第6話
その後、美郷と尊は教室へと足を運んだ。先ほどまでのエリカとのやり取りはどこへやら、いつもの空気に戻した彼女らは閉じられた彼らの愛すべき学び屋の扉を開く。
「てめぇら、頭おかしいだろ!」
「ふざけんな! お前らこそ今すぐ鏡で自分の頭開いて見てみやがれ!」
そこはまさに戦場であった。ただし、武力ではなく、言葉で互いを醜く罵りあう闘争ではあるが。そんな見苦しいいやり取りが美郷たちの目の前で繰り広げられていた。
「あ、美郷ちゃんおはよ~」
それに動じるでもなく、大蛇森若葉は無邪気に笑いながら美郷を呼びかけた。教室の中心で繰り広げられる討論会に動じることもない、あまりにいつも通りの彼女に美郷は呆れつつ声をかけた。
「おはよ、若葉。今日は何があったの?」
「えっとね、今日はね、たしか……」
口元に人差し指をあてながら思い出すように視線を上に向ける若葉が答えをさえぎるように、大声でその内容が美郷たちの耳に入ってくる。
「お前、牛丼チェーンは吉〇家が正義に決まっているだろ!」
「はあ? す〇屋のバリエーションは世界一だろJK」
「ブラック企業番付常連企業は座ってろ! 味は松〇に勝るものはなし!」
その争う声を聞き、美郷は今回のもめごとの原因をすぐさま理解した。特に慌てる事もでもない。日常茶飯事の出来事に美郷は眉間をもみながら天井を仰ぎ見た。
「ああ、今日は牛丼闘争ね」
「そうなの~。細工屋君が牛丼屋はどこが一番美味しいかって話をしたら、10分も立たずにこうなったの。みんな朝から元気だね~」
「そうね、いつもの愛すべき馬鹿どもで逆に安心するわ。油一滴たらすだけでこんな燃え上がるとか、燃料効率が高くて笑えてくるわね」
美郷はそういってため息をつくと、クラスの闘争とは無縁のようにニコニコと笑う若葉へと視線を向けた。薄っすら色素が抜けたきれいに染め上げた茶髪の巻き毛、目の端が少し下がったたれ目、そして小柄な体躯に見合わぬ大きな胸から年齢にそぐわぬ包容力を感じさせる。自己主張の控え目な草食男子が彼女を一目見たら、ほのかに想いを寄せること間違いなしだろう。
もっとも、彼女の本性を知らなければの話だが。
「まったく、牛丼屋でどこが美味しいかなんて議論するまでもないでしょうに」
「そうだな、議論するまでもない」
尊も目の前の光景に呆れているのか、同じようにため息をつきながらこう言った。
「牛丼といったらチカ〇めしだろうに」
「は? な〇卯こそ正義でしょ」
「「……」」
「————は~い、第3勢力はいりま~す」
若葉の一声とともに美郷と尊は戦場の中心地に向かって足を踏み入れた。
美郷と尊の乱入により、クラスの8割を巻き込みながら議論はさらにヒートアップしていく。さらに登校する生徒が増えるにつれて収拾はより困難となり、まさに己の趣向を押し付けあう群雄割拠状態へと発展していった。
「王道にして頂点! 吉〇家に勝るものはなし!」
「上に乗せるものにより万人に愛される味を追求する〇き屋に決まっているでしょ!」
「肉の味なら松〇! 値段も一番お手頃だしコスパ最強だ!」
「牛丼以外の選択肢を用意しているな〇卯こそカスタマーサイドを考えた形態よ!」
「うどんや親子丼なんて逃げの一手だろうが! 焼き牛丼という新境地を切り開いてくれた、チ〇ラめしこそネオ牛丼という名にふさわしい!」
議論とも言えない、互いの主張という名の罵しり合いの様相になる中、気が付くと既に始業時間を回っていたのだろう。スピーカーから聞こえた鐘の音が教室中に響き渡った。それに合わせるように教室の扉が開き、気だるげに背中を丸めたジャージ姿の女性が教室に入ってくる。
「は~い、おはよう馬鹿ども、くそ面倒だけどホームルーム始めるわよ~。てか、また騒がしいわね。これだからうちのクラスは動物園とか言われんのよ」
言い争いを繰り広げる美郷たちを見て担任の仁方仁美が呆れたように彼らに話しかけた。流石に担任を無視できなかったのか、彼女たちは議論をやめて真剣な目で仁方を見る。
「すみません、仁方先生。それでも、私達には譲れない誇りがあるんですよ」
そんな中、代表した美郷の言葉に闘争へ参加していた生徒たちから「そーだそーだ!」と賛同の声が上がる。
「毎回のことじゃんこのバカ騒ぎ。いい加減捨ててしまえよそんな誇り。うるさくて隣のハゲ先生から文句言われるのは私だぞ? この前なんて『動物の飼育もまともにできないんですか』って嫌味言われたのよ。それで、今日の議題は何なの?」
「私たちが猛獣扱い云々については聞かなかったことにします。今回は牛丼のチェーン店についてです。ちなみに先生はどこが一番美味しいと思います?」
その質問に対し仁方は一瞬、きょとんとした顔を見せる。そして、何を馬鹿なことをというようにやれやれと手のひらを振り、当然のようにこういった。
