13.報連相をさせてよろしいか。
「ついに手にした発毛性、夢見た髪の再活性、私の魅力も起死回生、髪さえあれば画竜点睛、新たな私のバースデイ、いつでも歓迎エロい女性」
ミカエルが高らかに謳い上げた後、フラスコを懐から取り出して中身の緑色の液体を飲み干す。
「ひんやりとして美味しいですね。あぁ、みなぎってきましたよ。これで私の念願が、悲願が叶う。取り戻す、失われた青春をぉぉぉぉぉ」
ミカエルが文字通り一回り大きくなる。筋繊維が急激に肥大する。
上半身の服は千切れ飛ぶ。
膨れ上がった筋肉、そして頭部から、毛が生えてくる。最初は斑で、産毛のようなうすい体毛が、見る間に30センチ程度まで伸びる。
檻の中のクロードと同じだ。
「カミは私を見捨てていいなかった」
神か髪かどっちか不明だが、ミカエルは頭頂部の毛髪を擦りながら、祈りでも捧げんばかりだ。
「薬効は本物です。むさ苦しい男性の冒険者で実験を重ねたかいがありました。それでは後始末を始めましょうか」
ドゴッ。
鳩尾に激しい痛みを受ける。
バキッ。
直後、背中にも何かが当たる気配がする。
眼の前が一瞬真っ暗になるが、段々と明るくなる。太陽の下に出たようだ。
ミカエルの拳を受けて、吹っ飛んだ俺の体は壁を突き破った。建物からは10メートルほど飛ばされている。
暗がりの中でミカエルの動きは全く見えなかった。
鳩尾は痛むものの動けない程ではない。レザーアーマーに感謝か。
背中も軽い打撲程度だろう。
「うっ」
うめき声に振り返ると、後ろにヨシノがいる。
ヨシノは俺の右側にいたはずだ。庇われたということか。
「おっと、力余って外に突き出してしまいましたか」
ミカエルが壁の穴から修練場に出てくる。
どうする。
警務省に緊急参集を依頼するか。バネッサの詰所はどこだったか。
この際、冒険者でも誰でもいい。とにかく人を集めないと。
「無駄ですよ。バネッサのギルドは町の外れにありますし、試験や鍛錬もやっているので付近も物音に鈍感です」
ミカエルの妙に回る頭が疎ましい。
考えろ。
いつもの小役人の仕事だ。
昨年度の支部での死亡事故と大臣の不適切発言での炎上。あれの火消しよりはマシだろう。
大学生の時にも、この程度の修羅場は経験した。
達成すべき目的、相手の行動様式、考えられる選択肢、手持ちのカード。これらを前提に、手順と優先順位を考えるだけだ。
腹部の痛みはあるが、思考は可能だ。
身動きできない受付嬢、マヒしたキャリアの研修生、檻の中のクロードも一応。こいつらの生命が最優先。だが、3人の退避をミカエルが黙って見ているはずがない。
レザーアーマーは心強い。頭さえ守れば即死は免れる。
ヨシノの長剣が1本。だが俺の技量ではミカエルに通じない。
右腰の道具袋には最低限の出張の準備だけ。薬も入っていない。
この状況からミカエルを制圧するだけの手札があるか、手札をどう切るべきか。
「おい。しゃべらんでええから、首を振って答えろ」
後ろのヨシノに相対し、至近距離で目を見つめる。
ヨシノが首を縦に振る。
「動けるか?」
首は横に振られる。
「マヒ毒か?」
首は縦に振られる。
「自分でマヒの治癒魔法をかけられるか?」
首は横に振られる。
右手の親指と人差指を近付け、ヨシノは『もう少し』のジェスチャーをする。
マヒで集中できないのか。
「ええか。俺の言う通りにせえや。これからお前は……」
俺は右手でヨシノの首に触れる。
手のひらにきめ細かい肌の冷たい感触。しかし脈拍は早い。
同時に、左手でヨシノの剣を抜く。細身ではあるが、重量感がある。
刀身はヨシノの髪と同じように赤みを帯びている。
「……。俺は今から……や。なるはやで頼むで」
ヨシノは力強く首肯する。
「うぉぉぉぉ」
俺は自分を奮い立たせるために気合を入れると、両手でミカエルに駆け寄って斬りつける。
上段からの右袈裟斬りに見せかけて、走り抜けながら左足のアキレス腱を狙う。
だが、走りながらでは狙いは定まらず、ふくらはぎに剣が当たり、そして弾かれる。
硬い。
しかも毛が邪魔で、俺ではうまく斬れない。
両手が痺れて、柄を握るのでやっとだ。弾かれた拍子に、来た方向に剣を投げ出す。
「ノンキャリの事務官が慣れないことをするものではありませんよ。もっとも、まさに毛ほども痛くありませんでしたが。ぐわはは」
「心配すんな。今から尻の毛まで全部むしったるわ。特に頭の毛は二度と生えてこんように念入りに焼き尽くしたるで」
俺は間合いを外すように、ジリジリとギルドの庁舎の方向に後ずさる。横目で確認すると、支部長室の扉まで20メートルくらいか。
