第二章 告白

 翌日、なんということも無く午前中の授業が過ぎていった。

「あのさ…」

 口を開いた途端、全員が動きを止めて視線を向けるので、さやかは少し緊張してしまった。直子は軽く首を傾げるようにして続く言葉を待っている。食事中殆ど話さない加奈子も無言だったが、真直ぐに視線を向けていた。

 普段自身から話を振る事が少なかったさやかの発言に全員が興味を持ったのだ。

「なに?」真っ先に聞き返してきたのはやはり裕美だった。

 一度唾を飲み込むと、緊張した声でさやかは答えた。

「みんな…ブログとか、したことある?」

 前日には犯人を捜してやろうと意気込んでいたにもかかわらず、実際にはそう強く出られない。

 なんていう事は往々にして良くあることだが、果たしてその時のさやかがそうだった。

 午前中は教室移動が多かったので、機会を得られず。ようやく昼休みになって、話の切り出しを考えつつ友人達を観察していたさやかだったが、昼食中のメンバーの態度が前日とまったく変わらないことも、強く出られない理由の一つだった。彼らが何かを隠している様子は感じられなかったのだ。

 

「ブログ? あたしは前に少しやってたけどなんで?」

 裕美は素直に疑問を返してきた。直子は私はやって無いなといって、横の加奈子にどう? と聞いた。加奈子は首を横に振った。

 さやかは裕美に聞き返した。

「いまはやってないの?」

「うん、あれさ…続かないんだよね。内輪だけに結局グチかけないし?」

「なんだ、そういう理由? つかグチしか書かないのかよ」

 いつも通り、自身のペースで食事を終えた加奈子は会話に参加してきた。彼女はもともと少食ということもある。いつもコンビニお握り一つ二つという、栄養の偏りそうな昼食である。

「ちがうよ!」口を尖らせて裕美が反論した。

「まーそれも書くけど、あたしは電話とかするほうが結局楽かなぁ…とか、書くのって疲れるじゃん?」

「電話は相手が疲れるだろけどね?」加奈子の皮肉をスルーして裕美は続ける。

「まあ、でも、何かあったら話したいし、愚痴にしてもそうやって過ぎるからいいじゃん? 残んないのがさ…」

「まあ、確かに、愚痴は残すものじゃないよね」

 軽く同意したように頷いて直子が言った。

「そういう深い考察の結果、やめちゃった」そういうと、裕美は歯を見せて、前歯の隙間で噛むように短く舌を出した。

「ま…めんどくさくて三日坊主ってのが実際だろうけどね?」呆れたように加奈子が言った「ところでさやか、ブログ書いてんの?」

「ううん、あたしは…その書いて…無いんだけどさ」

 言いかけてさやかは説明するかどうかを迷い

「いや、きいてみたかっただけ…最近、面白い記事読んで、みんなも書いてるかなって…」

 結局言わないことにしておいた。この質問にノーリアクションだとすると、彼女らの悪戯という線は薄そうだった。

 前日机の上で眺めていたメモを持ってきたつもりだったのに、見当たらず。説明するにしても証拠がまったく無いということも、強く聞けない理由になってしまっていた。

 今日はとりあえず様子見とし、明日、もう一度自分でメモを持って相談する形で皆に話そう。そうさやかは思った。

「そう…」加奈子は納得したのかどうかわからなかったが、ペットボトルのお茶を飲み干すと言った。

「やっぱり最後になるねさやか」

「あ、うん…」

 またしてもさやかは食べるのが最後だった。その後、昼休みはいつも通りの会話が続いた。

「で、どう? 吹奏楽部は…」

 さやかが食べ終わったのを見て、直子が見学の感想をきいた。

「ああ、うん」

 さやかは結局もらった用紙にはなにも書き込んでいなかった。

「自信ないし…折角だけど、やめとくよ。ごめんね」

「ううん、いいけど。でも、みんな最初そんなものよ」

「あれ?」加奈子が、思い出したように口を出した。

「さやか…新聞部入ったんじゃなかった?」

「え? そうなの?」

「え、あ、うん。まあ仮入部ってことなんだけど…」


 それはつい一週間前、化学の授業後のこと。

 質問をしたときに新聞部顧問であるその化学教師、安原から、さやかは直々に勧誘を受けていたのだった。授業後に質問をしたことから何か真面目な生徒だと思われてしまったようで、結構熱心に話をされてしまったのだ。

