ミッション5 逃亡者
2068年1月2日
何年ぶりかで官舎で寝正月を過ごそうとしていたのに、マリアに呼び出されて本部に行くと、私は直ちにドレッシングルームに行き、制服に着替えて、司令室に向かった。時間は14時半を回っていた。
「水無瀬少佐参りました。」
ドアの前で名乗ると、
「どうぞ、お入り下さい。」
と、マリアが答えた。
ドアを開けて司令室に入ると、司令のデスクの前には、戦闘中隊主席オペレーターのミリアム・マーガレット中尉と、戦闘第一分隊、つまり私の隊の出雲鏡子特務曹長が待っていた。
二人は私の方を振り返り、敬礼した。司令室のオペレーター達とパク参謀も敬礼した。
相変わらず、シュナウファー司令だけが黙っていた。
「もう少しお待ち下さい。ドクター・ジーベンベルクがお見えです。」
マリアが告げた。
司令は黙ったまま、コンソールを操作している。
(司令はこんな女性隊員ばかり集めて何をさせるつもりだろう?)
私はふと疑問に思った。
十分ほどしてミラルカが入ってきた。いつも通りブラウスの上に白衣を羽織っている。肩で息を切らせていた。振り袖の気付けをあわてて解いて来たのだろう。
「ジーベンベルク軍医少佐、出頭しました。」
ミラルカは司令の前に立って敬礼した。その時初めて司令は顔を上げた。
その直後、司令の隣のデスクから、マリア・ポニアトフスキー少佐がすっと立ち上がり、私たちの列に加わった。マリアは澄まして司令の顔を見ている。
パク参謀が口を開いた。
「一昨日の朝、硫黄島の連邦陸軍大学東京病院硫黄島分院から一人の逃亡者が発生した。」
(硫黄島からヴァンパイアが脱走?)
マリアを除く我々四人に緊張が走った。
「君たちにその人物を保護してもらいたい―生死は問わない。」
パク参謀が続けた。
「司令、その人物とは誰です?ヴァンパイアですか?」
私は質問した。
司令は小さく首を横に振って初めて口を開いた。
「その人物とはカーネル・マクドナルド軍医大佐。硫黄島分院のウイルス病研究室長だ。」
「あのドクター・マクドナルドが何かしたのですか?」
ミラルカが司令に尋ねた。どうやら彼女と顔見知りの人物らしい。
「ドクター・マクドナルドは4日前、事故でヴァンパイア病に感染し、閉鎖病棟に保護される前に重要機密資料を持って島から脱走した。現在行方不明だ。その機密資料を回収することも諸君の重要な任務だ。」
パク参謀が答えた。
「あの・・・その重要機密資料とはどのようなものでしょうか?」
ミリアム・マーガレット中尉がおずおずと質問した。司令室の雰囲気は苦手らしい。
「あいにくだが、それは軍機に属する。諸君にも教えるわけにはいかない。」
司令がいつもの冷たい口調で答えた。
「ですが、その機密資料がどんなものかわからなければ、捜索も困難と思われますが。」
私は反論せずにはいられなかった。
「諸君はマクドナルド大佐をヴァンパイア病の発作が起こる前、3日以内に保護すればいい。そして彼の持ち物をすべて回収すれば、その中に機密資料も含まれているだろう。」
パク参謀が威圧的な口調で答えた。
「あ、あの、もう一つ質問してもいいでしょうか?」
「何かね、マーガレット中尉?」
司令が聞き返した。
「ここに集められた5人のメンバーだけで行方不明者を限られた時間内に捜索するのは困難だと、小官は思わざるを得ませんが・・・」
「この人選は『銀十字軍団』極東支部の命令によるものだ。君たち6名は、マクドナルド大佐を3日以内に保護し、機密資料を回収すること。命令は以上だ。」
シュナウファー司令は有無を言わせぬ口調で断言した。
(6人?)
私がふと疑問に思ったとき、隣の部屋に通じるドアが開き、見知らぬ女性士官が入ってきた。
「諸君に紹介しよう。今回の作戦に同行する『銀十字軍』極東管区諜報科所属、ミッシェル・ダルジャン大尉だ。」
パク参謀が言った。
「ミッシェル・ダルジャン大尉であります。このたびの捜索行は、本来なら我々諜報科の任務でありますが、残念ながら現在我々は編成替えの最中で、多くの人員を割くこともできませんでした。この『銀の剣』の協力を得ましたことを感謝いたします。」
「銀十字軍」極東管区の女性士官、ダルジャン大尉は敬礼しながら慇懃に挨拶した。やせぎす、面長で切れ長の目の目つきが鋭いのが印象的だった。
なお、「編成替え」とは先日の「諜報科長逮捕罷免」と無関係ではあるまい。
「任務の性格上、任務の遂行に当たっては、一般人に疑念を抱かせないように、また、ヴァンパイアとは接触しないように特に注意せよ。全員私服で民間人を装うこと。携帯する武器は護身用の最小限にとどめること。説明は以上だ。詳細はダルジャン大尉から聞きたまえ。今回の任務のための特殊装備は装備科で受領せよ。」
パク参謀は言い終わると大きく息をついた。
かくして我々6人は、硫黄島から姿を消したドクター・マクドナルドの行方を追うこととなった。
リーダーは私。サブリーダーはマリア・ポニアトフスキー少佐。出発は今日、18時の予定。
私たち6人は会議室に場所を移し、相談した。
「ドクター・マクドナルドとともに、連邦陸軍所属の連絡艇が港からなくなっていました。その連絡艇が今朝、下田港内で発見されました。ドクター・マクドナルドは伊豆半島にいる可能性が濃厚です。」
そうダルジャン大尉は説明した。
「連邦海軍は硫黄島から下田までの間でその船を発見できなかったの?」
私は不思議に思って聞いた。
「依頼はしたのですが、残念ながら・・・」
ダルジャン大尉は目を伏せて答えた。
陸海軍の確執は今に始まったわけではない。特に「銀十字軍団」と言えば、陸軍部隊の中でも他の部隊から特別な目で見られているのだ。
