ミッション4 殉愛

 2067年12月29日 0時30分


 私は夜間のパトロール任務を終え、官舎の自室に戻ったところだった。


 シャワーを浴びてから、床に就くまでのひととき、缶ビールを片手にテレビのニュース番組をしばらくながめていた。


 世間は比較的穏やかな年末を迎えようとしているようだった。今月になってから起きた3件のヴァンパイア事件は、もう人々の耳目をそばだてるものではなくなっていた。


 それほどヴァンパイアの存在は日常的なものになっているのだ。


 その時、突然電話が鳴った。


 私の官舎の電話番号を知っているのは、「銀十字軍」の関係者以外にはいないはずだ。非常召集かと思い、私は受話器を取った。


「はい、第一分隊、水無瀬です。」

 そう切り出すと、電話の相手は意外なせりふを吐いた。


「頼む、由梨江を、由梨江を、守ってくれ!」

 聞き慣れぬ男の声は、そう言った。


「あの、失礼ですが、かけ間違いじゃありませんか?私は水無瀬遼子と申しますが。」

「知っている。『銀の剣』の隊長さんだろう。あんたじゃなきゃ頼めない、重大な頼み事があるんだ。」


「あなた、何者なの?どうして私を知っているの?」


 本来なら私はしらを切るべきだった。「銀の剣」の隊員はプライヴァシーを外部に秘匿する義務がある。しかし、その時は男の言葉に驚愕して思わず聞き返してしまったのだ。


「俺は、ロブ・ハートリー。あんた達の言うヴァンパイアの一人だ。」

「ヴァンパイアですって?ヴァンパイアが私に何の用があるって言うの?」

 私はさらに驚いて聞き返した。


「だから、言ったろう。由梨江を守って欲しいんだって。」

「由梨江と言うのは何者なの?」


「由梨江は俺の恋人だ。訳があって俺達は仲間に追われている。俺一人ならどうにでもなるが、由梨江を連れて逃げるのはこれ以上できそうもない。だから、せめて由梨江だけでもあんた達に・・・」


 男はヴァンパイアグループ内部の抗争、あるいは内ゲバに巻き込まれているらしい、と私は判断した。


「由梨江さんを保護してほしいのなら、話は簡単です。彼女を最寄りの交番か警察署に出頭させなさい。確実に隔離施設に保護されます。もっとも、ヴァンパイアが自分で出頭した例は今までにまれですが。」

 そう私は答えた。


「・・・だから、そうじゃないんだ。あんた達に由梨江の身の安全を保証して欲しいんだ。」

 ロブ・ハートリーと名乗った男は、もどかしげに繰り返した。


「あなたの言わんとしていることはわかりかねますが、冗談の類ではないようですね?」

「当たり前だろう、あんたに連絡するんだって、危険を冒しているんだ。」


「わかりました。私にできるだけのことはやってみましょう。今、どこにいるのですか?連絡先を教えて下さい。」

「今は葛飾区内に由梨江と二人でいる。電話は携帯だ。」


 男が言った住所と携帯の番号を私は記録した。それから、少し不都合なことに気がついた。


「残念ながら葛飾区は私たち『銀の剣』の管轄ではありません。葛飾区より東は『銀の盾』の管轄なのです。」


「そう言われたって、組織のデータベースは今の俺にはもう、盗み見ることはできないんだ。何とかしてくれないか?俺はどうなってもいい。由梨江だけ助かればいいんだ。」

男はなおも食い下がった。


「・・・由梨江さんを葛飾区より西に脱出させなさい。そうすれば私たち『銀の剣』が保護できます。」

「それが、由梨江は今、ちょっと怪我をしていて動かせないんだ。迎えに来ては貰えないだろうか。」


「私一人の判断では何とも言えません。いずれにしろ、今日は遅いですし、明日、改めて連絡します。」

「わかった。あんたを信じるよ。頼むぜ・・・」


「あ、そうだ、由梨江さんのフルネームを教えてもらえる?」

「小栗・・・小栗由梨江だ・・・」

「ありがとう。」


 それで電話は切れた。私はいまだに腑に落ちない気持ちを抱えたまま、ベッドに入った・・・


―話は4日前に遡る―


 4日前の杉並の草薙道場での戦い以後、「銀の剣」は騒然とした空気に包まれていた。


 なにしろ、諜報部の情報がヴァンパイアにリークし、あまつさえ、「銀十字軍」の機密兵器でその麾下の部隊でしか使用されていないはずの「ビブラソード」がヴァンパイアの手に渡っていたことが判明したのだ。