 新聞部は創立からの歴史ある部活動であるにもかかわらず、ここ数年は部員が居らず、本当なら廃部になっていたところを顧問である安原が何とか一人で記事を書いて、学校新聞を継続してきたのだという話だった。

 活動とはいっても年に数回の行事の際、記事をまとめたり、たまにコラムを書いたりする程度なのでいくらでも掛け持ちが出来る。という話に、断るのも悪い気がしたさやかは勧誘に応じたのだった。


「いつも活動するわけじゃないらしいから」

「へぇ…でもさぁ」裕美が口を挟んだ。

「さやちゃんがクラブ入っちゃったらさ、あたし一人で帰んなきゃいけないじゃん」

 昨日つけた変なあだ名の事は飽きてしまったのか、それともあまり気に入らなかったのか、彼女は比較的友達らしい呼び方でさやかを呼んでいた。

「あんたも入るクラブ探せば?」

 そう言った加奈子はバスケットボール部に所属していた。ほぼすぐに入部を決めていた彼女は、男子はともかく女子部は楽だと言っていた。彼女はさやかよりおよそ20センチほど背が高い。だからそう思うのだ。そうに違いないとさやかは思っていた。

「うーん、何か良いのある? 簡単で、疲れなくて、それでもってやっててカッコいいクラブとかってなんかない?」

 そう言った裕美の勝手な要求を加奈子は冷たく一蹴した。

「無いな…それは」


 昼休みが過ぎ、放課後。

 別れを告げると直子と加奈子はそれぞれクラブ活動に向かった。

 裕美は掃除当番だったが、一緒に帰ろうと彼女が言うので、掃除が終わるまでさやかは待っていた。

 帰宅部の二人は大抵一緒に帰る事にしていた。裕美の掃除が終わると、いつも通り何のクラブに入るのが良いだろうか等と雑談しながら、二人は教室を出、真直ぐ正門の方へ向かった。

 中間テストが近いせいか、いつもより真直ぐ帰る生徒は多いようだった。クラブ活動はテスト期間の一週間程前から大抵休みになるが、それよりも前から試験勉強に専念する生徒も多いようだった。

 下駄箱で靴を履き替え玄関を過ぎると、真直ぐ正門に続く道は緑の葉が繁った桜の並木道となっている。樹々の間からグラウンドの方で数名の野球部員が練習しているのが見えた。その他、サッカー部や陸上部も活動している様子だった。

 ふと、横の裕美が何かに気付いたように声をあげた。

 聞くと、忘れ物とだけ答え彼女はさやかに待ってて、と言うと急いで教室の方へ引き返してしまった。仕方なく、さやかは道の真ん中から近くの木蔭に寄って、流れる生徒の列をぼんやりと見つめながら待つことにした。

 列といっても最初のラッシュは過ぎたようで、今は十人程度がバラバラと前後を歩いているのみだった。教室と、正門の間を往復するなら、五分くらいはかかるだろう。そう思って入り口付近の時計を見る。