「けれど、電車を使えば、熱海経由で東京にも、関西にでも一日で行けるんではないでしょうか?」
マリアがすかざず反論した。さすが我が隊の情報担当将校だけのことはある。
「・・・川津町内で警察官がデイパックを背負って天城峠の方へ歩いていく太った初老の白人を目撃しています。容貌から、彼がドクター・マクドナルドである可能性が高いと我々諜報科は判断しました。」
ダルジャン大尉は補足した。
「じゃあ、今晩は天城山中で野宿ってわけ?」
鏡子が口を挟んだ。
「まさか、天城周辺なら温泉宿はいくらでもあるわよ。」
私が笑いながら答えた。
「待って下さい、バスと電車を使えば、一日で修善寺から三島に抜けられるわ。」
今度はミリアムが言った。
「しかし、河津町の警官の証言では、白人はハイカーの服装で、一人で、徒歩だったと言うことです。」
ダルジャンがさらに付け加えた。
「どうします、リーダー?」
ミリアムが私に振ってきた。
「いずれにせよ、我々はドクター・マクドナルドが通過したという、何らかの痕跡—目撃証言なり、遺留品なりを手がかりに追跡するしかありません。可能性だけを言い立てるのなら、無数の選択肢が挙げられるでしょうし、目標の移動速度が我々が考えているより遅くて、目標を追い越してしまっては、痕跡も探しようがないでしょう。よって、私は最後に目標が目撃された地点より捜索を開始するのが妥当と考えます。」
私は少し考えてから答えた。
「異議ありません。」
マリアが言った。
「私もその意見に同意します。ただし、我々に残されている時間は限られていることは忘れないでいただきたい。」
ダルジャン大尉も言った。
「では、今夜は川津に宿泊して明朝より追跡開始としますか?」
ミリアムが意見をとりまとめた。
「あの・・・」
鏡子が何か言いかけた。
「何、意見があるなら言ってごらんなさい。あなたもこのチームの一員なんだから。」
私はそう言って、遠慮がちの鏡子を促した。
「・・・はい。川津に泊まるなら、温泉に泊まりたいなって思って・・・」
ダルジャン大尉を除く全員が爆笑した。
「あはは、いえ、ちょっと待って、パク参謀は私たちに民間人を装うようにって言ったわよね。私たちも観光客を装って、温泉巡りでもしましょうか?」
私がそう答えると、再びダルジャン大尉を除く全員が、
「異議なし!」
と、言って拍手した。無論半分は冗談だったのだが。半分は。
会議室で今後の行動指針を話し合ううちに、装備科から、準備ができたという連絡があった。我々は装備科に装備の受領に向かった。
装備科の前には、一台のワゴン車が停まっていた。外観は民生用のRVワゴンと変わらない。この車が今回の作戦の足である。
顔見知りの装備科員が、ナビゲーターシートから降りてきた。なお、地球連邦成立後、車両は軍用も含めて左ハンドル右側通行に全世界統一されている。
装備科員は、民生のGPSシステムに偽装して、戦術コンピュータ、通信機などを組み込んだこと、エンジンも多少チューンナップしたことなどを説明した。
当初の予定としては、車内の人員配置は、各班員のスキル(能力)を考慮した結果、私がドライバー、マリアをナビゲーターとした。なお、非常時に備えて出雲鏡子とダルジャン大尉はすぐに車を降りられるよう、窓側の席に座らせることにした。非常時とは、ヴァンパイアの襲撃のような場合である。
私とダルジャン大尉はデイパックに擬した、通信機内蔵の戦術コンピュータとサングラス型のヘッドアップディスプレイを携行する。他の班員は携帯電話状の通信機のみである。
武装は、私は戦闘でも常用している.45ACPオートマチック。他の隊員は出雲鏡子を除いて9ミリパラベラムのオートマチックピストルを携行する。
出雲鏡子は、ビブラソードのショートタイプを釣り竿入れに擬したケースごと手渡された。鏡子は早速抜いて電源を入れ、手応えを確かめていた。
ドクター・マクドナルドに合わせて我々も全員がハイカーを装った服装を着た。冬なので上着は厚手で、上着の下に着けたホルスターが目立たないのが幸いだ。
装備の受領が終わって外に出ると、装備科のガレージの脇に一匹の柴犬が座っているのに気が付いた。
「あら、野良犬かしら?」
私はその犬を見て言った。
「いえ、違います。『銀十字軍』極東管区諜報科所属の『リビングセンサー』、コードネーム『タケル』。私のパートナーです。」
ダルジャン大尉が答えた。
「つまり軍用犬ってわけ?」
マリアが言った。
「私、軍用犬って、ジャーマン・シェパードとかドーベルマン・ピンシェルとか、いかつい犬ばっかりだと思ってたけど、こんなかわいい犬もいるのね。」
ミリアムがタケルの頭を撫でてやりながら言った。
「ええ、大型犬だと目立つけれど、今回の任務のような場合は、連れ歩いてもペットと言っても違和感がないでしょう。小さくても、頭はいいし、感覚は鋭敏だし、もともと猟犬になる犬だから、いざというときは勇敢なんですよ。」
ダルジャン大尉が誇らしげに言った。
18時、我々はワゴンに乗車し、アウルに乗り込んで河津に向けて出発した。
19時時過ぎ、河津町内の学校の校庭に降り立ったアウルから出た我々はワゴンで移動し、鏡子の要望通り川津温泉の旅館のひとつに泊まった。
「徒歩ならば、ヴァンパイアになっているならともかく、夜間は行動できないでしょう。こちらも追跡は明日の朝から始めましょう。」
私は、ダルジャン大尉に言った。
「ええ、それで結構です。」
彼女は答えた。
「それより、彼も近くの温泉に泊まっている可能性はない?」
私は尋ねてみた。
