第4話

「それは非常に助かるわ。実はこの近くの高校へ転校することになったのだけれど、場所がここでいいのか悩んでいたの。一応、見せてもらった地図をメモしてそれを頼りにきたのだけれど、ここで合っているのか分からなくて。どうしたものかと悩んでいたところなんです」


 そういうと少女は1枚の手書きの紙に目を落とすと、ほほに手を当てながら美郷に尋ねた。それに美郷はこの近くの場所なら問題なさそうだと思い、自信をもって少女に告げる。


「それならご安心を。こちとら生まれも育ちもこの近辺ですんで、たいていの場所には詳しいですよ」

「それは心強いですね。それでなのだけど、これを見てもらえないでしょうか」


 少女は微笑みながら手に持っていた紙を美郷へ手渡した。それを見て、美郷は思わず自分の顔が固まってしまう。書かれた地図はお世辞にも上手いとは言い難い。それどころか正直な話、旧石器時代の壁画のほうがまだ描かれているのが何か理解できると美郷は内心で思ってしまう。


 思わず壁画の写し絵かと聞きそうになるのをぐっとこらえ、描かれたものについて美郷は確認をしてみることにした。


「……何これ」

「地図です」

「……この蛇が腹痛でのたうち回ったようなものが?」

「……しょうがないじゃない。下手なのよ、絵を描くの」


 少女は頬を赤く染めると、気まずげに視線を逸らした。先ほどまでの敬語がなくなり、どこか砕けた口調を見るにこれが素なのだろうと美郷は思う。陶然とした美しさを持つ少女にこんな苦手なものがあることを知り、年相応に感じられてしまう。


 拗ねたように唇の先をとがらせた少女の子どもっぽい仕草を見て美郷は思わず笑みがこぼれてしまう。


 とはいえ、地図で場所は分からなくても場所の名前を聞けばどこに行きたいかの場所は想像がつく。美郷は地図をあてにするのをやめて直接場所を聞いてみることにした。


「誰でも得手不得手はあるしね。それで、どこに行こうとしてたの?」

「自由創造学園高校というところなんです。言われた通りにきたのですが、正門に名前が書かれてないでしょう。ここで間違いないのか不安で、どうしようか困っていたところなんです」


 先ほどまでの拗ねた様子を誤魔化すように、少女は少し顔を赤くしながら目的の場所を話す。そこはまさに美郷たちの通う高校であり、眼前に見えていた場所である。


 少女もわかりにくい地図ではあるが、目的地前まで辿り着くことはできたのだろう。ただ、どうして学校を目の前にして立ち止まっていたのか。理由は簡単だ。通常、学校の正門には高校名が彫られている。


 しかし、なぜかこの高校名を示すプレートがない。いや、あったといっていい。不自然に色が違う長方形に縁どられた場所、本来あるはずのものがなぜか外されている。美郷はその原因について思い至り、少女になんでもないような口調で理由を含めて伝えることにした。


「ああ、それならここで合ってますよ。つい最近、生徒が登校時に正門を爆破して登校しようとしたんです。その時に壊れちゃったって聞きました」

「……ごめんなさい、よく聞こえませんでした。爆破っていっていたような気がするのだけど、聞き間違いでしょうか」


 少女は美郷の言葉に目を丸くしたかと思うとこめかみを押さえて俯いてしまう。また聞き返した言葉も少し震えており、彼女の内心がにじみ出ているようにも思えた。


「いった通りですよ。たしか1か月前くらいだったかな。遅刻した生徒がいたんですけど、どうも遅刻日数がやばいらしかったみたいで。なんとか到着したものの正門を閉じられる寸前だったらしく、無理やり突破するために強行突破したとか。ほら、正門の一部が焦げてるでしょ」


 そういって美郷は両手で右肩に何かを担ぐような仕草をした。その様子から対戦車砲を構えているのだろうことは想像に難くない。そして、その目に見えない砲身の射線上にある校門が不自然に黒ずんでいる。考えたくもないが、美郷のいうことが事実だとするならばそういうことなのだろう。


