9.飲み物を追加してよろしいか。

「何だこれは」


 飲み会中の局長のつまらない話をぶった切って、フォークを手にしたヨシノが突然立ち上がる。


「ヨシノ君。どうしたんだね」

 局長がおののきながら呟く。


「このサラダに梅の気配がする」

 

 自分のサラダを一口食べてみると、梅は入っていないが、シソのドレッシングのようだ。


「ヨシノちゃん、これは結構酔っているわね」


 課長がポツリとつぶやく。


「顔色は全然変わっていないですよ」


「まあいろんなタイプがいるからね」

 

 局長は狼狽の色を浮かべている。


「ヨシノさん、まず落ち着いて、とりあえず座って下さい」


 俺の取りなしに、ひとまずヨシノは腰を下ろす。


「梅味のサラダなど許せない」


 サラダが許可申請することはないし、そもそもシソだ。


「シソのドレッシングが苦手でしたか。口に合わないなら残しておいて下さい。そろそろ他の料理も到着しますよ」


 ちょうど店員が大皿2つを持ってテーブルに向かってくる。


「唐揚げと串焼きの盛り合わせをお持ちしました」


 テーブルに置かれた皿からは、脂の焦げた香ばしい匂いが漂う。


「とりあえず鶏の唐揚げを食べて落ち着いて下さい」


 俺は空席にあった取皿をヨシノに差し出す。他のメンバーの取皿の交換はまだ大丈夫そうだ。


 ヨシノは唐揚げを一口で平らげると、ビールを流し込む。

 局長は落ち着きを取り戻したようだ。ただ自慢話を再開する勇気までは無いようだ。


「梅だけでなく、シソも苦手なんですね」


「これは梅とは違う食べ物なのか。この風味は梅だと思っていた」


「梅とシソは良く一緒に使われますが、シソは単独でも風味付けに料理に添えられますね。酒場の料理としては定番ですが、あまり酒場で飲み食いすることはなかったですか?」


 冒険者だったのに、との言葉は飲み込む。


「ソロで依頼をこなしていたので、基本は実家で家族と食事を取ることが多かった。しかし許せない。これまでは森で梅の実を発見したときは全て切り落としてきたが、これからはシソというものも根絶やしにしないといけない」


 それ農場でやったんじゃないだろうな。



 ボルテージが上がるヨシノに対し、局長はまだオロオロとしている。

 俺は串焼きを1本手に取り、余ったフォークで串から外す。串のレゾンデートルに疑問を感じるが、いつもの局長の好みの仕様だ。


 3本目の串を外しつつ課長を見ると、笑顔でビールジョッキを傾けている。これは完全に面白がっている。


 

「肉を巻いている葉もシソなので、ヨシノさんは気をつけて下さい」


 そう言って、俺は串を失った串焼き盛り合わせをテーブル中央に差し出す。


「何だと。またシソとやらが使われているのか。私を殺す気か? もはやこれまで。厨房のシソを切り刻んでくる」


 ヨシノが立て掛けている長剣に手を掛ける。


「それは料理人の仕事やろ!」


 俺が突っ込むと、課長は笑いを堪えている。


「では燃やし尽くすか」


「尽くしはしないが、加熱するのも調理の手順や!」


「ならば捻り潰す」


「お客の口に入れば、咀嚼されるから心配いらんわ!」


 課長は堪えきれず、腹を押さえて笑っている。




「ちょっとトイレに行ってくる」


 局長は空気に耐えきれず、席を立つ。


「お待たせしました。オムレツです。ご注文は以上になります。追加は大丈夫ですか?」


 入れ替わりで、オムレツが到着した。



 テーブルを見渡すと、ヨシノと課長のグラスは、残りのビールが5分の1くらいになっている。

 俺のグラスはまだ3分の1くらいか。


「お酒は同じものでいいですか?」


 俺は課長とヨシノに確認する。


「ビールのお替りを2杯お願いします」

 2人が頷くのを見てから、注文する。


「あ、お姉さん、ビールのお替りは3杯にしといて」


 課長が更に1杯注文する。


「ひとまず大丈夫です。お冷を1つお願いします」


「承知しました!」



「局長のグラスはまだ結構入ってますよ?」


「何言ってんの、アキラくんの分よ。さっきから全然飲んでないから調子が出てないじゃない。せっかく局長の財布も付いてるんだから飲んで、飲んで」


 課長に勧められるまま、俺はビールを流し込み、グラスを空にする。

 

