第7話

 事件、その言葉を美郷はどこか他人事のように聞いていた。直近の1ヵ月の間に5人も失踪したと言われるこの事件は、新聞や大手メディアでもニュースで流れていない日はないほどだ。犯人に関する情報も全くと言っていいほどなく、そのことから現代の神隠しなどと噂されている。


 尊の父である大和がこの事件に関わっていることもあり、美郷にとっては無関係とはいえないかもしれない。しかしまそれでもやはりどこか遠い話には違いなかった。見ず知らずの誰かがいなくなる、そのことを可哀そうとは思うが、それに対して憤りを感じるというほどでもない。目に届かぬ悲劇など、物語の中の出来事と変わりはしないからだ。


「学校側としても生徒の下校時の安全について対処を検討しているところよ。部活動の制限についてはまだ職員会議では決まっていないけれど、本日の帰りのホームルームで結論を出す事になるはずだわ。とはいえ、しばらくは安全を考慮して皆も寄り道せずに真っすぐ家へ帰るようにしなさい」


 とはいえ、残念ながら現実として事件は身近で起きており、それが無視できない近さともなると学校側としてどう対応するべきか以前から揉めていたのだろう。そのことについて弁当の差し入れの際に美郷も仁方から話を聞いていたこともあり、何かしら処置があるだろうとは聞いていただけに美ば郷としては特に驚きはなかった。


 しかし、他の生徒は理解はできても納得はできないのだろう。特に高校2年生という1番面倒がない立場にとって放課後はまさに自由を謳歌できるハッピータイムだ。それを潰されるとなるとさすがに黙っていられないのだろう。方々から非難の声が出てきてしまう。


「そんな~もうすぐ大会も近いんすよ」

「放課後の寄り道もだめってこと? 今日は帰りに服を見に行くつもりだったのに」

「行方不明とかいっても、ただの家出とかじゃないの? 私らには関係ないじゃん」


 教室の端々から上がる非難の声、最初は小さかったそれも次第に大きくなり、不満という形となって教壇に立つ先生へ襲い掛かる。生徒たちからしたら身近で起きた行方不明とはいえ、自分が当事者になるとは到底考えられないのだろう。むしろ学校が過度の対応をしているとの非難の声が強く出てしまう。


 その声の大きさに普通の教師ならたじろいでしまうところだろう。しかし、仁方がこの程度の声で折れるような軟な人間ではない。そんな普通の人間であったなら、この我の強すぎる生徒たちを相手できるはずがないからだ。


 ドン!と何かを叩く音が教室に響き渡る。


「……聞こえなかったかな? 私は寄り道せずに家へ帰れといったんだ。もちろん、賢い君たちならその意味、十分に分かってくれるよね?」


 満面の笑みの裏にどす黒い何かを浮かばせながら、仁方先生はそう念を押す。それに、背筋を凍らせたのか、教室は一瞬で波立つ水面が鎮まるがごと沈黙した。そのどこか危うい抜き身の刀をといわれてもそん色はない気配から彼女が教師であると忘れてしまいそうになるほどだ。


 日頃はぐうたら、めんどくさがりでお世辞にも教師としては失格な仁方であるが、個性的な学校の中においてさらに無法ものだらけといわれる、曲者だらけのクラスの担任をしているのはこれが理由だ。仁方の姿を見て、美郷は知り合い経由で彼女が起こした事件を思い出す。


 以前、別のクラスではあるが、授業中に仁方を舐め切った態度をとった不良がいた。彼女は授業を中断するとその生徒を教室の外へ連れ出したのだという。それから10分後、雰囲気の変わらない彼女と涙目になり、制服を体操服に着替えて放心状態の彼が教室に戻ってきたが、その姿を見て全員、彼女はやばいと悟ったのだそうだ。


 うつろな表情で「ごめんなさい……」と何度もブツブツ呟き続けていた姿を見てこの人に逆らってはいけないと。

 ちなみに、そのくだんの不良だった生徒は、今では先生に絶対の忠誠を誓う軍人みたいな生徒になっているという。そんな仁方を生徒たちは畏怖と恐怖を込め「寝起きの虎」と裏で呼んでいたりする。