 12月25日、草薙道場の事件の翌日、私は非番だったが、出勤を命ぜられた。「銀の剣」と「銀十字軍団」本部とがどんな対応をしているか、私にも興味があった。


 分隊長執務室へ行くと、10時前なのに、分隊長や副官が全員揃って、騒がしく、今回の情報漏洩事件について話し合っていた。


 10時ちょうど、中隊長マクシモア中佐と、中隊主任オペレーターのミリマム・マーガレト中尉が入ってきた。


「諸君、静粛に。これより昨夜発覚した、『銀十字軍』諜報部の機密情報漏洩事件についての中間報告をする。」

 中隊長の言葉に、騒然としていた室内は静けさを取り戻した。


 マーガレット中尉が話し始めた。

「この件に関しては、昨夜のうちに『銀十字軍』本部に照会がなされました。『銀十字軍』憲兵部は早速調査を開始し、今朝、諜報部極東管区の諜報課長、ヴィットリオ・ベネト中佐を逮捕・拘禁しました。容疑は『銀十字軍』に関するデータベースをヴァンパイアゲリラ組織に売り渡した疑いです。」


「諜報課長が、ヴァンパイアに通じてたっていうのか?」

 クレイマー少佐が驚いて叫んだ。


「残念ながら、現在までの調査ではその可能性が高いようです。」

 マーガレット中尉が答えた。


「ビブラソードの件はどうなった?やはりそいつが関わっているのか?」

 サイモンセン大尉が問うた。


「ビブラソードはこの日本で製造されて、世界各州の『銀十字軍』麾下の部隊に配備されていましたが、何本かの予備が製造され、製造元に残されていました。そのうちの少なくとも一本が、製造リストを改竄して製造されなかったものとして、ヴァンパイアの手に渡ったと思われます。」


「では、諜報課長とは無関係と言うことか?」

 普段無口なコドワ大尉が問い返した。


「それはまだ、わかりません。ただ、連邦兵器局と諜報部とは別組織ですから、兵器局にもヴァンパイアへの協力者がいたと考えられます。これは現在調査中です。」

 マーガレット中尉はまた答えた。


「ところで、これだけ重大な事件の報告が、中隊内でのブリーフィングだけで、司令からの直接の報告がないのはどういうわけですか?」

 私はこの件を最初に報告した者として、不満を抑えきれずに尋ねた。


「司令は昨夜から、情報収集に努めておられる。詳しい結果が明らかになれば、隊の幹部全員を集めて報告がなされるだろう。今日のところはこれまでだ。解散。」


 マクシモア中佐が締めくくり、ブリーフィングは終わった。私はなおやり切れない気分を抱いたまま、執務室を後にした。


 私はその後、医療棟に向かい、昨夜の戦闘で負傷した、出雲鏡子を見舞った。


 ドアのチャイムを押すと、ミラルカの顔がディスプレイに現れた。


「おはよう、ミラルカ、入ってもいいかしら?」

「どうぞ、あんまり長居は勧められないけど。」


「そんなに鏡子の怪我はひどいの?」

「まあ、それほどでもないんだけど・・・」

 ミラルカの表情がそれほど硬くもないのに少し安心して、私は病室のドアを開けた。


「鏡子、様子はどうかしら?」

 そう言って部屋に入ると、ベッドサイドに座っていた、高千穂眞弓中尉が立ち上がり、敬礼した。


「あ、分隊長、おはようございます。」

 今日は我が分隊は非番なのだが、高千穂は鏡子を見舞うために出てきたらしい、と私は思った。


 ところが、ミラルカは意外なことを言った。

「マユミはね、昨日の夜からずっと、キョウコに付き添って離れなかったのよ。あたしは途中で寝ちゃったから、その後どうなったか知らないけど。」


 ミラルカが茶化すように言うと、高千穂はうろたえて答えた。

「そ、そんな、軍医長、僕は鏡子の寝姿をずっと見守っていただけですよ!」


「あはは、高千穂中尉に怪我人にどうこうする度胸があるわけないわね。」

 私は思わず笑った。


「・・・あ、隊長、おはようございます。」

 それまで眠っていた鏡子が我々の会話に目を覚ましたらしく、むっくりと上体を起こした。


 包帯でぐるぐる巻きにされた頭部はもちろん、そのパジャマの襟元や袖口からも包帯が覗いていた。


「鏡子、パジャマを脱いだら、怪奇・ミイラ女になっているんじゃない?ミラルカの仕業でしょう。私も前にやられたわ。」

 私は途中でミラルカを振り向いて言った。


「あら、包帯も適切な巻き方があって、治療の上で重要なのよ。看護兵なんかに任せられないわ。」

 ミラルカはけろりとして答えた。


「あははは・・・」

 その場の全員が笑ったが、一番大きな声で笑ったのは出雲鏡子だった。


 私は少しほっとした。が、その後ふと大事なことを思い出して、ミラルカにそっと囁いた。


「鏡子に、感染の心配はないの?」

「ええ、検査の結果、感染の疑いはなかったわ。」


 私は今度こそほっとして、言った。

「鏡子、高千穂中尉、せっかくのクリスマス、残念だけど、せめてふたりきりでゆっくり過ごしなさい。それと、ミラルカ、仕事はこの部屋でなくてもできるでしょ、犬に食われて何とか、はやめなさいよ。」

