第三章 ミスターX
翌日、五月十日。
結局のところ、何の準備も心構えもないままに、さやかはその日の学校を淡々とすごしていた。いつもグループの中ではおとなしいさやかだったが、少し元気が無かったせいか、友人達はどうかしたの?と度々話しかけてきた。何も無いといって誤魔化すのが少々煩わしかった。
その日の予言、授業もろくに集中が出来ないくらい、前日からさやかの頭の中にあったその内容だったが、どう考えてもブログに書いてあったことは単なる日常だった。それだけに心の構えのしようなく、また積極的に友人達に相談する気にもなれず。そうして、一人悩んでいるうちにまたも何事も起きぬまま放課後になっていた。
『顔合わせ』という言葉と、『先輩との出会い』を予言した内容が気にならない訳では無かったが、顧問の教師がいる場では何も起こらないだろう。そう考えたさやかはホームルーム終了後、部室があるという中館に向かっていた。
部室の存在は例のブログで知ったことだったが、場所は予定表にちゃんと記してあった。
顧問のみでなんとか続けていたクラブだということと、平常の活動らしい活動がないということから、さやかは新聞部に部室があるということをそもそも考えもしなかったのだが、伝統ということか、創設の昔のまま部室はあるようだった。
中館二階には新聞部の部室と、階段を挟んで化学実験室、そしてその準備室がある。
顧問である化学教師は職員室とは別に、その準備室を自身の居室の様にしているので大抵はそこでつかまえる事ができた。日記の件は気になっていたので、直接部室へ行く前に、まず顧問に会うべくさやかはその準備室へ向かったのだが、そこには誰も居らず締め切ってあったので、結局は予言どおり、部室を訪れることになった。
新聞部の部室というのは、今は使われていない教室の隣、準備室程度の大きさの小部屋だった。部屋の外見は上に新聞部というプレートがなければ、階段横の倉庫のような開き戸があるだけだったが、その扉に百円ショップで買ったようなプレートが掛かっていて、見ればすぐにそことわかる場所だった。
ノックをしようと入り口に近づいてみると、扉は数センチ開いていた。礼儀としてはそれでもノックすべきだったのかもしれないが、さやかはつい扉に手をかけて中を窺うようにゆっくりと引き開けてしまった。
覗き込んだその僅かな隙間から見える光景は薄暗く、家具のある割に物が整理されていない印象の室内だった。
しかし、薄暗いとは言え、南向きの窓からブラインド越しに入る光は、さやかが引きあけた扉から入る光よりも明るく、それら幾筋もの光が目の前の机から壁を伝い、屈折する縞模様を描き出していた。
その中途に、光線を一部遮るように誰かが立っているのが見えた。
少し机に向かって屈み込んだ影、縞模様に抜き出されたのは女子の制服だった。
縫い付けられた名札の色は上級生のもののようで、しかし名前は良く見えない。ゆっくりと上げた顔には眼鏡をかけていて、レンズの反射光が顔の中心でぼおっと浮かび上がった。
「あ…」
――日記どおりだろうか…。
部屋に足を踏み入れた瞬間、一抹の不安が脳裏を掠めた。反射的に入り口の電灯スイッチを探す。それはすぐに見つかった。室内が明るく照らし出される。
机の向こう側にいる少女は、蛍光灯の光に一瞬目を細めたが、直ぐとさやかのほうを見て声をかけた。
「えっと…あなた、新聞部の人?」
それに応えるのを一瞬忘れて、さやかは蛍光灯に照らされ露わとなった部屋の内部と、少女の様子を改めて観察していた。
肩までのボブカットは艶のある綺麗な黒髪だった。やや長めの前髪が細長く丸みを帯びた赤いセルフレームに掛かっている。先程見えなかったその奥の瞳は訝しげにこちらの様子を窺っていたが、その目尻はどちらかと言えば優しく垂れ下がっていて、顔全体の表情にも全く敵意は感じられなかった。実際には、その少女の表情に寧ろ好感さえ抱いたことをさやか自身、意外に思った。
「あなた、新聞部の人?」
――ブログには、苦手と書かれていた…。
しかし、そのブログはさやかが書いたものではない。
――書いた人物はこの少女を苦手にしている誰かなのだろうか?
