8.乾杯してよろしいか。
「アキラくん、ヨシノちゃん。今夜、歓迎会しても大丈夫?」
ヨシノへの業務説明中、不意に課長から声が掛かる。
「今夜ですか?」
直近締切の作業は無いが、残業して片付けたい業務がいくつかある。
「そんな嫌な顔しないでよ。局長がどうしてもヨシノちゃんの歓迎会をしたいと聞かなくて」
局長が若い女性と話をしたいだけか。
俺達が所属する支部協力課は、ギル庁の環境整備局にぶら下がる課の一つだ。カザマ環境整備局長は直属の上司であり、実質的な意思決定者となる。
「私は大丈夫です」
主役のヨシノは参加可能と。
開催は既定路線となった。
ヨシノの世話で通常業務が滞っているが、どうしても参加できない理由はない。
「30分一本勝負で何とかするから付き合ってよ。先輩として、かわいい後輩をあの局長の前に一人で晒すわけにもいかないでしょ」
「……分かりました。二次会はあっても参加しないので」
30分一本勝負が30分で終わったためしは無いが、もはや仕方無い。
キャリア3人にノンキャリの俺わ加わり4人。
しかも新人は主賓だし、俺が一番下の役割か。
考えるだけで憂鬱になる。
「ありがと」
「場所はいつもの酒場でいいですか? 4人なら予約も要らないですね」
「そうね。じゃあ定時になったら、みんなで出ましょう」
庁舎から徒歩5分の酒場のドアを開けると、20程あるテーブルの内、既に5卓が埋まっている。
いつもの女性の店員がジョッキを運んでいる。
「いらっしゃいませ!」
「4人でお願いします」
「お好きなテーブルにどうぞ」
店の奥の6人掛けの長方形のテーブルにカバンを置いて席を確保する。
あとの3人はまだ入口付近だ。局長はヨシノと頭一つ分の差があり、見上げながら嬉しそうに話している。
「局長はそちらに、ヨシノさんはその向かい側にどうぞ。課長は局長の横でいいですかね」
上座である壁側奥に局長を誘導し、その対面にヨシノを座らせて2人が話しやすいようにする。
自分は注文をしやすい下座。局長から対角線上で遠いことだけは幸いだ。
「お飲み物はいかがなさいますか?」
全員が席につくと、間を置かずに店員が注文を取りにくる。
「とりあえずビールでいいですか?」
3人の顔から無言の肯定のサインを読み取る。
「ビール4つ、ジョッキでお願いします」
「喜んで!」
店員が気持ちよく返事をし、キビキビと歩いて厨房に注文を伝えに戻る。
「ビールお待たせしました!」
注文から1分程度で、冷えたビールが到着する。
このビールを冷蔵保存する技術も転生者によってもたらされた恩恵だ。
「それでは局長から乾杯の音頭をお願いします」
俺から局長に最初の発声を振る。
「環境整備局にヨシノ君が研修で来てくれました。ギルドの現場の最前線での経験を今後の職務に生かしていただければと思います。もっとも、ヨシノ君は学生時代から冒険者としてギルドの依頼を多数こなしているので、利用者側の目線で……」
「局長、結婚式じゃないんですから、まずは乾杯しましょうよ」
課長が巻きを促してくれる。
局長はやや不満げだ。
「そうか? では、ヨシノ君、環境整備局へようこそ。乾杯!」
「乾杯!」
3つのグラスが高い音を立ててぶつかる。
俺は自分のグラスを他のものよりやや下側に軽く当てる。
うまい。
労働後の一口目のビールはうまい。
その後に上司の下らない自慢話に付き合うことが確定していたとしても。
「食べ物は適当に注文していいですか? 何か食べられないものとかありますか?」
メニューをめくりながら、俺は他の3人に問いかける。
「何でもいいわ。アキラくんのチョイスでよろしく」
課長は分かっている。
「私は高タンパクのものが食べたい。あと梅は嫌いだ」
ヨシノはアスリートか。
「串焼きの盛り合わせが欲しいな。あとサラダ。健康のために野菜を摂ってバランスのいい食事にしないとね」
局長が取分けに面倒なものをご所望だ。
「ヨシノ君は東都大の出身だっけ。I種の武官採用ということは武闘学部だよね」
「うむ」
ヨシノは局長でも、敬語を使わないのか。敬語を使うのはバトルで負けた人だけと。
しかし局長は気にする様子も無い。
道すがら話をして、既に慣れたということだろうか。
「僕も東都大の法学部出身なの。ミヤコ君も同じ。でも、武闘学部と他の学部はカリキュラムが違うからほとんど接点ないよね」