「下品な物言いですね。まさに怒髪天を衝くところでした。しかし心配ご無用。私の髪は何度でも蘇りますよ。不死鳥のように」
ミカエルが大きく手を広げて、鳥のようなポーズをとる。だが、体型からすると土俵入りだ。
「じゃあ、お前の髪が成仏できるように薬の元から断つで」
俺は言い終わらないうちに、支部長室に向かって走り出す。
「あっ、おい、ちょ、待てよ」
今のミカエルの反応で確信が持てた。
支部長室にたどりつくやいなや、ギルドのカウンターに繋がる正面の扉ではなく、右手の扉を蹴破る。
むせ返るような緑の香りが鼻を突く。
部屋の机には、フラスコ、ビーカー、メスシリンダーなど、大小様々な実験器具がある。原材料と思しき草も散らばっている。
書棚には、薬草や魔法関係の書籍、実験記録が詰まっている。これも大事だが、周りを見渡しあれを探す。
見つけた。
部屋の隅に1辺50センチほどの白い箱がある。微かな魔力を感じる。魔力で稼働する転来品の冷蔵庫だ。
箱の前扉を開けると、冷えた空気が流れ出す。内部にはラベルが貼られた5個のフラスコ。その中には緑色の液体が半分くらい充たされている。
「なぜここに薬があると分かったのです」
ミカエルが部屋の扉に立ちふさがりながら、問いかける。
何故わかったか。仮定に仮定を重ねた上の勘でしかない。
答える義理はないが、会話で引き伸ばすか。
駄目だ。
俺の背後に窓があり、修練場の様子が丸見えだ。
更に俺にヘイトを向けさせる必要がある。
最後の手段を採るしかない。
「1級監察官として、違法薬物の製造・使用、監禁、ギルドの私的利用などの疑いで調査を行う。調査の一環として、これらの薬品を押収する。これが辞令だ」
俺は腰の道具袋から1枚の紙を取り出し、利き手ではない左手で、ミカエルの目前に示す。
「……。ほう1級監察官ですか。それは恐ろしいことです」
ミカエルは一瞬驚いた表情を見せるが、いつもの慇懃無礼な態度に戻る。
「どうしましょうかね。そうだこうしましょう」
「あぐっ」
ミカエルの右手が辞令ごと俺の手をを鷲掴みにする。爪が腕にめり込む。
「これで辞令もなくなりました。まさに危機一髪。ぐわはは」
ミカエルは左手で頭髪を愛でている。
「何を勘違いしているのだか、印籠じゃないんですから、そんな紙切れ一枚に今更ビビるわけないでしょう」
そう、実は辞令に意味は無い。
辞令の提示は調査の要件でもない。
「さっさと目障りなノンキャリを処理して、メインディッシュに行きましょう」
ミカエルがニヤリと笑い、左手を振り上げる。
今なら確実に不意を突ける。
俺は道具袋からアロマオイルの瓶を取り出し、右手一本で蓋を開ける。そして、中身をミカエルの頭にぶっかける。
「なんだこれは」
ミカエルは左手で頭の様子を探っている。
しかし右手は俺を離さない。
残念ながら目潰しにもならなかったようだ。
「課長からのお土産を忘れてたわ。課長がお前によろしくとさ」
「本当ですか。確かに良い香りですね。まるでミヤコ課長の胸に抱かれているかのような心地よさが……」
「嘘に決まってるやろ。ファイアーボール!」
俺は魔力を右手に集中させて、ミカエルの頭を狙って火球を放つ。
3年ぶりで魔力の収束が遅い。火力も弱すぎる。
が、脂ぎったカエルの頭を至近距離で点火する程度には十分だ。
「うぎゃー。私の髪が、髪が」
オイルを伝わって、ミカエルの頭部に火が広がる。
それにしても燃えすぎちゃうか。課長のアロマオイル、大丈夫か?
ミカエルが両手で頭を叩いている。俺の左腕も解放される。
毛玉の塊に手が生えて、燃える自分の頭を殴る光景は滑稽だ。
ひとまず外に退避するか。
「許さん!」
ミカエルの叫び声を耳にするやいなや、不意に天地が逆転し、背中に鈍い痛みが走る。
「かはっ」
息ができない。肺が消失したかのような錯覚に陥る。
眼の前が一瞬暗くなり、段々と視界が戻る。
俺が今いるのは修練場だ。壊れた窓からミカエルが身を乗り出してくる。
とにかく距離を取らないと。
右膝を立てて、走り出そうとする。しかし、左側にバランスを崩し、倒れ込む。
左足のくるぶしからふくらはぎにかけて、握られた跡がくっきりと浮かび、爪痕の4箇所から出血している。
ようやく自分が左足を掴まれて、窓から投げ捨てられたことを理解する。同時に全身の痛覚が再稼働を始める。
まずは息を整えなければ。浅く息を吐くと、その反作用で肺に酸素が流れ込む気がする。
牽制する手段は無いか。道具袋を探るも、筆記用具程度しかない。
攻撃魔法を撃つのはどうだ。この状態で魔力を練られるか? ブラフにはなるか?
