"The missions to expel GAHHA" episode4 Part2

 通信機が完全に沈黙して、平凡な鏡の外見を取り戻した後も、リノはぼーぜんと突っ立つのみであった。

(は? これって、奇構獣の……弱点? なんでそんな話が私の元に。この情報を頭に入れて、今日の作戦を側面援護しろってこと? でも、そういう文脈じゃなかった、よね? ……っていうか……え、まさか?)

 どこをどう思い返しても、裏情報でひと儲けしなさい、という司令内容だったとしか思えない。とは言え、リノの立場でGAHHAに不利なタレコミなんて試みたが最後、即、反逆行為で抹殺されるんでは?

 だいぶん長い間、そのまま真剣に考え込んでいたが、そんなことをしていても仕方なさそうなので、諦めて部屋を出る。腕組みをしつつ、なおもほとんど白目をむくような顔で中空をにらみながら売り場へ戻ろうとバックヤードを歩いていると、横合いからふらりと人影が現れた。慌てて身をかわしてから、ついキツイ視線で相手を睨んでしまう。

「店長……何してんですか、こんなとこで」

「……ああ、君か」

 噂のダメ店長、明日輪あすわ若美わかみである。一言で言えばおかしな人だ。どうやらリノとそう年が離れていない女性なのだが、どういう経緯で「左反田」に関わるようになったのか、今ひとつはっきりしない。ベテラン社員たちに聞いても、「気がついたら店長になっていた」としか。

 それでやり手の敏腕店長なら文句はないのだけど、これがまるっきり「使えねえ」ボスなのだった。店に来ている時間の半分以上は、店長室にこもってなにやら私事に没頭している。この頃のリノは、下手に理不尽な命令を乱発するよりはましかも、と考えて、前向きにスルーするようにしているが。

「? そのおでこ、何です? ケガしてるんですか?」

 明度の低い照明下で、相手の額に薄く血が滲んでいるのに気づいて、リノが訊いた。若美は軽く手をやって、

「ちょっとぶつけただけだ……映像通信でいきなり驚かせてきたバカがいてな」

「へえ、愉快なお友達がいらっしゃるんですね」

 少しの間、若美がじぃっとリノを見た。時々この店長はこういう目をリノに向ける。そのたびに妙な居心地の悪さを感じるのだが、それが何なのか、未だにリノは分からない。

 微かにため息のような音を発すると、若美はそのまま背中を向け、裏の勝手口へと向かっていく。

「あの、どちらへ」

「少し出てくる。店は頼む」

「いや、あのでも――」

「閉店までには戻る」

 今に始まったことではないので、リノは二、三度首を振っただけで済ませた。どうでもいい上司のことは三秒で忘れ、チーフマネージャーの顔つきに切り替えてから、バックヤードから売り場に通じる扉をくぐる。

 閑散とした店内を足早に縦断し、青果売場へとさしかかったところで、聞き慣れた声がリノを呼び止めた。

「あ、先輩、この大根なんすけど」

 リノと同年輩の、けれどもいくらか学生気分が抜けきれないような若いのが一人、手を上げて萎れかけた野菜を目の位置にまで持ち上げていた。護荘ごそう大慈たいじ、パート従業員の一人である。

 リノの表情がふわりとなごんだものに変わった。大慈のいかにも不慣れな手付きを見ながら、こちらも高校生に戻ったような顔つきで軽くたしなめる。

「店の中で先輩って言っちゃダメって言ってるでしょ」

「あ、さぁーせん! でも、先輩は何年経っても、やっぱ、先輩なんで……」

「もう」

 鷹東司リノは、Q市生まれのQ市育ち。高校も県立Q高校の出身だ。高二から高三にかけて生徒会役員をしていたこともあったのだが、その時に一年下のメンバーだったのが、大慈である。同窓生の多くが町を去った今、リノが気さくに話のできる、数少ない相手の一人だ。

 実はリノ自身、一度町を離れた身の上である。高校卒業後にスカラーシップでアメリカへ語学留学し、そのまま本格的に経営学かなにかの修士号を取るつもりで手続きをしているさなかに、臨時バイトのつもりで関わったGAHHAの正社員になってしまったのだ。一応大学は出たものの、そのまま情報部に配属となり、あげく社命の一環として日本に戻り、故郷のスーパーの幹部社員になって無害な一市民の身分を偽装する羽目になったというわけである。