「タンパク源のオムレツも来たので、食べて落ち着いてください」


「かたじけない」


 ヨシノはスプーンでオムレツの半分を自分の取皿に運ぶ。

 取りすぎだが、局長も課長も少食だし、今日はヨシノの歓迎会だ。


「ふっくらとして、おいしいオムレツだ。梅もシソも入っていない」



「追加のビールお待たせしました!」


 冷えたビールジョッキが3杯到着する。

 


「少しは落ち着いたかしら。酔っ払うと、攻撃性が高まるのかもね」


 課長はジョッキをヨシノに回しつつ、ヨシノに声を掛ける。

 敢えて攻撃性を高めていくのか?


「そうかもしれません。面目ないです」


 そういう酔い方なのか。酔っ払ってデレるとかでも構わないのだが。


「攻撃するなら、局長をやっちゃっていいから。サンドバッグや巻藁とでも思って」


 課長がオムレツの一欠片を取りつつ、不穏な発言をする。


「分かりました」


「分かったらあかんわ!」


「そうなのか。監察部長とも一戦やり合ったので、局長との手合わせもできるのかと思った」


 課長が腹を抱えて笑っている。

 監察部長は一応キャリアの武官だが、局長は見るからに事務官だ。



「局長はもう上がりの年次か、良くても衛星軌道なのに、まだ事務次官レースに戻ることを諦めてないのよ。同期のエースが官房長なのに。だから無茶な思い付きで成果を出そうとしてて、それが鬱陶しいのなんのって」


 局長の思い付きが俺に降りてこないということは、課長がブロックしてくれているのだろう。

 素直にありがたい。


「だからヨシノちゃんは本気で切り刻んでも良いわよ。局長は、眠りのカザマとか、動かざることカザマの如しとかの二つ名で呼ばれている有名人なの」


「それは冒険者の渾名やのうて、ギル庁内での蔑称やろ!」


「ほう。やはり局長ともなると通り名が付くほどの実力を兼ね備えてるわけか」


「ヨシノも真に受けたらあかん」

 


 

「それにしても、お酒も進んできたし、局長がいないと、アキラくんの突っ込みはキレっキレね。もう局長はこのまま帰ってこなくていいわ。あいつ、本当は商務省に行きたかったけど、官庁訪問で採用されなかったから、ギル庁に来たのよ。だから商務省を目の敵にしてめんどくさいったらありゃしない」


「ギル庁は人気が無いですからね」


「そうなのか」


 ヨシノが不思議そうに聞き返す。


「そもそもギル庁は『省』じゃないので格が落ちますからね。予算も権限も人員も少なくて、各種の商業を所管する商務省なんかとは比べ物にならないですよ。当然、公務員志望者からの人気も無く、試験合格した後の官庁訪問でも第二希望以下のことがほとんどでしょう」


 だからこそ俺のような志望者を採用してくれた訳だ。




「課長はどうしてギル庁を志望したんですか?」


「ははは。数年前のことだから忘れちゃったわ」


「桁が足らへんわ! 痛っ」


 テーブルの下で課長にスネを蹴られた。


「まあ私も大学時代にバイトで冒険者をちょっとやっていて、その縁もあってね。あと、私は、補助金や規制で国民を縛るよりも、民間の力を活かす方が性に合ってると思ったの。大規模なギルドのネットワークを効率的に運営するのは、国でしかできないと考えてもいたし。将来的には民営化してもおかしくはないけど」


 課長が珍しく語っている。


「課長も冒険者だったんですね。帝都大の武闘学部以外で冒険者をするのは珍しいですね」


「E級どまりの駆け出しよ。危険もあるけどバイトの割はいいからね」


 噂によると課長は苦学生だったようだ。


「クラスは何ですか?」


「魔法使いよ。後衛職だから前衛のヨシノちゃんと相性は良いでしょ」


「そうですね。私は、強化系の魔法と回復魔法も習得しているのでソロでも完結できるのですが、本当は遠距離攻撃系と組むと安定しますね」


「じゃ、今度の休暇に組んで一狩り行ってみる?」


 課長が冗談めかして言う。


「あっ、いえ。パーティでは周りに迷惑を掛けるので。遠慮しておきます」


 ヨシノは、予想以上に狼狽して否定する。


「公務員は兼業規制があるので、基本冒険者との掛け持ちは禁止されています。課長のしょうもないジョークですよ」


 俺もつい慌ててフォローしてしまう。


「ごめんねヨシノちゃん。そもそも最近は鍛錬していないから、もう実戦は駄目ね、私は。魔法は日々の鍛錬を怠ると、威力も精度も落ちるのが激しいのよね。もう10年以上攻撃魔法は使ってないから、小さなファイアーボールを1メートル飛ばすのがやっとよ。二日酔い対策に回復魔法はよく使っているけど」


