第5話

 美郷たちが連れ立って校舎に向かい歩みを進めようとした瞬間、ひと際に甲高い声が響き渡った。その声を聞き、美郷と尊は思わず表情が固まってしまう。


「この学園のことでしたら、ワタクシ、久遠寺エリカにお任せいただければ万事うまくいきますわ!」

「あ、伊波さん、そこ石があるみたい。転ぶと危ないから避けて通りましょうね」

 美郷は目の前で仁王立ちするエリカに視線を向けることなく通り過ぎようとする。

「石!? ああ、そのそっけない態度、ワタクシ、思わず背筋がゾクゾク来ましたわ」


 そのそっけない対応に対し、エリカは怒るどこか身体を震わせながら顔を赤らめる。その顔に美郷は口元が意図せず引きつってしまう。


 嫌悪感を感じながらも美郷は放置することもできず、ため息交じりにエリカに話しかけた。


「大丈夫ですよ、エリカ先輩。伊波さんは私たちで案内しますから」

「何を仰いますか。美郷さんが手を貸すほどのことではございませんよ。ワタクシにお任せいただければ万事解決!ですわ」


 そういってエリカは手に持っていた扇をパッと開く。そこにはデカデカと「歓迎!」と書かれている。


「さて、伊波継姫様ですね、ワタクシ、この学園の生徒会長の久遠寺エリカと申します。此度の事情につきましておじい様から事情は聞いておりますわ」

「……事情、ですか。ちなみにどこまで?」


 エリカの言葉に声のトーンを落とし伊波が聞き返す。その目つきは先ほどまでとは違い、どこか鋭さを感じるものだ。

 その変わった雰囲気を感じる様子もなく、エリカは口元を扇で隠すようにして伊波を見やる。


「まあ、おおよそといったところです。ちなみに、ここで話してもよろしいので?」


 その言葉に対し伊波は目を細めてエリカを睨みつける。しかし、それに意を介することもなくエリカは逆に挑発するかのように問い返した。


 流し目で美郷と尊を見るエリカに対し、伊波は先ほどに増して剣呑な様子を見せる。お淑やかな様子を感じさせた先ほどとは違い、今の伊波から感じるものはどこか荒々しい獣のような気配を見せている。


 しばらくにらみ合いが続いたが、姿勢を変えることのないエリカに諦めたのか継姫は溜息をつき、眉間を少し寄せた笑顔を浮かべながら美郷たちに向き直った。


「誘ってくれたのにごめんなさい。申し訳ないけれど、久遠寺さんに案内してもらうことにしますね」

「あ、うん。大丈夫だよ。気にしないで」


 継姫はそういうと頭を下げた。美郷はエリカのいう事情について気になりはしたが、継姫の雰囲気からそれを聞くことを拒むのが感じられ、喉奥まできた言葉をぐっと飲み込んだ。


「話しが早くて大変よろしいですわ。では、幸音」


 そういうと、エリカは一度扇を閉じ鷹と思うと、再度パッと開いた。書かれた文字は「案内!」の二文字だ。美郷たちがいつの間に扇を取り換えたのだろうと疑問に思う間もなく、それが開かれると同時、「御そばに」との言葉とともに1人の女性がエリカの後ろから現れる。


 八条幸音、生徒会の副会長であり、エリカの腹心とも言える彼女は学園内では忍者の末裔とか、実は幽霊ではないかと噂されることもあるくらいに存在感がない。意図して消しているのか、エリカの存在に気を取られてしまうため返って目立たないのか。

 しかし確かなのは常にそばに控えており、エリカの一声があればこういったようにすぐにはせ参じるくらいには近い存在であるということだ。


 急に現れた彼女に継姫は驚きのあまりに目を見開くが、対して美郷と尊はというと特にそういった様子は見えない。幸音が神出鬼没であり、エリカの一声でこのように現れることなど今に始まったことではないからだ。美郷など呑気に「あ、幸音先輩おはようございます!」などと手を振りながら挨拶するほどだ。