 時計の針は未だ三時半を少しまわった程度…。

「あの…杉村さん…」

 突然のことだったので、さやかはビクッとして肩を震わせた。後ろを振り向くと、木蔭に一人の少年が佇んでいた。

「今、ちょっと、いいかな?」

 同じクラスの生徒ではなかった。

 背は高く、細めにも見えたけれど半袖の下から伸びた腕は頑丈そうに見えた。少し色が黒く短髪で、眉のしっかりした素朴な顔立ちの少年。

「…はい…何? …って、うわっ、えっ!?」

 ぼんやりと答えるや否やの事、さやかは声をあげた、少年は突然さやかの手を引き、少し離れた花壇の裏、生垣に少し遮られた場所に後ずさった。

「ちょっと…」

 非難の声をあげ、誰か居ないのかと首を巡らしたが、気付けば、下校の一団が丁度過ぎ去ったところで、周りにはほとんど人がいない。

「な、なんですか!? 突然!」

 腕を引っ張られていた力が弱まると同時に、さやかは腕を振り解くと勢いよく振り返り、語調を強めて再度同じ問いをかけた。

「ごめん…ちょっと、聞いて欲しい事があって…」

「なんですか!?」

 首を傾げ訝しみながら、相手の方を見たさやかに、少年は少し慌てた様子を見せた。

「その…あまり人の居るとこでは言いにくい事で…」

 少年は少し眼をそらすようにする。

 恥ずかしそうなその表情を見て、さやかは返す言葉を一瞬迷った。相手の様子に、自分もなんだか居心地が悪いような、きまり悪いようなその雰囲気。

 何故か頬の辺りが熱くなり、紅潮しているだろうと想像する事でますますそれが増していく。

「はあ」

 曖昧な言葉が口から漏れた。

「いい、かな?」

「えっと…はあ」顔を見られたくなくて、少年の言葉に俯いてそう答えた。

「じゃあ、言う…から」頭の上からそう言う声が聞こえる。

 一度身を正すかのような少年の気配、息を吸い込む音が聞こえた直後、思い切ったように、早口で、しかししっかりと彼は口にした。


「…」


 さやかの絶句の理由は、なんとも言いあらわしようのない困惑の結果だった。

 そのまましばらくボーっとしていたが、一瞬の後に猛烈な恥ずかしさがこみ上げてきた。


 つきあってほしいと、聞こえた。

 好きだと、聞こえた。


 幼少の頃の幼馴染との約束とか、そう言ったものを別とすると、さやかは、告白を受けたのはそれが初めてだった。

 前日のブログから、予想しうることだった…とはいえなかった。まさか日記の予言が本当になるとは思いもよらず、さやかにとってそれは全くもって予想外のことだったからだ。

 確かに、ブログにはなにかの告白が仄めかされていたものの、それ以外の詳しい事時間、場所などの記述は何もなかったのだ。

 下校時刻まで特別何もなかった為、その日の予言のことは大方忘れていた頃の不意を打つ出来事だった。

 告白を受けてから十数秒。茫然と立ち尽くしていたさやかだったが、暫くそうしていて、ふと、浮かんできた疑問が口を突いて出た。

「あの…あなたは…誰?」

 さやかは目の前にいる少年の名前を知らないのだ。しかし、当然の疑問ではあったが、告白を受けたあとの台詞としてはなんとも間抜けな感じに響いた。

「えっと…」少年は一瞬言われた事が分からなかったように固まった後「あっ…! しまった!」と、落胆したような声をあげ、右手で片目を覆うようにした。

 その声が大きかったのでさやかは驚きビクリと体を震わせた。が、少年の慌てた様子を見て、逆に幾分落着く事が出来、それに従って思考が徐々に引き戻された。少年は、きまり悪そうに俯いている。さやかも別の方を見るように顔を背けると、状況を整理しようとした。

 さやかの行動を予見したようなブログ…それはそもそも悪戯だと思っていた。ふと、思いついて一瞬周りを見回す。だれかがそれを覗いている様子は無かった。

 ――もし、この事が悪戯でなかったとしたら…。

 少年は今度こそ恥ずかしそうに視線を上げ、上目遣いに苦笑いをすると。

「えっと…俺、三組の本田ほんだ耀ようっていうんだけど…あの、えっと」

 と、たどたどしく自己紹介をし「ごめん」と最後に謝った。

「いや…」

 両手と首を軽く左右に振って、さやかは何か答えようとしたが…咄嗟には何も思いつかなかった。

 目の前の少年を見る限り、さやかにはそれが悪戯だとは思えなかった。

 ――とすれば…あの日記は…本当に予言していたのだろうか?

 再び俯いた本田は顔を上げない。さやかはそんな本田に何か申し訳ないような気がしてきた。特に、悪戯だと考える事は失礼だ。そう思ったさやかは、とにかく告白を受けたことに対して答えようとした。

「あの…」言いかけて、口ごもる。

 悪戯では無く、相手は真剣であると思うと再び恥ずかしくなってきたのだ。

「あれ…さやちゃ~ん? さやちゃ~ん?」と、その時。背後から裕美の声が聞こえてきた。

 これは切っ掛けになった。さやかは軽く後ろを振り返るように視線をそらし、とりあえずその場から離れようと考えた。丁度帰ってきた裕美が、さやかを探すようにあたりを見回し歩いているのが見えた。今さやか達の居る花壇の辺りは校門より続く並木道から離れ、生垣に隠れている為、裕美からは見えない。