 課長も少し饒舌になっている。


「私は、ソロに拘りがあるわけではなく、パーティでの活動があまりうまくいかなくて、ソロになったんです。昔は5人とかでパーティを組んでいたんですが、どうしても私だけが戦闘の中心になったり、でも上手く指示が出せなくて周囲が怪我をしたりして……。他のメンバーの期待に応えられず、リーダーとして最善の決断もできなくて」


 ヨシノの表情が曇る。


 課長を見ると、顎を少しヨシノに向けて動かし、俺にフォローしろとサインを寄越す。


「例えば、失敗した決断はどんなものがあるんですか?」


 俺はなるべく抑揚なく質問する。


「……5人で暗黒竜に挑んだ時に、後衛のヒーラーが深手を負った。その時に、速攻で倒す、私がヒーラーを回復する、一時撤退するとか色々な選択肢があったのだが、人命の救出、安全の確保、素材の保護、考慮要素がありすぎて混乱してしまった」


 ヨシノの表情が更に曇り、課長は俺を非難の目で見ている。


「で、リーダーとして、どういう決断になったんですか?」


「……暗黒竜の討伐を優先した。結果、ヒーラーの右手には後遺症が残ったし、クエストとは赤字スレスレだった」


「それで良いんですよ。『何を決断するか』ではなく『何かを決断すること』が重要なんですよ。後のことは全て結果論です。言いたい人に言わせておけばいいんです。ただ、上に立つ人が決断しないと、下は困るだけです」


 横に座るヨシノが驚いた表情で俺を見ている。

 キャリアに対して偉そうなことを言ってしまったか。


「あの局長のように、様子見と先送りを繰り返していても状況が好転することはありません。まずは決めることが重要なんです」


 課長も頷いて同意してくれる。

 いつも局長には苦労させられているはずだ。

 

「ああ。ただ我々のような下っ端は別ですよ。一人で決めるのではなく、報連相を基本にして……」


 

 ふと周りを見ると、トイレに続く廊下から局長がこちらの様子を窺っている。

 小心者なので、雰囲気が落ち着いているかをチェックしているのだろう。



「そろそろ局長が戻って来そうですね」


 視野に局長を入れつつ、課長を見ながら呟く。


 課長は満足そうな顔をしており、俺のフォローがあながち間違っていなかったことが分かる。


「ずっとトイレに籠っていてもいいのに。どうせ『あれは俺がやったんだ』というアレオレ詐欺か職場の噂話くらいしかしないんだから。ヨシノちゃんは、適当に『さしすせそ』で返事しておけばいいから」


「『さしすせそ』って何ですか?」


「『さすがですね』、『知りませんでした』、『すごいですね』と後は何だっけ。『せこい』、『そんなばかな』とかかな」


「後半が適当過ぎや。新人が本気で使ってまうで」


 ヨシノは言われたことを真に受けがちだ。


「そんなばかな」


 課長が大げさに驚いた風に声をあげる。


「何で自分で使ってんねん!」

 

「もう局長呼びますよ。局長の飲み物をおかわりされる前に、残りのご飯を食べてさっさとお開きにしましょう」


 局長に向かって大きく頷き、テーブルが落ち着いていることを知らせる。


「そうね。30分は過ぎちゃったけど、早めに締めましょう。今の時間ならアキラくんのお家もまだ大丈夫でしょ。じゃあアキラくん、悪いけど、お会計してきてくれる。精算はまた明日で」


「さすがですね」


「そういうのいいから」


 課長が笑いながら手を払って、俺に会計を促す。

 

「すみません。先にお会計お願いします!」


 店員に声を掛ける。


「ありがとうございました!」


 テーブルに歩いてくる局長が何やら呟いていたが、店員の応答にかき消される。




 顔の火照りから自分が微酔いであることを自覚する。会計の前に多少は酔いを覚ましておきたい。

 俺は右手を首に当てて、脈動を意識する。

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