 そう言うと、私はミラルカの白衣の袖を引っ張って部屋の外に出た。


「犬に食われて?何それ。」

 天才少女ミラルカと言えども、男女の仲の機微については奥手のようだった。


 それから3日間、「銀十字軍」は機密情報漏洩およびビブラソード盗難事件の調査を続けた。


 その結果、極東管区の諜報課長ベネト中佐の自白により、彼が金銭と交換に「銀の剣」「銀の盾」の隊員の個人データなどを関東地方に勢力を持つヴァンパイアグループに渡していたことが明らかとなった。


 ビブラソードについては、兵器局の職員三人が盗難に関与していることがわかった。これで、とりあえず今回の情報漏洩と機密兵器盗難事件は一応の決着を見た、とされた。ただし、「銀十字軍」諜報部は今後、情報管理に一段と厳しく望むことを言明した。


 12月28日午後、「銀の剣」の分隊長・副官以上の全幹部が召集され、司令は自ら以上のような説明をし、我々も一応の納得をした。


 この4日間、ヴァンパイア事件は起こらなかった。この日我々は、18時から23

時までの夜間パトロールを終え、帰路に就いた。なお、この日から出雲鏡子が戦列に復帰している。


 翌日は準待機(非番)の予定だった。


 そうして、官舎の自室に戻った私は例の電話を受けることになった・・・


 翌日、12月29日9時、私は非番であったが本部に出て、情報室に入った。ハッキングを防ぐため、ここは外部からのアクセスは制限されていて、自宅からのアクセスはできないのだ。


 私は昨夜の電話の主とその恋人のデータを調べてみた。


・ロバート・ハートリー 男 満25歳 オーストラリア州出身。3年前より行方不明。6件計8名の連続殺人容疑者として指名手配中。ヴァンパイアウイルス罹患者と推定される。


・小栗由梨江 女 満22歳 日本州出身。5ヶ月前より行方不明。


 ロブ・ハートリーと名乗った男が、ヴァンパイアであることは間違いないようだった。小栗由梨江との関係は明かではないが、私が想像するには、ロブ・ハートリーに襲われてヴァンパイアとなり、以後一緒に暮らすようになったのではないかと思われた。


 私はしばらくためらったが、昨日記録した番号に電話をかけてみることにした。


 長い予備出し音の後、不在かと思い切ろうとしたとき、電話が通じた。


「はい、ハートリーですが・・・」

 女の声が答えた。


「小栗由梨江さんですか?」

 私は尋ねた。


「・・・・・・・・・」


 しばらくの沈黙の後、女はようやく口を開いた。

「・・・あなたはどなたですか?」


「地球連邦陸軍対ヴァンパイア特殊戦部隊『銀十字軍』極東管区所属『銀の剣』戦闘中隊第一分隊分隊長、水無瀬遼子少佐と申します。」

 私は丁重に答えた。


「では、あなたがロブが言っていた、『銀十字軍』の隊長の・・・」

 小栗由梨江は私が名乗った途端、態度を変えた。


「そうです。あなたを保護することを、ハートリーさんから依頼されました。ハートリーさんは今、ご一緒で?」


「ロブは今仕事に出ています。私もひとりでは動けませんし、ロブから離れるわけにもいきません。」


「医療班を派遣すれば、治療はその場で可能です。ハートリーさんはあなたの命を守ることを強く望んでおられるようですが。」


「でも、それではロブと離ればなれにならなければなりません。私はロブと離れて生きることはできません。」


「それは、二人で同時に投降すれば、問題はないと思いますが。」

「二人で投降しても、私たちは引き裂かれてしまうでしょう・・・」

 由梨江は沈痛な声音で答えた。私には彼女の真意をつかみかねた。


(電話で話しても、らちがあかないわね・・・)

