ミッション3 宿縁

 2067年12月21日


 新宿のホテルジャック事件以来約2週間、ヴァンパイア事件による出動は発生しなかった。

 

我々は、昼間待機・夜間パトロール、終日待機、終日パトロール、準待機という勤務日程を淡々とこなしていた。


 淡々と、というのは語弊があるかも知れない。


 私にとってはまたしても初体験の連続だった。


 待機時間中は通常、訓練に割り当てられる。


 訓練の大まかなメニューは中隊長の指示で作られるが、実際の指導は、専任の指導教官などはいないので、部隊の士官の中で、各専門分野に秀でた者が教官を兼任することになっている。


 我々がまず命ぜられたのはタイジュツの訓練であった。タイジュツとは無手の格闘技の技術を総合したもので、白兵戦技術の基本と言うべきものである。


 これは、陸軍士官学校から、特殊戦専門学校まで専修とされているものだが、私は今まで行なったあらゆる試合を通じてただひとりにしか負けたことがなかった。


 そのひとりとは・・・いずれ語らねばなるまい。


 訓練形式は、第一分隊の全隊員による総当たり戦。


 私はヴァンパイアとの二度の実戦から、第一分隊の隊員の白兵戦技が予想以上に優れていることを認めていたが、前衛班のワン中尉やジェニファーには勝てないにしても、残りのメンバーには、悪くても勝ち越せるだろう、とふんでいた。


 ところが、最後の一戦を残しての成績は、十一戦中二勝九敗。勝ったのはトータスのドライバー、アンダーソン中尉とカーライル少尉にだけで、カーライル少尉は前回の負傷が完治していなかった。


 ちなみに最短試合はアテナとの一戦で、十九秒でKOされた。


 私の最後の一戦の相手は出雲鏡子特務曹長。ケンジュツでは卓越した技能を持つ鏡子がタイジュツでどれほどの力を持っているのか、未知数であった。


 タイジュツは全身を感圧センサーをつけたスーツで覆い、顔面は透明なプロテクターで覆って行われる。


 打撃の衝撃や間接技の張力をセンサーが感知し、一定レベルに達すると一本負けとなる。なるべく負傷をさけるための配慮である。


 その日、私は最後の相手、鏡子と対峙した。


「あの、どう闘えばいいでしょうか?」

 鏡子はおずおずと言った。


「これは約束組み手じゃなくて練習試合なんだから、自由にやればいいのよ。」

 私は思わず、苦笑した。鏡子は相当緊張しているように見えた。


「わかりました。」

 鏡子は試合開始のブザーが鳴るやいきなり私に向かって突進してきた。


 カウンターを取ろうと私が身構えたとき、鏡子の姿は私の眼前から消えた!

その直後、私の首は背後から裸締めに極められた。


 数秒後、私は薄れ行く意識の中で、

「イッポン、マッチ ウォン バイ イズモ」

 と言う、合成音声を聞いた・・・


 結局、鏡子との試合は九秒TKO負け、私の第一分隊タイジュツリーグ戦の結果は二勝十敗の十位タイだった。


 ちなみに優勝はワン中尉十二戦全勝、二位は出雲特務曹長十一勝一敗、三位はアテナ大尉十勝二敗であった。


 ワン中尉には優勝賞品として私からビール1ケースを送ったが、ワンはほとんど酒を飲まないので、他の隊員に飲まれてしまったようだ。


 私はリーグ戦が終わったその日の午後、ジムのコントロールルームの端末に座り、リーグ戦の結果をビデオで再生して検討していた。


 特に、その日の午前の鏡子との一戦、私が負ける寸前、鏡子が私の眼前から姿を消した場面をスロー再生してみた。


 鏡子は、私が身構えた瞬間、私の左に突然跳び、床に手を突いて再び跳躍し、私の左の死角に回って背後から一瞬にして裸締めに極めていたのだった。


 空手の「三角蹴り」の応用か?


 そこへひょっこり第二分隊長のザカリア・サイモンセン大尉が現れた。サイモンセン大尉は格闘技の指導教官を兼任しているのだ。


「熱心なことだな。」

「あ、大尉。二勝十敗ではとても部下に頭が上がりませんから。」


「別に指揮官が部下に比べてすべての技能に勝る必要はないと思うがね。」

「・・・ですが、私は今までタイジュツで負けた相手は一人しかいなかったんですよ。」


「ここは実戦部隊だ。訓練学校とはレベルが違う。今はそれがわかれば十分さ。」

 サイモンセン大尉は唇の端を歪めて笑った。


 「銀の剣」の隊員はパーソナルデータが内部にもほとんど公開されていないが、サイモンセン大尉も謎の多い人の一人だ。


 満45歳、士官学校を出ておらず、いわゆる「叩き上げ」の士官らしいが、身長158センチ、45キロという体格で、どうして格闘技の教官なのか、理解に苦しむ。


 それほどに強いのか? 外見からは想像もできないことだった。


「大尉はそれほどにお強いのですか?」

「ああ、俺か?なんなら、第一分隊と第二分隊で対抗戦を組んでやろうか。直にやってみればわかるだろうよ。」


「ワン中尉や出雲鏡子よりも?」

「鏡子の家族とは昔から親交があってな。赤ん坊の頃から知っている。俺は鏡子の祖父さんの弟子だったんだ。」


「草薙流というのはケンジュツだけじゃなかったんですか?」

「まあね。タイジュツの技も色々あるぞ。お宅が今見ていたのは、『舞風』という技だよ。」


「ところでデータによれば出雲鏡子の両親は三年前に事故死しているそうですが、何かあったのですか?」

「まあな。しかし、俺は言うつもりはない。知りたかったら、本人に聞いてみるんだな。」


サイモンセン大尉は足音もたてずに立ち去った。話したくない思い出なら、私にもある。鏡子の両親の思い出とはどんなものだろう?