「えっと…その、戻らなきゃいけないから…」

 そういって向き直ると本田は顔を上げていた。

「返事、は…?」

 本田が言いかけたところで再び裕美の声が聞こえた。振り返って顔を出して裕美に答えようとしたさやかは、そこにいた別の人影を見つけて思わず言いとどまった。

 裕美の立っている並木の、その後ろを、甲斐由斗と牧野翔子が並んで一緒に歩いていた。

 ダメだったらダメだって言ってくれれば…。

 背中に本田の声が聞こえた。そちらを振り返ると同時にこんどは「さやちゃ~ん?」と裕美の声がした。

 あの、えっと…その、ごめんなさい…いや、その、違うの。今は…。

 そういって本田を見たものの、後ろのほうが気になって返事が上の空になっていた。さやかは自分が何を言ったか良くわからなかった。

 本田は一瞬少し意外そうな顔をすると、ぎこちなく二度ほど首を縦に振って。

 あの、いつでもいいから。返事。といった。

 言葉を聞いた一瞬後に、その意味がわかったような具合で「うん、」とだけいうと、さやかはふたたび少し後ろを振り返った。裕美が別のほうを見て名前を呼んでいる。甲斐達は既に校門を通過したようだった。それを見届けると、さやかは安心したように溜息を漏らした。

「じゃあ…」

「うん」

 さやかは俯いて、本田と目を合わせることなく背中を向けると、急いで裕美のところへ戻った。振り向いた裕美が不平を言ったが、素早く謝って腕を引っ張ると、やや駆け足気味に校門までの道を進んだ。裕美はどうしたのかと聞いてきたが、聞こえない振りをした。さやかは早くそこから離れたかった。


      *


 電車に乗っている。学校帰りのいつもの電車である。

 さやかは数人の友人と座席に着いていた。一駅ごとに、一人、そしてまた一人と友人は降りて行った。やがて一人になったとき、さやかは言い知れぬ不安に苛まれた。周りの視線が気になるのだった。人に見られたくなくて、膝に乗せた鞄に顔を埋めた。

 どれくらいそうしていただろうか…。

 降りるはずの駅名を聴いたような気がした。あわてて瞼を開くと閉まる扉。窓の向こう側には降りるはずだった駅名が見えた。

 多くの乗客がその駅で降車していた。周りの座席には誰も居ない。

 さやかは自分だけ置いていかれた様な気分になって、声を出そうとする。が、しかし出なかった。扉を開こうと必死に戸口を掴みながら、声を出そうとする。が、それでも声は出ない。そのことに、一瞬背筋がぞっとして…さやかは叫んだ。

 そこで目が覚めた。


 少し汗をかいていた。嫌な感じの夢だった。

 うつ伏せの姿勢のまま伸ばしていた手を胸の下にやって、ゆっくりと体を起こす。帰ってきたとき電気はつけていなかったので、部屋の中は真っ暗になっていた。ベッドサイドのランプをつけて、さやかは置いてある目覚し時計を見た。午後七時十分だった。


 家に帰り着いた道程を、さやかはあまり覚えていなかった。

 ただいまの返事もそこそこに、真直ぐ自分の部屋へ向かうと、掛け布団の上からそのままベッドに飛び込んだ。枕を探して両手を伸ばしたが、いくら手を伸ばしても、思った場所にそれは無かった。しかし、顔を上げるのが億劫だったので、ついに枕をあきらめた。

 いつの間にか眠っていた。

 疲れていたのだろうか、長い間眠っていた。ドアの向こうから、階下の生活音がわずかに聞こえてくる。そろそろ夕食の時間だった。

 さやかは空腹を感じたが、半身を起こしたきり、なかなかベッドから立ち上がる気が起こらなかった。自分でつけたランプをまぶしく思ってまた消す。再び真っ暗な室内、目が慣れるまでそのまま待った。

 思考の歯車は重く、なかなか頭の回転数が上がらない。机の上、白いノートPCがぼんやりと浮かび上がるように見えた。それに注目しているうちに徐々に思考がまとまってくる。

 目覚めてから十分程してようやく立ち上がると、椅子についた。机上にメモ用紙。メモは部屋の机に置きっぱなしにしていたようだった。それを見て、いつのまにか口を尖らせている自分に気づいたさやかは、ふと思いついてPCの電源を入れた。モニターの明るさで、部屋が薄ぼんやりと照らし出された。ブラウザを立ち上げ、前日の履歴をたどって例のブログを表示した。

 五月九日の日記が表示されている。前日、五月八日に既に書かれていた記事、今日のさやかの事を予言したような文面。既知の文面がそこにあった。そして、それだけではなかった、ブログにはさやかの思いついたとおりの変化が起きていた。

「まただ…」

 詰まりながら、喉を通り過ぎた声は掠れていた。しかし、さやかが喉元を押さえたのはそういった不快感によるものではなかった。

 ブログのカレンダー、五月十日の数字が太字になっていた。翌日の記事が既に更新されているのである。

 さやかはその数字をクリックした。


      *


 五月十日 水曜日 

[日常] 活動初日?