 幸か不幸か「スーパー左反田」は鷹東司家の家業であった。リノ自身、いずれは家に戻って手伝いぐらいすることになるんだろうな、とは思っていた。だから、今のこの境遇は決して不本意というわけでない。功を為し、ひとかどの成果を得てから、町に戻って故郷へ恩返しをする、それはリノが留学前から描いていた人生設計だった。

 それを少し前倒ししただけだ、と言えば、それまでのこと。

 とは言え。

「なんてったって、今もまだ町に残ってるやつなんて、なんぼもいませんからね。先輩なんて言い方できるの、リノ先輩と、あと二、三人だけっすよ」

「それは……そうだけど」

「オレはね、先輩、今こうやって『左反田』継いでくれてるのが、高校ん時のあのリノ先輩だってこと、すごく嬉しいんす。ジジイになっても、オレ、この店と先輩を自慢し続けますよ」

「いや、私は……」

 裏表のないキラキラした目でそんなことを言われて、リノは急にアンニュイな気分になってしまう。有り体に言えば、GAHHAのためにリノは家業を利用した。誰も怪しまなかったし、むしろおじいちゃん含め、家族も町の人も喜んでくれたから、正しい決断だったとは思う。でも、人々の好意を欺いているという事実は、どう言い繕っても否定しようがない。

 発作的に大慈に何もかも打ち明けたくなる。私はそんな立派な志でここに戻ったわけじゃない――危うくそう口を開きかけ、しかし急に我に返った。大慈がジジイになるのを待つまでもなく、この店は来週には潰れるんでは? 四百万の支払い案件が焦げ付いて。 

 ついまた険しい顔になってしまったリノをどう勘違いしたのか、大慈が慌てて生真面目な表情になった。

「あー、で、いいっすかね? この大根なんすけど」

「え? あ、うん」

「これ、二十パーオフにするにしても、ちょっとくたびれすぎっすよね? いっそ半額にしませんか?」

「んんん? 関本さんは何て言ってるの?」

「あの人は二割引きで充分だっつってんすけど、どうせ売れないっしょ?」

 頷きつつも、たちどころに次の材料で困惑してしまうリノである。青果フロアのチーフ判断が納得できなくて、ヒラのパート社員がチーフマネージャーである自分に判断を仰ぐ。ここで半額と言ってしまったら、フロアチーフの立場がない。でも、確かに目の前の大根はくたびれていて、二割引きに疑問が出るのも分かる。

 え、どうしよう、これ?

 ガチで棒立ちになってしまった。血のつながりでマネージャーにまでのし上がった、なんて言われるのが嫌で、スーパーの運営に関しては山ほど勉強したし、商品知識もぱんぱんに詰め込んだし、業界誌だって読んでる。でも、これは人間関係の処理に近い問題だ。ベテラン店員の関本が気を悪くせず、かつ大慈も納得できるこの場合の処置って……

「え、先輩? 難しく考えなくても、適当に決めてオッケーですって」

「そ、そう言われても」

「あ、んじゃあーこの際、間を取って、三・五割引きにするとか、どうっすか? 名案っしょ?」

「えええ? そ、そんなの……ありなの? ……いや、でも」

 なんだか自分でも袋小路に入った感じで、気ばかり焦ってパニクりかけたその時、不意に大慈の頭の上に、にょきっと白い腕が伸び上がったのが見えた。

 え? と思った瞬間、それがすぱんっと大慈の脳天にチョップを振り下ろす。パート青年は「うぎゃっ」と悲鳴を上げて、慌てて後ろを振り向いた。ラフなワンピース姿の若い女性が、微かに呆れたような表情を浮かべつつ、買い物かごを手にして立っていた。

