14.紅蓮の炎で焼かれた後に。(1)
「ご家族の方ですか、お見舞いの方ですか? お見舞いの方でしたら、こちらの用紙に行き先とお名前を記入ください」
受付の職員が左の腰の剣に目線を落とす。剣は置いてきた方が無難だったか。
とはいえ、咎められはしない。冒険者の入院とお見舞いも多いのだろう。
病室はどこだっただろうか。
逡巡していると、用紙の前半に306号室を訪れた課長の名前を見つける。
リストの末尾に306号室と名前を記した後、顔を上げると左側に階段が目に入る。
コツン、コツン。
石造りの階段に靴音が響く。
課長は既にお見舞いに来ていたのか。流石の気遣いだ。
一見おどけた様子を見せるが、ひとつひとつの課長の行為に意味がある。戦略を念頭に部下に指示を出すし、間接的に行動を促すこともある。
今にして思えば、出張前の2人での会話も戦略上必要なピースだった。
−−−−−−−−−−−−−−−−
『今回の出張の間、アキラくんはヨシノちゃんと同じ1級監察官になるわ。だから彼自身の判断で捜索や押収を行うことができる。ただ、ヨシノちゃんのような物理的な力はないから、彼のことを助けて、守ってあげてほしいの』
課長の口調はいつも通り穏やかだが、アキラを心配する様子が垣間見える。★母性★
『1級監察官ですか? 確か1級に任命されるには、冒険者としてのB級以上のランクといった、厳しい条件があったような気がするのですが……』
別に不満があるわけではない。純粋に疑問に感じただけだ。
『アキラくんは自分で言わないと思うから説明しておくわ。本人も隠している訳ではなく、周囲も知っていることよ。アキラくんは、ギル庁ではII種の事務官採用、あんまり使いたくないけど、いわゆるノンキャリね。でも、彼は大学の武闘学部出身で学生時代は冒険者として活動してたの。西の方の大学だからヨシノちゃんと接点は無いと思うけど』
課長は少し寂しそうな、複雑な表情をしている。
『古都大学の武闘学部ですか』
古都大学の武闘学部は名門で、出身者には何人も知り合いがいる。ライバル校として対抗戦もよくやっていた。
『西学院大よ』
これまで接点は無いが、中堅の私立大学のはずだ。
『ではアキラ殿もB級以上の冒険者にまで達していたのですか』
『アキラくんはC級が最高よ。ただ、誤解しないで。学生時代にS級にまで上り詰めたヨシノちゃんが例外中の例外なだけで、大学生としてC級に昇格できるのは武闘学部出身でも10人に1人以下よ。彼は、パーティーのリーダーとして十分な実績を上げていたわ。B級の壁はとても厚くて、普通は才能ある冒険者が20代後半の脂が乗った時期に到達できるレベルというだけなの』
他の説明よりも、アキラが優秀なリーダーだったという部分に過敏に反応してしまう。
『でも1級監察官には、B級以上の経験以外にもう一つ資格があるの』
課長は少し息を吸い込む。
『その資格とは、3年以上の冒険者の経験があり、かつ任命権者が特に資質があると認めた場合ってこと』
『任命権者ということは……大臣ですか』
『そう。よく覚えていたわね』
監察部でも国会と大臣の重要性だけは、口酸っぱく説明された。
『アキラくんは学生時代に3年以上の冒険者の経験はあるから、後は大臣の決裁さえ取れば1級監察官への任命がオッケーってこと』
なるほど。
そういった例外的な条件があるということか。
勉強になったものの、すぐに忘れそうだ。
『アキラ殿も武闘学部出身で元冒険者ですか』
興味と親近感を覚えたのは、こちらの方だ。
『そうなんだけど、アキラくんは後衛職で魔法使いだから、前衛のあなたが先輩を守ってあげてね。攻撃魔法が本職で、回復魔法もある程度使えるはずだけど、最近は全く訓練していないみたいだから多分使い物にならないわ。特に攻撃魔法」
『分かりました』
ブランクのある魔法使いは一般人とほぼ同じだ。連携をとるというよりも庇護するということか。
『武闘学部から事務官になるとは珍しいですね。確か武官試験以外は実技の科目もありませんし』
『そう。アキラくんは、一般教養や法律、政治、経済の専門科目の勉強も自習して、試験にもパスしているの」
それは驚きだ。武闘学部では実技や戦闘関係の座学が中心で、法学や経済学をはじめとする他学部の学習内容とは一線を画する。