「業務スーパーでレトルト買ってきて食うのが一番じゃん? 安い、早い、保存できる。一人暮らしにとってこれに勝るものはないわ。給料日前にあると重宝するのよ、あれ」
美郷の質問に仁方は全く見当違いな答えを返した。その解答に対し「業務スーパーなあたり、にーにー先生また金欠なんじゃね」、「先生、せめて自炊なら女子力上がるのに」、「外見がいいけど中身がな……」、「残念美人だよね」、と生徒たちが各々こそこそと小声で話し始める。
仁方は「なんだよ、間違ってないじゃんよ~」とぶつくさとつぶやき、頭を掻きながら面倒そうに顔をゆがめて口を尖らせる。
「それに金欠とは失礼ね。今は手元にないだけよ」
「……先生、またギャンブルで負けたんですか?」
「市ノ瀬、それはちがうわ。私はまだ負けてない、ただ金の預け先を変えただけよ。いずれ利子付きで倍にして返して貰うし」
「預け先ですか。ちなみにですが、それってどこです?」
「JRA」
その言葉にクラスメイト全員がまたもそろってため息をついた。生徒全員から呆れを感じた仁方は拳を強く握りながら「ダービー、次のダービーで絶対取り返すわ!」と力強く返すが、返って彼女の残念さを強調することになってしまっている。
「にーにー先生、女子力壊滅でギャンブル好きとなると、嫁入りは絶望ですよ」
「ヘビースモーカーで酒好きとなるとなあ」
「余程の物好きでないと貰い手はないだろうね……」
「なんだよーみんなして先生苛めかよー」
そういうと、仁方はぶつくさと文句を言いながら教壇に突っ伏した。
余談ではあるが、仁方は過去に何度か二日酔いで出勤したことがある。そう言った場合、前日にパチンコで大負けし、その帰りに寄った居酒屋でやけ酒をした挙句、帰り道で財布を無くした上、生徒に給料日まで弁当をねだった。教師として恥ずかしくて目も当てられない醜態である。
ちなみに給料日まで弁当を作ってきたのは美郷だ。
そういった背景をクラス全員が知っている。なぜなら二日酔いでは仕事にならないということで迎え酒を入れて出勤してきた仁方が全員の前で話したからだ。ちなみにその日、仁方が怖いと有名な学年主任に説教されて高い背を丸めているのを何人かのクラスメイトに目撃されていたりする。
仁方はだらけた姿勢のまま遠くを見るような目をして誰に聞かせるでもない戯言をつぶやいた。
「あー主婦になりたい、金持ちのヒモになって酒と煙草で1日がつぶれるような優雅な生活がしたい」
「先生、この世にはドラゴンも幽霊も妖怪もいないんですよ。先生が望んでいる相手はそんな類です」
遠回しに自分にとって都合のいい存在などいないという美郷へ仁方は眉をひそめた。
「夢がないわね、市ノ瀬。神様に願うだけならタダじゃない」
「残念ながら、神社も寺も教会も、願い事を聞く際に金を要求しますけどね」
「どこもかしこも金次第、やっぱ現実ってクソだわ。しゃあない。面倒だけど、今日もリセットがきかない1日を始めるとするわ」
そういって、仁方は突っ伏していた身体を起こすと、背筋を伸ばして教室を睥睨した。女性にしては高い背と引き締まった肉体もあり、その姿は巨大な猛禽類のような雰囲気を漂わせている。その姿を見て先ほどまで銘々に騒いでいた生徒たちもこれ以上はまずいと思ったのか口を閉じて各々の席に付いた。
そして仁方は全員の注視を確認すると「さて退屈な日常にささやかなスパイスだ」と言い、ニヤリと口元を吊り上げる。
「喜べ野郎ども。突然だがうちのクラスに転校生がやってきたぞ。しかもなんと、飛び切りの美少女だ」
「……先生、それはマジですか」
全員がゴクリと生唾を飲む中、1人の男子生徒が声を震わせながら尋ねた。それに仁方は親指をぐっと立てて答えた。
「マジもマジ、大マジだ」
「「「よっしゃーー!」」」
その言葉にノリのいい男子生徒たちを中心に大声で騒ぎ始める。
「ちょっと、男ども! クラスにもアーシみたいな美少女がいるでしょうが!」
そのあまりな様子に苛立ちを覚えたのだろう。1人の女生徒がサイドテールを揺らしながら立ち上がり、騒ぎ立てるクラスメイトをにらみつけた。派手な髪色に両耳開けられた複数のピアス、胸元を開き着崩していながらも可愛らしさを感じさせるその姿から彼女がクラスの中でも自分が可愛い側にいるのだろうという自負が感じられる。
そんな自分を差し置いてぽっと出の転校生の出現に面白くないのだろう。そんな彼女、狩留家舞夢に対して周囲の反応はというと実に冷ややかなものだ。
「はっ、笑えない冗談はよしてくれ。うちの女子は確かに顔がいいのが多い。だがそのほとんどがハリボテときた。現実を知るとお前や美郷をはじめとした残念美人ばっかじゃねえか!」