「か、環那かんな、お前、いきなり何すんだっ」

 大慈が噛み付くのにも構わず、その女性客は件の大根をするっと奪い取ってカゴに入れ、微かに鼻を鳴らす。

「くだらない相談でリノさん困らせてんじゃないのよ。とにもう」

 音灘おとなだ環那。護荘大慈と同学年の、やはりリノの後輩の一人。生徒会には入ってなかったけれど、なぜか生徒会室にはよく出入りしていた。結果、末端の役員よりはずっとリノの印象に残っている下級生だった。

 ちょっとクールで整った顔立ちで、その当時は全方位的にデキる生徒だった。首都圏のええところの国立大を卒業した今は、県の公務員として順調に出世階段を上がっている……という話だ。ただ、一度この町を出ていたはずなのに、最近実家に帰っているのは、ちょっとした異動のあおりを食ったせいのようで、どうやら今の勤務先は――

「おいっ、その大根、今五十パー引きにしてやろうってのに」

「二十パーで結構。こんなことで揉めてる暇あったら、カートの整理でもしてきたら? 入り口んとこ、ほとんどなかったんだけど」

 そう言ってちらりとリノを見る。わずかに柔らかく笑んでいる口元は、さっきのリノの惑乱ぶりにも気づかない大慈のことを、気の利かない人ですよね、と憐れんでみせているようではある。でも、リノは知っていた。環那は大慈にずっと想いを寄せているのだ。いや、本人に聞いたわけではない。が、高校時代にから話を仕入れ(しかしその真偽を確認はせず)、以来、ずっとそれとなくこの件には気を遣ってきた。

 だから、今回も努めてあっけらかんとした声で言ってやった。

「あ、じゃあ、この件はもういいから、護荘君、お客様にカートをお持ちして。その後で、西口からカート半分ぐらい、回してきてくれるかな?」

 もちろん、リノとしては環那に気を回してやったつもりだ。学生気分でやたら自分に絡んでくる大慈も、そろそろ大人の人間関係に目覚めるべきだ、との年長者としての配慮のつもりもあった。

 のだが。

「あん? ちょっと待てや環那。入り口のカートは、十分ほど前に満タンにしてきたはず。何寝ぼけたこと言ってんだ、お前?」

 えっ!?

「寝ぼけてんのはそっちじゃないの。実際なかったんだから。あんた、お客の言葉に突っかかる気?」

 剣呑な声で反応する環那。意中の人にすごまれて戸惑った表情を見せ……たりはしていない。むしろいい獲物を見つけたネコみたいな顔。なぜだ?

「んなわけねーだろっ。十台近くは置いてあったはずだって。こんな閑古鳥鳴いてるシケた店内で、なんでカーゴが全部なくなったりするよ?」

「あ、あの〜、護荘君?」

「つべこべ言ってないで、直接見てくればいいでしょ! あんたのその目は何のためについてるの? それとも、ここでリノさんと大根眺め回すしか能がないって言うの!?」

「か、環那ちゃんも、ちょっと」

「おおお、相変わらずだな、諸君!」

 突然、能天気でムダにでかい声が商品棚の陰から響き渡ってきて、三人は一斉に振り向いた。そして揃って唖然とした。若い男が一人、何台も数珠つなぎにしたカートを押しながら、店の順路に逆行する形でこちらへやってくる。一つ一つのカートには、弁当売り場で安売りしていたパッケージが山のように積まれていて、ひと目で大口買いの上客と分かる……のはいいのだが。

「え? ちょっと、危ないですよ! そんなカートを並べて動かしたりしたら……あれ?」

「ん? カートがどうしたって?」

 青年が足を止めると、縦に七台ひとつながりになっていたカートも、ぴたりと止まった。惰性で各カートがバラけたりはしない。環那が腰をかがめて、カートの連結部分に目を近づけた。

「……なにこれ。全部カラビナでつながってる」

「困りますねーお客さん。店の中でこーゆーことしてくれちゃ」

 急に野太い声になって大慈が腕組みをする。言われた方はてんで罪のない顔つきで、

「なぜ? 買い物した分だけカートを使うのに、何の問題が?」

「それはともかく、こんなトレーラーみたいなカートの使い方、他のお客様の迷惑になりますんで」 

「お客? こんな閑古鳥が鳴いているシケた店内のどこに、客がいると?」

「んだとぉっ、ケンカ売ってんのか、あんた!」

「あ、だめだって護荘君、スマイル、スマイル!」

 リノが間に入って、戸惑ったような笑みを青年に送る。青年の方は依然飄々とした佇まいで、自分の家の中みたいにリラックスしている。

 青年の名は小鯛おだいじん。リノの生徒会時代に総代を務めていた元クラスメートだ。絵に描いたような生徒会長タイプで、周囲を無自覚のうちに自分のペースに引き込むスキルは、国家公務員となった今も健在らしい。