「先ほどまでに諜報科を通じて町内のすべての旅館・ホテルに問い合わせてみましたが、それらしい人物は、見つかりませんでした。下田市・伊豆市も同様です。」
「本人が宿泊先に頼んで嘘を言わせている可能性は?」
「ないとは言えませんが、確かめる手段が今はありません。」
「そうね・・・」
夕食の前、全員の前で私は言った。
「皆さんの要望通り、温泉旅館に泊まったわけですが、言っておくことがあります。あくまで任務中であることを忘れないように。飲酒は禁じます。入浴は、一度に一人ずつ、一人20分以内で済ませること。以上。」
「了解。」
一同に落胆した気配はなかった。選抜された有能な隊員ばかりだ。それくらいのことはわきまえている。
隊員達はむしろ、出された夕食の料理に驚き、喜びの声をあげた。いつも基地内の食堂の、まずいとは言わないが単調なメニューに飽き飽きしている身にとっては山海の幸は大ご馳走と言えた。
23時、全員が風呂から上がった後、我々は明日の行動について討議した。
どうやって、ドクター・マクドナルドを追跡するか。警官の目撃証言を信じて、天城峠まで遊歩道を追うか。それとも、ダルジャン大尉による「銀十字軍」諜報課の情報を鵜呑みにせず、周辺の宿泊施設などを直接訪問して、彼が立ち寄っていないか確認して回るか。
私は全員に意見を求めた。
「ドクター・マクドナルドが徒歩で移動しているとすれば、タケルが臭跡をひとたび発見すれば、見失うことはまずありません。川津七滝を遡って、天城峠方面に我々も徒歩で追跡することを提案します。」
ミッシェル・ダルジャン大尉—どうもこの諜報科員のことはファーストネームで呼ぶ気がしない―が口火を切った。
「でも、タケルの誘導はあなたがする訳よね?」
マリアが馴れ馴れしい口調でダルジャン大尉に問いかけた。
「もちろんです。私の担当している捜査犬ですから。」
ダルジャン大尉は傲然とした口調で答えた。
「いえ、それはいいんだけど、あなたが捜索している間、私たちは何をすればいいわけ?」
「それは、ワゴンに乗って、ドクターを発見するまで、待機していただいて・・・」
「それって、人員の無駄じゃない?」
私はマリアの心理がわかった気がした。要するにマリアはよそ者のくせにでかい態度をとるダルジャン大尉が気にくわないのだ。わざと持って回った話し方をしているのは、そのためだ。
「それは・・・」
ダルジャンはマリアの辛辣な物言いに言い淀んだ。
私も正直に言えばダルジャン大尉は少々虫が好かないが、いやしくも私はこのグループのリーダーを任されている。部下の意志を統一するのも任務のうちだ。
「確かにタケルをダルジャン大尉に任せて我々はその後を付いていくのは遊兵を作ることと同じです。そこで・・・」
私はそこで話を一旦切って全員を見回した。
「『銀十字軍』極東管区諜報科からの情報を、私は全面的には信じていません。警察官や宿泊施設などに調査を依頼して得ただけのものですから。一方、ダルジャン大尉の主張する捜査犬による捜査は目標が近距離を徒歩で移動していると仮定するなら、有効な手段だと考えます。
そこで、グループをタケルを先導とする徒歩の班と、バンに乗って、途中随時旅館や地元民、ハイカーなどに直接情報収集する班に分かれて行動してはどうでしょうか。両班の情報は無線で随時交換し連携して行動を行います。
ドクター・マクドナルドが別の移動方法を使っていたなら、この方法では対処できませんが、どのみち、何らかの新しい情報がない限り我々には対処のしようは他にないのですから。」
一気に話し終えて、私は大きく深呼吸した。
「結構です。」
と、ダルジャン大尉。
「賛成します。」
これはマリア。以下は右に同じで全員一致を見た。
「それでは、明日は6時起床、速やかに消灯、就寝すること。ではお休み。」
我々は二部屋に分かれて眠りに就いた。
私はそっと部屋を抜け出し、中庭に出て「銀の剣」本部に無線連絡した。
出たのは司令部次席オペレーターの古賀浩美中尉だった。
「水無瀬少佐です。司令は本部にいらっしゃるかしら?」
「申し訳ありませんが、司令は夕方から『銀十字軍』極東管区司令部に出かけられて、まだお戻りになっていません。あるいは、そのままご帰宅になるかもしません。」
「わかったわ。では、伝言をお願い。」
私は捜索状況のあらましを説明し、明日の予定を告げた。「銀十字軍団」極東支部にまだいるなら、連絡の取りようはあるが、緊急事態ならともかく、まだ事態は全くと言うほど進展していない。用があるなら向こうから連絡してくるだろう。
翌1月3日、まだ世間は三が日だが、我々は朝7時、昨晩女将に頼んで作ってもらってあったおにぎり弁当を各自が持って、出発した。
タケルを先導に徒歩で捜査をするのは、ダルジャン大尉をリーダーに、出雲鏡子と、ミリアム・マーガレット中尉。これを便宜上A班と呼ぶ。
ワゴンで移動するのは、私とマリア・ポニアトフスキー少佐と、ミラルカ・ジーベンベルク軍医少佐。これをB班と呼ぶことにする。
A班は予定通り川津七滝遊歩道を遡り、天城峠までドクターの臭跡をタケルに追わせる。
B班は、バンでゆっくり移動しながら、道路沿いの旅館や、商店、通りすがりの人にカーネル・マクドナルドらしき人物を見なかったか聞いて回る。
たとえば、こんな具合だ。
「あの、失礼ですが、昨日から今日にかけて、こんな初老の白人(写真を見せる)を見かけませんでしたか?え、どういう人かって?実は、あの女の子(ミラルカの顔を指す)の伯父さんなんですけど、その・・・放浪癖があって、どこにでも行ってしまうもので、下田ではぐれてしまったんです・・・ええ、もし見かけたら、警察に連絡して下さい。お願いします・・・ありがとうございました。」