 私は思わず溜め息をついた。


「・・・あの、アパートに来ていただけないでしょうか?そうすれば、お分かりいただけるんじゃないかと思うんですが・・・」

 彼女はおずおずと切り出した。


 私は答えるのをためらった。


 「銀の剣」の戦闘中隊の分隊長が、ヴァンパイアの自宅を訪問する・・・部下が聞いたら、正気を疑うだろう。


 マクシモア中佐かサイモンセン大尉なら、面白がるかも知れない。シュナウファー司令にはちょっと言いづらかった。


「わかりました。そちらの住所を教えて下さい。」

 私は自分でも思いがけない決断を下した。ロブのせっぱ詰まった話しぶりと由梨江のはかなげな声音にいたたまれなくなったと言えるかも知れない。


「はい、葛飾区四つ木・・・」


 その住所は隅田川にほど近いところだった。


 橋を渡れば墨田区、我々の管轄だ。しかし、ロブ・ハートリーは、小栗由梨江は今、怪我をしていて動かせないと言った。


「では、16時頃着く予定です。それまでその場を動かないで。」

 そう言って、私は電話を切った。


 ドレッシングルームで私服に着替えていると、ミラルカが入ってきた。


「リョウコ、街に遊びに行くの?」

「ええ、まあね。」

 私はあいまいに答えた。


「ねえ、あたしも連れてってくれないかな?あたしも今日、非番なの。」

 私は、ふと、由梨江が怪我をして動けない、と言っていたことを思い出した。


 外科医であるミラルカが一緒なら、なんとかしてくれるかも知れないと思ったのだ。


 しかし、その直後にその考えをうち消した。相手は人間ではない。待っているのはヴァンパイアなのだ。何が起こるかはわからない。


「ごめんなさい、ちょっと、人と会う用があるの。また今度ね。」

「そう、気をつけてね。」

 ミラルカはそう言うと部屋を出ていった。


 遊びに行くのに「気をつけて」もないもんだ、と私は思った。しかし、彼女は妙に勘が鋭いところもあるのは確かだった。


 私はLTV-1 (Light Tracked Vhicle-1)を装備科から借り出し、葛飾に向かった。


 これは5人乗りの軍用軽車両で、非装甲だがその分軽く、大出力のエンジンと相まって、高い機動力を発揮する。


 重機関銃やグレネードランチャー、対戦車ミサイルなども装備できるが、私が借りたのは無論非武装タイプだ。


 服装は私服の黒いコートの下に白いブラウスと黒いスカートに着替えている。


 私は昔からモノトーンが好きで士官学校以来「黒のクイーン」とあだ名されてきたのだ。


 私の車は254号線から6号線を経て葛飾区に入った。


 間もなくGPSマップで確認して、ロブ・ハートリーと小栗由梨江の住むはずのアパートに着いた。


 周りに駐車場はなかったので、路上駐車をした。東京の人口激減に伴って、自家用車の数も減り、渋滞や、駐車場不足による違法駐車もさほど問題ではなくなっている。


 「ひいらぎ荘204」。


 電話で由梨江が告げた通りの名前のアパートの二階の204号室のチャイムを私は押した。


「・・・どなたですか・・・?」

 弱々しい声が答えた。


「水無瀬遼子と申します。」

 私は肩書きなしで名乗った。今の私は私用だからだ。


「どうぞ・・・どうぞお入りになって。」

 その声と同時にドアのロックがはずれた。


 私はゆっくりとドアを開き、中に入っていった。


 部屋の中は昼間だというのに分厚いカーテンがおろされ、薄暗い部屋の奥に女がいた。


 私は念のため、護身用の九ミリパラベラムのオートマチック拳銃AP-2を抜き、そっと彼女に近づいた。


「小栗由梨江さんですね?」

「・・・はい。」


 彼女はネグリジェのままソファにしゃがみ込んでいた。


 顔立ちは端正と言って良かったが、薄暗い中でもなお蒼白い顔色が目立っていた。 左の太股には包帯が巻いてあるのが透けて見えた。


「ロブはまだ帰らないのね?」

「ええ。」


「怪我をしているって聞いたけど、その太股のことかしら?」

「ええ。」


「どうして怪我をしたの?」

「ロブが前に入っていたグループの仲間に撃たれたの。」


 何かおかしい・・・私は名状しがたい違和感を覚えた。


「ちょっと、その怪我をみせてくれるかしら・・・大丈夫、外傷の手当の心得はあるから。」


 そう言うと、私は拳銃をホルスターにしまい、彼女のネグリジェをまくり上げ、血のにじんだ包帯をほどき、傷口を見た。


「盲貫銃創ね。傷口が化膿して、鉛中毒も起こしているようだわ。早く医者に見せなきゃ・・・」


 私はその時ようやく気がついた。ヴァンパイアが盲貫銃創くらいで化膿したり中毒を起こしたりするわけがない。


 彼女はヴァンパイアではない・・・彼女は生身の人間だ!


「どういうこと?」

「・・・え?」

 由梨江はけだるげに答えた。


「あなた、ヴァンパイアじゃないでしょう?生身の人間ね?」

 私は問いつめた。


「・・・ええ、そうです。」

「生身の人間がどうしてヴァンパイアと一緒に住んでいるの?」

 私の常識では到底考えられない事実だった。


「私は、ロブに逢ってから、ロブと同じ体になりたいと願ってきたわ。でも、ロブはそれをどうしても許してくれないの。私にはずっと生身の人間でいて欲しいって。」


 私はますます驚いた。生身の人間にウイルスを感染させようとしないヴァンパイアなど、今まで聞いたことがなかったからだ。


「今は、ロブが望むなら、自分は人間のままでもいいと思っているわ。ロブのそばにずっといられるならば・・・」

私はしばらく言葉を失って、由梨江の告白に耳を傾けていた。


「でも、私が生身の人間でいることが、私だけでなく、ロブの身まで危険に晒すようになってきたの。それで、ロブは何とかして私だけでも守ろうとして、あなたに頼ろうとしたんだと思うの・・・」


「初めて逢ったときから、ロブはヴァンパイアだったのね?」

 私は由梨江に尋ねた。


「ええ。」

「あなたはそれを知っていたの?」


「ええ、知っていたわ。彼がそう言ったから。」

「ヴァンパイアであることを知って、あなたは彼を恋人にしたの?」


「ええ、彼は他の誰よりも優しくしてくれたわ。私も彼に私にできるだけのことをしてあげたいと思い続けてきたわ。」


 私はふと疑問に思い、聞いてみた。

「こういう言い方は失礼だけれど、あなた達、肉体関係はあるの?ヴァンパイアウイルスは粘膜を通して体液から感染するから、性交渉があれば、ほとんど確実に感染するはずだけど。それとも避妊具を使って?」


「いえ。わたしは彼の赤ちゃんが欲しい、と言って何度も彼に迫ったけれど、彼は『由梨江をヴァンパイアにはできない』って言って、キスさえしようとしないんです。」


「それじゃあ、本当のプラトニックラブね・・・」

 私は彼女の告白に驚き呆れるばかりだった。」


 私はハンドバッグに入れてきた救急セットで、傷口を消毒し、新しい包帯を巻いておいた。「包帯を巻くのにも・・・」と言ったミラルカの言葉をふと思い出した。弾片の摘出はここではできない。


 やがて日も暮れた頃、玄関のチャイムが鳴った。


「俺だ、ロブだ。由梨江、開けてくれ。」

 スピーカーからロブ・ハートリーの声が響いた。


「はい・・・」

 と、答えて由梨江はリモコンを操作し、玄関のロックを開けた。


 私は念のため拳銃を構えた。


 ドアを開けて入ってきたロブは、

「由梨江、元気か?今日はお前の好きな・・・」

 と、言いかけて私の姿に気付き、絶句した。


「あ、あんたは・・・?」


「水無瀬遼子です。」

 私は立ち上がって、挨拶した。


「あんたが『銀の剣』の隊長さんか?」

 ロブは手に持っていたポリ袋をキッチンに置きながら言った。


 敵意は感じられなかった。


「そうです。隊長と言っても分隊長に過ぎませんが。」

 私は拳銃をホルスターにしまいながら答えた。


「これから夕飯を作るんだが、あんたも食うかい、隊長さん?」


 思いがけない申し出に、私はとまどったが、受けることにした。ヴァンパイアウイルスが間接的に感染することはまずない。加熱されればなおさらだ。このヴァンパイア―ロブ・ハートリーもそれを知っていて言ったのだろう。


 おそらく、彼は毎日由梨江のためにこうして料理を作っているのだろう。由梨江の話によれば、彼女が感染することを神経質なほどおそれている彼のことだ。心配はあるまいと思われた。


「せっかくですからいただきましょう。」

 私は答えた。


 ロブ―ロバート・ハートリーの料理の腕前は、予想以上のものだった。手際よく調理し、盛りつけ、ダイニングテーブルに並べた。


 並べるのだけは私も手伝った。由梨江はそれらをずっとソファに座ってながめていた。左太股の銃創が、立っていられないほどに悪化しているのだろう。


「さあ、由梨江、できたぞ。」

 由梨江はロブの手を借りて立ち上がり、足を引きずりながらテーブルに着いた。


 料理に口を付けてみると、ロブの料理の腕は外見以上であることがわかった。


「ロブ、あなたの料理、大したものね。これだけのごちそうをこんなに手際よく作れるなんて、私には到底できないわ。」


「ありがとうよ。実は俺、昔・・・人間だった頃はこれでもコックだったんだ。」

 今は身元を問われない土木工事などを日雇いでやって生計を立てているという。


「ところで、由梨江さんにも勧めましたが、由梨江さんを外科医にお見せなさい。彼女の傷は日増しに悪化しています。最悪の場合、命に関わりますよ。」

 人心地着いたところで私は切り出した。


「でも、一度病院に入ったら、二度とロブには会えなくなるような気がして、不安なんです。」

 由梨江は言った。


「俺も由梨江と離れているのが不安でならないんだ。働きに行くのもいやなんだが、食っていくには稼がなきゃならんし・・・グループにいたときにはそんな心配もしないで済んだんだが・・・」

 ロブも同意した。


 私はミラルカを連れてっこなかったことを後悔した。よもや由梨江が生身の人間とは、そしてロブほど平和的なヴァンパイアがいるとは思いもしなかったのだ。


「やはり、対ヴァンパイア部隊『銀の剣』の隊員としては、昨日も言ったけれど、警察か軍に投降することを勧めるわ。私の部隊で引き受けてもいいけれど、管轄区域の都合で隅田川より西の区域でなければ無理だけど。」

 私は常識的な答えを繰り返すしかなかった。


「あんたのことは信用しているし、由梨江が助かるならそうしたいんだが、俺達が隅田川を越えるのにはかなりの危険があるんだ。」

 ロブは答えた。


 私は言わんとすることがわからず、聞き返した。

「危険?どういうことかしら?」


 ロブは少しためらってから話し始めた。

「俺が以前までグループにいたことはさっき言ったよな。あんた達の言うヴァンパイアゲリラのグループだ。だが、由梨江と知り合ってからはグループを抜けなければならなかった。」


「どうして?」

「俺が生身の人間の由梨江を恋人にしていることが知れたからさ。仲間達は俺に、由梨江をヴァンパイアにしろ、さもなければ俺達の手でそうしてやる、と言って脅したんだ。それ以来、俺達はグループの連中に追われ、転々と住居も変えている。」


「由梨江さんの足の怪我も、そのグループの連中の仕業というわけ?」

「ああ、由梨江には部屋から出ないように言っておいたんだが、ちょっと目を離した隙にやられた。」


「あなた達が元仲間だったグループに狙われているのはわかったけれど、どうして隅田川を渡るのが危険なのかしら?」

「それは・・・俺の元いたグループも俺達が隅田川を渡って逃げることを承知していて目を光らせている。それと・・・」


「それと?」


「墨田区に勢力を張るヴァンパイアグループは、俺の元いたグループと敵対関係にあるんだ。暴力団の勢力争いと同じさ。葛飾区から、新参のヴァンパイアが潜入してきたことがわかれば、無事には済まないだろう。奴らも俺の顔を知っているかも知れない。」


 私は溜め息をついた。我が隊で保護するという目論見は成功しそうもない。


「それならば、ここの管轄部隊である『銀の盾』の指揮官に事情を説明して、保護してもらえるように頼んでみましょう。ただし、いずれにせよ、生身の人間の由梨江さんとヴァンパイアのロブは別々に保護されることになりますよ。」


「俺は由梨江が助かるならどうなってもいい。」

 ロブは大きくうなずいて同意を示した。


「私はいやよ!」

 ところが由梨江は強い抵抗を示した。


「由梨江!」

 ロブが叫んだ。


 由梨江は強い口調で続けた。

「私はロブと二度と会えなくなるなんていや!今からでも遅くない、ロブ、私にヴァンパイアウイルスをちょうだい!」


 私は言葉を失っていた。恋人と同じヴァンパイアになりたいという人間の女と女の恋人に人間でいて欲しいと願うヴァンパイアの男。こんなカップルが実在するとは誰に想像できるだろう。


 私は夢を見ているような錯覚にとらわれた。だが、これは事実だったのだ。


 午後8時過ぎ、私はロブと由梨江のアパートを辞去した。


「そこまで送っていくよ。」

 ロブは言った。


「そこまで、と言っても、私が車を止めているのは、すぐそこよ。」

 私は答えたが、ロブは言った。

「それでもいい。あんたに言っておきたいことがあるんだ。」


 私は了解した。

「由梨江はああ言っているが、やっぱり人間に保護して欲しい。投降したヴァンパイアは隔離施設に入れられて、面会もできないそうだが、それでもいい。」

 ロブは私に言った。


「それに、いつのことになるか知らないが、いつかはヴァンパイア病を直す薬も発明されるかも知れないんだろ?」


「それは・・・研究は続けられているわ。完成はいつになるかはわからないけど。」

 私は答えた。


「ところで、聞きたいんだけど、どうしてあなたは由梨江さんがヴァンパイアになることを拒み続けているの?由梨江さんを死なせるとになるかも知れないから?」

 私は先ほどから抱き続けていた疑問を口にした。


「それもある。俺は由梨江を失いたくない。だが、それ以上に今の由梨江を失いたくないんだ。」


「・・・」


「ヴァンパイアになった人間がどう変わるかあんたは知っているだろう?人を襲い、殺しても何とも思わない、凶暴な殺人鬼になるんだ。」

「でも、あなたはそうじゃないでしょう?」


「前は俺もそうだった。10人以上の人間を襲い、半分くらいは死んだ・・・」

「知っているわ・・・」

 私は彼のデータを思い出した。


「ところが、由梨江に出会ってから、俺は変わった。元に戻ったと言ってもいい。自分でも信じられないことだった。変わらないのはこの体だ・・・」

 ロブの表情は由梨江のことを話したときだけ明るくなり、また苦渋に満ちた顔に戻った。 


 私たちは私の車の前で話していた。


「由梨江さんなら、もしヴァンパイアになってもあなたを愛する気持ちは変わらないんじゃないかしら・・・今のあなたがそうであるように。」


 ヴァンパイアに人間を感染させるように勧めるなど、「銀の剣」隊員の心得に反すると感じざるを得なかったが、あるいはこれが一番良い解決方法かも知れない、と私は改めて思った。五分と五分の賭ではあるが。


「・・・いや、やっぱりそれはできない。」

 ロブは首を横に振った。


「俺は由梨江の血を汚したくないんだ。たとえ、由梨江が死なずに済んだとしても・・・」

「二人を引き裂きたくはないけれど、あなた達をこれ以上危険にさらさせ続けるわけにもいかないわ。隊に帰ったら、『銀の盾』に事情を連絡して二人を保護するように依頼します。それで良いですね?」


「・・・頼む。」

 ロブは頭を下げた。


「では、私は隊に帰ります。」

 私は運転席に乗り込みながら言った。


「もう一度、あなたの料理をごちそうになりたかったけど・・・さようなら。」

 窓から手を振って、私は車を発進させた・・・


 「銀の剣」本部に戻った私は早速、ヴァンパイアと人間のカップルに関する報告をシュナウファー司令にした。


 司令室の司令のデスクの前に立った私は、

「恐縮ですが、多少説明に時間を要するかと思いますので、」

 と、前置きをしてから話し始めた。


 司令はいつになくねばり強く、私の話を黙って聞いてくれた。いつもならすぐ、「要点を言いたまえ!」と、叱責されるところだが。


「だいたいのあらましは理解した。いずれにせよ、負傷している女性は早急に保護せねばなるまい。ただちに『銀の盾』に連絡を取る。」

「ありがとうございます。」


「以上だ。下がって良い。」

「失礼いたします。」

 私は敬礼してきびすを返した。


 司令室を出ようとしたとき、マリアと目があった。彼女は無言のまま目をまん丸に開いて、私を見返していた。彼女にとってもよほど意外な話だったらしい。私は軽く微笑んで彼女に応えた。


 私は執務室に戻ると、念のためにロブと由梨江に電話をかけた。


 しかし、携帯電話は呼び出し音を繰り返した後、留守録モードに切り替わった。私は、「銀の盾」に由梨江の保護の依頼がなされた、アパートから離れないように、と伝言を入れた。


 胸中に不安が渦巻いていた。二人はどうしたというのか?携帯電話を置きっぱなしにして、こんな時間にどこに出かけているというのか?


 待機任務中の第三分隊長、クレイマー少佐と副官のチェン大尉が居合わせた。

「どうした、水無瀬少佐?、顔色が悪いようだが。」


「いえ、何でもありません。」

 私はやせ我慢をして答えたが、全身に冷や汗が流れるのを抑えられなかった。


 その後間もなく、隊内放送が流れた。


「司令室より、墨田区八広でヴァンパイアが目撃された。戦闘中隊は出動準備をせよ。なお、隅田川対岸の四つ木でもヴァンパイアが目撃され、『銀の盾』にも出動命令が下っている。状況によっては共同して対処せよ。」


 私の顔は真っ青になっていただろう。四つ木と言えば、ロブと由梨江のアパートのあるところではないか!


 私はすぐに司令に連絡した。


「司令、私も、中隊に同行させて下さい!」

「なぜかね?」

 司令は例によって冷たい声で聞き返した。


「例の二人が事件に巻き込まれている可能性があります。あるいは、二人の行動が、ヴァンパイアを巻き込んだとも考えられます。二人を何とか救出しなければ。」


「了解した。同行を許可する。中隊指揮車に同乗したまえ。」

「ありがとうございます!」


 司令が意外にあっさり許可をくれたので、私は少しほっとした。あとは一刻も早く現場に着くことを願うのみだ。


 クレイマー少佐の第三分隊のトータスと、中隊長や私の乗った中隊指揮車ウェアウルフはVTOL輸送機アウルに乗り込み、現場に向かった。


 焦燥感に苛まれるのにじっと耐えるうちに、制動がかかり、アウルは空き地に着陸した。


「中隊長、私を第三分隊と同行させて下さい。」

 私はマクシモア中佐に願い出た。


「わかった。第三分隊の下車地点まで送ろう。」

 と、中佐は言って指揮車をトータスの後ろに追従させた。


「敵との距離、約300メートル、下車して戦闘に移ります。」

 クレイマー少佐の通信に、

「了解。くれぐれも、例の二人に気をつけてくれたまえ。」

 マクシモア中佐は念を押した。


 ロブと由梨江の顔写真は分隊全員に転送済みだ。


 私は指揮車の後部ハッチから外に出た。


 先行する第三分隊の後を追い、クレイマー少佐の隣りに出た。


「二人のことがそんなに心配かね?」

 クレイマー少佐が聞いた。


「ええ、まあ、たった一日とはいえ、顔見知りになってしまいましたし。それに、民間人の生命をヴァンパイアから守るのが我々の使命でしょう?」


「ふ、その通りだな。」

 少佐は唇を曲げて笑った。


「分隊全員へ、前方に展開するヴァンパイアを殲滅して対岸の『銀の盾』との合流を目指す。総員戦闘開始!」


 一斉に銃声が轟いた。ヴァンパイア達も撃ち返してくる。


 ヴァンパイアは川沿いに橋を遮断する形で展開していた。他の隊員達も見ているだろうが、私もヴァンパイア達を望遠モードで一人ずつ観察してロブと由梨江がいないか確かめていった。


 幸い、と言うべきか二人の姿は認められなかった。二人はまだ対岸にいるのだろう。


 ヴァンパイア達は第三分隊の攻撃に対して、橋を背にして展開し、後ろに下がろうとしなかった。


「どう思う水無瀬少佐、ヴァンパイアの動きを?。やつら対岸の仲間と合流しようとしていたんじゃないのか?」

 クレイマー少佐が眉をしかめて尋ねてきた。


「ロブというヴァンパイアの情報によれば、この墨田区に勢力を持つヴァンパイアグループは、葛飾のグループとは敵対しているそうです。葛飾のグループに属する、と彼らが思っているロブと由梨江の渡河を阻止しようとして集結していたのではないでしょうか。」