 少女は目の前の現実に頭が追いつかず、すがるような目で美郷を見るも、悲しいかな視線の先の人物はそれに気付くこともなく経緯の詳細の続きを語る。


「もっとも、爆薬程度でうちの校門はビクともしなかったみたいですけどね。ただ学校の名前が書かれてたプレートは別だったみたいで、交換のため今は外されているんですよ」

「……ここって高校ですよね。軍事施設とかではなく」


 少女はこめかみを指でもみながら、美郷に尋ねた。平和な日本の高校生が平然とATMを発射し、それを平然と思うような場所を少なくと学校とは呼ばない。少なくとも少女の常識の外にある事象から目を逸らしたいが故の問いかけだったのだろう。


 しかし、美郷はあっけらかんとした表情で無慈悲に現実を突きつける。


「いやだなぁ、ちょっと特殊なだけで生徒はみんな普通ですよ」


 朗らかに笑いながら答える美郷に、胡散臭いものをみるような目を少女は向ける。そして顔を下に向けて大きくため息をつくと、視線を上げて周囲を見渡した。


 目に映る人々は一様に制服に身を包んでいることから、悲しいことにここは高校で間違いないらしい。立ち止まり辺りを見回す少女の横を人々が通り過ぎていく。


 そう、実に多種多様な生徒人たちが。


 全身真っ赤な制服に身を包んでいた金髪のニコニコ笑顔の男。見た目は普通の制服なのに馬のマスクをかぶって歩く男子生徒。一昔前に流行った特殊なヨーヨーを転がして歩く足首まで届くスカートをはいたスケバン風の女生徒。短パンをはいてミ〇四駆と並走する男子高校生などなど……。


 少女は空を仰ぎ見た。しかし悲しいかな、美郷にとっては見慣れた登校風景である。


「これが普通でしょうか?」

「まあ、ちょっと服装の趣味は特殊かもだけど、ほら、いわゆる独特なファッションってやつ」

「さすがにファッションというには度が過ぎているかと思います。それに……」 


 少女は再び登校する生徒たちに視線を移す。


 奇天烈な恰好で登校してくる生徒たちを取り締まるのは校門で待ち受ける風紀委員たちだ。そこだけ聞くとどこの高校にもありそうな服装検査かもしれない。もっとも待ち受ける彼らの手にサブマシンガン(※もちろんエアガンである)が握り締められていなければの話だが。PKOの派遣兵のように装備を固める風紀委員たちが規則違反を取り締まっているのが遠目からでもはっきり見えてしまう。


 しかし、簡単に捕まえられるような間抜けはそもそもこの高校にはいない。巧みなチームワークで止めようとする風紀委員たちを華麗にかわして校舎に侵入を果たすものもいる。もちろん素通りさせるわけもなく、逃げる彼らを風紀委員たちがセグウェイに乗りながら猛追し、逃げる背中に向けてマシンガンを打ち込んでいた。


 生徒の中には風紀委員を挑発するかのように「あばよーとっつぁん」と某大泥棒のごとく嘲笑いながら逃げていたやつもいる。しかし、校舎に入ろうとした瞬間、風紀委員がいつの間に準備していたのか、手に持っていたボタンをポチっと押した。


 瞬間、爆音とともに空高く浮き上がった間抜けに対し、それを心配するでもなく風紀委員が顔を歪に歪ませながら「ケッ、きたねえ花火だ」と吐き捨てている。ぼろ衣になり転がる生徒の襟首を掴み、汚いものをみるかのような目で見降ろす風紀委員のその姿からどちらが正しい行いなのか。