「あの…ねえ?」
「あ、はい。そうですけど…」
呼びかけに応じるのに随分時間が掛かった。反射的に『はい』と応えたものの、さやかは今の質問に正しく答えたかを一瞬考えた。
「えっと、今日は、あるのよね?」
「はい?」
まだ、良くわからないまま会話をしていたさやかは、おずおずと問い返した。
「えっと、なんでしょう?」
「ミーティング…じゃないの?」
「あ、はい、多分…」
「多分?」
さやかは何か噛みあわない雰囲気を感じた。だが、決して相手に対して苦手意識を持った為ではなかった。しかし、同様の違和は相手の少女も感じているようだった。何かがズレている、そんな感覚だった。
「あの、先生まだでしょうかね…先輩?」
そう言うと少女は少し妙な表情をして、肩を竦めた。
「ああ、そうね…えっと…」
眼鏡の少女はさやかの様子を窺うような目つきをした。
「あ、私、一年の杉村さやかっていいます」
「杉村さん…」そういうと少女は暫くさやかの方を見ていた。真直ぐ見つめ返されたさやかはその視線に少し戸惑った。観察を終えると、2、3頷いてから少女は言葉を続けた。
「そう、私は二年の秋津よ、秋津史子っていいます。よろしく」
そういって微笑みかけてきた少女、秋津史子に、さやかは笑顔を返した。
少し戸惑いはしたものの、秋津の笑顔に安心したさやかは自然と思っていたことを口にした。
「でも、私一人じゃなかったんですね勧誘されたの…良かった。新聞部一人かと思いましたよ。最近まで部員ゼロだったんですよね? 先輩はいつ入部されてたんですか?」
「え?」
秋津の表情が再び怪訝なものに変わった。
「どういうこと?」
「へ?」
二人の少女はその時、同時に眉根を寄せ、口を開いてお互いを見ていた。どうやら何らかの齟齬がはっきりしてきたようだった。
「あの、私…は新聞部じゃないけど…えっと、あなた新聞部じゃないの?」
「はい、でも、え? あれ…」さやかは当惑した。思わず聞き返す。「先輩…じゃないんですか? 新聞部の…じゃあ、どうしてここに居るんですか?」
「どうしてって…今日はミーティングだって、呼ばれたから」
――呼ばれた? どういうことだろう?
ブログの記事から。さやかは彼女、秋津史子のことを、新聞部の先輩だと思っていた。が、それは違っていた。彼女自身が否定しているのだから仕方が無い。
しかしそれならば、呼ばれて今日のミーティングに来たという彼女の発言はどういうことだろうか。先ず、彼女は何者なのだろうか?考えの途中、さやかは先程の問いかけに自分が答えていない事に気付いた。秋津はさやかに『新聞部ではないのか?』と聞いている。つまりそれは、新聞部なら部員を知っているのではないか? ということだ。さやかにとってその日は初顔合わせとなるはずだったので、部員がほかに居たことは知らない。それまで、部員はさやか一人だと思っていたのだ。
『部室で出会ったのは二年生の先輩』
――あれは、先輩部員との出会いを予言していたわけではないのだろうか?
