12.ギルドの支部長と面談してよろしいか。
支部長室の中には、執務机、対面式のソファーとローテーブル、水屋程度しか家具はない。
もう少しごてごてした装飾や置物があるかと期待していたが、意外だ。
奥には更に扉があるので、その中に期待のブツはあるのかもしれない。
部屋には大きな窓と外扉があり、ギルドの受付に比べると幾分か明るい。
しかし熱帯の香りは更に強くなった気がする。過去に嗅いだ覚えもあり、記憶をたぐるが即座には思い出せない。
「ご無沙汰しています、支部協力課から参りました、係長のアキラです。今日はヨシノさんの研修の一環でバネッサ支部の見学にまいりました。受け入れいただきありがとうございます」
最初の仁義も切れないんなら先に部屋に入るなよ、と心のなかでヨシノに毒づきつつ、挨拶をする。
「ヨシノだ。よろしく頼む」
ミカエルとの距離が近くなると、熱帯の香りにミカエルの加齢臭が混じり、吐き気を催す。
しかし対面してすぐにハンカチで口元を押さえる訳にもいかず、喉に力を込めて耐える。
「ようこそバネッサまではるばるお越しいただきまして。支部長のミカエルと申します。キャリアの武官の方に来ていただけるとは光栄です」
ミカエルは笑顔を貼り付けながら、俺は一瞥する程度で、ヨシノの全身を舐め回すように見ている。
「どうぞソファーにお掛けください」
ミカエルは右手を差し出して、俺達にソファーに座るよう促す。
腰を下ろして改めてミカエルを見ると、丸顔と光るTゾーン。バーコードと聞いていたが頭髪はもはや禿げ上がって枯れ木すらもない。ぎょろりと丸い目も相まって、まさにヒキガエルと揶揄されるのも納得だ。
しかし、袖から覗くミカエルの手首は俺の膝と同じくらい太く、大きな拳は凹凸が削れて見るからに硬い。元冒険者の鍛錬の跡が垣間見える。
「キャリアの武官の試験は受かるだけでも難しいのに、実際に官庁訪問で採用されるのは更にごく一部だけ。ギル庁では数年ぶりの採用で、ヨシノさんの才媛の名はバネッサにも轟いていますよ」
同じ庁内でおべんちゃらを使って意味があるのだろうか。
まあ数年経てばヨシノが各支部の業務を統括する可能性もあるので、不思議は無い。
「もちろんヨシノさんはS級の冒険者にまで上り詰めた方ですので、入庁前から御高名はお聞きしていました。昨夜記録を調べさせると、残念ながら過去にバネッサ支部で依頼を受けていただいたことは無いようですが、この度、遠路お越しいただいて光栄です」
過去の記録まで一々調べたのか。それにどれだけの意味があるのだろう。
受付嬢がその作業をさせられて、疲労困憊という可能性もある。
「かくいう私も、かつては冒険者をやっておりまして、もしかすると『天才ミカエル』とか『ミカエル・ザ・ジーニアス』とかの通り名でご存知かもしれません」
自分で言うんか!
それ自称やろ。たかだかC級でそんな大層な名前が付くわけあらへんわ。
「残念ながら、初めて耳にする。ミカエル殿の容貌であれば、一度見たら忘れないと思うが、全く記憶にもない」
ヨシノ、良く言った。
「ぐわはは。そうですか。私がもう少し冒険者を続けていればお近づきになれる機会もあったかもしれませんね。私の髪さえあれば、今のヨシノさんとも釣り合うと思っているんですが」
ミカエルは、にやつきながら光る頭頂部を右手で撫でる。
過信も良いところだな。髪があっても、ヒキガエルにカツラが付くだけだ。
「あ、あっちの方はまだ現役ですので大丈夫ですよ。ぐわはは」
いきなりセクハラ1カウント。
「今日のアーマー姿も素敵ですね。良くお似合いですよ。やはり女性は肉感的な健康体に限ります。胸のあたりが窮屈そうでたまりませんね」
カウント2。
ヨシノと目が合い、手を出すなと念じる。
「私も10年若ければ立候補するんですがね」
10年前でも、ハゲがバーコードハゲになる程度で、ヒキガエルはヒキガエルだ。哺乳類に進化するわけでも、かわいいオタマジャクシになるわけでもない。
「うちの受付嬢は顔は悪くないですが肉付きが悪くて。ぐわはは」
受付の彼女もかわいそうに。しかし、身の安全を確保して彼女の話を聞けば、いくらでもセクハラ、パワハラの証拠はでるだろう。
「それにしても美しいアーマーですね。素材もさることながら、名工の作でしょう。そんな鎧まで着込んでくるということは、ヨシノさんは監察官の業務でバネッサにお越しにということでしょうか?」
ミカエルは下卑た笑顔を崩さない。しかし目の奥は笑っていない。
「いえ、そうではありません。ヨシノさんは支部協力課の様々な業務を研修で体験してもらっており、支部の現場を知ってもらうために本日訪問させていただいた次第です」
俺の回答は、事前に準備した想定問答のとおりだ。
ヨシノが監察官の発令を受けていることは、支部ギルドにも配布される異動情報を見れば分かる。
支部ギルドは暇を持て余して、本局の人事異動をつぶさにチェックしているものだ。