「なんですって!?」
「おい、さらっと私に飛び火してんだけどッ!?」
他人事のように聞いていた美郷だったが、自分が残念の側に属していると聞いて素っ頓狂な声を上げた。
しかし周りの反応はというと、「男より男前とか言われる女子はちょっと……」「学園の隠れ番長とか呼ばれているしな」「鉄火場で輝く女とかもあったっけ」「ねえねえ美郷ちゃん、婿入りして欲しいアンケートで男を抑えて1位をとったのは何回連続?」などとこそこそと小声でいう始末だ。
それに納得がいかない美郷はとりあえずニコニコ笑顔で煽っていた隣の席の若葉の頬を両手で引っ張り、無理やりその口を閉じさせた。周囲の女生徒も男子生徒たちの自分たちへの評価に納得いかなかったのだろう。クラス内は瞬く間に騒がしくなり、男女の醜い言い争いに包まれてしまう。
しかし、そんな騒ぎも突然教室中に響く甲高く背中をぞわりとさせるような音により静まり帰る。音に合わせて悶えながら自身の机に沈んでいった生徒たちが見たのは、黒板に爪を立て引っ搔いた仁方の背中だ。
仁方は正面に向き直るとちゃっかりつけていた耳栓を外して腕を組んで生徒たちを見下ろした。
「騒がしい、沈まれ黙れ馬鹿ども。それ以上うるさくするようなら、もう一度この爪、引っ立てるわよ」
そういうと、仁方は黒板に再度爪を立てる。その様子が冗談ではないと悟ったのだろう、全員がピンと背筋を伸ばして姿勢を正した。
「「「「「……」」」」」
「素直で宜しい。いつもこうなら私も苦労はないのだけどね。さて、待たせて悪かったな。入ってくれ」
待たせていたのだろう。仁方が顔を廊下へと向けて声をかけた。
「分かりました。失礼いたします」
彼女の呼びかけに答えるように扉が開き、一人の少女が教室に入ってきた。背筋をまっすぐ伸ばし、堂々としたその佇まいは教室にいるものへ自然と緊張感を強いてくる。その凛とした佇まいを見た瞬間、美郷は朝に出会った女の子だと一目見て確信した。
「では自己紹介をしてくれ」
「伊波継姫と言います。親の都合によりこちらに引っ越してきました。よろしくおね――――」
「「「「超絶美少女キタ――!!」」」」
「「「「……チッ」」」」
言葉を言い切る間もなく、入室までの静けさが嘘のように教室中が騒がしくなる。喜びと興奮のあまりに盛り上がる男子生徒に対し、それらを見る女生徒の目は実冷ややかであり、聞こえよがしに大きく舌打ちを打っていた。
やったぜと声を上げながらハイタッチをするもの、肩を組みながら涙を流しあうもの、異様なハイテンションで騒ぐ男たちの様子はまるで餌を投げ入れられた池の鯉の連想させるほどの盛り上がり様だ。
そのあまりの喜びように呆れたのか、伊波さんはひどく冷めた目をして隣に立つ仁方先生を見た。
「仁方先生、このクラス、あらかじめ聞いてましたが、それにしたって個性的過ぎません? 廊下で待たされていた時から何となく思っていましたけど」
と、ため息交じりに皮肉めいた言葉をかけた。そのことに否定するでもなく、「ほんとにね」と皮肉気にほほを吊り上げ笑う。
「どいつもこいつも引き取り手がなくてね。厄介者を一緒くたにまとめられた結果、できたのが個性派揃いのオールスターズってわけよ」
「それ、言い方変えれば掃き溜めとか言いません?」
顔を下に向け、額に手を当ててため息をつく継姫に対し、「ま、そうともいうわね」と返す仁方は実に楽し気な様子だ。
「おかげで困ったことにクーリングオフもきかないわけよ。そんな中で現れた鶴がお前ってわけよ。おーい、騒ぎたいのも分かるし、転校生に色々と質問したいだろうけど後にしてくれ。とりあえず伊波は空いている席に座ってくれ」
継姫はその言葉にうなずくと、教壇から真っすぐに空いている席に向かって歩き始めた。その進路上に座る美郷は真っすぐ前を向いていた継姫とたまたま視線が重なった。登校時からの再会への喜びに美郷は軽く彼女に向かって手を振る。
それに継姫は驚いた顔を浮かべたが、すぐに合点がいったのか軽く微笑みを浮かべて返事を返し、そのまま自身の席へと向かっていった。
教室はいまだ彼女の存在に浮足立った雰囲気を浮かべている。しかし、それも一瞬だ。仁方は先ほどまでと少し雰囲気を変えて教室を見渡す。その様子に全員が訓練された兵隊のように再度さっと口を閉ざした。
「さて、バカ騒ぎのせいで時間もないからさっさと済ませるわ。最近ちょっと物騒な事件が起きているのは皆もニュースで知っているわね。今回はその件について学校側の今後の対応についての連絡になるわ」
その様子は先ほどまでの軽いものとは違い、どこか緊張感を感じさせるものだ。
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