10.出張してよろしいか。

「またも全身毛むくじゃらの男が保護。上半身裸も身に覚えが無し」


 新聞クリッピング用に朝刊に目を通す。

 モンスターなのか変態なのか分からない事案が続いているようだ。


「おはよー」

 課長が課員全体に声をかけながら、登庁してくる。


 毎朝勤務時間の開始までに登庁し、明るく挨拶するだけでも立派なものだ。

 老若男女問わず、遅刻する職員も挨拶をしない職員も多数だ。

 


「おはようございます」

 俺も他の数人の職員と同じように挨拶を返しつつ、新聞クリッピングを中断して席を立つ。 



 

「課長、失礼します」


 個室に入ると、いつもの甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 課長は上着をハンガーに掛けているところで、仕事の話をするタイミングではない。

 ただ、飲み会の話は就業開始前の早目に終わらせておきたい。


  

「昨晩はお疲れ様でした。精算はこれくらいでよろしいでしょうか」


 局長4、課長3、俺2で傾斜配分した精算案のメモを手渡しする。


「お疲れ様ー。もうちょっと傾斜かけていいわよ。局長にいっぱい出してもらいましょ」


 課長から手書きで修正した精算案を渡される。

 局長6、課長3、俺1といった程度になっている。



「これ私の分ね」

 3枚の銀貨が課長の机に置かれる。


「ありがとうございます。局長には確認しなくて大丈夫ですか?」


「面倒くさいから無しでいいわよ。何かゴネてたら、『先週の貸しとチャラ』って伝えて」


「了解です。ご馳走様でした」


 局長にもお礼を言って、ヨシノにも上2人にお礼を言うよう伝えないといけない。


 会釈してから、退出しようと踵を返す。



「あ、あとでヨシノちゃんと来てくれる? 朝の業務が一段落してからでいいから」


「分かりました」

 少し振り返って、課長に返答する。





「失礼します。ヨシノさんとまいりました」


「ありがと。ドア閉めてくれる」


 課長は走らせていたペンを止めて、椅子に座ったままでこちらを見つめる。




「ヨシノちゃんの研修という名目で、バネッサの支部ギルドの様子を見てきてほしいの」


 課長は、いつものように茶化すのでなく、事務的な口調で用件を伝える。


「確かに支部ギルドの見学も研修の一貫だったと記憶していますが、『名目』ですか? それはバネッサ支部というのと関係してますか? あそこは、特定ギルドの中でも筋悪だと思いますが」


 バネッサ支部は、発注や照会の返答でこちらに迷惑を掛ける常連だ。

 先日も新規の冒険者登録者数の数字の齟齬があったばかりだ。


 窓口担当者自体は悪い人間ではないが、だからこそ上司と俺達支部協力課との板挟みで苦労しているだろう。



「ヨシノちゃんはバネッサという町を知ってる?」


 課長は俺への質問に直接答えない。


 バネッサの町は、大きな繁華街と近隣に広がる森林が特徴だ。

 辺りの森林は採取クエストに適している。いま不足気味の満月草を求めて結構賑わっているのではないだろうか。


「治安があまり良くない町だとは聞いています」


「そうそう。じゃあ、ギルドのバネッサ支部に行ったことは?」


「ありません」


「まあ古くからある特定ギルドだけど、あんまり質の良い依頼はないからね」

 課長は苦笑いしながらこぼす。


「特定ギルドとは何ですか?」 

 ヨシノが課長に質問する。


「特定ギルドは、町の有力者が元々運営していたギルドです。特定ギルドの支部長は、ギル庁プロパー職員が異動して就任するのではなく、有力者やその子孫が代々任命されているところです。結果、ギル庁のグリップが効きにくくなっています。その支部での独自の運用がまかり通ったりもします」

 課長の代わりに俺が説明する。 


 このあいだの予算ヒアリングでも言及したのだが、やはり覚えていないか。


「特にバネッサ支部はそこそこの規模があるのに、ギル庁採用の職員もいないから、中の様子が分かりづらいのよ。そして苦情やご意見の数はトップクラス。バネッサ支部の独自採用の職員の退職も多いわ」


「つまり研修にかこつけて、我々2人でバネッサ支部の様子を探ってこいということですか?」


「そういうこと。監察はヨシノちゃんの本務でもあるしね」 


 単なるアホの新人と扱うときもあるが、ヨシノは監査部の1級監察官で帯剣している。



「バネッサだと近距離出張ですね。ヨシノさんの旅費も支部協力課の予算から出してよろしいですか?」


 課の旅費は漸減傾向で、余裕があるわけではないが、近距離出張2人分程度なら捻出できる。

 ただ、出張命令と旅費決裁が必要となる。

 移動にも馬車で1時間以上かかる。

 

「予算はうちの課のを使ってちょうだい」


「決裁の準備もあるので来週で大丈夫ですか?」


「時期は任せるわ。今月中にはお願い」


 出張は外の空気を吸えるので嫌いじゃない。しかし、これで通常業務がまた滞る。

 遅くならない間に帰宅しないといけないし。


「日帰りでいいですか?」


「本当は泊まりのほうが色々チェックできるんだけど、アキラくんの事情もあるし日帰りでお願い」


「ありがとうございます」


 まずロジ(注:ロジスティクスの略。中身ではなく、移動手段や連絡などの準備)として、庶務係への決裁起案の依頼の手順、必要書類、来週の空き日程、バネッサ支部への事前連絡のタイミングに思いを巡らせる。