 美郷の挨拶に対し幸音は小首を下げると、音もたてることもなく長く伸びた黒髪をなびかせながら継姫へと近づいた。


「伊波様がお越しになりました。案内して頂戴」

「かしこまりました。それでは伊波様、こちらに」


 そういって幸音は軽く継姫にお辞儀をすると、背を向けて校舎へと向けて歩きだした。継姫は美郷たちに「ごめんなさいね」と一声謝ると、幸音の背を追いかけて足早に歩き出した。そのどこか少し寂し気に見える背中を見送りながら、美郷は目の前でエリカ先輩に話を振る。


「エリカ先輩、伊波さんとお知り合いで?」

「初対面ですわよ。ワタクシも直接お会いするのは今日が初めてですわ」


 そういいながら眉間を寄せながら継姫を見つめるエリカの様子が日頃の自信ありげな様子と違い、眉間に皺を寄せながら長く伸ばしている巻かれた金髪の毛先を弄ぶ様子はどこか落ち着かない雰囲気を美郷は感じた。


「伊波さんっていったっけ。今の時期に転校って珍しいな」

「2年の5月っていう中途半端な時期だしね。まあ個人の事情だから色々あるんだろうけどさ。エリカ先輩は何か知っているみたいでしたけど」 


 美郷は事情を知っているだろうエリカを横目で見た。しかし、詳しい話はするつもりがないらしく、エリカは扇を開き「黙秘!」の二文字を美郷たちに見せることでその拒絶を表した。 


「色々と事情がありますのよ。それにいい女には秘密が付き物ですわ。もちろん、ワタクシのような女にはそれこそ山のようにね」


 さらりといい女のくくりに自分を含ませるあたり、己肯定感が高い人だなぁと美郷は思うが、口にだすことはない。


「そんなことより、美郷さんは相変わらずのお人好しですわね。まあ、そこがらしいといえばらしいですが。ただ、正直言いますとワタクシ個人としましては彼女とあまり関わらないことをお勧め致します」


 エリカは目じりを上げて美郷に忠告する。


 突飛な言動から勘違いされがちだが、エリカがあまり人の悪口を言わない人だということを美郷は知っている。この問題児、変人ばかりの学園において全生徒を愛すべき学友と公言する辺り、彼女の懐の深さはについて美郷もそれなりに知っているつもりだ。

 突飛な行動を起こす生徒たちに「最後は面白ければそれで良し!」の一言で済ますあたり、少し度が過ぎているように感じることもあるが。


 それゆえに初対面であるはずの継姫に対し、どこか排他的ともいえる言葉に美郷は疑問を感じずにはいられなかった。


「珍しいね、エリカ先輩。あまりそういうこと言わない人だと思ってました」

「気を悪くさせてしまったのなら申し訳ございません。それでも、あの方との付き合いは美郷さんのためにもなりませんのであえて忠告させて頂きました。もっとも、ワタクシが何か言ったところでどう判断するのはあなた様次第です。どうせ関わるなといったところで首を突っ込むのが目に見えていますし」