とにかく説明をしなければいけないと思ったさやかは、自分は初めてミーティングに参加する予定だったこと、部員は自分一人だという認識しかなかったことを説明した。
黙ってそれを聞き終わると、うーん、と唸るように言った秋津史子は、右肩に左手をあて、凝りを解す様に大きく首を傾げると、どっかとその場にあった椅子に腰を下ろした。視線は室内、入り口の天井付近に掛かった時計の方を見つめ、今度は右手の肘を机について手のひらに丸みのある頬を載せた。
「なるほど…私は、ミス研なんだけど…」秋津はさやかを見ずに、独り言のように説明を続けた。
ミステリィ研究会に所属している秋津はこの日、新聞部のミーティングに呼ばれていたらしい。ミス研のメンバーが、何故新聞部のミーティングに招聘されているのかと言うと、顧問が行事関係の記事以外に、他の文科系クラブ、同好会に声を掛けて原稿を募集していたからなのだった。他には文芸部、漫画研究会などにも声が掛かっており、各クラブどういった記事を寄稿するのか話し合う予定だったのだという。
秋津はさやかが来る少し前に、化学準備室が締め切られているのを確認し、しかたなくこの部室を訪れたようだった。彼女が来たときには既に扉の鍵は開いていて、中には誰も居なかったということだった。
「…そうだったんですか」
状況を把握したさやかだったが、何故か釈然としないものを感じた。
互いに誤解は解けたわけで、そこに不都合な点があるわけでもなかったが、何かしらの違和感が残った。
頬杖をついていた秋津はふと顔を持ち上げ、見つめていた方向を指差すと言った。
「それにしても…遅くない? 皆、先生とか…」
さやかはつられるようにその指先を見た。部屋の入り口、扉の斜め上の位置に時計があった。時計は当初予定していた開始時間、午後四時から既に十五分を過ぎていた。
「そう…ですね」
顧問は何か用事があるのかもしれない、しかし、他のクラブ活動にも声を掛けているなら、秋津の他に誰か居ても良いはずだった。新聞部の部室がある中館二階の階段付近は、基本的にそう人気のある場所でもなかったが、外に足音一つ聞こえず、誰か来そうな気配は無かった。
秋津は一度大きく椅子の後ろに反り返ると、ゆっくりと立ち上がり、L字型の机をまわってさやかの前に出た。
「ちょっと、先生呼んでこよっか…」
そう言うと、秋津はドアを開いた。
「あの…」
「あなたは、待ってたら?」
その言葉どおり、本当なら誰か待っていた方がいいのかもしれないと思いつつ、さやかはそこに一人で其処に残りたく無かったので、秋津が開いたドアに手をかけて「私も…行きます」と、一緒に部屋を出た。秋津は少し眉を上げ首を傾げたが、そう? とだけ言って扉を閉めた。
二人は並んで廊下を歩く、向かう場所といえば先ず顧問の居ると思しき場所である。階段、渡り廊下を経て、二人は南館の三階にある職員室に辿り着いた。来る途中、そちらの方向から、新聞部部室へ向かう人とすれ違うような事は無かった。
失礼します、と一言、職員室の扉を開く。
放課後とは言え、クラブ活動の監督やその他の詰所があるせいか、職員室に人影は疎らだった。最も近くの席の数学教師に、秋津が声を掛けた。
「あの、すいません」
どうした? と言う顔で数学教師が顔をあげた。
「濱先生…化学の安原先生はこちらにいらっしゃいませんか?」
「安原先生?」鸚鵡返しにその名をよんで立ち上がった数学教師はあたりを見回した。
「ここには居ないね、準備室は?」
「いらっしゃいません」
「そっか…」
「あれ、安原先生なら」隣に居たの国語教師、徳本が言った。
「この一週間休みじゃないですか?」
「そうなの?」数学教師は首を傾げた。
「濱先生聞いてないですか?」
「安原先生、どうしたんですか?」秋津が聞いた。
「別に病気とかいうわけじゃないんだよ。一週間くらい海外に用事があるんだそうだ。安原先生殆ど休む事はないし、授業分はきっちり調整してあるはずだけど、一年生は連絡うけてるだろ?」
「海外…ですか? あの、その連絡って…」
「今週の授業は休みだって聞いてない?」
そういえば、今週、化学の授業は休みだったとさやかは思い出した。が、その授業は明後日のことだったので、特にこの日のミーティングとの関係は考えていなかった。
「えっと、今日、新聞部のミーティングが予定されてたんですけど…」
「そりゃ、忘れてたのかな先生」
その時、失礼しますの声とともに職員室の扉が開いた。
「秋津?」
入ってきた女子生徒は秋津の姿を見て軽く左手を上げた。手には学級日誌を持っていた。
振り向いた秋津は、ああ、とだけ応えた後、少し考えるように顎を引き視線を落とした。女子生徒は目の前に居た数学教師、濱に日誌を渡すと二人の方を見た。
「どうしたの秋津?」
女子生徒は秋津の名を呼んだ後、気付いたようにさやかの方を見て言った。
「…あなた、秋津の後輩? えー? ねえ、ミス研なんか入るんなら、文芸部に来ない? あ、私は二年で部長のアキノっていうの、よろしく」
アキノ…秋野?