 しかし、その時はそれが出雲鏡子を巡る悲劇の予兆だとは思いもしなかった。


2067年12月24日


 クリスマスイブのその日、私は9時ちょうどに出勤した。正確にはそうではない。アテナに言わせれば、「9時0分16秒」と正確に言わずには済まないだろう。


 「銀の剣」は夜間任務が多いので、日勤の出勤時刻は10時となっているが、私は生来朝型なので、赴任以来、2日目を除いて毎朝9時頃出勤している。準待機の日も特にすることがないので、ほとんど毎日出てきている。


 ともあれ、ロッカールームで着替えを済ませた私は士官室をのぞいてみた。中に

は、ぽつんと一人、出雲鏡子特務曹長がコンソールに向かって電子新聞に見入っていた。


 なお、「銀の剣」の戦闘中隊の隊員は全員が士官待遇である。もっとも下士官以下はごく少数しかいないが。


 私は彼女の背後から近づき、

「あら、早いのね、鏡子。」

 と、出雲鏡子に呼びかけた。


 びくりと肩をすくめ、あからさまに驚愕を示して、鏡子は振り向いた。「後ろにも目がある」と評されるケンジュツの達人にあるまじきことだった。


「あ、分隊長、おはようございます。」

「何を読んでいるのかしら?何か大ニュースでもあった?」 


「いいえ、別に・・・」

 そう言いながら鏡子は電子新聞を閉じてしまったが、私は彼女が読んでいたページの記事を目に焼き付けていた。


【またも東京で辻切りテロ】【警察官三名死亡、二名行方不明】


「辻切りテロ」とは一週間くらい前から頻繁に起こるようになった、一連の事件の通称だ。

 警察官だけを狙い、銃器などではなく刃物を武器として、何人かは斬り殺し、残りは連れ去る。


 ヴァンパイア事件ではないかと推測されているが、事件の背景は明らかになっていない。


 私は執務室の自分のデスクに座り、ディスプレイを開いた。システムが立ち上がると、メールの着信を知らせるメッセージが表示された。差出人はシュナウファー司令だ。いやな予感を覚えつつ、開いてみると、文面は以下の通りだった。


『発 「銀の剣」司令 宛 戦闘第一分隊長


 銀十字軍団諜報部極東支部の調査によると、都内で最近頻発している連続殺傷事件、いわゆる「辻切り事件」の主犯は出雲鏡(あきら)(二十一歳)と判明した。出雲鏡は、三年前、一週間行方不明の後、義理の父母、草薙流剣術宗家、出雲響・珠江夫妻を殺害して逃走した前歴があり、ヴァンパイアに間違いないと思われる。近日中に我が隊に出動要請の可能性がある。分隊指揮官は警戒を怠らぬこと。なお、この情報は別命あるまで部外秘とする。』


 私は口の中に苦いものを感じた。いやな予感がこうも早く、最悪の形で当たるとは。


 いまさら確かめるまでもなく、出雲鏡とは出雲鏡子の義理の兄だ。そして、ヴァンパイアとなって、鏡子の両親を殺害している。


 鏡子は「辻切りテロ」の犯人が義理の兄、鏡であることに薄々気がついているらしい・・・


 私は分隊長執務室を出て、士官室に行ってみた。鏡子の姿は既になかった。


 私はもう一度執務室に戻って、司令室に電話をかけた。


「戦闘第一分隊、水無瀬ですが、シュナウファー司令はいらっしゃいますか?」

「ええ、少々お待ち下さい。」

 ポーランド系の先任オペレーター、マリア・ポニアトフスキー少佐があっさり取り次いでくれた。


「シュナウファーだ。」

「司令、先ほど頂いたメールを開封しましたが・・・」


「他言は無用と記したはずだ。」

 司令の口振りは相変わらずにべもなかった。


「ですが、出雲特務曹長には、もう犯人が誰か薄々察しがついているようですが。」

 一瞬、司令が息を呑んだのを聞いたような気がした。


「彼女に話したのかね?」

「いいえ。」


「ともかく他言は無用だ。我が隊の出動が決まったら、作戦会議を開く。それまでこの件に関しては君たち中隊の幹部だけで対策を検討したまえ。」

 それで通信は切れた。


 シュナウファー司令が勤務時間前の九時過ぎにいることを私は疑問に思っていなかった。


 赴任後三日目の朝もそうだったが、マリアから聞いた話によると、『シュナウファー司令は毎朝決まって9時0分31秒に左足から司令室に入ってくる。』というのが司令室付きのオペレーターの間での通説になっているという。


 9時半頃になると、三々五々、執務室には分隊長や副長が顔を見せ始める。たいてい一番早いのは第四分隊のガワン・コドワ大尉だ。ニューギニア系の無口な男である。


 次にいつもなら第三分隊のクレイマー少佐が来るはずだが、今日は準待機なので来なかった。


 第二分隊のザカリア・サイモンセン大尉は決まって10時直前に入ってくる。


 各分隊の副官達も出勤してくるが、一番早いのは、アテナ・ヘレーネ大尉で、9時30分ちょうどに入ってくる。


 私が司令との通信を終え、しばらく考え込んでいたとき、アテナが入ってきた。


「分隊長、何か悩み事ですか?」

 と、私に問いかけてきた。


 彼女はバルカン人のように感情表現に乏しいが、他人の感情には敏感であるらしい。


「司令からのメールを読んでご覧なさい。」

 司令のメールは分隊長と副官までに送付されたようで、他の隊員には知らせられていないらしい。


 アテナはメールを読み終えても予想通り顔色を変えなかった。


 ただ、

「出雲特務曹長は知っているのですか?」

 と、無表情のまま問いかけた。


「たぶん・・・気がついているでしょう。」

 私は溜め息をついて答えた。幸い、部屋の中には私と彼女しかいなかった。


「そうですか・・・」

 アテナはそれきり口を閉ざした。


 その日、分隊長執務室には他の分隊長、副官も入れ替わり顔を出し、司令のメールのことをあれこれ話したが、私とアテナは鏡子のことは口にしなかった。


 サイモンセン大尉だけは、私に意味ありげな視線を向けたが、何も口には出さなかった。


 その日の15時、作戦会議が招集された。議題はもちろん、「辻切りテロこと出雲鏡率いるヴァンパイア集団」対策。


 まずパク主任参謀が立って作戦案を説明した。

「都警察から、例の事件で『銀十字軍』極東管区司令部を通じて『銀の剣』に正式に出動が要請された。

 そこで作戦を説明する。このヴァンパイアテロは、これまで襲撃対象を警察官に限定し、比較的少人数―5~10人程度で行われている。襲撃場所は、西東京の広範囲にわたって無作為に起こっているように思われ、規則性は定かではない。

 従って、対策としては、都警察と協力して、各分隊を警察のパトロールに密かに随伴させて、ヴァンパイアを釣りだして叩く。」


「我々の動きがヴァンパイアに察知されたらどうするのかね?」

 中隊長のマクシモア中佐が口を挟んだ。


「現在のところ、このヴァンパイアグループは我々を警戒している兆候はないと諜報部から報告されている。」

 パク中佐が答えた。


「諜報部か。あてにはならんなぁ。だいたい、出雲鏡が首班という情報はどこから出たのかね?」

 サイモンセン大尉が皮肉たっぷりに言った。


「我々は諜報部の情報を信じて作戦を立案するしかありませんわ!」

 司令室先任オペレーターで情報担当将校のマリア・ポニアトフスキー少佐が反駁した。


「ともかく、わが隊がこのヴァンパイアグループの捕捉殲滅を計ることは、決定事項だ。今日から、各分隊の連携を考慮しつつ、索敵行動を開始する。」

パク中佐が断じた。


「もうよかろう。戦闘中隊は今夜より分隊ごとに索敵を開始すること。以上だ。では解散。」

 シュナウファー司令の言葉で会議は終わりを告げた。


 第一分隊の士官室に戻った私は会議の結果を伝達した。無論、辻切りテロのヴァンパイアを捕捉するということで、出雲鏡の名前は出さなかった。


 しかし、勘のいい、と言うより事件の主犯が義理の兄であることを確信している出雲鏡子にはこれ以上ごまかしはできなかった。


「隊長、お話があります。」

 分隊のブリーフィングが終わった後、鏡子が思い詰めた表情で私に囁いた。


「・・・聞きましょう。」

 私は、小さくうなずき、ふたりきりになるのに、どこに行こうかと少し考えた。


「・・・喫茶室に行きましょう。もちろんわたしのおごりよ。」

 私は努めて元気よく言ったが、鏡子は、

「はい・・・」

 と、かすれ声で答えただけだった。


 時間は16時を過ぎていた。


 午後の休憩時間を過ぎているので、喫茶室は空いていた。


 私はコーヒーとレアチーズケーキのケーキセットを注文した。鏡子は同じケーキセットだが、紅茶とアップルパイを注文した。


 注文した品が揃うと、

「冷めないうちにお飲みなさい。」

 と、私は鏡子に勧めた。

 鏡子が遠慮していると思ったのだ。


「はい・・・」

 しかし、鏡子は小声で答えた後、紅茶に少し口を付けただけだった。


「どうしたの?ジェニファーに鏡子は甘いものが好きだって聞いたけど。」

「ええ・・・はい。」


 私が水を向けると、意を決したように鏡子はアップルパイに手を付け、瞬く間に平らげてしまった。


 彼女の子供のような食べっぷりに私は微笑み(いや、彼女は満十八歳で「銀の剣」の隊員中でミラルカの次に若いのだった。)、


「もっと頼んでもいいのよ。」

 と、鏡子に勧めたが、

「い、いえ、もう結構です。」

 と、鏡子は頬を赤らめて答えた。


 パイを平らげてひとごこち着いたのか、鏡子も少し落ち着いたようだった。私は鏡子の話を聞くゆとりが少しはできたと感じた。


「私に何か話があるんだったわね。」

 私はコーヒーを一口すすり、努めて平静を装って鏡子に話しかけたつもりだったが、それはうまくいかなかった。


「は、はい・・・」

 鏡子は肩をすくめて目を伏せ、おびえたように言った。


「秘密は厳守するわ。なんでも言いたいことを言ってご覧なさい。」

 と、私は鏡子に水を向けた。


 それでも鏡子は目を伏せ、肩を落としたまましばらくじっと黙っていた。


 しばらくした後、にわかに鏡子が顔を上げると、険しい表情で口火を切った。

「隊長、出雲鏡の処理はあたしに任せて下さい!」


 私は返すべき言葉を失った。よもや彼女がそこまで思い詰めていたとは思いも寄らなかったのだ。


 私はしばらく考えた後、常識的な返答をすることにした。

「出雲特務曹長、今回の事件のヴァンパイアの首領が出雲鏡であることは、いまさら取り繕ってもごまかせないでしょうから、認めます。彼があなたの義理の兄であることも、あなたの両親のかたきであることも知っています。しかし・・・」


 そう言って私は言葉を切った。鏡子は何ともやるせない表情で私を見返していた。


「・・・しかし、作戦は分隊単位で行われます。我々が出雲鏡の率いるグループに遭遇するかどうかはわかりません。他の分隊に遭遇して処理される可能性の方が確率は高いのです。」


 私が言葉を継ぐと、鏡子は大きな双眸から涙をあふれさせていた。


「あたしだって、鏡・・・お義兄ちゃんを手にかけたくなんかない!・・・でも、お義兄ちゃんを他の人間に殺させるなんて、なおさらできないの!」


 激情を吐露した鏡子の言葉に私は返す言葉を失った。私は目を閉じて、自分の思い出を思い返した。


「鏡子・・・私もね、子供の頃、両親を殺されたの。ヴァンパイアにね・・・」


「え・・・?」 

鏡子は不意に意外そうな顔で私を見返した。


 日本に帰ってから初めて私は自分の生い立ちを他人に語った。ミラルカにさえまだ話してはいないのに。


「・・・七歳の時だったわ。両親のどちらかでも生き残っていれば私も死ぬかヴァンパイアになっていたでしょう。でも両親は死んで、私は生き残ったわ。私はそれから両親のかたきをとるため、ヴァンパイアをこの世から滅ぼすために軍に入り、苦しい訓練に耐えて、ようやく『銀の剣』に入ることができたわ。あなたの気持ちが分かるとは言わないけれど、ヴァンパイアを恨んでいるのはあなただけじゃないのよ。」


「分隊長が・・・」

 鏡子は驚きを隠せない様子で言葉を詰まらせた。


「でも・・・ヴァンパイアになった出雲鏡は、やはり私の剣で引導を渡してやりたいんです。それがあたしが両親とお義兄ちゃんにできるただ一つのことだと思うから・・・」

 鏡子は瞳の輝きを取り戻して語った。


 私は彼女を説得するのをあきらめた。彼女の気持ちの半分は私にも理解できたから、かも知れない。


 ただ、私はひとつだけ疑問を口にした。


「もし、あなたが出雲鏡と闘うことになったとして・・・勝てるの?出雲鏡は本来なら草薙流の継承者になるはずだったんでしょう?それもヴァンパイアなのよ。」


「・・・勝ちます。今は私が草薙流継承者です。」

 鏡子は毅然として答えた。


「そう、後は私たちが出雲鏡に遭遇できるかどうかという運次第ね・・・」

 私はそれでも鏡子が出雲鏡に出会わないことを祈りながら、同時にそうなることを願っている自分を否定できなかった・・・


「ところで、ずいぶん長く話をして、またのどが渇いてこない?」

 ふと思いついて私は鏡子に訊ねた。


「え、ええ、そうですね。」

 鏡子は普段のおとなしい彼女に戻って答えた。


「何にする?またケーキセットでもいいわよ。」

私が聞くと、鏡子はためらいがちに答えた。

「それじゃ、あの・・・フルーツパフェを・・・」


 その日、19時20分。


 アウル2機が都警察の輸送車両4台を本庁から「銀の剣」本部に運んできた。


 警邏中の警察官に追従するのに、軍用装甲車のトータスでは目立ちすぎる、という理由でパク参謀が決定したことだ。


 我々は一個分隊が一台に乗り、おとりとなる警察車両の後方に追従してヴァンパイアの出現に備える。


 今晩は、第一、第二、第三分隊がそれぞれ出動する。我々第一分隊の担当は杉並方面だった。


 「なんでこんなボロ車に乗らなきゃならんのですか?、エンジンもひどいもんですよ!」

 出動して20分、運転席に乗ったアンダーソン中尉が愚痴をこぼした。


「カムフラージュのためにはこのくらいがちょうどいいのよ。」

 ナヴィゲーターシートに乗った私はそう言って彼をなだめたが、裏を返せば連邦陸軍特殊戦部隊の「銀の剣」がいかに装備に恵まれているか、ということだ。


 私はちらりと後ろの座席に目をやり、出雲鏡子の姿を見た。鏡子は思い詰めた面もちでビブラソードの柄を握りしめていた。


 やがて我々は合流予定地点に達した。


「こちら杉並署PC5の堀之内巡査部長です。現在パトカーで市街を警邏中。ヴァンパイアは確認していません。」

 間もなく都警察のパトカーから通信が入った。


「「銀の剣」第一分隊了解、現在そちらの300メートル後方を追跡中。」


それからしばらくの間、我々はクリスマス気分に華やいだ街中を走り回った。


「こちらPC5、不審な車が信号無視をして前方で停車、人が降りてきます・・・ああ、刀を抜いた!」

 パトカーからの通信が終わる前に、私はアンダーソンに命じた。


「アンダーソン、全速でパトカーに合流、総員戦闘用意!」

「了解!」


 アンダーソンは思い切りアクセルを踏み込んだ。


 パトカーは次の交差点を左折したところにいる。警察用輸送車は赤信号を無視し、警笛を鳴らしながらタイヤを軋ませ交差点を曲がった。


「ヴァンパイア出現、「銀の剣」救援乞う!」


 パトカーの通信は続いていた。


 その直後、銃声が三発響いた後、叫び声が聞こえた。


「PC5、離脱しなさい。ヴァンパイアの相手は我々がするわ!」

 私はあわてて叫んだが、間に合ったかどうか。


 我々がパトカーのとなりに止まると、前方の黒い乗用車に五人の人影が乗り込むのが見えた。ネオンの明かりに日本刀の刀身が輝くのがはっきり見て取れた。


 ちらとパトカーの運転席を見るとフロントウインドウは割られ、そこに乗っていた警官達は制服を真っ赤に染めて折り重なって動かなかった。


「追跡して、あの黒い車!」

「了解!」


 アンダーソンが発進した黒い車を追ってアクセルを踏み込む。しかし、黒い車は我々の輸送車よりパワーウェイトレシオではるかに勝り、スピードではとうてい勝負にならない。


「畜生、これがトータスなら5秒で終わりにしてやれるのに!」

 アンダーソンが歯がみして悔しがった。


「隊長、車上から狙撃しましょう!」

 血気盛んなデクレール准尉が進言したが、私は言下に否定した。

「こんな街中で、誤射の危険は犯せません。」


 しかし、私はまだあきらめたわけでもなかった。


「せっかくランデブーに成功したのに、取り逃がしたんじゃ、元も子もないわね・・・アテナ?」

 私は隣の席の副官アテナに呼びかけた。


「他の分隊の目的地はどこだったかしら?」

「はい、第二分隊は中野区、第三分隊は港区の予定です。」


 アテナが即答した。


「第二分隊と挟撃できるかも知れませんね。」

「やってみましょう・・・中隊長、こちら第一分隊水無瀬、車に乗ったヴァンパイアを追跡中、なれど彼我の車両の性能差ゆえ追跡続行は困難、第二分隊の増援を要請します。」


 私が中隊長を呼ぶと、直ちにマクシモア中佐の返答があった。

「了解、第二分隊は第一分隊と共同してヴァンパイアを挟撃せよ。」


「第二分隊了解。」

 サイモンセン大尉も直ちに応じた。これで、第二分隊と共同作戦を行うのは三回連続となった。


「ベルナルド中尉、センサードローンを飛ばせる?」

  メカニックの専門家であるベルナルド中尉に私は尋ねた。


「いつでもOKです。」

「では発進。」


「了解、発進します。」


私は次第に引き離されるヴァンパイアの車を見失わないため、センサードローンに頼ることにした。センサードローンは小型だが、ただのラジコンとは訳が違う。ガスタービンエンジン装備で時速200キロ以上は優に発揮する。


