インターミッション 東京の休日
2068年1月2日
私は、その日非番だった。前の非番は葛飾の「ロミオとジュリエット事件」(関係者はそう通称している。)で潰れたので、「草薙道場事件」以来一週間実質休みを取っていなかった。今日こそ正月休みらしく、自室でのんびり過ごそうと決めていた。
8時過ぎ、購買部から、「おせちセット」と言うのを買ってきた。官舎の自室から購買部までは徒歩3分ほどなのだ。
お決まりのくだらない正月番組を見てもつまらないので、ネットで古い洋画を探した。「ローマの休日」を見つけてアクセスした。
何年ぶりか—いや、間違いなく9年ぶり以上なのだが―でお雑煮を食べ、おせちをつまんでいるうちに、自分はやっぱり日本人なんだなあ、と言う実感があらためて湧いてきた。
8時45分、電話が鳴った。受話器を取るとミラルカだった。
「ねえ、リョウコ、今日、非番なんでしょ?あたしもなの。一緒に初詣に行かない?」
と、言ってミラルカは私を誘った。
「・・・別にいいけど、ミラルカもボーイフレンドでも誘えばいいのに。」
「ごめんね。あたし、まだ子供だからつきあってる男の子なんていないの。」
ミラルカはこの間、「子供」と呼ばれたことをまだ根に持っているようだ。機嫌を取るためにもつきあってやらねばなるまい。
「いいわよ。それで、どこで待ち合わせる?」
「リョウコの部屋に行くわ。」
「わかった。待ってるわ。」
十分ほどで、チャイムが鳴った。卓上のディスプレイの一角が開き、ミラルカの顔が現れた。なんと、ミラルカは長い金髪を結い上げていた!
ドアを開けてミラルカがその全身を現すと、予想したこととはいえ、私はさらに驚かされた。彼女はあでやかな振り袖に身を包んでいたのだった。
「新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。」
流ちょうな日本語でそう言って、ミラルカはぴょこんと、お辞儀した。(なお、連邦公用語は共通英語である。)
「いったいどこでそんな着付けを・・・」
私が半ば呆れて問うと、ミラルカは、
「近所の美容室で。日本の女の子も、成人式とか大学の卒業式でそうするって聞いたわよ。」
私はあいにく一度も和服の正装というものをした覚えがなかった。
「・・・ところでミラルカ、昨日も会わなかった?」
「え、まあいいじゃない。言ってみたかったのよ・・・わあ、これこたつね。」
「ええ、これが好きなの、私。」
そう言えば、初めて逢った時、ミラルカは日本の古いものが好きだ、と言った。あれは社交辞令ではなかったらしい。
ミラルカは振り袖の裾を揃えて、私の座っている脇に潜り込み、手に持っていた瓶をこたつの上に置いた。
「あ、これ、お屠蘇よ。」
「お屠蘇って、お酒でしょ。」
「うん。屠蘇散をみりん酒につけたもの。漢方薬よ。」
「あなたも呑むの?」
「いけない?」
「・・・まあ、少しならいいけど。あ、おせちつまんで。少ししかないけど。」
「ありがとう、いただくわ。」
屈託のない表情で、ミラルカは箸を器用に使って、伊達巻き、黒豆、田作りなどをおいしそうに食べた。
少しだけと言ったのに、ミラルカはお屠蘇を何杯もお代わりした。しかし顔色も変えずにけろりとしていた。
「ねえ、初詣、どこに行こうか?」
しばらくしてミラルカが聞いた。
「さあ、私もこの近所の神社はよく知らないのよ。」
卓上の端末に近所のマップを表示すると、基地のすぐ近くに「八坂神社」という神社を見つけた。距離はざっと1㎞くらい。
「歩いて行くにはちょうどいいわね。」
と、ミラルカは言った。
ミラルカは振り袖で、私は黒のコートに黒のロングスカートで歩き出した。
「まるで喪服みたいよ。」
私の姿を見て、ミラルカは笑った。
人通りはわりと少なかったが、通りがかった人たちは例外なくミラルカをまじまじ
と見た。金髪碧眼の超美少女が振り袖で歩いている姿は、よほど特異なものに感じられたのだろう。
境内の人影はまばらだった。このあたりの人口は戦争前に比べて激減している。当然と言えば当然のことだった。
私とミラルカは一緒に五円玉を賽銭箱に投げ込んで、お祈りした。 もちろん、旧日本国の五円玉は古銭だ。
「ミラルカは何をお願いしたの?」
私は訊いてみた。
「あたし?あたしはね、『早くハンサムな恋人ができますように』って。」
「あははは、あなたに釣り合う男の子じゃあ、探すのは大変ね。」
私は笑った。ミラルカは不服そうな顔つきで私に問い返した。
「じゃあ、リョウコは何をお願いしたの?」
「私?・・・私はねえ、ある人ともう一度逢えますようにって・・・」