 そんな彼女の虎の尾を踏んだのか、クラス中が一瞬緊張に包まれたが仁方は突如へらりと笑みを浮かべて教室中に漂わせていた殺気を引っ込ませた。


「ま、君たちの気持ちも分からなくはないわ。それに心配せずとも近いうちに事件も終わるでしょ。それまでは辛抱と思い、学生本来の学業に精を出しなさいね。もっとも、私は勉強嫌いだけど」


 仁方はそういって締めくくると、教室の外へと足を向ける。出ていく途中、美郷は仁方が横目でチラリと視線をクラスの誰かに向けたように見えた。気なったその視線の先には、転校してきたばかりの継姫の姿があった。


 継姫はその視線に対して視線を返すどころか、瞼を閉じて何かをじっと考えているようであった。しかし、机の上で強く握られたのか、彼女の真っ白な手からは血管が軽く浮き出ている。


 何か強い感情を抑えるその姿に美郷は気になったものの、仁方の退出と同時に継姫に群がるクラスメイトによりその姿は見えなくなってしまう。


「さっそく人気者だね~伊波さん。美人だし、なんだかお嬢様って感じ」


 美郷の隣の席に座る若葉が継姫のいるほうを振り返りながら話しかけた。


「若葉はいかないの?」

「私は美郷ちゃん一筋だからね~。浮気しないから安心してね」

「ハイハイ、愛されているようで嬉しいわ」


 若葉の言葉に適当な相槌を打ちつつ、美郷はクラスメイトに愛想よく対応する継姫を見やる。


 人だかりから見える継姫は先ほどの何か強い感情を抑え込むような姿とは違い、押し寄せるクラスメイトたちからの質問に嫌な顔を1つも見せることなく人当たりがよさそうに対応をしていた。


 しかし、そのどこか場慣れしている雰囲気がかえって継姫から感じる違和感をより強く美郷へ意識させてしまう。どこか仮面をかぶったような笑顔で固められたその表情からは本心を伺うことはできない。


 拒絶、その二文字が美郷の頭に浮かぶ。


「どうしたの、美郷ちゃん。伊波さんが気になるの?」

「ん~まあね。ああも囲まれちゃったら大変かなって」


 美郷は若葉へ向き直ると誤魔化すように笑った。


「確かに、あれじゃあまさに客寄せパンダみたいだ」

「康太、それは意味が違うと思うぞ」


 2人の会話に新たな声が混ざりこんだ。1つは美郷にとっては聞きなれた幼馴染の声、もう1つはクラスの良い言い方をすればムードメーカー、悪い言い方をすれば扇動者(アジテーター)的な存在である細工屋康太だ。


「いや~わがクラスにも待望の清楚系美人だからね。性欲まみれの男どもはほっとかないだろうし、女性陣もグループの勢力拡大のために取り込みたいっていうのが透けて見えるよ」


 康太は転校生に群がるクラスメイトを見つつ微笑みを浮かべながらそう言った。まるで狐のような人を食ったような笑みを浮かべる康太に美郷と尊は顔を合わせるとそろってため息をついた。


 人間観察が趣味と言い張り、その趣味をこよなく愛するがために平気で他人を巻き込む康太ははっきり言ってクズだと美郷は思う。クラスでの言い争いの大半は彼が火付け役であり、白熱しだす頃には中心から離れてその争いをニヤニヤと笑いながら見ていたりすることがほとんどだ。

 曰く、感情むき出しで言い争いしているのを高見の見物するのが楽しいのだと笑顔で言い張る康太のことが正直な話、美郷は苦手だったりする。


 見た目は線の細い優男のような風貌であり、初見で騙される人間は後を絶たない。また色恋沙汰に首を突っ込んでは関係をドロドロにした挙句、自分はとんずらを決め込んだ結果、恨まれて刺されそうになったこともあるのだという。