いささか苦しい説明だが、地元の人たちは親切に受け答えしてくれた。―しかし、ドクター・マクドナルドの情報は得られないまま、時間が過ぎていった。
「A班ダルジャン大尉、こちらB班水無瀬、情報は得られない?」
「ダルジャンです。残念ながら今のところ、臭跡は発見できません。」
「やっぱり道が違うのかしら?」
「時間が立ちすぎているのかも知れません・・・」
「ではそのまま捜索を続けて。」
「了解。」
11時前、遊歩道を降りてくるハイカーに、マリアが目を留めた。
「あれ、天城峠から下ってきたハイカーよね。ちょっと聞いてみるわ。」
そう言って、マリアはナビゲーターシートのドアをかけてハイカーに近づいていった。
突然車に通信が入り、男の声で話した。
「・・・ええ、この人でしたよ。そう、一時間くらい前、天城峠の休憩所で休んでいるのを見ましたよ。なにか、とても疲れた様子で、肩で息をしていましたが・・・いえ、話はしませんでしたが・・・第一、話しかけられるような雰囲気じゃなかったんです。顔色も悪かったし、なにか思い詰めた様子で・・・え、もういいんですか・・・いえ、とんでもありません・・・」
マリアが自分の無線機の電源を入れてマイクを男に向けたのだ。
「ドクターが見つかったの?」
後部座席のミラルカが立ち上がり、驚きとも安堵ともとれない表情で言った。
間もなくマリアが戻ってきた。
「今の通信、聞いたわね。彼は1時間前に天城峠にいたそうよ。」
「わかったわ、ありがとう。ところで、ダルジャン大尉のGPSマーカーを確認してくれる?」
私はマリアに命じた。
「ちょっと待って、えーと、北北西約2㎞。たぶん遊歩道を北上し続けているわ。」
「了解・・・B班水無瀬よりA班ダルジャン大尉。目標の目撃情報あり。目標は今朝10時頃、天城峠にて目撃されているわ。直ちに両班は合流して天城峠に向かいます。すぐに回収に行くから、その場を動かないで。」
「A班ダルジャン、了解。」
「A班はあのハイカーに会わなかったのかしら?」
ミラルカが疑問を口にした。
「さあ、会ったかも知れないけど、タケルはともかくダルジャン大尉が先頭では、答えにくかったんじゃないかしら?」
マリアとミラルカは笑った。
ダルジャン大尉は我々から一様に敬遠されている。しかし、ドクター・マクドナルドを捜索するには彼女とタケルの力が必要なのだ。
私はワゴンのスピードを上げ、ダルジャン大尉達A班に追いついた。三人をワゴンに乗せ、天城トンネルを抜けて、駐車場に車を入れ、全員が下車した。
「マリア、ドクター・マクドナルドらしき人物がいたのは休憩所と言ったわね?」
私はマリアに確認した。
「ええ、そうです。そう言ったわ。」
我々はベンチの並んだ場所に出た。
「すると、このあたりかしら?」
ミリアムがつぶやいた。
ダルジャン大尉はタケルにベンチを順番にかがせている。
やがてタケルがベンチのひとつの前に立ち止まり、
「ウォン!」
と、一声吠えた。
「・・・間違いありません!」
ダルジャン大尉が興奮した声で言った。
「問題はここからどこに行ったかよね・・・」
マリアが皮肉のトーンが混じった声で言った。
「無論、臭跡を追尾させます。徒歩で一時間以内の臭跡なら、タケルが見失うことはまずありません。」
ダルジャン大尉は自信を込めて答えるとベンチのまわりを調べさせた。タケルは地面をかぎながらやがて休憩所を離れ、登山道の方へ向かって行った。
「八丁池の方に向かっているようですね。」
ミリアムが地図を見ていった。
「あるいは天城山を縦走するつもりかも・・・」
鏡子が言った。
「鏡子、あなたここに来たことがあるの?」
私が尋ねると、
「ええ、だいぶ昔ですけど・・・」
鏡子は答えた。
「ここからは、全員一緒に行動しましょう。何があるかわかりませんから、常に警戒態勢で。」
私はそう告げて、先頭に立って歩きだした。
「リョウコ、気になることがあるの。」
ミラルカが突然、真剣な面もちで囁いた。
「何、ミラルカ?」
私はいぶかしげに尋ねた。彼女が真剣な顔をするときは、大抵良くない話だ。
「さっき、無線でハイカーが、ドクターらしき男のことを、疲れた様子で顔色も悪かった、って言ってたわよね?」
「それは不眠不休で逃亡を続けていたからじゃないの?」
「うーん、確証はないんだけれど、ひょっとしたら、ドクターマクドナルドには、もうヴァンパイア病の発作が始まっているんじゃないかと思うの。」
ドクター・ミラルカ・ジーベンベルクは医者の横顔で言った。
「!・・・まさか、だって、ヴァンパイア病の潜伏期は7日間でしょう!?ドクター・マクドナルドが感染したのは今日から5日前、あと2日は余裕があるはずでしょう!?」
「それは発覚してからの時間で、もっと早く感染していたかも知れないわ。それに最近のデータでは、潜伏期間は6日から7日くらい・・・それに、発作の時間も6時間から10時間くらいの幅があるらしいの・・・」
「・・・」
私は沈黙した。マクドナルドの発作が始まっている?我々の任務は彼を保護し(生死を問わない)、彼が所持している重要機密を回収すること。
彼が発作で死亡すれば、話は簡単だが、彼がヴァンパイアとなってヴァンパイアの仲間に合流すれば、重要機密はヴァンパイアの手に落ちる。
その機密がどのようなものか我々は知らされていないが、ヴァンパイアウイルス研究を専攻していた医学者が持っているものだ。ヴァンパイアに悪用されないとは限らない。
今は、ドクター・マクドナルドの発作が終わる前に彼を保護するのが最善の道だ。急がなければならない。
「司令部へ、水無瀬です。」