少女の自己紹介に、さやかは適当に漢字を思い浮かべた。
「えっと、私、杉村さやかって言います…アキノさんって…」
「ねえ、山田」
唐突に秋津が割って入った。
「こら、バカ、秋津」
不満そうにその少女、山田明乃は言い返した。彼女は苗字で呼ばれるのが嫌いだった。
「さやかちゃん? 私の事はアキノって呼んでね」
「山田」秋津はむっとした山田明乃を無視するように言った。
「あんた、文芸部よね? 今日の新聞部のミーティング、誰が参加するの?」
「え?」山田明乃はむくれていた様子から一転、意外そうな表情で言った。
「それって、無くなったんじゃないの?」
「なくなった?」さやかと秋津は同時に言った。
「どういうことですか?」
「え? 昨日のうちに連絡来てたでしょ?」
山田明乃の説明によると、前日に書面にて連絡が来ていたということだった。その時、確認を取りにも行ったそうだったが、安原は準備室におらず、部室も鍵が掛かっていたとのことだった。
秋津はその説明を聞いている間、首を傾げたままだった。
「そうそう安原先生は昨日から居ないぞ?」付け加えるように徳本が言った。
「うちには…来てなかったみたいだけど?」
「そうなの? まあ、他も届いてんじゃないの?」
山田明乃は首を振って肩をそびやかすようにした。
「誰が持ってきたか分んないけど、部室の扉に挟んであった。最後には新聞部って書いてあったから…そういえば、部員集まったのかな? あそこ…」
「んー」秋津はまた一つ唸ってから、腕を組んで下唇を噛んだ。
*
職員室を後にしたさやか達は、その足で安原が声を掛けていたと思しき文科系クラブを順に訪れた。最初に山田が文芸部に引っ張って行って、例の連絡に使われたプリントを見せた。
『今回のミーティングは顧問不在のため延期します――新聞部』
とB6サイズの用紙に印刷されており、下に次回の活動予定日が記されていた。
調べてみると他の文科系クラブ、漫画研究会、演劇部、映画研究会など声の掛かっていたクラブにも同様の連絡が新聞部名義で出されている事が確認された。そのなかで、ミステリィ研究会だけに、その連絡用紙が来ていなかった。秋津は一度ミス研の部室に戻ってみたが、部屋にそういったメモは見当たらなかったとのことだった。前日にもそんなものは届いていなかったらしい。
「さて…どうしたものかなぁ」
秋津がぼやくように言った。
今は文芸部員、山田明乃とは別れ、新聞部部室に戻っていた秋津とさやかだった。
ミーティング中止の連絡は新聞部員であるさやかと、そしてミス研を除いて伝わっていた。そして、その差出人は新聞部。
もちろんさやかが出したわけではないので、誰か他の新聞部員がいた。ということになるらしいが、その人物は部室には居らず、いまだに開け放したままの部室に帰ってくる様子も無い。
やはり状況はさやかにとって違和を感じずにはいられないものだった。
今回は秋津をもその状況に巻き込んでいる。彼女はミス研ということもあって、おそらく興味から、この状況を考え込んでいるに違いなかったが、さやかも今までの出来事を含め、何処までを彼女に説明するべきかと考えているところだった。
「一番、無難に考えるとさ…」
秋津は最初そうしていたように、机を回り込んで椅子に腰を下ろすと徐に口を切った。
「新聞部員、やっぱりあなた以外にもう一人いて、その人が私たちにだけ連絡を忘れてて、その上…ここの戸締りも忘れていた。ってだけのことなのかもしれないけど…」
「そう…なんでしょうか」
さやかもそういった偶然を考えてみた。が、すぐに、それは違うと思い直した。なぜなら、今日の秋津との出会いは前日の日記に予言されていたことだからだ。
――おそらく、この状況は必然に違いない。
『でも…』そう切り出そうとしていた言葉は、先に秋津に言われてしまった。