 エリカは「ワタクシの時もそうでしたし」とため息交じりにつぶやいた。


「まあ広い学校だし、同じ学年とはいえそうそう顔を合わせることもないだろうからね。私もそんなに気にしてないからいいよ」


「それならいいですけれど……そういっておいて気が付いたら相手の懐まで踏み込んでいるのが美郷さんですし、この諫言も意味のないものとワタクシも理解しておりますわ」


 頬に手を当てながら悪戯っ子を見るようにエリカは告げた。


「ま、そういうこった。大体、コイツが人の事情にズケズケと足を突っ込むのは今に始まったことじゃないしな。言っても聞かない頑固者だよ、ほんと」


 そういうと尊は美郷の頭部をぐりぐりとなでた。それに「なんだよ、人を利かん坊みたいにさ」とブツブツとつぶやきながら不服そうに美郷は頬を膨らませた。 


 会話に割り込んだ尊だったが、その存在を今まで視界に入れないようにしていたのだろう。不機嫌そうに眉を下げたエリカが見下すような目を向けながら尊に話しかける。


「あら、あなたいましたの? 申し訳ございません、気付きませんでしたわ。それにしても、相変わらず美郷さんに金魚のフンみたいにくっついていますのね」


 開いた扇で口元を隠しながら、話しかけるその姿からエリカが尊を心底嫌っているのが分かる。

 対し、それがいつものこととはいえ、相手が立場のある相手だからだろう。尊は頬を引き攣らせながらエリカに話しかける。


「久遠寺先輩、相変わらず俺への当たり、キツくないっすか」

「当たり前です。折角の美郷さんとの貴重な逢瀬の時間ですのに、目の前にうじ虫がいると考えると高ぶった気分も萎えてしまうというものです」


 エリカはそういうと、美郷の頭に載せていた尊の手をパッと払う。そしてそのまま自身の胸元に美郷の頭を抱え込んだ。正面から抱え込まれたこともあり、エリカの豊満な胸に美郷は顔がつぶされてしまいまともな呼吸ができず、「ふがふが」と隙間から必死に呼吸をしつつ、手をばたつかせた。


「まったく、美郷さんほどの人望と才覚がございましたらワタクシも喜んで会長職をお任せできるというのに。貴方の世話で手一杯との理由で断られるワタクシのお気持ちも考えて下さいまし」

「別に、俺は無理に頼んでいるわけじゃ……」


 その言葉に自覚はあったのだろう。バツが悪そうに顔を背けるその姿はまるで叱られた幼児ようだ。抑え込まれた胸の隙間から見えるその顔をみて美郷は慌ててエリカの拘束から抜け出すと、尊の前に立ってエリカと対峙する。


「エリカ先輩もしつこいですよね。前にも言いましたが、生徒会長とか柄じゃないんですよ。それに、尊の世話は私がしたくてしてることなんです。それ以上言うというなら、先輩、貴女は私の敵っということで考えますが、どうします?」


 美郷はそういうと、内心の憤りを抑えながらエリカを睨んだ。


「冗談、ワタクシは恩人である美郷さんの味方になることはあっても敵対する気などは微塵もございませんよ」


 そういうとエリカは「降参」と書かれた扇を見せつける。しかし、それでも言い足りないことがあったのだろう、顔を尊へと向けた。


「尊さん、これは忠告です。進展のない関係はぬるま湯です。その居心地の良さに甘えて大切なものをなくすことのないよう努々忘れないようお気をつけくださいませ」


「……そんなこと、アンタに言われなくても分かってる」


 睨みつけるような目から逃げるように、尊は地面を見ながら小さくつぶやいた。


「さて、愚人を揶揄うのもこの辺にしておきますわ。ワタクシはもう行きますわね、それでは美郷さん、本日もまた良き日でありますことを」


 エリカはそう言って長く伸びたスカートの両手で摘みながら美郷へお辞儀をした。物語の貴族のような堂に入ったその姿は美しく、それゆえにこれ以上彼女へ告げる言葉はないのだと暗に示しているかのようである。それを知ってか知らずか、たじろぐ美郷に軽く一瞥したのちエリカはその場をゆっくりと立ち去っていく。


「なんというか、相変わらずな人だよね……1人だけベル〇ら世界にいるみたい。というか、尊、エリカ先輩にメチャクチャ嫌われているけど何かあった?」


 隣で暗い顔をしている尊に美郷は話しかけるが、どこか上の空のように「ああ……」ととだけ彼は返事をする。その彼らしくない様子に美郷は頭をかくと、彼の背中めがけて平手を叩き込んだ。


「イッテ! 何すんだよ!」

「なんだ、元気じゃん。らしくないよ、尊。どうせ悪いのはアンタなんでしょ」

「……」

「それは、まあ、そうなんだけどな」


 叩かれた背中をさすりながら、尊は歯切れの悪い言葉を返す。


「仕方ない、今度エリカ先輩にあった時は一緒に謝ってあげるわよ」


 美郷はそういうと、尊の肩に手を置きながら彼の顔を見上げる。その言葉に尊は口をぽかんと空けてひどく間抜けな顔を美郷に見せた。そして、顔をクシャッと歪ませて笑い声交じりに「……ああ、その時はよろしく頼むわ」と言葉をかけるのだった。

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