 アンダーソンが輸送車の性能を限界まで発揮させているとはいえ、意外にもヴァンパイアの車との差は500メートルくらいから開かなかった。やがて、住宅地の一角でヴァンパイアの車は停車した。


(停まった?アジトに着いたのかしら?こんな街中でまさか・・・?)


 私がヴァンパイアの不可解な行動に気を取られていたとき、突然、出雲鏡子が叫んだ。


「あ、あそこ、うちの道場だわ!」


(道場・・・そういえば草薙流の道場は杉並にあったんだわ・・・でもなぜヴァンパイアが草薙流の道場に・・・草薙流・・・ああっ、出雲鏡!)


 私はその道場に出雲鏡が待っていることを確信した。そう、出雲鏡子を待って。


「アンダーソン、前方の草薙流道場の300メートル前で一旦停車。」

「了解。」


「総員戦闘準備!」

「了解!」

 私が命令を発すると、全員が答えた。


 私は射撃戦距離の300メートルで下車しようと思ったのだが、その時突然、秘匿回線で鏡子が伝えてきた。


「隊長、あたしを道場に行かせて下さい・・・あそこには鏡がいます。」

「・・・わかりました。でも、私も行かせてもらうわ。」


「いえ、できれば私一人で・・・」

「果たし合いには立会人が必要でしょう?」


「・・・」

 鏡子は答えなかった。


私は自分が指揮官として間違ったことをしている、という自覚を持っていた。


 効率的にヴァンパイアを殲滅し、出雲鏡を処理するなら、分隊の全力で主力を排除してから残る全力で出雲鏡を処理すればいいのだ。


 しかし、今の私には出雲鏡子の固い決意を無下にすることはできなかった。


 センサードローンの赤外線映像では、道場の前には30体あまりのヴァンパイアが集結しているのが確認できた。


 私は300メートル手前で分隊主力を下車させ、アテナに、

「分隊の指揮を頼むわ。」

 と、告げた。


「了解しましたが、隊長はどうなさるおつもりです?」

「鏡子を見届けるわ。」


 それだけ言うと、私と鏡子、そしてドライバーのアンダーソンを残すだけになった警察の輸送車の中で、私はアンダーソンに命じた。


「このまま、道場に突入しなさい!」

「了解しました!」


 強気なアンダーソンはこの無謀な命令に気軽に従い、アクセルを踏み込んだ。


 見る見るうちにヴァンパイアの群が視界に迫った。銃器を持っている敵ならとっくに発砲してくるところだが、やはり敵は銃器を持っていない。


 アンダーソンが輸送車を道場に突っ込ませると、ヴァンパイアはさすがに道を空けた。


 車が止まると、鏡子は即座に飛び出して道場に駆け込んでいった。


 私も助手席を降り、切りかかってきたヴァンパイアの刀をカービンで受け、運転席のアンダーソンに叫んだ。


「あなたも降りなさい、斬り殺されるわよ!」

「わかりました、隊長!」


 アンダーソンも車を降りて道場に転がり込んだ。タイジュツでは私に負けたが、ヴァンパイアの攻撃をかわすだけの腕はあったようだ。


 私たちも鏡子の後に続いて道場の中に駆け込んだ。何故か外のヴァンパイア達は追ってこなかった。


 道場の中はしんと静まり返っていた。


 明かりもほとんどなかったが、赤外線暗視装置は道場の奥に人影が一人端座しているのを捉えた。


 鏡子はすでにその人影を見据えて、ビブラソードの柄に手をかけて、じっと立ちすくんでいた。


「鏡子か・・・」

 人影が低く冷たい声で言った。


「鏡ね・・・」

 鏡子が応じる。


「待っていたよ。」

 鏡はわずかに冷笑の波動を伴って言った。


「待っていた?私がここに来るのがわかっていっというの?」

「そうさ、お前が「銀の剣」にいることも、俺の部下をお前達が探すことも。」


 私は、驚愕した。今晩、鏡子をここに連れて来たのは、彼の計画の内だったと言うのか!?


 では、我々の分隊だけが、作戦初日でいきなりヴァンパイアに遭遇したのも偶然ではない?・・・と、言うことは、出雲鏡は「銀十字軍」諜報部ともなんらかの繋がりを持っているのではないか?


 様々な思索が交錯して、私は混乱していた。ただ、我々が相手の手にうかうかと乗せられたことは確からしかった。


「アテナです。ただいま外の敵と交戦を開始しました。」

 外に残したアテナから通信が入って私の考えをさらに妨げた。


「了解、各個に対処しなさい。」

 と、返信した。


「隊長、どういうことですか?あれがヴァンパイアの親玉ですか?若いけど、なんか貫禄あるし。でも鏡子と知り合いみたいだけど、どうして、鏡子にヴァンパイアの知り合いがいるんです?」