「そうですか。どちらにしても、バネッサ支部は本局から遠い割にダンジョンもなく、薬草採取の依頼が中心の小規模なギルドですから、ゆっくりと見ていってください」
嫌味な言い振りだ。
ミカエルが不意に立ち上がり水屋に向かう。
「実は、いただきもののマカロンがあるんですよ。ちょうど紅茶も入ったので、どうぞお召しあがりください」
ソーサーに乗せられたカップと大皿に盛られたマカロンがローテーブルに差し出される。
「ちょうど小腹が減っていたのだ。ありがたい」
ヨシノがマカロンを一口で飲み込む。
しかも喉に詰まったのか、慌てて湯気が立つ紅茶を流し込む。
「お、おい」
俺は止める間もなく、奇声を上げるしかない。
公務員倫理法上、ミカエルから物をもらうのはまずい。しかも紅茶やマカロンは最近の転来品でかなり高価なはずだ。
「まあまあ、監察業務でないのですから、気兼ねなく食べてください。さあノンキャリの方もどうぞ味をみてください」
名乗ったにも関わらずの無礼な物言いに、顔が引きつる。
「う……」
ヨシノがうめき声を上げる。
「どうした。大丈夫か」
ヨシノの肩を揺する。
「うまい。このマカロンというもの、とてつもなくうまい。外側のサクサクの食感と中の濃厚なクリームのハーモニーが絶妙だ」
ふざけるな。吐いてでも元に戻せ。
「ぐぅおおおー」
突然の獣の遠吠えのような叫び声。
しかしヨシノが吐き出そうとしているのではない。
音は外からだ。
「ぐぅおおおー、うぉぉー」
再度の叫び声。
モンスターの咆哮か。近いぞ。
ミカエルは俺達に背中を向け、窓から見える離れに視線を投げかける。
離れは修練場を挟んで敷地内の反対側にある。
俺は修練場に通じる扉を開け、駆け出す。
背後でヨシノも走り出す気配を感じる。ヨシノの持つ剣が今は心強い。
「ちっ」
舌打ちの音が耳に入るが、気にはしていられない。
バタン。
離れの扉を開けると、薄暗い室内に檻と震える人影とが目に入る。
そして、むせ返るような緑の匂い。部屋の隅にある木箱に、大量の草が無造作に詰め込まれている。
「し、支部長、すみません。食事を出したのですが、急に暴れ出してしまい……」
受付嬢が檻の前で腰を抜かして動けないでいる。
「はあ、はあ。何が起きているんだ。ふう」
遅れて到着したヨシノが、息を切らせながら問いかける。
俺が聞きたい。
「はあ、シルバーウルフ。いや人狼か。ふぅ」
ヨシノの息使いが荒い。それほどの距離は走っていないはずだが。
ヨシノの視線の先、檻の向こうには体長2メートルほどの毛むくじゃらの何かが立っている。そう、四足ではなく二本の足で立っている。
全身の黒い体毛の隙間から血走った双眸が覗く。
「き、危機一髪」
人狼が呟く。
モンスターなのに、自我があるのか。
いきなり四字熟語。
事態が飲み込めず混乱する。
こんな毛の黒いモンスターはモンスターリストに載っていたか?
突然変異か。
いや、この陰険な雰囲気に覚えがある。
こいつ、風貌が大分違うものの、先日依頼をあっせんした、冒険者のクロードか。
「お前はクロードか。なんでこんなところにおんねん」
牢屋に駆け寄り問いかける。
「や、薬物乱用」
クロードが絞り出す。
バタン。
後方で離れの扉が閉まる。
窓のない離れの中が闇に包まれる。受付嬢の持つランプの光を頼りに目を凝らせば、部屋の様子はギリギリ見える。
「こんなときに何をやってんだ。だからお前はクズなんだよ」
「ひっ、すみません。ご指示の通りの時間と量で、薬を入れた食事を出したのですが……」
ミカエルの叱責に受付嬢が怯えた声をあげる。
暴言によるパワハラの典型例だ。
「まあ彼のお陰で、量の限界と効果時間は概ね分かりました。まだ自我もあるようですし」
ミカエルは満足そうにニヤついている。
「監察官様に見られてしまうとは計算が狂いました。辻褄を合わせなくてはいけなくなりましたね。荒ごとの多い町ですから、人の一人、二人消えたところで大きな問題にはならないでしょう。女キャリアとあんなことやこんなことができなかったのは残念ですが、死体でもできることはありますからね」
ミカエルは、にたつきながら指を握り込み、拳を固めだす。
装備が無いとはいえ、ミカエルの100キロを優に超える体重では、俺には抵抗の術は無い。
「おい、ヨシノ。非常事態だ。剣を抜いて取り押さえろ」
ミカエルを目に捉えながら、ヨシノに指示を出す。
というか指示無しで行動しろよ。
キャリアの癖に指示待ち人間なのか?
「うっ」
ヨシノは膝をついて胸を押さえている。
マカロンを喉に詰めたわけではないな。
毒か。
「やっと効いてきましたか。即効性の痺れ薬なのですが、時間がかかりましたね。流石は元S級のキャリアといったところですか」
満足そうなミカエルの顔が憎い。
「ぜっ、絶体絶命」
「お前、ほんまに危機感あんのか!」
牢屋の中からのクロードの呟きに反応するのが、俺の精一杯の強がりだ。
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