『なぜアキラ殿は冒険者を続けなかったんですか? リーダーを務められる冒険者は不足しがちなはずです』
純粋な疑問だったが、課長は困ったように少し肩をすくめる。
『冒険者は危険と隣り合わせだし、出張も多いからね。色々な事情があるってことよ。ただ、アキラくんは、事務官としても、めちゃくちゃ優秀よ。普通、3年目で係長に昇進したりしないわ。実は係長『心得』なんだけど。人が足りないということね』
課長は明言を避ける。
『ともかく、アキラくんのことはよろしくね。ヨシノちゃんのこと、頼りにしているわ』
課長に笑顔で頼まれると燃えてくる。
『承知した』
力強く返答する。
−−−−−−−−−−−−−−−−
コツン、コツン。
石造りの階段に靴音が響く。
2階に到着する。このまま久しぶりに階段ダッシュをしたい衝動に憑かれたが、病院ということを思い出して振り払う。
2階の廊下では、バスケットを持った婦人が壁の館内図を見ている。バスケットからはバターの香りがする。焼き菓子だろうか。
バネッサ支部でも、部屋に入るまでは良かった。アキラを後衛にして、自分が先頭で突入した。
全てあのマカロンがいけなかった。いやマカロンに罪はない。マカロンに入れられていたマヒ毒、そして汚い真似をするあのカエルが悪い。マカロンは美味しかった。
今でもあの時マカロンを食べたことに後悔は無い。時を遡ったとしても、食べる前にマヒ耐性の魔法をかけてから食べるだろう。
婦人が、バスケットを持っていない左手を頬の下に当てて、小首を傾げる。訪問先がわからないのだろうか。
歩み寄ろうとした時、婦人の頬から首のラインとすらりと伸びた指が、アキラとの記憶を喚起する。
−−−−−−−−−−−−−−−−
『おい。しゃべらんでええから、首を振って答えろ』
ごめん喉が痺れて声が出ない。頭ははっきりしているのだが。
アキラの瞳に映る自分を見ながら、少しだけ顎を下げる。
『動けるか?』
頭を左右に動かす。
『マヒ毒か?』
顎を下げるのにつられて、瞼も閉じる。
『自分でマヒの治癒魔法をかけられるか?』
少し前から試みているが、マヒで魔力の集中が阻害される。あと5分でも10分でもあれば、魔法をかけられるまで回復する感覚はある。
頭を左右に振りつつ、右手で弱々しく『あとちょっと』と伝える。
『ええか。俺の言う通りにせえや』
アキラの右手が頬から首のラインに触れる。
いきなり俺様キャラ? まさかこのままキスされるのか?
口移しで魔力を受け渡す魔法もある。今がそのタイミングか?
体が不自由な分、思考が先鋭化して、突拍子もないことを考えてしまう。
アキラの右手の温度を感じる。触れた手に呼応して、自分の脈動が加速する。
顔が熱くなる。
そして身体まで熱くなる。
これは治癒魔法か。ゆっくりと解毒され、体の痺れが取れていく。そうか、アキラは回復魔法も使えたのか。ただ、練度は今ひとつだ。
『これからお前は、俺の回復魔法で多少動ける程度にはなるやろ。ただ、戦えるまでにはならへん。しばらくここで死んだふりして、いけるんなら自分で治癒魔法も使うんや』
アキラが腰の剣を抜く。普段は他人に触れさせないのだが、アキラなら構わない。この状況でもあるし。
しかし使いこなせるかな? 特注の品だぞ。
『俺は今から時間を稼ぐから、あいつの気が逸れたら離れに行け。その離れの中に満月草が山程ある。それを食ってマヒを治すんや。そしたら剣は分かりやすいところに置いとくから加勢してくれ。なるはやで頼むで』
力強く頷く。
アキラの治癒魔法で幾分動きやすくなっている。
−−−−−−−−−−−−−−−−
婦人の手が頬から離れ、奥の廊下に歩き出す。
自分も現実に引き戻される。
婦人は無事に目的地を見つけられたようだし、自分も訪問先に向かおう。
コツン、コツン。
石造りの階段を再度上る。この階段をこの剣で斬ることはできるだろうか。斬った後はどのように崩れ落ちて、どこに着地をすればよいだろうか。
そんなことを考えているうちに、3階に到着する。
3階の館内図で306号室を探すが、見当たらない。
分かりにくい館内図に苛立ちを覚える。
思い返せば、支部協力課に来てから、財務省へもバネッサでも道に迷ったことはなかった。全てアキラが先導して場所を教えてくれた。