「えっと、お客様、このお荷物は」

「なんだ、他人行儀だなあ。もっと気安くしてくれよ、鷹東司。十年来の仲間じゃないか」

「え、いや、そうなんだけど」

 そしてリノは、自分と正反対に、人生の万事で自信に溢れている仁へ、高校時代から密かに憧れのマナザシを注いできたのであった。

「えっと、じゃあ、小鯛君、これはその、全部まとめて購入ってことで?」

「あ、もう買った後だから。ただ、レジ側から通るの狭そうだったんで、こっちに回り込んでるだけ」

「マジか? 何だその散財ぶり」

「ってゆーか、全部ジャコ飯とジャコ弁なんだけど。オダジン、こんなの持ってどこに行くつもり?」

 大慈と環那が冷やかすように言った。どうかぼうっとした目つきのリノと違って、こちらは勝手知ったる高校時代の先輩にエンカウントして、イジり倒す気満々である。

「え? そりゃ職場だよ。このところ、みんな忙しいんだ。今日は特にね。このまま残業になりそうだから、買い出しは下っ端の仕事ってことで」

 なぜだかその一言で、大慈・環那・仁の三人の間にぴりっと電気が走ったように、リノには感じられた。探るような口ぶりで、環那がじっとりと仁に絡みつく。

「あらあら。これだけの人数分の夜食が必要なほど、お忙しい? どういうことなのかしらね。よほどつまらない決済がたまってるのか、それとも」

「これだけの夜食が必要な事態を迎えている、か」

 なぜか息ぴったりで仁と対峙する大慈&環那。まずい、とリノは思った。

「さては国のお役所同士で、結構な情報でも融通してもらったんすかね? いや、いけませんねー。国民の税金で察知した案件は、県にも市にも平等に流してくれないと」

「何の話をしているのかわからんなあ。何しろ僕は下っ端なんでね」

 大慈の突っ込んだ迫り方に、余裕で応える仁。環那がふんと鼻を鳴らした。

「下っ端、ね。ええ、そりゃ下っ端でしょうよ。最前線に立ってるのをみんな下っ端って呼ぶんなら。私たちみんな、ね」

「んんん、音灘君はいったい何が言いたいのかなあ?」

 口元をいびつに歪めた環那に、仁がいっそう高く吊り上げた口角で問い返す。愛想笑いを貼りつかせた頭で、リノが思わず間に割り込んだ。

「ね、ねえ、みんな、同窓生同士、仲良くしようよ。せっかく顔合わせたんだし――」

「でも、もうみんな今となっては立場ってものがありますからね」

 低い声で環那が応じる。静かな物言いが却って凄みを感じさせた。

「いや、だけど、みんな別に、商売敵ってわけじゃ」

「商売敵ですよ。立派な」

 ため息混じりに大慈が言う。苦みばしった表情は、他の二人も同様だ。

「限られた獲物を奪い合ってる間柄なんすよ。これが商売敵じゃなくて、何なんです?」

 護荘大慈はスーパー「左反田」の非常勤パート社員、しかし彼の本当の勤務先はQ市防衛対策事業本部、いわゆる市立防衛軍である。

 一方の音灘環那が勤めるのは、その名も県立防衛局、そのQ方面隊庁舎。

 さらに小鯛仁に至っては、自治省の特別災害地域対応センターQ支部。

 もっともらしい部署名でごまかしてはいるが、要するにGAHHAの奇構獣を撃退するためだけに編成された組織であり、つまりはどれもこれも官立の「怪獣対応係」なのであった。

 曲がりなりにも怪獣を送り出す側に立っているリノからすると、内心、この場面は実に気まずいものがある。……うーん、ちょっと困った。


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