私は司令部に連絡した。
「シュナウファーだ。首尾はどうか。」
いきなり司令が出た。
「天城峠で一時間前にマクドナルド大佐の目撃情報を得て、ダルジャン大尉の調査の結果、八丁池方面に明瞭な臭跡を確認しました。」
「了解。直ちに追跡を続行したまえ。」
マクドナルドの発作の可能性については伏せておいた。
私はマクドナルドの発作の件は他の隊員にも告げず、ダルジャン大尉に声をかけただけだった。
「ダルジャン大尉、先を急ぎましょう。」
「わかっています。」
タケルは予想通り、登山道を進んでいった。
そうこうするうちに12時を回った。
「昼食は歩きながら、一人ずつ摂りなさい。」
「了解。」
全員が答えた。
「ドクター、お先にどうぞ。」
マリアがミラルカの肩をポンとたたいた。
「ありがとう、お先にいただくわ。」
ミラルカはおにぎりと途中の自動販売機で買った缶入りのお茶を手にし、おにぎりにおいしそうにかぶりついた。
やがて我々は八丁池に着いた。
池畔にはドクター・マクドナルドの姿はもちろん観光客も一人も見あたらなかった。
「ドクターはここに立ち寄ったのかしら?」
私はダルジャン大尉に尋ねた。
「はい。池畔をしばらく歩き回ったようです。」
タケルはダルジャン大尉に牽かれて、池畔をあちこちとうろついていた。
「どこに行ったのかしら?ここで休憩して天城山に?」
マリアがつぶやくように言った。
「しばらく待って下さい。臭跡を特定します。」
ダルジャン大尉が答えた。
その直後。
銃声が響き、私の目の前に着弾した!
連射音からしてサブマシンガンだ。
「全員遮蔽物に隠れて!戦闘準備、武器を抜きなさい!」
私は休憩所に体を隠して,.45ACPオートマチックを抜いた。
顔を出して覗いてみると、敵は8名。すべて武器を持っている。サブマシンガンが2名、残りは拳銃だ。
困ったことになったな、と私は心中思った。
これが戦闘中隊の戦闘員ばかりで、完全装備ならば、半個分隊相当の6人いれば怖れるに足る相手ではないのだが、我々のチームの戦闘員は私と鏡子の2人だけ。武装も鏡子は別にして、大口径の.45ACPの拳銃を持っているのは私だけで、他の4人は九ミリパラベラムしか持っていない。
鏡子はビブラソードのショートタイプを釣り竿のケースに入れて持っているが、威力はフルサイズのものには及ぶまい。しかも、全員ボディーアーマーもヘルメットも着けていない。
いずれにせよ、ここは私と鏡子でできるだけ敵を引きつけるしかあるまい。
私は全員を呼び寄せて告げた。
「私は左のサブマシンガンのやつを狙います。鏡子はまず、右のやつを処理して。他の者は、他のやつの頭部を狙い撃ちして。一体ずつ、確実に処理するように。」
私は側転をしながら休憩所を飛び出した。たちまちサブマシンガンの弾雨が襲ってくる。木立の陰に入った私は、サブマシンガンの男の心臓にねらいを定めて8発を立て続けにたたき込んだ。
男は血をしぶかせて崩れ落ちた。しゃがみ込んで急いで弾倉を交換した。
出雲鏡子も私と同時に飛び出していた。
左右に素早く跳び回り、ヴァンパイアに照準を定めるいとまを与えず、もう一丁のサブマシンガンの男に肉薄し、ビブラソードでその首を一撃で斬り落とした。
他の4人も休憩所から半身を乗り出して、拳銃装備のヴァンパイアと撃ち合っていた。
私は弾倉を交換すると、立木越しに二人目のヴァンパイアの心臓に全弾撃ち込んで倒した。
鏡子も、ヴァンパイアの後ろに回り込み、背後から胸を切り裂いた。
マリアとミリアムは共同して1体のヴァンパイアに集中弾を撃ち込み、一体を倒した。
これで残るヴァンパイアは3体。
私は最後の弾倉を装填し、ヴァンパイアの頭部に4発撃ち込んで倒した。鏡子も3体目のヴァンパイアを倒していた。
最後の1体はミラルカが頭部に集中弾を撃ち込んで倒した。ミラルカにそれほどの射撃の技量があるとは思わなかった。
戦闘が終わり、私は休憩所に戻った。
「みんな、無事?」
「ポニアトフスキー少佐とマーガレット中尉が負傷したわ。」
ミラルカが報告した。マリアは右腕、ミリアムは左太股を拳銃弾で撃たれていた。
「命に別状はないけど、これ以上の同行は無理よ。救急医療セットだけでは治療にも限度があるわ。」
ミラルカは淡々とした口調で言った。
「申し訳ありません、少佐。」
「私も・・・」
マリアとミリアムが言った。
「いいのよ。あなた達の責任ではないわ。むしろ戦闘部隊員ではないのに、よくやってくれたわ。」
「ありがとうございます。最後まで同行したかったのですが・・・」
マリアが悔しそうに言った。
「ヘリに迎えに来てもらいましょう・・・司令部、こちら水無瀬。八丁池池畔でヴァンパイア8体の襲撃を受け、これを殲滅するも、ポニアトフスキー少佐とマーガレット中尉が負傷。速やかに救援を乞う。」
「司令部了解。汎用ヘリ小隊のブラックシャーク1を救命に向かわせます。」
古賀浩美中尉が答えた。
「ところで、ダルジャン少佐。教えて欲しいことがあるんだけど。」
私は再び湖畔に立ってタケルの手綱を牽いていたダルジャン大尉に問いかけた。
「何でしょうか?」
ダルジャン大尉は振り向いた。
「さっきの戦闘で、一発も当てなかったのはなぜ?タケルには戦闘能力はないの?」
ダルジャン大尉は一瞬沈黙した。
「・・・私の技量が未熟なせいで、苦戦を強いられたのには申し訳なく思います。」
「そんなことを言っているんじゃないの。『銀十字軍団』諜報科大尉の技量がそんなに低いわけがないわ。あなたの弾は、当たらなかったんじゃなくて、当てなかったの。そして、ヴァンパイアもあなたには当てなかった。それはなぜ?」
「・・・私を疑っているの?」