 アンダーソンがわめき立ててくれたおかげで、私は少し平常心を取り戻すことができた。


 私は努めて平静にアンダーソンに告げた。

「あの男・・・出雲鏡は出雲鏡子の義理の兄だったのよ。そして今はヴァンパイアゲリラの首領・・・」


「ヴァンパイアが義理の兄・・・」

 アンダーソンは絶句した。


「お前は鏡子の上官だな?」

 鏡が私の方を向いて言った。


「そうです。『銀の剣』戦闘第一分隊長、水無瀬遼子少佐です。」

 私は穏やかに答え、聞き返した。


「出雲鏡、出雲鏡子はあなたをヴァンパイアから人間に戻すためにここに来ました。あなたが、鏡子を呼んだ目的は何?」


「人間に戻す?・・・それは俺を殺すという意味か。ふっ、ならば、俺は鏡子を人間以上のものにしてやるためにここに呼んだのだ。」

 鏡は傲然として答えた。


「人間以上のもの?」

 鏡子がいぶかしげに聞き返した。


「ヴァンパイアのことよ。」

 私は、鏡子に囁いた。


 確かにヴァンパイアの肉体的能力は人間をはるかに超えている。知能も若干高くなるらしい。しかし、その性格—特に倫理観は著しく変わり残虐非道な殺人鬼と化すのだ。


「もっと強くなりたくないか?運が良ければお前も俺と同じように強くなれるぞ。お前の両親は運がなかったようだがな。」

 今度は鏡が鏡子に囁きかけた。


「人間を捨ててまで、強くなりたいとは思わないわ。それに、お父様とお母様はヴァンパイア病の発作で死んだんじゃないわ。発作が終わる前に、自害して果てたのよ・・・私を守るために!」

 そう言い放つと、鏡子はついにビブラソードを抜いた。


 同時に鏡がにやりと笑って、自分の剣を構えた。


 私とアンダーソンはその剣を見て驚愕した。それはどう見てもビブラソードそのものだったのだ。


「どういうこと!?銀十字軍兵器局の機密兵器がヴァンパイアの手に渡っているなんて!?」


「お前達の組織も一枚岩じゃないと言うことさ。それより、これで条件は五分と五分というわけだな。」

 そう言って、出雲鏡は勝ち誇って笑った。


 私はこの一触即発の状況にあってまだ迷っていた。鏡子を止めるべきではないのか?出雲鏡が言うとおり、一対一の同じ条件で、技量が同じとすれば、人間はヴァンパイアに勝てないのではないか?それとも、加勢するか?いや、それは鏡子のプライドが許すまい。勝っても彼女を傷つけることになる。


 私はふと、隊内無線は有線の秘匿回線以外は司令部と中隊本部に傍受されていることを思い出した。


 秘匿回線を使ったのは輸送車内でのみ、道場に突入してからは通常無線しか使っていない。なぜこれだけの軍紀違反を犯しているのに、司令部は何も言ってよこさないのだ?


「第一分隊水無瀬より司令部へ、命令を乞う。」

 私は司令に判断を委ねようとした。


「司令部より、第一分隊水無瀬少佐へ、通信状況が悪く、よく聞き取れません。別回線を使って下さい。」

 マリア・ポニアトフスキー少佐の取り澄ました声が答えただけだった。


 司令は私の行動を無視しているのか?


「中隊本部より、第一分隊へ、第二分隊を増援に向かわせている。それまで各個に対処してくれ。」

 続いてマクシモア中佐の指令が入った。


 『各個に対処』とは私に対して言っているのだろうか?


 結局、この場の判断は私一人に委ねられることになった。


 私はやむを得ず、時間稼ぎをすることにした。


「出雲鏡、あなたが鏡子と闘っている間に外で闘っているあなたの仲間は私の部下に殲滅されるわ。あなたが万が一鏡子に勝てたとしても、私の部下の包囲を突破することはできないわよ!」


 私の言葉に鏡は嘲りの口調で応えた。

「俺の仲間だって?あいつらはただの道具さ。代わりはいくらでも作れる。俺にとってはお前らなど何人いても同じさ。」


「警察官を襲撃したのも、あなたの『道具』を作るため?それにしては全員を拉致せずに何人かをその場で殺したのはなぜ?」

 私は純粋な疑問もあって問うてみた。


「腕試しをしてみて道具にする価値もないクズはその場で処分したまでだ。」

 出雲鏡はケンジュツの技量の高い人間を集めてヴァンパイアグループを組織していたらしい。警察官はケンジュツを専修としている。


「考えてみれば、鏡子、お前の父親も、弟子だった俺に簡単に負けるようでは、最初からヴァンパイアになる資格はなかったのかもしれんな!」

 出雲鏡は鏡子を見ながら哄笑した。


 それを聞いた鏡子は剣の柄を持つ手をふるわせて、つぶやいた。

「あんたは知らなかったの?あの時お父様は末期癌だったのよ・・・許せない・・・鏡、あんたはあたしの知っているお義兄ちゃんじゃない・・・あたしのお義兄ちゃんは死んだわ、三年前に・・・」

 そう言って鏡子は大きく息をついた。


 私は心中、(しまった・・・)と感じていた。鏡の挑発に乗った鏡子はこれ以上こらえきれないだろう。


「・・・今そこにいるのはお義兄ちゃんの亡骸だわ。だから、せめてあたしが葬ってあげる!」

 そう言い終わるやいなや、鏡子はビブラソードを高く振り上げて飛び出していった。


 鏡子の初撃は信じられない早さで鏡の頭部を両断したかに見えた。


 しかし、鏡はわずかに上体をのけぞらせただけでビブラソードの切っ先をかわしていた。


 鏡子はビブラソードを持ち直して、私も二度見たことがある、超人的なフットワークとコンビネーションで攻撃を続けた。しかし、鏡はその攻撃を余裕を持ってことごとくかわし、剣で受けることすらなかった。


「どうした、鏡子、お前は三年前から少しも上達していないな?」

 出雲鏡は嘲りを込めて言った。


「くっ・・・」

 それに対して鏡子は小さくうめいただけで、反駁する余裕すらないようだった。


「俺の剣が受けられるか!」

 一言叫んで鏡は反撃に転じた。


 その剣筋は、素人目に見ても鏡子より一段鋭く、鏡子に鏡がして見せたようにすべてをかわすのは不可能だった。


ギィーン!