回復魔法を使うのはどうだ。どの程度治療できる?
ミカエルが怒りに燃えた目で一歩一歩近づいてくる。
頭髪は黒く炭化し、ところどころ縮れた塊が付着している。
茹ガエルならぬ焼ガエルの様相だ。
「さすが支部長、前衛的なヘアスタイルですね。ある意味で蛙化ですわ。おっと、もとからカエルでしたっけ」
「殺す。殺す。殴って殺す」
もはや言葉も通じない。
「頭を殴って殺す。胸を殴って殺す。腹を殴って殺す」
もはや大股10歩程度の間合いにミカエルがいる。
「すまん。帰れそうにあらへん」
俺はどことなく呟く。これが辞世の言葉になるのか。
「お待たせしました」
ヨシノが背後から現れる。
手には俺の投げた長剣を携えている。
発語ははっきりとしているが、顔色はやや青白い。髪と刀身の赤に対し顔と鎧の白がコントラストになっている。
唇は血の気を取り戻し、緑色に光っている。
緑色? お前の血は何色だ?
「もう任せてください。むしゃむしゃ」
「なんで食いながらやねん!」
緑色は幸いにも唇ではなく、唇に貼り付いた草だ。
「ついつい止まらなくて」
「お前、もう少しはよ駆けつけられたんちゃうやろな?」
「……」
ヨシノは黙って、否定しない。
ふざけるなよ。窓が派手に割れる音とかしたやろ。
「まずはこのカエルを何とかしますね」
話を逸しやがった。
「気をつけろよ。力とスピードは化け物じみているぞ」
「大丈夫です。問題ありません」
「男を殺す。女も殺す。みんな殺す」
ミカエルは一瞬ヨシノに気を取られたが、再度歩みを進める。
「片付けてしまって構いませんでしょうか。ごくっ」
おい、最後に飲み込む音がしたぞ。
「死なない程度にしばいたれ」
「承知。消し炭にする」
言うが早いか、ヨシノはミカエルに向かって歩みを進める。
いや、火葬しろとまで俺は言っていない。
「髪への執着、意味不明、考え方が荒唐無稽、ツルツル頭のすべり芸、単なる加齢と不摂生、年相応の反比例。髪に憑かれた亡霊に、見せてあげよう死兆星」
ヨシノが一気に捲し立てる。
えらい滑らかにしゃべったけど、これ考えて時間かかったんちゃうやろな?
喋り終わると、一転してヨシノがミカエルに突進する。
「鳳凰昇天撃!」
下段から跳ね上げた長剣は炎を纏い、ミカエルの腹部を切り裂く。
同時にミカエルの体が燃え上がり、そのまま吹っ飛んで庁舎にめり込む。
庁舎とその残骸にも延焼する。
「煉獄焦熱刃!」
上段に構えた剣先の周囲に赤黒い闘気が広がる。その範囲は半径1メートル程に達した時、ヨシノは倒れたミカエルに剣を振り下ろす。
切っ先自体はミカエルに触れていないが、闘気が5メートル四方に広がり、建物もろともミカエルを熱気で押しつぶす。
衝撃で建物の炎が勢いを増す。
ミカエルは仰向けに倒れたまま微動だにしない。
ヨシノは大きく一歩下がり、距離を取る。
「はぁー!」
やや前傾の中段の構えで気合を入れる。
まだやんの? 相手は意識無いっぽいんやけど。
「双竜衝波斬!」
切っ先に青白い闘気が収束し、竜に見えなくもない。
ヨシノは小股で左足を踏み込み、遠間で突きを繰り出し闘気を放つ。さらに右足を踏み出し、突撃を重ねる。二閃の闘気はらせん状に絡まり合い、ギルドの建物に大穴を穿つ。
対空迎撃、広範囲殲滅、突進貫通と。派手なものを見せてもらった。
「ほう・れん・そう。役人の基本ですね」
ヨシノは剣を鞘に収めながら、振り返って俺に笑いかける。
笑顔の周囲に赤い髪がなびき、背景には建物が燃えている。
その光景は真紅の太陽が輝いているかのようだ。
全てを照らす光は俺の目に眩しすぎる。だが、その中心から目が離せない。
轟音に誘われて、流石に人が集まってきた。警務省の制服を着た集団もいる。
ひとまず俺達の生命の危機は脱した。
安堵する気持ちで緊張が途切れたか、痛覚がぶり返してくる。左手、左足、腹部、背中。控えめに言っても満身創痍だ。呼吸も浅く、早い。
しかし痛みが鈍くなってくる。回復の傾向ではない。感覚が鈍くなっているだけだ。意識が混濁する。残業で徹夜明けの午後3時のような眠気だ。
まだ意識を失う訳にはいかない。
建物の消火と避難誘導。
受付嬢の保護。クロードは多少放置でも構わないか。
薬品の現物ほか証拠を確保しないと。
報告書の構成をどうしよう。
警務省への説明はどの程度に抑えるか。
課長に第一報をしないと。
家に帰らないと。
家で待っている……。
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