「でも…なんか、変よね、ここが開きっぱなしになっているというのも、昨日、山田が来たときは閉まってたって言うしね…大体、未だ顧問しか認知していないとしても正規の新聞部員に情報が伝わっていないってことがおかしいわ。いや、どっちだろう」
さやかは秋津の言葉に考えながら応えてみた。
「どちらか…というのは私以外に新聞部員がもうひとり居るのか…それとも、誰かが、新聞部員って嘘をついて連絡を回している。そういうことですか?」
「うん」秋津は机の上に腕を組んでそこに唇を当てるようにした。
「この部屋の鍵って、誰が管理しているのかな…あなたは、ここの鍵を持っている?」
「いいえ」
「さっき、職員室でも確認したんだけど、部室の鍵っていうのは、大体職員室で管理してるらしいの。でも、ここみたいな空き教室の鍵って、大体顧問の先生が管理者だったりして、その鍵を部長が預っているってケースも多いみたい」
「私は…全然そんなの預かってもいないですし…やっぱり先生が持っているんでしょうか?」
「そうかもしれないし…その、もう一人が…だって、ここを空けられるのって、結局関係者じゃなきゃ無理なわけでしょ…あれ?」秋津は頬杖をついて机の端を見つめていたが、何かに気付いたように片方の手を伸ばしそれを摘み上げた。
「それ…」
秋津が摘み上げたのは鍵だった。彼女はしばらくそれを眺めていたが、何も言わずにさやかの方に差し出して、顎で入り口の扉を示した。さやかはそれを受け取ると、外に出て扉の鍵穴に差込み回してみた。カチリと音がした後で扉を引いた。扉は締め切られていた。
再び開錠して、中に入ったさやかは言った。
「この部屋の鍵ですね」
「誰かが、おそらく今日になってここを開けておいた…そして、何故かここにおきっぱなしにしていた」
秋津は体を起こし、足を組んだ。
「この部屋の調度は安原先生が用意したわけじゃなさそうじゃない。この部屋、結構最近作られたんじゃないかな?」
さやかは顔を上げて室内を見回した。確かにロッカーやラック類の物自体は古いようだったが、棚などに埃が見られない。
再び、さやかはブログの予言を思い出していた。
『シャツなんかもよれよれで』
さやかははっとして、つい秋津のほうを凝視してしまった。秋津の着ている服装。それを女性用でいうなら、ブラウスだ。彼女の制服はきちんとしていて、全くよれてなどいない。
――ということは…。
先日のブログの内容が示しているのは、秋津との邂逅ではなく、それ以外の誰かとのことだったのだ。しかも、それはおそらく眼鏡を掛けた『男子生徒』との出会いを意味していたのであり、文脈から考えられる人物は。
「新聞部、部員…」さやかは思わず声を漏らした。
「やっぱり、もう一人、いたってことなのかな」
さやかの内心を知るはずも無いが、秋津はその後に続けた。
「そして、その人物は多分、先生から鍵を預かっていて、今日のミーティング中止の連絡も受けていた。彼もしくは彼女、によって連絡は回されていた、ウチのクラブとあなたを除いて」
秋津は時計を見上げた。時刻は午後五時頃になっていた。
「とすると一体、どう言うつもりかしら…まあ…」立ち上がった秋津は周りを見回して言った。
「もしかすると急用があったとかそういうことかもしれない…ミス研への連絡もただ忘れていただけなのかもしれない、あなたにはその部員から直接言うつもりだったのかもしれない」肩を竦めるようにして「ここに荷物を置いて出て行ったわけでも無いみたいね、鍵もあることだし、今日は戸締りして、帰ることにしたら?もし、明日その人が困ったことになったと思ったら、きっと職員室にでも聞きに行くでしょう」
そう言うと、秋津は机を回って、さやかの側に戻ってきた。
「はあ…そう、かもしれませんね…」
応えつつ、さやかは未だ納得が行かなかった。理由は、例のブログとの今日の出来事の相違である。
――あのブログは、一体何を予言していたのだろう?