「疑ってはいないわ。確信しているのよ。あなたがカウンタースパイだって。こんな山中で極秘任務の我々がヴァンパイアに襲われるのも偶然とは思えないわ。誰かが手引きしたとしか思えない。」
「何を証拠に?少佐がおっしゃっているのは状況証拠だけではないですか?」
他の四人は私とダルジャン大尉の口論の成り行きを固唾を呑んで見守っていた。
「それでは動かぬ証拠を言いましょう。あなたは天城峠で無線交信をしたわね?」
「それは『銀十字軍』極東管区諜報科に連絡を・・・」
「そう、たしかに諜報科にも通信はされていたわ。でもその後、もう一つの通信をしたわ。ヴァンパイアに対して我々が八丁池に向かうという内容の・・・」
私がそう言いかけると、ダルジャン大尉の顔色が変わった。
「傍受したというの?どうやって?」
「私の通信機は、あなたのと外見は同じだけれど、あなたのにはない機能があるのよ。あなたの無線機が使用されるたびに、その内容を自動的に傍受する機能がね・・・『銀十字軍団』は最初からあなたを信じてはいなかったのよ。」
にわかにダルジャン大尉の顔色が変わった。ただでさえきつい顔が般若のように殺気を帯び、同時に銃を抜いて私に向けた。
私は薄笑いを浮かべて言った。
「嘘よ。」
「何?」
ダルジャン大尉は気をそがれて呆けた顔になった。
「無線機に傍受機能なんて付いていないわ・・・けれども、あなたは銃を私に向けたわね。先に向けたのはあなたよ。正当防衛で射殺しても私は罪には問われないわ。さあ、どうする?」
私はゆっくりと自分の銃を抜いた。
「くっ!」
ダルジャン大尉は舌打ちして発砲した。
私はダルジャンの指の動きを見て最小限動いて銃弾をかわし、ダルジャン大尉の右肩と左肩を続けて打ち抜いた。
ダルジャン大尉はなすすべなく地面に崩れ落ちた。
「出雲特務曹長、ダルジャン大尉を武装解除して拘束して。」
「了解。」
鏡子はロープでダルジャン大尉を縛り上げ、所持品も抜き取った。拳銃と弾倉2個は私が貰っておいた。私の銃は弾があと2発しかないのだ。
「分隊長、すごいですね、『銀十字軍』諜報科の大尉をペテンにかけるなんて・・・」
ベンチに座り込んでいたミリアムが尊敬のまなざしで見ていた。
「心理戦は特殊戦学校の専修科目なのよ。こんなに簡単にひっかかるとは思わなかったけどね。それより・・・」
私は身動きとれないように縛り上げられたダルジャン大尉に近づいて聞いた。
「あなた、ヴァンパイアのシンパだったの?五十%のリスクを犯してもヴァンパイアになりたかったの?」
「リスク?そんなもの、この仕事が終わればゼロになるはずだったのさ・・・」
ダルジャン大尉は顔を歪め、吐き捨てるように言った。
「リスクがゼロ・・・どういう意味?」
私はふと疑問に思った。
「リョウコ、峠でも言ったけど、ドクター・マクドナルドはもう発作を起こしていると思うわ。急がないと手遅れになりかねないわ。」
ミラルカが私の注意を喚起した。
「どうします、リーダー。このままドクター・マクドナルドを追うとしても、私とミリアムは負傷、ダルジャン大尉は拘束、タケルは主人のダルジャン大尉にしか従わないでしょう?」
マリアが言った。
「ええ。」
私はそう答えてタケルに近づいてみたが、うなり声を発して近寄らせなかった。主人のかたきと思っているのかも知れない。
「リョウコ、あたしの勘を信じてくれない?ドクター・マクドナルドがどこにいるかわかりそうな気がするの。」
ミラルカが唐突に私に言った。
ミラルカは視線をまっすぐに私に向け、青い瞳にこれまで見たことがない色をにじませていた。
私はしばらく迷ったが、決断した。
「ポニアトフスキー少佐、マーガレット中尉は負傷のため、救難ヘリ到着まで待機。出雲特務曹長は二人の護衛とダルジャン大尉の監視のためここに待機。私とジーベンベルク軍医少佐だけで任務を続行します。」
私は無線で司令部にダルジャン大尉がカウンタースパイと判明したこと、ドクター・ジーベンベルクと任務を続行する旨の通信を送った。
シュナウファー司令の言葉はいつも通り簡単だった。
「注意して行きたまえ。」
「了解。」
ミラルカは私の通信が終わるのを待って先に立って歩き出した。
「ミラルカ、そっちは天城山の登山道じゃないわよ。」
ミラルカは八丁池から北の方に下っていった。
「リョウコ、あたしの勘を信じて。」
ミラルカは振り返り、真剣な顔で言った。
「わかったわ。あなたに任せます。」
私は答えた。
ミラルカは予想外の健脚を発揮して山道を駆け下りて行った。私は必死にあとをついていった。
20分ほども八丁池から北に来ていた。
GPSマップによれば、皮子平という場所だった。
「近い・・・」
ミラルカがつぶやいた。
それから間もなく、マリアから通信があった。
「ポニアトフスキーより、水無瀬少佐へ。ブラックシャーク1が救護班とともに到着。我々は一足先に本部に帰ります。」
「水無瀬、了解。みんな元気で。」
「あなた達も気を付けて。」
突然視界が開け、すすきの原が眼前に広がった。よく見ると円形の平地をすり鉢状に山が取り囲んでいる。火山の噴火口のあとかも知れない。
ミラルカはすすきを踏み分けて、奥に進んだ。やがてミラルカは立ち止まった。
「どうしたの?、ミラルカ、何か・・・」
私が尋ねると、ミラルカはつぶやくように言った。
「ドクター・マクドナルド・・・?」
我々の眼前に倒れているのはまさしく、カーネル・マクドナルド軍医大佐その人だった。だが、我々に気付いた様子はない。
ミラルカは膝を折り、ドクター・マクドナルドの傍らに座って診察した。
「どうなの、もう死んでいるんじゃ・・・」