キャリアの皆さんはこの国一番の大学出身のエリートだ。
「武闘学部は座学が少なく、実習や遠征も多いのであまり他学部の知り合いはいない」
ヨシノが応答すると話が途切れる。
「……アキラ君はどこ大だっけ?」
「西の方のFラン大学です」
この質問と回答は最低3回目だ。話の繋ぎに質問するのはやめてほしい。
「へー。西の方からこの首都まで出てきたんだ。法学部? 経済学部?」
「法でも経済でもないです」
局長とのこのやり取りも何度か記憶にある。
「すみません。注文お願いします」
会話を切るためにも、手を挙げて店員を呼び止める。
提供が早そうなツマミ、ヨシノ用に鶏の唐揚げとオムレツ、局長指示の野菜サラダと串焼きの盛り合わせを注文する。
「ヨシノ君はI種試験の席次は何番だったの?」
「2番だ」
「それはすごいね」
局長が心底驚いた顔をしている。
自分が11番だったという自慢が、自慢にならなさそうだからだろう。
「ヨシノ君はどうして冒険者管理庁を志望したの? I種の武官の合格者で席次がそんなに上位なら、警務省とかに入省する人が多いと思うけど」
「局長、今は人物本位の採用になっているので、大学名や試験の成績で人気の省に入れた昔とは違うんですよ」
課長が「昔とは」を強調して、局長を皮肉る。
しかも、その昔であっても、局長は、試験の席次が上位にもかかわらず、志望者の少ないギル庁にしか採用されなかったという二重の皮肉でもある。
ただ局長は気付いていないようだ。
「ええと……。大学の時にギルドには世話になった。自分は、近視眼的な見方しかできず、独善的に全て力技で解決しようとしてきたのだが、ギルドの職員との関わりの中で、物事を多面的に捉えて、柔軟に対応することを学んだ。すると、それまで失敗続きだった依頼が達成できることが増え、冒険者として成長することができた。そういうギルドの職員になり、冒険者のポテンシャルを十全に発揮できるようにしたいと感じたのだ」
ヨシノが珍しく饒舌に喋りだす。
しかし本当か?
課長からは、確か『全部暴力に訴えていた』みたいな話を聞いたのだが。
課長を見遣ると、目線が絡む。
目が少し細められて、俺だけに聞こえる程度の声で
「個人の感想です」
と呟く。
「局長はなぜギル庁に入庁したのだ」
「えっ。僕?」
局長が戸惑いを見せる。
「私も局長の志望理由を聞きたいわ」
課長がにやつきながら、追い打ちを掛ける。この顔は既に回答を把握しているのだろう。
「民間ではなくて国にしかできない、社会全体の利益になることを……」
「国家公務員ぽいところだと、外務省とか商務省とかの官庁訪問は回らなかったんですか?」
課長が被せ気味に質問する。
「ピクルスの盛り合わせと季節のサラダです!」
タイミングが良いのか悪いのか、店員が第一弾の食事を持ってきた。
「すみません。サラダ用に取皿をもう一枚ずつ貰えますか」
「商務省は面接は受けたのだが、双方に見解の相違があって……。いや、商務省は許認可権限や補助金を盾に自分達の思い込みだけで、経済を動かそうとして失敗ばかりだ。我々、冒険者管理庁は冒険者と依頼者のプラットフォームとして、社会に必要な機能を……」
酒場で他省庁の悪口を言うのは褒められたものではない。自分の所属先に言及することも不用意だ。
誰が聞いているのか分からない。
それ以上に、局長の話がつまらないので、サラダの取分けに注力する。
「依頼が増えれば増えるほど冒険者にとってもギルドの魅力が高まり、優秀な冒険者が登録されるようになる。そうすれば、依頼者にとってもギルドの価値が上昇し、更に依頼が増えていく。このサイクルを正しく回していくことが我々の……」
局長、課長、ヨシノの順にサラダの小皿を目の前に置く。
課長は既に話半分でピクルスを手で摘んでいる。
ヨシノは興味深そうな顔で局長の話を聞いている。
課長や俺にとっては既に何度も聞いた演説と武勇伝ばかりだ。次は商務省との折衝や20年前の法改正の苦労話あたりを語るのだろう。
「何だこれは」
フォークを手にしたヨシノが突然立ち上がる。
どうした?
ついに焼きが回ったか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます