第3話

 手早く朝食をすませると、美郷と尊は通いなれた道を連れ立って歩いていた。彼女たちが通う高校は自宅からほど近い場所にあり、のんびり歩いても20分ほどで着く距離だ。そこまでの道すがらをいつも他愛無い会話をしながら歩いていくのが通例となっている。


 その道すがら、美郷はチラリと横目で歩く尊の顔を見た。尊はまだ眠気が残っているのか目を細めつつ口をふがっと開き、今にもあくびをこぼしそうな顔をしていた。


 よく観察してみると前髪が少しはねている。おそらく慌てて準備したためそこまで気が回らなかったのだろう。短く刈り揃えられた髪の中で一か所だけぴょこんと主張している。昔はすぐ真横に見えた彼の頭部も今では視線を上げなければ見ることができないことに美郷は年月の速さを感じてしまう。


 ここ一、二年で伸び始めた尊の身長は180センチに届くかいうほど。また日頃から鍛えていることもあり、制服の下の肉体を今は見ることができないが、水泳の授業があった日とあっては周囲から視線を集めることも珍しくない。初対面ではとっつきにくさを感じる容姿も慣れれば頼もしさを感じるものも多いと美郷も耳にしたことがあった。


 それだけに尊が特定の異性を作ってくれることを期待したのだが、彼女の望みも空しく彼からそういった浮いた話を聞いたことはない。それが美郷にとっての最近の悩みの1つと今ではなっていた。


「……なんだよ、さっきからじっと見て。何か言いたいことでもあるの?」


 見られていることに気付いたのだろう、少しためらいがちに尊は美郷に話しかけた。それに対して美郷は気まずさもあり、視線を彼から逸らし気になっていたことを彼に告げる。


「えっと、そうだね、前髪に寝ぐせついてるなって」

「……それ、学校行く前に教えてくれませんかね」


 とっさに出た誤魔化し交じりの言葉であったが、尊にはそれで充分であったようだ。尊は美郷の指摘箇所を恐る恐る手を伸ばすと、その言葉通りの状態に気付き肩を落とした。そして下唇をとがらせ目線を上げながら跳ねた前髪を手で触り始めた。


 手櫛で何とか体裁を整えようと悪戦苦闘し始めた尊であったが、美郷はそちらに視線を向けることなくもう1つの気になっていたことを彼に尋ねてみることにした。


「あとは、尊は彼女作らないのかなって」

「……は? なんでだよ」


 ためらいがちに聞かれた美郷の問いかけを尊は動かしていた手を止め、眉を吊り上げる。問い返したその声はひどく平たんであり、どこか機械的にも感じられるものだ。


 そんな尊の反応に対し、美郷は少し声を上ずらせて話を続ける。


「だってさ、よく聞くよ。学年が上がってからまた告白されたって。せっかくなら一度くらい付き合えってみればいいのに」


 尊はその言葉に深く息を吐くと、額を抑えた。そして少し疲れたような口調で


「誰だよそんなこというのは。ひょっとして康太から聞いたのか?」


 と美郷に話の出どころについて知ろうとした。


「違うよ、聞いたのは若葉から」


 その答えに「……あの腹黒クソアマ」と小さな声で恨み言を尊はつぶやいた。美郷の友人である大蛇森若葉は交友関係こそ少ないものの、非常に男受けの女性として校内では人気が高い。それもあって男経由で仕入れた話を美郷に告げたのだろうことは尊も容易に想像がついた。


 美郷は尊のつぶやきについて聞こえてはいたが、そのことに対して特に咎めることはしなかった。自分の友人が少し、いやかなり性格に難があることを彼女自身も知っていて友人関係を続けている。そのため親友への悪口も彼からすれば別に今に始まったことではないため、特に責めることはしない。だがそれよりも美郷にとってはより気にしていたことがあったというのが理由として大きい。


 うつむきがちに視線をそらした美郷はためらいがちに尊により深く聞いてみることにした。


「それで、付き合いたいと思う人はいないの?」

「……いるけど、言わねぇ」


 拗ねた子供のようにほほを少し膨らませながら、尊は目を右上に向け、ぶっきらぼうに答える。


「あ、気になる人はいるんだ。いいじゃん、教えてよ」


 その様子を見ながら、美郷は内心を気取られぬよう声のトーンを上げて聞く。


「……お前にだけは絶対に言わねぇよ。それより、とっとと学校行くぞ」

「ちょっと! 急に早く歩くのやめてよ! あんた無駄にでかいんだから」


 これ以上の追及に耐えかねたのか、尊は無理やりに話を切ると歩みを速めた。慌てて美郷も追いかけるが、その背に追いつくためには小走りになってようやく差が縮まるくらいに速度に差があった。それこそ彼が本気を出せば、美郷はあっという間に彼方へと置いていくほどに。


 しかし、美郷と尊の距離が離れることはない。美郷の文句に尊は少しずつ歩みの速度を落としていく。その緩やかな減速に合わせるように美郷も小走りをやめていき、気付けば彼女の真横に彼はいた。


 それを美郷は喜びとともに胸に小さな罪悪感からチクリと痛みを感じてしまう。自分を待ってくれていることへの無条件の信頼と、それを分かっていながら試した自身への嫌悪感。そんな美郷が嫌う背反する感情からくる行動。こんな中途半端な自分が彼のそばにいるべきではなく、もっと相応しい人が彼の隣にいるべきだという気持ちはずっと変わらず持ち続けている。


 しかし、この気の合う友人としての関係は居心地がよく、手放したくないという独占欲にも似た醜い感情もあった。そして、尊がこの関係からの変化を望み始めていることも美郷は気付いていた。


 だからこそ、美郷はモヤのかかった自身の心に蓋をして彼に尋ねた。


「尊、私のことは気にしなくていいからね。本当に好きな人ができたら、私も応援するからさ」

「そんなこと気にしてねえよ。少なくとも、お前を邪魔に思うような女は最初からお断りだっての」


 そんな美郷の内心を知ってか知らずか、尊の答えは冗談めいたものであった。美郷は彼の優先事項に自分という存在があることへの優越感を誤魔化すようにからかい交じりに言葉をかけた。


「なに、マザコン?」

「うっせ、そんなんじゃねえよ。それよりも、今日の放課後、いつものやんぞ」


 聞かれたくないことを追及され続けたためわずらわしくなってきたのか、尊は無理やり話題の舵をきった。それは彼らにとってはいつから続いたのか忘れるくらいに続く、恒例の約束事の提案であった。


 美郷はその提案に深くため息をつき、肩を落とした。彼女は下から見上げるように尊へ視線を向けながら呆れたように


「また? 尊もしつこいね。いい加減そろそろやめない?」


とやんわりと断ろうとする。


「悪いが、これだけは譲れなくてな」


 しかし、そんな美郷の拒絶も彼にしてみたら選択肢として選ぶに値しないことなのだろう。その気持ちを美郷は汲み取ることにし、小さく「よし」とつぶやくと


「じゃあ、放課後は道場で」


 と彼の提案を同意した。


「おう、次こそ絶対勝って勝ち越してやる」


 その返事を聞き、尊は小さくも力強い言葉を返した。


「別にさ、私に拘る必要はないんだよ。私より強い人なんて探せばたくさんいるんだし」


「いいんだよ。まああれだ、女に負けたままだとカッコ悪いからだよ」


 尊はそういって恥ずかしそうにほほを染めて美郷から顔を逸らした。その言葉に胸を締め付けるような痛みを美郷は感じたが、それを振り払うように「そう」とだけつぶやいた。

 尊はその後、特に何も話すことはなく、ただまっすぐと前を向いて学校までの道を歩いていく。それに離されぬよう、美郷は彼の隣で連れ立って歩み続ける。


 そうこうすると、彼女たちの視界に見慣れた校舎が視界に入ってきた。

 私立自由創造学園高校、美郷たちが通う高校だ。生徒たちの自主自立と競争精神を是とする校訓として有名な高校である。もっとも良い、悪いの両方の意味を込めてだが。それはこの高校の生徒たちが個性豊かすぎることに理由がある。