 次はサブ(注:サブスタンス。政策や行動の中身)の話か。




「具体的にどのような嫌疑、というのは言い過ぎですかね。どんな苦情が寄せられているんですか?」


「梅としては、支部長のセクハラとパワハラ。これは人事課にも、退職した職員からかなり情報が寄せられているらしいわ」


 特定ギルドにありがちだ。勘違いをしたお山の大将というところだろう。


「梅だと! 叩き切る!」

 ヨシノが嫌いな梅に対して、並々ならぬ敵意を示す。



「ヨシノちゃん、ごめんごめん。食物の意味じゃないのよ。それで竹として、バネッサ支部の新規冒険者登録がかなり少ないの。特に男性が」


「地元の冒険者を優遇するために新規登録を絞っているということですかね?」


 古株の冒険者が、依頼や報酬が減るのを嫌って、新人冒険者をいびったり、妨害することは良くある。

 ただ、新規登録を絞るとなれば、冒険者とギルドと結託しないと無理だろう。


「背景までは不明よ。男女差の理由も分からないし。だから情報収集をお願いしたいの」


 ハラスメントであれば個人の問題だが、冒険者登録の話となれば支部ギルドの組織的な違反だ。

 筋の悪さが加速していく。

 

「それらに加えて、松竹梅の『松』があるということですか?」


「うーん、何か具体的な懸念があるわけではないんだけど、あそこの支部長からすると、余罪がいくらあってもおかしく無いのよね」


 課長が珍しく困った顔をしている。


 俺はバネッサギルドの支部長の顔と名前を思い出そうとする。



「バネッサの支部長はあのヒキガエルみたいな男でしたっけ。名前は……」


 昨年の支部長会議に思いを巡らしながら、名前の記憶を辿る。


「ああミカエル支部長か。そのままでしたね」


「そうそう。思い出すだけで寒気がするわ。あのバーコードハゲ。会議の前後にいつも話しかけてきて、隙きあらば触ろうとしてくるから」


 それをセクハラの証拠にしたらいいんじゃないか。


「セクハラ、パワハラ、ビールっ腹で、ハラのデパートのくせに」


「うまいこと言いますね。支部長の地位は世襲でしたっけ?」


 世襲の支部長は総じて裕福なので、精神的にも肉体的にも弛んでいる人が多い。 


「あいつは世襲じゃないわ。元々冒険者でバネッサ支部に再就職して、それから前支部長に取り入ったの。冒険者としてはC級までいったからそれなりの腕。確か格闘家だったはずだけど、ずる賢いので有名よ。卑怯と狡猾の間くらいの戦術を使っていたらしいわ」


 卑怯と狡猾のどっちがましなんだ。


「そのくせに、自分のことを『天才ミカエル』とか自称している拗らせなのよ。陰では『如才のミカエル』とか『ちょこざいのミカエルとか言われてるわ。というか私が広めてる」

 

「ほう。それは一度手合わせ願いたいものだな」

 ヨシノが不敵な笑みを浮かべながら呟く。


「セク、即、斬の精神で、セクハラされたら即座に切り返して構わないわ」


「あかんやろ。こいつ本気にするで」

 課長の言を俺が慌てて修正する。


「いくら1級監察官でも、その剣を使えるのは、ギルドの組織犯罪や重大な違反行為のときだけです。セクハラやパワハラに対して、有形力を行使すると、私闘の禁止に反しますよ」


 なんで俺は監察官に自身の権限の説明をしてるんだ。


「いや、やはり叩き切る! 課長へのセクハラは万死に値する。私は課長のセイバーとして、悪徳支部長を成敗する」


 ヨシノには説明が全く通じていない。


「なにをうまいこと言おうとしてんねん。法治国家で成敗できるわけないやろ」


「軽いジョークだ。アキラの突っ込みどころをたまには用意しようかと思って」


 天然のボケだけで十分だ。


「そんな物騒なジョークいらんねん」


「突っ込んでくれなかったので解説すると、私の持っている剣は長剣なので、セイバー、つまりサーベルではない。だから『ヨシノちゃんが成敗するのは、サーベルやのうてロングソードでやろ』という指摘を待っていたのだ」


「ボケがわかりにくいわ! というか成敗の方をやめんか!」


 こいつは一体何がしたいんだ。




「しかしアキラ殿、セクハラも重大な行為ではないか?」


 ヨシノの感想は間違いとも言えない。


「それはそうですが、有形力を行使できる対象行為は、施行令に限定列挙されています。例えば、懲役5年よりも重い刑罰の犯罪で、収賄などが該当しますね」

 

「そういう訳だから、ヨシノちゃんは存分に暴れてきてね」


 どういう訳だ? せっかく鎮火したヨシノに、課長が再点火する。


「支部長の残ってる頭髪を焼け野原にしても構わないから」


 更に火に油だ。


「バネッサ支部の焦土作戦だな」 


「不穏な指示したらあかんやろ! この爆弾女が本気にすんで」

 課長とヨシノの会話がエスカレートしてきたので、冷水を掛けておく。 




「課長、雑なまとめは止めてください。ヨシノさんに冗談は通じないですよ」


 1年目とは言えキャリアに対しやや言葉が過ぎたかと思い、俺はトーンを抑える。


「じゃあ爆発物はきちんと処理しておくから、アキラくんは先に戻ってて。これから女性2人で、どうやってハニートラップを仕掛けるかの相談をするから」


 おとり捜査は違法じゃないかと思いつつ、俺は諦めて部屋を出ようとする。


「あ、忘れるところだった。午後にもう一度部屋に来てもらえるかしら。アキラくんにお守りをあげるから」


「わかりました」

 そう言って、俺はかしましい部屋の扉を閉める。

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