 と、チェーンソーが木を切るときのような耳障りな音が道場に響いた。


 鏡のビブラソードを鏡子が同じビブラソードの刀身で受けたのだった。


 ビブラソードは、リニアモーターによってブレードを高速振動させることによって通常の刃物をはるかに凌ぐ切れ味を発揮する。そのブレードが互いに振動しながら交差した結果生じた音だった。


 鏡が攻撃の手を休めることはなかった。その後も、何度かビブラソード同士がぶつかる激しい音が響いた後、

「あっ!」

 と、鏡子の叫び声が聞こえた。


 赤外線暗視装置をズームして見ると、鏡子は左前腕部を浅く切り裂かれていた。かわしきれなかったのだ。


 「銀の剣」の隊員が着ているアサルトスーツは表面が耐切断性の高い繊維で覆われており、普通の刃物では滑るだけで切り裂くことはできない。ビブラソードならではの切断力であった。


「鏡子、大丈夫?」

 私は思わず声をかけた。


「かすり傷です、それより・・・」

 そう言いかけて、鏡子は鏡と対峙していた道場の中央付近から後方―我々の傍に跳び退った。


「すみません、隊長、しばらく援護してください。」

 そう言うと、鏡子はヘルメットを脱いだ。


「あ、鏡子!」

 一瞬の後、私は鏡子の意図を理解した。


「アンダーソン、出雲鏡にカービンを向けて!撃つ必要はないわ。」

「了解。」


 私は隣りにしゃがんでいたアンダーソンにそう言うと、自分も同じようにした。


 鏡子はバックパックをはずし、防弾ジャケットを脱ぎ、グラブ、ブーツ、そしてアサルトスーツまで脱ぎ、下着だけの姿となって、ビブラソードを構え直した。


 アサルトスーツまで脱いだのは、さっき見たようにビブラソードに対しては、アサルトスーツは大して防御に役立たないと見て、少しでも身軽になるためだろう。


「ありがとうございました、隊長。」


 鏡子のその声は無線機が使えなくなったので、私のヘルメットの集音マイクから入ってきた。


「鏡、今度こそ対等の勝負よ」

 鏡子は毅然として言い放った。


「銀の剣」戦闘分隊の標準装備は20㎏近くもある。火器を携行しない鏡子はそれより少し軽いが、それでも10㎏以上を身につけて闘っているのだ。


 冬とはいえ、軽い衣服しか付けていない出雲鏡に比べて動きの点で相当に不利であったのは当然のことだった。


「ふん、お前の色気のないストリップなんか見たくなかったぜ。」

 それまで鏡子が装備を外していくのを黙って見ていた出雲鏡は、そう言うと、自分もビブラソードを構え直した。


 鏡子も素早く道場中央に跳び出していった。


 剣がぶつかる。例の耳障りな音が道場に響く。


 鏡子の動きは明らかに装備を外す前よりも良くなっていた。鏡のそれに全く引けを取らなくなった。


 しばらく二人のつばぜり合いが続いた。


 まもなく、鏡子の剣が初めて鏡の体を切り裂いた。


 が、浅い。鏡は脇腹から血を流しながらも顔色ひとつ変えず攻撃を続ける。


 やがて鏡子も太股を斬られた。今度はかなり出血した。それでも鏡子は構わず剣を振るい続ける。


 そういった攻防がしばらく続いた。二人は互いに何カ所かの浅手を負いながら闘い続けた。


 二人が戦い始めてから、すでに20分が経過していた。


 装備を外して身軽になったことで一時は互角になったと見えた両者だったが、次第に鏡子が押され気味になってきていた。


 不死身のヴァンパイアに対して、生身の鏡子は出血と疲労で急速にスタミナを失ってきていたのだ。


「どうした。足下がもつれているぞ。」

 鏡が鏡子の動きが悪くなってきているのに気づき、嘲った。


「あんたなんかに、負けるもんですか!」

 鏡子は強気に言い返したが、私は彼女の不利を悟らずにはいられなかった。


 やはり、この状態で鏡子の勝ち目は薄かった。たとえ互角に動けても、同じダメージを与えても、ヴァンパイアの耐久力にはかないそうもない。


 私は必死で考えた。鏡子には気の毒だが、ここで鏡子を失うわけにはいかない。それによしんば鏡子が勝てたとしても、かりそめにも兄と呼んだ人間を彼女自身の手にかけさせるのはやはり気が進まなかった。


 しかし、この状況で鏡子を救う手だてがあるだろうか?私とアンダーソンが加勢したとしても、今見ている鏡に対して、カービンか拳銃で撃ってもその素早い動きに付いていくのは困難と思われた。


 何より、めまぐるしく位置を変える二人に対して撃てば、鏡子を誤射するおそれもある。


 グレネードランチャーで麻痺弾を撃つという手段は、鏡子がヘルメットを脱いだことにより不可能となった。


 その時、私は天啓のようにひらめいた。


 ためらうことなく私は後衛班の高千穂中尉を呼びだした。


「こちら水無瀬、高千穂中尉、あなた、今どこにいる?」

 高千穂のGPSマーカーは道路の向かい、300メートルほどに位置していた。


「はい、現在道場の反対側の家の二階から、道路上のヴァンパイアを狙っています。」


「間接射撃で道場の中にいる、ヴァンパイアを狙撃できない?」


「隊長のGPSマーカーは捕捉していますから、目標の相対位置がわかれば不可能ではないと思いますが、それより・・・」

「何?」


「鏡子は・・・出雲鏡子はどうしたのですか?先ほどからGPSマップのマーカーが消失していますが・・・」

「彼女は健在よ。今のところは・・・訳があって通信機をはずしているから無線は通じなくなっているけど。」


「鏡子はヴァンパイアと闘っているのですか?・・・まさか出雲鏡と?」

「?・・・そうです。けれど、このままでは鏡子は出雲鏡に勝てそうもないの。それであなたに出雲鏡を狙撃してほしいのです。」

 高千穂が出雲鏡を知っていたのは意外だったが、深く詮索しているひまは今はない。


「・・・了解しました。」

「それで、何を使う?一撃でけりをつけなければ、相手に悟られては二発目を当てるのは難しいわよ。」


「20ミリ対物狙撃銃を使います。」

 高千穂は答えた。


 20ミリ狙撃銃は連邦軍で使われている狙撃銃の中でも最大のもので、あまりに破壊力が大きいため、人間に対する使用は禁止されているが、ヴァンパイアには適用されない。ヴァンパイアは人間とは見なされていないからだ。