 なんで友達やっているのだろうと美郷は自分の交友関係について何度目かわからない疑問を浮かべた。


「お前は……どうしてそうひねくれた見え方しかできないんだよ……単に仲良くしたいとか、クラスに馴染んでもらおうと思っているのかもしれないじゃないか」


 クラスメイトがそんあ下心丸出しで接するとは思いたくないのだろう。尊は眉をひそめて康太をみた。


「確かに、そういう考えの人もいるかもね。だけど、うちのクラスに限っては本当に純真に仲良くなりたいと心の底から思っている奴だと思えるの?」

「……」


 ニヤリと笑みをゆがめる康太に対し、日頃のクラスメイトの様子を思い浮かべたのだろう。尊は腕を組み眉間にしわを寄せて点を仰いだ。


「周防くん、沈黙が答えになってるよ~」

「ごめん、尊。そういわれると、私も遺憾だけど細工屋君を擁護せざるを得ないわ……」


 さすがにその言い方に気が咎めたのか、何とか擁護の言葉を思い浮かべようと首を左右に揺らすも、結局何も思い浮かばないらしい。沈黙しつつ、言葉をひねり出そうとする尊に対し、若葉が面白いものをみたとでも言いたげな顔で彼をみていた。


「とはいうものの、あの転校生もなかなか肝が据わっているね。普通、あんな勢いで見知らぬ誰かに話しかけられたら萎縮しそうなものだけど」

「ホント、すごいよね~。まるでロボットみたいだね~」

「全自動で悪意を振りまく若葉さんに比べたら可愛いものだけどね」

「あはは~何のことだか分からないな~。人を煽るのが好きなくせに中身が空っぽなクズには言われたくないかも~」


 ニコニコ笑顔でいきなり言い合いを始める二人。これ以上互いに燃え上がり過ぎて周囲に飛び火しないうち収めようと美郷は慌てて仲裁に入る

「……アンタたち、いきなり喧嘩するんじゃないの」

「先に喧嘩打ってきたのは細工屋君だよ!」

「心外だなぁ、もともと種火を残していたのは若葉さんだよ。僕は少し風を吹かしたら勝手に燃え上がったのさ」

「やめんか! 煽り合わないと死んじゃう生き物なのか、君たちはさ」


 この二人の関係は水と油のように相性が悪い。目を離すとすぐに口喧嘩を始めてしまうほどだ。喧嘩を吹っ掛けるのも、それに乗るのも別にどちらが先というわけではない。互いが嫌いあっているからか、隙を見ては言い争う種を探して言い負かそうとしあっている。

 ただ、美郷からすると康太のほうは怒る若葉の様子を楽しんでいる節が見えるだけに、やはり性質が悪いと思っていたりする。


 そんな慌てた美郷を気にするでもなく、若葉と康太の口喧嘩は止まることはなく続く。いい加減犬も食わないと匙を投げた美郷は尊が教室で話題を一人占めする場所へと視線を向けていたのをみて声をかけた。


「ほんと、大人気だね。伊波さん」

「あの調子だと、しばらく話しかけるのは無理そうだな」

「そうだね、せっかく同じクラスになれたのだし、一声かけたかったんだけど」


 2人は渦中の人物へと目を向ける。人だかりがはける様子はなく、それに対応する継姫も変わった様子は見受けられない。


「なになに? 2人して知り合いなん? どういう関係?」

「ひどい、美郷ちゃん! 浮気、浮気なのね!」


 いつの間に喧嘩をやめたのか、食い気味に話しかけてくる2人に美郷は「違う違う」と手を横に振った。


「大した関係じゃないよ。登校時に少し知り合った程度」

「なんだ、期待したのに、つまんないの」


 そういって、康太は不貞腐れたような表情を浮かべた。かと思いきや「あ、あっちのが面白そう。適当に燃料投下してくるよ」と言い残し継姫を囲う輪の中へと入っていった。


 彼が入ってからしばらくして、そこから叫び声が上がり始める。おそらく燃料が引火したのだろう。流石、自称校内一の情報通。盛大に一人一人の恥部を燃え上がらせているようだ。


「……いつも思うけど、私ら何であれと友達なのかな」

「……それは俺もたまに思うわ」

「わたし、アイツと友達になった覚えはないけどね~」


 美郷は若葉の言葉に苦笑しつつ、さてどうしたものかと別のことを考えた。平和な日常に突如沸いておきた連続行方不明事件、彼女にとってその話は余りにも平穏とは遠い話だった。