ぼんやりと考えながら、さやかは秋津に続いて部室を出ると鍵を閉めた。部屋の鍵はとりあえず職員室に預けることにした。秋津もそこまで一緒についてきた。
「あ、そうだ…」
渡り廊下の途中で、秋津は思いついたようにさやかの方を振り返って言った。
「先生にさ…聞いてみればいいんじゃない? 多分、わかると思うんだけど…」
職員室に入ると、秋津はまた、近くに居た数学教師をつかまえて言った。
「先生、クラブの…入部状況その他を管理していらっしゃるのは?」
「ん? ああ、それは…」数学教師、濱が職員室の奥に向かって声をかけた。
「柴田先生?」
振り向いた教頭に向かって、秋津は入部申請状況を知りたい旨を説明した。しばらくして、教頭の柴田が、奥のほうから冊子を持ってこちらへやってきた。持ってきたのは、生徒名簿の原本で、柴田はそれらを管理していた。
クラブ活動の入部届け等は、大抵顧問が受け取り把握しているものだが、それら全体は最終的な名簿作成のために纏められていた。名前やクラス程度の情報だったので、さやか達はそれを見聞きする事が出来た。
「新聞部に、今誰が入部申請をしているのか分かりますか?」
「新聞部ねぇ…」
柴田はその冊子から纏めた入部届けを見ていたが、しばらくしてその名前を呼んだ。
「一年生、六組の杉村さんかな。杉村さやかさん。だね、えっと、それだけかな」
さやかは思わず問い返した。
「それ、だけですか? 他には?」
柴田は首を横に振った。
「ほんとですか?」
柴田は書類を見たまま少し眉を上げて小さく二、三頷いた。
さやかと秋津の二人は顔を見合わせた。
秋津も眉を顰めていた。二人とも同じ疑問にとらわれていた。柴田は首を傾げて言った。
「あの、それだけですか? ほかに何か…」
「…いいえ、あの…はい、ありがとうございました」さやかはそれしか言えなかった。
柴田は少し下唇を突き出したようなおどけた顔を作ると冊子を閉じ、奥の方へ引き返していった。彼が奥の席に引っ込んでしまうまで、二人はしばらくその場に呆然と立っていたが、思いついたように秋津が今度は数学教師に質問した。
「あの…安原先生って、出張なんですよね、先生と連絡って取れますか?」
数学教師、濱は顔をあげた。なんだ、またか?と言う表情だった。
*
さやか達は職員室を後にした。外に出ると、秋津は再び難しい顔をして、近くの壁に凭れ腕組みをした。二人とも鍵を職員室に預けるという当初の目的を忘れていた。
海外に居るという安原は携帯を持っておらず、連絡が取れそうになかった。緊急の連絡先に、ホスト先の電話番号があったが、そこへ着くのは次の週の予定らしく、それ以上の情報は得られなかった。
「どういう、ことでしょう?」
さやかは秋津に言いながら、自身にも問いかけていた。
――まず、最初から何がおかしかったのだろうか?
翌日の出来事を予言して更新されるブログの存在、そして、今日の出来事…その内容はおそらく、新聞部部員と出会うことを予言していた。
――そういえば、ブログの予言は外れた!?
今日起こった出来事はブログの予言どおりではない。書いてある事に近いようでいて、その印象、会う人物が決定的に外れているようだった。
さやかにとって、今日の事件は何か例外的な印象を与えるものだったが、よくよく考えてみると、未だブログの記事が的中したのは前日の告白の一件のみだったことに気付いた。ただ、前日の出来事が強烈に印象に残っていたために、その日の出来事もてっきり予言どおりに起こるものだと思い込んでいたのだ。
しかし、それは成らなかった。
新聞部に、部員は居なかった。
予言が成立しない、ということはさやかにとっては通常どおり。平穏な日常となるはずだったのだが、今の状況はそうとはいえなかった。
開いていた部室、さやかとミス研以外には回っていた連絡など、寧ろ予言されていた人物が居た方が、不自然の無い状況が出来上がっていた。しかし、その人物は影も形もないのである。
「人間消失…?」
秋津は少し皮肉っぽくつぶやくと、何か決めたように歩き始めた。
「先輩、どこへ?」さやかはあわてて呼び止めた。
「もう一度、あの部室へ…」