私はミラルカに聞いてみた。
「いえ、生きてはいます・・・でも、発作が進んでいるようです。心拍と呼吸が浅く早い・・・意識も喪失しています。」
「それじゃ、このままじゃ・・・」
その時、マクドナルドはぱっちりと目を開き、私たちを見上げた。
「君は・・・ジーベンベルク軍医少尉か?」
ドクター・マクドナルドはミラルカを見上げて尋ねた。
「はい。今は少佐ですが。」
ミラルカが苦笑して答えた。
「君は?」
ドクター・マクドナルドは私に視線を移し尋ねた。
「連邦陸軍対ヴァンパイア特殊戦部隊『銀の剣』、戦闘第一分隊隊長、水無瀬遼子少佐です。あなたは連邦軍医大学東京病院硫黄島分院、ウイルス病研究室室長のカーネル・マクドナルド軍医大佐ですね?」
私は聞き返した。
「そうだ。私がカーネル・マクドナルドだ・・・」
本人を確認したところで私は無線で本部を呼んだ。
「司令部へ、マクドナルド軍医大佐を発見。現在位置、皮子平。救援を乞う。」
「司令部了解。ブラックシャーク2を向かわせます。」
古賀中尉が答えた。
「ミラルカ、彼の意識は明瞭のようね。」
「ええ。今のところは。」
「・・・我々の任務はあなたを保護することと、あなたの所持しているはずの、重要機密を回収することです。我々とご同行願えますか?」
私はドクター・マクドナルドに尋ねた。
「私がもう長くないことは、ドクター・ジーベンベルクももうお分かりだろう。せめて、閉鎖室の中よりもここで、空の下で最期を迎えさせてもらえないだろうか。」
「ミラルカ・・・」
私はミラルカに目配せした。
「ドクター、発作が起こったのはいつからですか?」
ミラルカが訊いた。
「今朝の7時頃。遊歩道を登ってくる途中だ。」
私は時計を見た。14時過ぎ。ということはすでに約7時間が過ぎている。ミラルカは発作の時間は6時間から10時間と言った。すでに危険域に入っていると言うことだ。
「大佐。我々は大佐の持っている重要機密資料の回収も命じられています。私たちにそれを渡していただけないでしょうか。」
「それはできない。」
「なぜです?」
「そんなものはないからだ。」
「何ですって?」
「ドクター、本気で言ってるんですか?」
私とミラルカは驚いて聞き返した。
「いや、言い方が悪かったな。そのことを説明するまえに、私の話を聞いてくれないかね・・・」
ドクター・マクドナルドは穏やかな口調で語り始めた。
「私が硫黄島に着任したのは、三年前のことだった。それまでは軍医大学ロスアンゼルス校で教鞭を執りながら、ヴァンパイア病の研究をしていた。その頃まだ十二歳のかわいらしいお嬢さんだったが成績は常にトップだった君のことはよく覚えているよ。ドクター・ジーベンベルク。」
(ミラルカはドクター・マクドナルドの教え子だったのか。)
ミラルカがドクター・マクドナルドを知っていた訳を私は知り、納得した。
「硫黄島はヴァンパイア病の研究者にとっては楽園と言われていた・・・知っての通り、ヴァンパイア病は人間にしか感染しない。
治療法の研究には臨床試験が必要だが、硫黄島には極東各地で保護された隔離病棟に入れられているヴァンパイア病罹患者が何千といる。彼らは人権を剥奪されているから、人体実験に使って、どんな苦しみを与えようが、殺してしまおうが、法的に裁かれる心配はないのだ。
私もあそこに入って最初の頃は、ヴァンパイアが人間と全く変わらぬ姿で、人間と同じ反応を示して、苦しんで死んでいくのを見ておそれおののいたものだ・・・だが、人間はそんな環境にもいずれは慣れてしまうものだ。人類をヴァンパイア病から救うための尊い犠牲だと無理に思うことで私は自分を納得させることにした・・・しかし、やがてそれだけでは済まなくなったのだ・・・」
そこまで一気に話すと、ドクター・マクドナルドはせき込み、ぜいぜいと荒い息をした。
「ドクター、無理をしてはだめです。ゆっくり休んで下さい。」
私はドクターに水筒を差し出した。
ドクター・マクドナルドは水筒に直接口を付け、仰向けのまま、大部分をこぼしながら浴びるように飲み干した。
少し落ち着いた様子のドクター・、マクドナルドは話の続きを始めた。
「研究者の中にはヴァンパイアになったものを人間に戻す方法を研究しているものもいるが、私はヴァンパイアウイルスに感染した人間が発病しない方法を研究していた。
そのためには、平常人がヴァンパイアウイルスを接種してから発作を経て、ヴァンパイアになるか、あるいは死に至る過程を調査する必要があった・・・」
「まさか・・・」
私は息を呑んだ。ミラルカは硬い表情のままマクドナルドの顔を見ている。
「・・・そうだ。私は分院長に相談した。分院長は東京本院に密かに連絡を取り、許可を得た。それから身元不明の平常人が、被験者として硫黄島に送り込まれてくるようになったのだ。私は彼らを使って生体実験を何度となく試みた。そして・・・」
そこまで言って、マクドナルドは激しくせき込み、苦悶に呻吟を続けた。
「ミラルカ?」
私はミラルカを横目で見て尋ねた。
「モルヒネを打ってみましょう。」
「すまないが、遠慮しておく。ここまで来て苦しみを和らげて貰ったのでは、私が手にかけてきた者達に申し訳がない。」
マクドナルドは脂汗を流しながらも、ミラルカの治療を断った。私は濡らしたハンカチで彼の顔の汗を拭った。
「まだ話が終わっていなかったな・・・平常人を使って実験を続けるうちに、ヴァンパイアの血清のある成分が効果がある可能性を突き止めた。私は期待を込めて試験をした・・・その結果、被験者は潜伏期が終わっても発作を起こさなかった。
私はヴァンパイア病の治療薬を発見した!