アキラは優秀な職員だ。事前の準備は怠らない。優先順位も理に適っている。相手が人間であることも考慮して、反応とリードタイムを把握している。
学生時代に冒険者パーティーのリーダーだったことも頷ける。
バネッサの戦闘では戦術指揮官としての判断力も見せつけられた。
歓迎会で局長からギル庁の志望理由を聞かれた。あの答えは嘘ではない。しかし官庁訪問用の応答だ。その裏には、パーティーや組織に対するコンプレックスがある。組織としての戦いを学びたい。そう思った自分にとって、一番身近な組織がギルドだったのだ。
個人としては、幾ばくかの才能にも恵まれ、努力することも苦ではなかった。
誰よりも強くなることを目指して貪欲に挑戦を続け、実際に剣の戦いで敵わない相手はいなくなった。
しかし、一対一では勝てる相手が、パーティやクランを率いて、自分以上の成果を上げる場面も目の当たりにしてきた。
他の冒険者と組んだ時もあった。B級やC級の頃から、いくつもの有名なパーティから誘われて加入した。しかし他人の指揮で戦闘しても、自分の力を発揮できず、窮屈な思い出しかない。2、3回のクエストをこなすと、関係はすぐに解消していった。
A級になった後は、リーダーとして指揮を任せられたり、弟子にしてほしいという冒険者に出会うことが増えていった。しかし、ほとんどの冒険者は私の過度な要求について来られなかった。
結果、メンバーを過保護に取り扱ったり、自分を戦術の中心に据えた指揮……つまり私のゴリ押し……に傾き、あれほど私に心酔していた冒険者も次第に離れていった。
5人で暗黒竜を倒した時がパーティを組んだ最後だったか。
人命よりも討伐を優先したとの評判が回り、メンバーだけではなくみんな私から離れていった。
クロードと似たようなものだ。自分も大学の仲間内から追放されたのだ。
仲間や戦友と呼べる冒険者はいなかった。
思い悩んでいる自分に対して、ギルドの受付嬢が掛けてくれた言葉を今も覚えている。
『別にソロでいいじゃない。結局、人はいつも一人なのよ。あなたの人格さえあれば仲間なんていなくても大丈夫よ。でもいつか出会えるといいわね、あなたと支え合えるソウルメイトに』
彼女はいつも契機で助けてくれる。
ギル庁の官庁訪問の面接にパスできたのも彼女の対策のおかげだ。
彼女の助言が吹っ切れるきっかけになり、ソロとして我武者羅に依頼をこなし、腕を磨いていった。ただ、自分はソロとして活躍していたのではなく、ソロでしか活躍できなかった。
自分は、パーティー内での連携が取れず、ソロで活動せざるを得なかった。だが、そんな自分をアキラは見事に指揮した。ミカエルの気質、場の状況、手持ちの道具、そして私。それらの使い道を瞬時に考えて、活路を開いた。
何より、仲間を見捨てず立ち向かった。あの状況では自分の生命を優先して一人で逃げたとしても誰も責めることはない。むしろ、撤退がセオリーだ。しかし、アキラはリスクを承知で、全員が生き残る可能性に賭けて、そして賭けに勝った。
それがアキラの土壇場での決断だ。
自分にその胆力があるだろうか?
冒険者として大成できる才能をアキラに感じる。なぜ冒険者として高みを目指さなかったのだろう?
ただ、一人の冒険者としてのアキラの鍛錬は不十分だ。日々の努力が全く足りていない。こんなことなら、馬車の中でも少しは魔法の鍛錬をしておけばよかったのに。
体力、筋力も物足りない。いくら後衛とは言え、最後に物を言うのはパワーだ。上背はあるのだから、もう少し全体的に筋肉を付ければ、私の理想的な体型に近づくのに。
アキラを責める気持ちの反面、自分は全てを分かっていた上で、その後衛を危険に晒してしまったことに自己嫌悪する。
気づくと左手を頬に当てて、2階の婦人と同じポーズになっていた。少し苦笑いをすると、首筋の感触を思い出してしまう。
その時、館内図の右上の306号室の表示が目に飛び込んでくる。このポーズは探しものを見つける効果があるのか?
ともかく訪問先に歩みを進める。
306号室の扉の向こう側から、話し声がする。誰か先客がいるのだろうか。
どんな顔でアキラと会えばいいのか。
期待と緊張が混じり合う。
「ふう」
一息入れてドアノブに手をかける。
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