 しかし、美郷にとってはいつもの見慣れた登校風景である。

 少女は落ち着かせるようにため息を着くと、ジト目で美郷を見やる。


「日本って紛争とは程遠い場所と思っていました。ここだけ領土がアフ〇ニスタンとかだったりします?」

「さすがに世界一治安が悪い国と同列の治安ではないと思うけど、この光景を見せた後だと否定しきれない……ッ!」


 他人に言われるまでこれが当たり前のことだと受け入れていたことに若干驚きから、美郷は額にうっすらと脂汗が浮かび上がるのを感じた。対して少女の方はというと、目の前の光景から目を逸らそうと視線を空へと向けながらポツリと小声でつぶやく。


「少なくとも、私はここが自分の転校先かもしれないという現実に正直、今から心が折れそうなのですが」

「ま、待って! あれは特別、特別だから!」

「そうでしょうか……」


 少女は怪しげな訪問販売に対応した主婦のように、細めた目を美郷に向けた。

 美郷はその視線からこのままだと転校初日から不登校確定になってしまうという不安を感じ取った。どうかまともな奴が登校してきてと願いながら、しかしその願いが叶わないだろうと諦めを感じつつで再度、彼女は登校する生徒たちに目を向ける。


 見回した視線の先では胴着をツンツンと髪をとがらせた強面の男が、片足をまげた状態でホバークラフトのようにまるで浮いているかの如く移動していた。服装違反を認めた風紀委員が慌てて止めようとした瞬間、彼らの周囲が光に包まれる。するとなんということか、驚くべきことに止めに入った風紀委員が地面へうつぶせに倒れこんでいた。倒した生徒は背を彼らに向けて立ち、背に書かれた「天」の文字を堂々と見せびらかしている。


 その近くで髪型をブーメランのように固めた男が腕をふって謎の光の塊を風紀委員にぶつけて吹き飛ばしている。それに対抗するように風紀委員が両手首を重ね、手の平の中から謎の球を打ち出してそれ打ち消していた。


「これを当然のように受け入れてしまっている私がいるあたり、染まっちゃってるのかしらね」

「……人間って不思議ですね。私、自分が特別と思うことがあったのですが、あれを見ると十分に一般人なんだって思えてきます」

「何してんだよさっきから。アホ面さらしているけど、福笑いをするなら時期が違うぞ」


 間の抜けた顔をして立ちすくむ2人に対し、尊が話しかけた。脇腹押さえて少し眉をゆがめているのを見るに、まだ痛みはあるらしく、打たれた場所をさすっている。


「いやね、この人がうちの高校に転校するみたいでさ。改めてうちの高校って外から来た人が見たら変な学校なのかなって」

「そんなの今更な話だろうが。その代表格みたいなやつが何言ってんの?」


 美郷の言葉に何をいまさらと思ったのだろう。尊の口ぶりからは呆れを感じさせた。


「失礼な。私ほどに品行方正と普遍性を体現したような生徒はいないわよ」

「口よりも先に手が出る人間は少なくともお利巧さんとはいえんだろう。お前、学校でなんて呼ばれているか知ってる?」


 その言いぶりに美郷はあだ名についていくつか思い浮かぶが、総じてろくでもない物だったこともあり思わず「うっ」と口ごもってしまう。

 それに疑問符を浮かべるように不思議そうな顔をする少女に尊は美郷の不名誉なあだ名についてにからかい交じりに彼女のあだ名について語りかけた。


「こいつ、日頃から血の気が多いこともあって結構トラブルとか巻き込まれてさ。その度に面倒ごとやらを拳で解決するものだから通り名が知れ渡ってるわけよ。付いたあだ名が『檻なしライオン』とか『茶髪鬼』とか物騒なものばかりでな。中には人間じゃなくて『猩々』とか言われたりしてたな」


 尊は先ほど殴られたことへの腹いせもあったのだろう。実に楽し気に美郷のあだ名を少女に話しかけた。


「尊、アンタ喧嘩を売ってるのよね? いいわ、今すぐ買うわよ。アンタの今日の晩飯代で」


 そのことに腹が立ったのだろう。今にも髪が逆立つのではないかと思うくらいに身体を震わせながら美郷は尊を睨みつける。対して尊もそんな美郷に怯える様子を見せるわけでもなく、むしろ楽し気な表情を浮かべて対峙をする。