 最初に事件が起きたのは1ヵ月前のことだ。そこから間を置かずにわかっているだけで5人が失踪した。行方不明者に年齢や性別など一切の共通点がないこの事件は、地元のニュースで流れていない日はないくらいに騒ぎになってきている。しかし、この事件は行方不明といいながら、一方でいなくなった人は全員死んでいるのではないかと噂されていた。


 その理由は至極簡単なものであった。


 遺留品と思われるものが必ずいなくなった現場付近に落ちているからだ。欠けたバラバラ肉片と一緒に。血だらけの衣服の切れ端、粉々に砕けた遺留品のかけら、大量の血痕と引き裂かれバラバラになった何れかの肉片。そして引き裂いたと思しき地面に色濃く残る5本の爪痕らしき痕跡。


 警察が大規模な操作を昼夜問わず行われているのに進展がまるで進まないこの事件を、現場に残る獣のような爪痕から「獣爪事件」としてネット界隈で騒がれていた。

 また現場付近では目撃者が誰一人おらず、現場の状況から犯人が人ですらないのではとの噂もある。ワイドショーで放送されていた他人事、それが今では美郷の日常を足元からじわりじわりと侵食していくように感じられた。


「大丈夫か、美郷」

「あ、ごめん。少し考え事してた」


 黙り込んでいた美郷が気になったのだろう。美郷がその声にハッと顔を上げると尊がのぞきこむように彼女の顔を見ていたのに気づいた。それに慌てた美郷は「大丈夫、ちょっと考え事をしていただけ」と慌てて答えた。


「大丈夫?  それの世話が大変なら保健所に引き取ってもらっても良いんだよ」


 同じように心配そうな顔をしていた若葉が尊を指さした。


「誰が野良犬か」

「犬の方がいくぶん可愛げがあるだけマシよ」


 そういうと、若葉が汚いものを見るような目を尊に向ける。それに対して尊はむっとした顔を浮かべた。


 若葉と美郷は中学からの仲であるが、その仲良くなった経緯が虐められていた若葉を美郷が助けたというのが発端だ。それもあってか若葉にとって美郷は何よりも優先されるとも言ってもいいくらい大事な存在ともいえた。その美郷の負担となっている尊は若葉からしたら邪魔ものと言っても過言ではない。


 そういったこともあり、尊に対して辛辣な言葉をかけるのは今に始まったことではない。美郷からすると両方とも大事な友人であるため、仲良くしてほしいというのが本音ではある。しかし歩み寄りは不可能と分かってからは諦めてしまっているのが現状である。


「可愛くないならないで、せいぜい番犬程度にはなりなさいよ。物騒みたいだし、アンタ戦うのだけは得意なんだから」

「言われずとも、美郷は守るさ」


 一片の迷いもないのだろう。若葉に対し言い切る尊に恥ずかしさを感じた美郷は思わず顔をそらしてしまう。


「……当人の前で恥ずかしいこと言うな、馬鹿。それに、私は尊に守られるような弱い女の子じゃないの」


 美郷の言葉に不満そうな表情を尊は浮かべ何か言いかけた尊ではあったが、他愛ない会話をしているうちにいつの間に休み時間が終わってしまったのだろう。授業の開始を知らせるチャイムが鳴り響いた。

 その音色に合わせるように生徒各々が自分の席へと戻っていく。何か言いたげな顔をしていた尊も頭をかくとほかの生徒と同じように自分の席へと向かった。

 

 ——こうして、美郷のいつもと変わらないと信じていた日常は少しずつ狂い始めていく。転校生がやってきて、変な事件が起きても変わらないと思っていた愛すべき日々。非日常を話の種にしつつも、当たり前の日常が続いて行くのだと信じて疑いもしない。

 当たり前と思う日々が簡単に泡沫のごとく消えてしまうことを、美郷は身をもって知っていたはずなのにだ。

 

 カチリと、普段意識しても聞こえない教室にかけられた時計の針、それが今日に限ってはなぜかはっきりと美郷は聞こえた。

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