手を顔の前に持っていくと、確かめるように握りこむ。本物の腕のように動くその腕は、まるで最初からあったかのように馴染むようであった。

 間抜けに口を開けながらありえない状態に美郷は目をぱちくりとさせた。しかし、悠長に考える暇などないと思い出したのだろう。両こぶしを顔の前でガチンと突き合わせた。

「……なんかよく分からないけど、とりあえずよし! さあ、第2ラウンドと行こうじゃないか!」

 美郷は右手を突き出し化け物へ犬歯をむき出しに笑みを浮かべた。突き出した右手の先にいる化け物はそれにこたえるように四肢に力を込めて唸り声をあげている。

「いくよ、化け物。私の拳、次はちょっとばかり刺激的だぜ」

 挑発と受け取ったのだろう、化け物が美郷に向かって巨体を放り投げるように飛び掛かってくる。それを横っ飛びで躱す転がりながら反動で起き上がり、素早く化け物を方へと向き直る。傷のためか本来の動きができなかった化け物は無防備な横腹を美郷へさらしてしまう。

「まずはさっきのお返し! 一本いっとけや!」

 下からえぐるように放たれた拳は衝突とともにバキッという音を立てた。固い肋骨を砕く一撃に化け物の背中が反射的に浮き上がる。生身で戦っていた時は得られなかった勝機を美郷は拳の感触を通してを見出した。

「しゃッ! これなら勝てるかも——ッ!?」

 手ごたえに満足してニヤリと笑みを浮かべた美郷であったが、自身の違和感に顔を歪ませる。慌てて殴ったほうの拳を見ると、表面の模様が赤く染まり始めていた。まるで美郷の血を吸ってその色を変えているかのように。

(当たった瞬間、手甲の内側から刺すような痛みがしたけど……まさかこれ、殴るたびに自分も傷つくってこと!?)

 自分の持つ武器のデメリットに美郷は驚愕のあまりに顔を引き攣らせる。接近しないと戦えない、しかし殴る度に自身も傷を増やしていく。欠陥にもほどがあると嘆きそうになるも、贅沢は言っていられない。

 飛びのいた化け物はいったん距離を取ると、低い姿勢を取りつつ、ジリジリと近づいては離れを繰り返す。美郷が近づくのを見れば反射的に下がり、左右に移動をする様はこちらの隙を探と出そうしているように見える。警戒しつつも機会を伺う動きは手負いの獣ゆえの危うさを漂わせていた。

 互いに動きを読みあいながら、時間だけが進んでいく。大きな動きがなく、まるで彫像のような一人と一匹。たまにざりっと地を擦る音が彼女たちを生きているのだと伝えてくる。美郷は永遠ともいえる緊張感にゴクリと生唾を飲んだ。

 その一瞬、わずかに生まれた隙を化け物は見逃さない。美郷から少し離れた方へ飛び、彼女と距離が空く。どこへ行こうというのか、美郷の戸惑いはすぐさま焦りへと変わる。その向かう先が必死で自分が遠ざけようとしていた場所だったからだ。

 化け物は目の前の危険な敵より弱った獲物を狙ったのだ。

「くそ、ふざけんな!」

 美郷はすぐさま化け物を背を追った。普通なら絶対に追いつけない距離だが、手甲により身体機能が強化されているのだろう。距離が離されるどころかみるみる近付いてくる。これなら間に合う、そう考えた美郷をあざ笑うように化け物はこちらの考えを見透かすように笑みを浮かべた。

 瞬間、目の前にいた化け物が消える。勢いのまま迫っていた美郷はその姿を見失い、前のめりにつんのめりそうになる。それを脚に力を込めて何とか踏ん張り、周囲を見渡した。刹那、頭上に影が差した。

「——上か! 不意打ちとか頭が回るな!」

 真上より強襲を仕掛けてきた化け物を美郷は無様さをかなぐり捨てて転がった。元居た場所にはドシンと大きな音を立てて化け物が降り立っている。あのまま立っていたら圧し潰されていたに違いない。しかし、安堵に至る暇もなく、化け物が転がる美郷へ飛び掛かってきた。

 それを身体を起こしたまま、美郷は左手で顔を隠すようにして迎え撃つ。ガンッと左腕が音を立てる。目の前で牙を立てて噛みつく化け物の顔は嚙み砕くつもりでいたのだろう、予想外の硬さに面食らったように目を見開いている。

「……肉を切らせて骨を断つってね。とはっても、こっちは既に二本も腕を食われているんだ。これ以上はお前に食わす分はねえ!」

 獣のように犬歯をむき出しにして美郷は笑った。慌てて口を話して離れようとする獣へ美郷は身体を起こした反動のまま、弾丸のように突っ込んだ。

「だらぁ!」

 突き伸ばした右手は真っ直ぐに獣の喉元へと迫り、分厚い表皮を突き破った。残身とともに引き抜かれた拳には、抜く際に抉りとったのか、化け物の肉の一部が握られている。傷口より新たに噴き出した血を撒き散らしながら、化け物が激痛に悶え声を上げた。

 その隙を見逃さず、美郷はよろめく化け物の真横に回り込み、抜き手を化け物の眉間へ向かって打ち込んだ。打ち込まれた抜き手は今度こそ化け物の動きを止める一手となる。頭蓋を砕いて脳まで届いた一撃がビクンと一瞬化け物の身体を震わせる。そして残っていた意識を完全に断ち切らせ、その巨体を大地へと横たえさせた。

「しゃ! これで貸し借りなしだ!」

 美郷は化け物に中指を立てつつ叫んだ。

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