私は有頂天になった。しかし、それは大きな間違いだったとすぐに気が付かされた・・・」
「大きな間違い?」
ミラルカが尋ねた。
「私が発見した血清は、ヴァンパイアになるのを防ぐのではなく、発作も死亡も起こさず、ウイルス感染者を百パーセントヴァンパイアにするものだったのだ。」
「なんてことを・・・」
ミラルカは嗚咽に震えていた。目からは涙溢れ、滑らかな肌を伝って流れた。ミラルカが泣くのを見るのは初めてだな、と私は場違いな感想を抱いていた。
「ドクター・マクドナルド。それはいつの話ですか?その秘密はあなたしか知らないのですか?」
私は任務を思いだし、尋ねた。
彼が持っているという重要機密とはこのことに違いない。
「・・・ああ、私以外知らないはずだ。コンピュータのデータバンクもすべて消去してきた。血清を最初に試験したのは2週間ほど前だ。結果が出たのは8日前。実験に落胆した私はその直後、ヴァンパイアの被験者に不用意に近づいて指を咬まれた。
死にたくない、私は医者になって初めてそう思った。その時初めて、私は自分が手にかけてきたヴァンパイアや平常人達の苦しみを自分のものとして実感した・・・」
「あの、どうしてご自分の作った血清をその時使わなかったのですか?」
私は聞いてみた。
「・・・ヴァンパイアになってまで生きたいとは思わなかった。生き残っても隔離病棟に閉じこめられ、あるいは実験材料にされる・・・」
「島を逃げ出したのはなぜです?」
「感染したことが知れたら直ちに隔離される。そうなったら五割の確率で、生き残ってしまう。ヴァンパイアとしてな。私は人間として死にたかったのだ。」
ミラルカはじっと黙っていた。草に立て膝をついたまま、人形のようにじっと動かなかった。目を伏せ、うつむいた顔にはかつて見たことのない憂愁が漂っていた。
「しかし、逃亡しても、発作が起こればヴァンパイアになる可能性があった―今もあるのではありませんか?」
私はさらに聞いてみた。
「そこに私のデイパックがある。中に拳銃が入っている・・・君たち・・・が・・・来なけれ・・・ば・・・自分で・・・」
マクドナルドの言葉は次第に途切れ途切れになってきた。
「ミラルカ・・・ねえ、ミラルカ!」
「え・・・あ、リョウコ、何?」
私が大声で呼ぶとようやくミラルカは我に返った。
「ドクターの様子、そろそろまずいんじゃない?」
「ええ、でもそれは本人もわかっているわ。誰よりも多く症例を見てきたんですもの。」
「わかったわ。最期まで彼の話を聞きましょう。」
「時間がない・・・ことは、私もわかって・・・いる。水無瀬・・・少佐、最期に・・・頼みが・・・ある。」
もはや囁くようにしか話せないドクター・マクドナルドの声を、私は口元に自分の耳を近づけて聞いた。
「何でしょうか?私に出来ますことでしたら・・・」
「もし、私が・・・運悪く・・・生き残って・・・・しまったら、私を撃ち殺してくれ・・・血清の・・・秘・・・密は、地・・・獄に・・・」
私は答えられなかった。50パーセントのリスク・・・あっ!ダルジャン大尉は「リスクはゼロになる」、と言った。彼女とヴァンパイアの標的はドクター・マクドナルドだった。その目的はもちろん、彼が持っている(と信じられていた)血清の秘密を奪うことだったのだ。
と、言うことは彼らはドクターマクドナルドの血清がどんなものか知っていた。我々さえ知らなかったのに。危ういところだった。敵がもっと大兵力だったら・・・
ドクター・カーネル・マクドナルドはその後まったく口を開かなかった。
「水無瀬よりブラックシャーク2、到着予定時刻は?」
「ブラックシャーク2、約20分後の予定。」
「水無瀬、了解。」
「そろそろね。」
ミラルカがドクター・マクドナルドの呼吸と脈拍を調べて言った。
手足を小刻みに痙攣させ、浅く速い呼吸を続けていたドクター・マクドナルドががくりと全身の力が抜けたように、動かなくなった。
「終わったようね・・・」
苦い思いを感じながら私は溜め息をついた。
「いいえ、まだよ!」
ミラルカが叫んだ。
マクドナルドの全身に力が漲り、閉ざされていた目がカッと見開かれた・・・
円形の草原に6発の銃声がこだまし、全ては終わった。
「司令部、こちら水無瀬。カーネル・マクドナルド軍医大佐は死亡。遺留品は回収しましたが、重要機密資料に該当する物品は発見できませんでした。」
「シュナウファーだ。ご苦労。間もなくブラックシャーク2が到着予定だ。帰隊し次第任務を終了とする。」
まもなく汎用へリブラックシャークがすすきの原に降り立ち、我々はマクドナルド軍医大佐の遺体および遺品とともに乗り込み、本部に向かった。
機上、ミラルカと私はともに無口だった。
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