「それ遠回しに飯抜きって言ってんじゃん! 鬼、悪魔、雌ゴリラ!」

「言ったわね尊! 別に今ここで今日の昼飯以降、ご飯食べられなくして上げるわよ!」


 そんな怒りのあまり周囲が見えなくなった美郷たちであったが、少女は特に戸惑う様子もなくため息をつき、諍いを止めるように美郷たちに話しかけた。


「お2人が大変仲が良いのは分かりました。それで、結局私の探している高校はここでいいのかしら?」


 その言葉に美郷と尊はハッと驚いた表情を浮かべて少女の顔を見ると、続いてお互いの顔を見合わせ、それまでの剣呑な雰囲気を納めて少女に向き直った。


「もちろん、誠に残念なことだが」

「大変喜ばしいことに、あなた様のお求めの場所はこちらにございます」


 そして2人して二コリと笑顔を浮かべ、親指を上に立て声を揃えて一言。


「「ようこそ、わが愛すべき母校に。歓迎しよう(するわ)、変人候補生」」


「……貴方たち二人とも、十分この学校に染まっていると思うわ」


 そういって、目の前の少女はひと際に大きなため息をついた。


「あ、そういえば自己紹介がまだだったわね。私は市ノ瀬美郷。2年生よ。今後ともよろしく!」

「周防尊。ま、この暴力女とは腐れ縁ってやつだ」

「誰が、暴力女よ! その口張ったおすわよ!」

「自分の発言の矛盾に気が付いてない辺り、手遅れに気づけ馬鹿!」

「……ホント、仲が良くて羨ましいですね。伊波継姫といいます。同じ学年になるみたいなので、不慣れではありますがよろしくお願いしますね」


 そういうと、伊波はそう言って微笑ましいものを見るようにして笑い、美郷へ右手を差し出した。美郷は差し出された彼女の手を握りこむと、その手の平から見た目の華奢な印象からは程遠い力強さを感じる。


(あれ、手のひら、すごい固い。これって……)


 手から感じる感触はまるで石のようにごつごつとしたものであった。何度もマメを作り、それをつぶしてきた人が持つ特有の手だ。握られた手から感じる力は強く、継姫が何かしらで鍛えているのだろうことは察せられた。


「……いい加減、ずっと握られていると恥ずかしいのだけれど」

 握ったまま考え込みすぎてしまったのだろう。遠慮がちに美郷へ継姫が告げてくる。それに気づいて美郷は慌てて彼女の手を離すと、「ごめん!」との声とともに頭を下げた。


「いや、すごい手だったからついつい触りすぎちゃって! 伊波さん、何かスポーツとかしてたの?」


 美郷の問に継姫は目を少し見開き、驚いたような表情を見せた。


「ええ、まあ。そうですけど……」

「やっぱり! 手の平がすごい厚かったから、きっと何かやっていたのかなって思って! ちなみに何をしてるんですか!?」

「剣道、みたいなものですね」


 そういって継姫は視線をそらしながら右手を胸元で隠すように握った。その様子を見て美郷は答えにくいことだったかと話してから気付き、話題を誤魔化すようにある提案をしてみることにした。


「しつこくしてごめんね伊波さん、よかったらこのまま職員室まで案内するよ」

「……ありがとう。そうしてくれると助かるわ」


 少し無理の提案に、伊波さんも渡りに船だったのか強張った表情を崩して答えてくれた。


「相変わらず面倒見のいい子って」

「いいじゃない、袖振り合うも他生の縁、幸いホームルームまでまだ時間もあるしね。さあ、こっちに付いてきて――」


「お待ちなさい! その必要はございませんよ!」

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