私は微笑み、遠くを見ながら言った。
「ふーん、リョウコにもそういう人がいたんだ・・・」
ミラルカは感心したように言った。
「でも、今どこにいるのか、生きているのかどうかさえ、わからないんだけれど。だから、神様にでもお願いするしかないんだけどね。」
「・・・リョウコ、おみくじ引きましょうよ。」
ミラルカが言った。
私は頷いた。
そう言えばおみくじなど、10年くらい引いた覚えがなかった。
「ねえ、どうだった?」
ミラルカが尋ねた。
「末吉よ。」
私は答えた。
「私は大吉だったわ。」
ミラルカが自慢そうに言った。
「でも、大吉って一番出る確率が高いのよ。」
私が言うとミラルカは少しがっかりしたようだった。
官舎に帰ると、私たちは一時停止してあった映画の続きを見た。
「お昼ご飯はあたしが作るわ。」
ミラルカが突然言い出したのには驚いた。
「ミラルカに料理なんて作れるの!?」
私は本当に驚いた。
そう言えば、ミラルカが今日最初に私の部屋に入ってきたとき、何か買い物の袋を下げてきて、冷蔵庫にしまっていたことを思い出した。
ミラルカは不満げに答えた。
「失礼ね、今日のは我が家に伝わる伝統料理よ。」
ミラルカの家の伝統料理と聞いて、ミラルカの父はルーマニア系のノーベル医学・生理学賞受賞者、バルタザール・ジーベンベルク博士で、祖父も同じくノーベル賞受賞者、メルキオール・ジーベンベルク博士だったことを思い出した。
ルーマニアの伝統料理とはどんなものか見たことも聞いたこともなかった。
「ところで、そんな姿で料理なんかやったら、借り物の振り袖、汚すわ。せめてエプロン貸してあげるわ。」
私が自分のエプロンを差し出すと、ミラルカはそれをうけとりながら言った。
「ありがとう、でも、これ、借りたんじゃなくて買ったのよ。」
私は呆れて目を丸くした。
「・・・できたわよ。」
やがてミラルカはそう言うと、私の持っている数少ない食器に適当に盛り分けて、鼻歌を歌いながら運んで来た。
それが結構立派なものだったので、私は驚いた。味の方は・・・まあまあのものだった。ちなみにロブの料理と比較すると、やや及ばないと言うところだが、アマチュアとしては、水準以上と言えた。
「ミラルカ、ところでこんな風な料理、一人でも作ってるの?」
「まさか、だって、今日はともかく、いつもの非番の日でもたいてい隊の食堂で済ませてるわよ。」
「そう言えば、非番の時でも、食堂で逢ったことが何度もあったわね。私も一人では作らないわ。」
私だって作れないわけではない。味を別にすれば。特殊戦訓練学校では生き延びるための野生の動植物の調理法なども学ぶのだ。
私は、ふとミラルカに聞いてみた。
「このメインディッシュ、なかなかおいしいけど、なんて料理?」
ミラルカは唇の下に人差し指を当てて考え込み、
「えーとねぇ、『子羊のソテー・トランシルヴァニア風』かな。」
「トランシルヴァニア・・・・あなたの一族はトランシルヴァニア出身なの?」
「ええ、まあ、そう聞いてるけど。あたしはアメリカで生まれ育ったから、トランシルヴァニアに行ったことはないの。」
「トランシルヴァニアと言えば、吸血鬼の出身地と言われているわね?」
「伝説によればそうね。」
「ヴァンパイアウイルスはどこから来たのかしら?」
「正確なところはわかっていないけど、人間が作ったという説もあるわ。」
ミラルカは急に大人びた顔をして答えた。
「人間が作った?」
私は少し驚いて聞き返した。
「生物兵器。前の大戦の時、放射能汚染の下でも生き延びられるように人間を『改良』するために、作られたという学者もいるわ。」
「治療法はできそうなの?」
「世界中で研究はされているわ。私の考えでは、人工的に造られたものなら、逆の過程で元に戻すのは可能だと思っているけど。」
ミラルカはそう答えた。
後片づけを終えると、ミラルカは、
「おじゃましてごめんなさい。また来てもいいかしら?」
そう言って席を立った。
「ええ、もちろん、また来てね。」
そう言って、私はミラルカを見送った。
ミラルカが帰った後、私は再び映画を見て過ごした。同じヘップバーンの「ティファニーで朝食を」を選んだ。
半ばほどまで見たとき、電話が鳴った。
相手は司令部主席オペレーターのマリア・ポニアトフスキー少佐だった。
「水無瀬少佐ですね。至急、司令部までお越し下さい。司令がお呼びです。」
私はその時休暇が終わったことを知った。
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