「了解。今から私のGPSの位置から目標の相対位置をリアルタイムで測定して送ります。発射の合図は私が出します。いいですか?」


「了解しました。」

 高千穂が答えた。


 問題は、めまぐるしく動く出雲鏡の動きに高千穂の照準が追いつけるかだ。鏡子を誤射する危険もある。素早い動きについて行くにはもっと小口径の狙撃銃の方が楽なのだが、威力に劣る。鏡の動きが停まったタイミングを狙うしかあるまい。


 私が高千穂中尉と交信している間にも、出雲鏡子の消耗はいっそう激しくなっていた。肩で小刻みに息をしているのがここからでもわかる。


「鏡子、人間以上のものとなる最後のチャンスをやろう・・・俺と契りを交わして俺の妻になれ。」

 鏡が鏡子に言った。


 おそらく鏡がヴァンパイアになっていなければ、二人は結婚していたのではないか?あるいは、二人は許嫁だったのかも知れない。


「誰があんたなんかと!あんたの奥さんになるくらいなら、コウモリと結婚した方がましよ!」

 鏡子が言い返した。しかしその足下はふらついている。


「ならば、これで終わりにしてやろう!」

 鏡はそう言うとビブラソードを上段に構えて前に出た。


 一方、鏡子は大きく後ろに跳びすさった。


「終わるのはあんたよ!」

  そう言い放って、鏡子は前に出た。


 鏡は鏡子の動きを待って動かない。


「撃て!」


 すかさず私は叫んだ。


 鏡子は鏡の直前でビブラソードを棒高跳びの棒のように使って跳躍した。


 空中で前方宙返り、半分ひねって、鏡の後方の頭上から、脳天を唐竹割にしようとした。


 タイジュツの練習試合で私を破ったのと似た動きだ。


 その時、鏡の頭がボン!と音を発して粉微塵に粉砕された。


 鏡子は頭部を失った鏡の胴体を切り裂いて着地した。


立ち上がった鏡子は呆然として鏡の死体を見下ろしていた。


 私とアンダーソンも、あまりに凄惨な幕切れに息を呑んだ。


 その時、高千穂中尉から通信が入った。

「分隊長、結果は・・・狙撃の結果はどうなったのですか・・・それから、鏡子は無事ですか?」


 私は我に返って答えた。

「成功しました。ヴァンパイア―出雲鏡は即死。出雲鏡子は負傷していますが健在です。」


「そうですか・・・」

 ほっとした様子をありありと表して、高千穂は答えた。


 その後間もなく、アテナから通信があった。

「道場前のヴァンパイア、三十六体はすべて殲滅しました。我が方の損害、軽傷2名重傷1名。これより道場内へ増援を送ります。」


「その必要はないわ。道場内の戦闘は終わりました。」

 私はアテナに答えた後、中隊長マクシモア中佐に通信を送った。


「中隊長、いきさつはお聞きの通りですが、ヴァンパイアを殲滅しました。」


「ご苦労、間もなく第二分隊が合流するはずだ。編成を整えたら、帰還せよ。」

 マクシモア中佐が答えた。


「司令部、通信は回復していますか?」

 私は今度は司令部に尋ねた。無論通信が途絶していたなどとは信じていなかった。


「聞こえています。負傷者の手当のために、医療班を汎用ヘリで派遣しました。」

 マリア・ポニアトフスキー少佐が答えた。


 司令は通信に出なかった。出雲鏡子と鏡を巡る私の独断専横には、あくまで見て見ぬ振りをするつもりらしい。


「ザカリアだ。今、草薙流道場前に到着したが、あいにく間に合わなかったようだな。」

 第二分隊のサイモンセン大尉から通信があった。


 その直後、隊員が一人、道場に入ってきた。高千穂中尉だった。さらにその後にアテナとサイモンセン大尉も入ってきた。サイモンセン大尉はカービンではなく、ビブラソードを手にしていた。


「鏡子、鏡子!」

 高千穂は叫びながらあわただしく出雲鏡の死体の前でしゃがみ込んでいる鏡子に駆け寄った。


「鏡子、無事か?」

「・・・眞弓?」

 鏡子は高千穂に呼びかけられて顔を上げ、高千穂のファーストネームを口にした。


「すまなかった、鏡子」

 高千穂は抱きついてきた鏡子を抱きしめて言った。


「眞弓・・・眞弓・・・」

 鏡子は泣きじゃくりながら高千穂の名を呼び続けた。


「眞弓、あたし、お義兄ちゃん、お義兄ちゃんを・・・」

 泣きじゃくりながら高千穂に語ろうとする鏡子を高千穂が遮った。


「違う。鏡を殺したのは僕だ・・・すまない、鏡子・・・」

 我々は二人の姿を黙って見守っていた。


「それにしても、二人がああいう仲だったなんて、知らなかったわ・・・」

 私は思わず漏らした、すると、アテナが意外なことを口にした。


「隊長、ご存じなかったんですか?、二人は従兄妹同士なんですよ。」

「え、なんですって?」


「ああ、あの三人は幼なじみだったな。子供の頃からよく一緒に遊んだり稽古したりしたもんだ。」

 サイモンセン大尉が言った。


 そういえば、彼は鏡子の祖父の弟子だったと言っていた。


 私はしばらくあっけにとられて、言葉を失った。


「三人にとってはどのみち不幸な結末しかない戦いだったな・・・どうせなら、俺がけりをつけてやれば良かったんだが・・・ 」

 サイモンセン大尉はビブラソードを杖のように床に突き、溜め息をついた。


 私も呟いた。

「街では恋人達が愛を語りあっている頃なのに・・・ここは血塗れのクリスマスになってしまったわね・・・」

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