「なるほど、それでは二人は挟み撃ちになりかねんわけだな・・・『銀の盾』の状況を聞いてみよう。」


 間もなく中隊指揮車のミリアム・マーガレット中尉から回答があった。


「『銀の盾』は2個分隊の戦力で約40体のヴァンパイアと四つ木橋周辺で交戦中です。」


 クレイマー少佐が大きく息をついて言った。

「急がねばならんな。攻撃を強化せよ。川に追い落とせ!」


 それから20分ほどで、ヴァンパイアはほぼ殲滅された。


「第三分隊は四つ木橋をわたって『銀の盾』との合流を急げ。」

 マクシモア中佐からの通信が入った。


「了解。」

 クレイマー少佐が応じ、前進を命じた。


 私は四つ木橋に立って対岸を観察した。「銀の盾」の戦闘部隊の姿が見えた。ヴァンパイアらしきものは見あたらなかった。


 ・・・いや、橋の上を人を背負って走ってくる人影があった。


 暗視装置をズームすると、それは間違いなく小栗由梨江を背負ったロブーロバート・ハートリーの姿だった。


 間に合った。私は心底ほっとした。

 

しかし―その直後。


 銃声がこだました。


 血をしぶかせて、二人は折り重なって倒れた。


 ロブは倒れながら体を入れ替えて由梨江に覆い被さった。由梨江の体をかばったのだろうが、貫通力の低いセミジャケットホローポイント弾とはいえ、拳銃弾ならともかく、ライフル弾を体で防ぐには無理がある。


 ヴァンパイアの姿は両岸ともにない。「銀の盾」の隊員がヴァンパイアと誤認して(いや、一人は確かにヴァンパイアだが)、狙撃したのだ。


 私は橋の上を二人に向かって駆け寄りながら、叫んだ。


「撃つのをやめなさい!女は普通の人間なのよ!」


 しかし、言い終わるより早く、カービンの三連射が倒れている二人を続け様に見舞った。


(通信が通じていない!)

 私は気がついた。


「水無瀬より司令部、『銀の盾』戦闘部隊との回線をつないで下さい、至急!」


 私は叫んだが、言い終わる前に橋の上で倒れて動かない二人にさらにカービンが撃ち込まれた。


「こちら『銀の剣』戦闘中隊隊長、リチャード・マクシモア。『銀の盾』指揮官へ。直ちに射撃をやめよ。目標の場所は墨田区側だ。目標は我が隊が接収する。」


 中隊長の通信があった後、ようやく射撃は止まった。


 私は、二人に駆け寄った。


「ロブ、由梨江、しっかりして!」

 私は二人に呼びかけた。


 ロブは顔を上げ、小さく微笑んだ。由梨江は視線だけを私に向け、同じように微笑んだ。


 その後の光景を私は一生忘れることはできない。


 二人は顔を近づけ合いゆっくりと唇を合わせた・・・そしてそのまま二度と動くことはなかった・・・


 私はしばらくその場に呆然として立ちつくしていた。


いつの間にか、隣りにマクシモア中佐とクレイマー少佐とが並んで立っていた。


「気の毒なことをしたな。もう少し連絡が早ければ良かったんだが。あっちの司令部には情報が行っていたはずなんだがな・・・」

 マクシモア中佐がうなだれて言った。


「人間とヴァンパイアの恋・・・まるでロミオとジュリエットですね・・・」

 そうつぶやくと、クレイマー少佐は腰に手を当てて空を振り仰いだ。


 空からはヘリのエンジン音が響いてきた。


 空き地に降り立った「銀の剣」の汎用ヘリブラックシャークからは、医療班が降りてきた。ミラルカが先頭に立っていた。


「ミラルカ・・・あなた非番じゃなかったの?」

 私は間の抜けたことを聞いた。


「なんかいやな予感がしたんで、本部に残っていたの・・・で、その二人は?」

「ここよ。でも、たぶん、もう・・・」


 私は第三分隊の作っている人垣を開かせて医療班を通した。


 ミラルカはしばらく二人の様子を看ていたが、立ち上がって戻ってきた。


「どう?」

 ミラルカは黙って首を横に振った。


「そう・・・」


 私は、何ともやるせない気分と、奇妙に満ち足りた気持ちを共有していた。


「一生に一度の口づけ・・・か。」

 私はつぶやくように言った。


「一生に一度が何?」

 耳ざといミラルカが問うた。


「子供にはわからないわ。」

 私は苦笑を浮かべて言った。


「あー、人を子供扱いして!」

「ミラルカも恋をすればわかるかもね・・・」


 不満そうな表情のミラルカをいなして、私は、心の中で二人のために祈った。

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