さやか達は二人で新聞部部室へ引き返した。返さずじまいだった鍵で扉を開け、照明をつける。しばらくその周りの家具その他を物色していた秋津だったが、結局何も収穫はなさそうだった。最初から部屋の扉は開け放されていたわけだったが、ロッカーや、机の下にあるキャスター付きの引き出しには鍵が掛かっていて開かなかった。さやかが本棚――超常現象関係の雑誌が並んでいるばかりだった――や、コルクボードのメモ――意味不明の図形や記号しか書かれていなかった――をチェックしている間に秋津は机の下にあるコンピューターの電源を入れた。CRTの画面を、数秒、英語のメッセージが通過したあと。ようやく画面に少しカラーがついた。
「なにこれ…Linuxなんか入れてんのこれ…」
表示されているのは見慣れないOSのログイン画面だった、中央にアカウントとパスワードを入力する欄が虚しく浮かび上がっている。秋津は数回、入力を試みたが、結局通用しなかったのか、フンと息をつくとメニューからシャットダウンを選択した。
「何も…なさそうですね」
さやかはそう言いながら、窓の方に向かった。ブラインドを上げて外を見た。
傾いてきた日が南館に隠れ、やや薄暗く影に入った中庭。それを望む窓には蛍光灯の光が反射して外が見えづらくなっていた。窓に近寄って手で覆うようにして空を見ると、夕焼けの残り火のようなオレンジが、東から覆いかかる紺青に侵食されているのが見えた。気がつくと、秋津が横に立っていて、一文字に口を結んだその表情が鏡のようにガラスに映り込んでいた。
「どう、しましょう…」振り向いてさやかは言った。と、秋津が何か持っていることに気付いた。
「それ、なんですか?」
秋津は手に持った太めのビニールテープを引っ張っていた。それは、机の上に載っていたものだった。秋津はテープを20cmくらいの長さに引き伸ばすと、そのまま斜めにガラスに貼り付けた。
「ちょっと先輩、なにしてるんですか?」言いながら手を伸ばしたときには、彼女はキレイな×のマークをガラスに貼り付けていた。
「なにやってるんです?」
――何をしているんだろう? これは彼女式の八つ当たりの方法なのだろうか?
さやかがそんなことを考えている間に、秋津はそのままブラインドを下ろしてしまうと、何も応えずに戸口の方へと向かった。仕方なく、さやかもそちらへ向かった。秋津は照明を消して、外に出た。
「さあ、杉村さん、今日はもう帰りましょう」
さやかは言われるまま扉を閉めてしまうと、どうしましょう? と秋津の方へ鍵を載せた手を差し出した。秋津はそれを持っているようにさやかに言った。そして、扉の方を見ながら言った。
「ところで、杉村さん? 最近、あなたにこういうことが起こるような心当たりは何かなかった?」
「えっ?」さやかは戸惑った。
心当たり、ブログの件がそうといえばそうなるだろう。しかし、さやかはその時反射的に否定してしまった。
「いいえ、特には…」
「そう…」
秋津は簡単に答えただけだった。プライベートなことを突然説明する気になれなかったのは仕方の無いことだったがさやかは何か罪悪感のような物を感じた。
「そっか…うん、でも何かあったら言ってね」そう言って、秋津は背を向けた。
「あの…」さやかは思わず呼び止めていた。
秋津は歩みを止め肩越しに振り返った。
呼び止めた後、続く言葉を思いつかなかったさやかは、振り向いた秋津の顔を黙って見つめていた。暫くそうしているとふと、先ほどの彼女の行動についての質問を思い出した。
「あの…さっきの、アレ一体何のために?」
秋津は一瞬瞳を別の方に向けると、直後、ああと納得したように言って応えた。
「あれはね、私からの返答みたいなもの…まあ、どう受け止められるかは分らないけど…」
「返答…何に対するですか?」
問い返したさやかに、秋津は体ごと振り向くと人差し指を立て、少し得意気に続けた。
「連絡がまわっていなかったのはあなただけじゃない、私たちミス研にも回っていなかった。と言う事はつまり、私たちに挑戦しているって言うことじゃない?だからそれに応えようってね…」
「それって…」
さやかはいつの間にか何か期待するように秋津の方を見てしまっていた。すると対照的に秋津はやや渋い表情で言った。
「とは言ってもね。ある意味お手上げなわけよ…だから、少しヒントを貰おうって…そんな意味合いも、あるかな」
「ヒント?」
秋津の言葉に、さやかは?マークを顔全体で表したような表情をしていた。
それを見て、秋津は少し微笑んだ。
「まさに…ミスターⅩへのメッセージってところね」
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