 ついた別名は「市街地のサファリパーク」である。


 進学実績も両極端であり、一流国公立や有名私立大学に進学する人が3割を軽く越える一方、そのまま就職する者もかなりの数がいる。また卒業生の中には冒険家、ギャンブラーといった道に進む変人や奇人なども毎年一定数出たりするのも特徴だ。


 もっとも、そういった特徴の生徒を最初から選別しているわけではない。そのほとんどが入学当初は至極普通の生徒だったといわれている。しかし、在学中に校風へ染まっていくうちに豹変していき、卒業する時には変人といって差し支えない状態として社会へ出荷されているのだという。


 もちろん、教師陣も入試で面接をしているためある程度選別はしていると思われる。けれど元々そういう素養があるのか、または育成基幹の特異性が理由なのか。教師陣の願い空しく卒業式の日に社会へ出た者たちがどのような混乱を起こすのか不安から腹に手を当てながら見送るのが常となってしまっている。


 そんな異色の高校に美郷たちが進学した理由はひどく単純で、家から近いことと学費が安かったことの2点に尽きる。この学校の運営組織が随分と羽振りが良いらしく、生徒からとる学費が公立と大差ないくらい良心的なものとなっているのだ。


 学費の負担をかけたくない、通学に時間をかけたくない彼女たちとってこの高校はまさに渡に舟という場所であった。


 しかし、今日はいつもとは違う違和感があった。校舎の正門を見つめるように1人の少女が立っている。腕を組み、じっと立ち続ける少女を誰もがいぶかし気に遠巻きから見るものの、話しかけようとするものは誰もいないようだ。


 美郷はそれを見て、真っ先に思い浮かんだことを同じように違和感に気付いた尊に聞いてみることにした。


「なにかしら、あれ? カチコミかしら」

「……美郷、学外での喧嘩はあれほどやめろと言っておいたのに」


 どこか哀れみを込めた目で、尊は美郷をみた。


「日頃の私への信頼に嬉しくて思わず目から涙でそうね。とりあえずムカついたから一発殴るわ」


 美郷は目元を拭うような動作をしたかと思うと、間を置くことなく隣に立つ男の横腹に素早く拳を叩き込んだ。防ぐ暇なく打ち込まれた拳が尊の横っ腹に突き刺さる。その痛みに彼はぐはっと息を漏らし、横腹を手で押さえながら痛みに苦しみ悶える。


 そんな彼を気にすることなく美郷は茫然と立ちすくむ少女に話しかけた。


「どうしました? うちの高校に何か用事でも?」

「……ああ、これは申し訳ないです。少し困ったことになっていて、どうしようかと悩んでいたところなんです」


 掛けられた声に振り返った少女はもともと大きい瞳をさらに見開き、安心したようにほっと息を吐いた。美郷はその少女の顔を見た瞬間、その整った顔立ちに一瞬呼吸を忘れてしまう。


 黒真珠のように澄んだ腰まで届く黒髪、人形のように小さい顔に吸い込まれるように大きい瞳はひと際強く人を引き付ける。小さな鼻も口も黄金律のように配置され、より神秘的な美しさを強調していた。また制服の隙間から見えるその手足はまるで絹のように白くすらりと長い。本職のモデルすらも彼女を前にしたら裸足で逃げ出すに違いないだろう。


 呆然と思わず見とれてしまう美郷だったが、慌てて本来の目的を思い出し話を続ける。


「えっと、そんなに困っているのなら良ければ力になりますけど?」

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