 今日は、クラブの初顔合わせ。

 新聞部の部室は変な部室で、

 古い本棚とかロッカーとか、変なポスターとかメモとかいっぱい。

 変なネームプレート…百均では売っていないだろうなぁ

 パソコンが机にドンとあって何か怪しい事務所みたい。

 部室で出会ったのは二年の先輩。

 メガネの奥の瞳がどうも苦手…。

 シャツなんかもよれよれで

 かなり…微妙


      *


 短い日記だった。

 読み終えたさやかは、安心したような、呆れたような気分で大きく溜息をつくと椅子に凭れかかった。ゆっくりと唾を飲み込み、大きく息を吸った。少し顔を上げると、いつも通りそこにいるぬいぐるみの猫が薄暗闇の中、その目を光らせている。

 さやかはそのまま首を左右にひねって肩を回した。続けて少し伸びをして強く目を閉じ、両肘を机に突いて、両手の甲に頬を乗せた。

 再び目を開けると液晶を睨みながらさやかは思考を再開した。

 今回の更新内容はあっさりとしたものだった。センセーショナルな内容でも、前日の事件に関する何かしらの進展、もしくは感傷に触れているわけでもなかった。ただ、翌日の、おそらく起こるであろう出来事が、淡々とした文で書かれている。それでも違和感が付きまとって仕方が無かった。前日に更新されている日記、しかも自分の事を書いたような日記を見るのはこれで二度目となるわけである。

 再び溜めていた息を吐く。が、胸の辺りに悪い空気が残っているような感覚が抜けなかった。

 誰かが書いた自分のブログ、前日分は確かに本田からの告白を予言していた。悪戯だと思っていたそれは見事に的中した。そして、ブログを見る限り、何かしらの予言はまだ続いているようだ。

 もし、本当に自分がブログを書いていたとしたら、翌日、つまりこの日更新されている分の日記は、何も書く事が出来なかったかもしれない。そんな風にさやかは思った。それほど、この日の出来事のインパクトは大きかったのだ。徐々にクリアになってきた思考とともに自然と感情が呼び戻された。

 体か、頭か、熱くなっているのはどちらか判らなくなって思わず叫んでしまいそうになる。もう一度ベッドに倒れこんでからさやかは改めてその時の行動を反省した。


 不意に、ノックの音が聞こえた。ドアの方に首を向ける。弟の声だった。夕食が出来たらしい。

 ねてるの? ううん、おきてる。食べる? うん。すぐ行く。足音が階段を降りて行った。

 音が消えたところでさやかは半身を起こした。ぼんやり照らされた室内。

 明かりの中心を見つめる。それからゆっくりと深呼吸をして心を落着け、冷静に考えてみようとした。

 一連の出来事が本田耀という少年による悪戯とはさやかには思えなかった。

 ――彼は犯人ではないとすると、犯人は彼の告白の事を前もって知っていたのだろう。だから、前日に今日の出来事を予言するようなブログが書けたのだ。そうに違いない。ただ、もしそうやって、ブログが書かれていたとしたら。

 ぼんやりした光源がやや暗くなった、画面はいつの間にかスクリーンセーバーに替わっている。

「なんて…書いてあったっけ…」

 一読したものの、先ほどはただ更新されているという事実に困惑し、記事に関してはその事件性についてしかチェックしていなかったさやかは、更新された記事の内容をよく覚えていなかった。

 再び椅子に着いてマウスを動かし翌日分の記事を読み返す。と、さやかはすぐにあることに気付いた。

『クラブの顔合わせ』

 机の上、壁にピンで留めていたプリントを見つめた。それは、新聞部の活動予定表だった。

 ひと月に大抵一回、多いときで二回程度の活動日の日付が記されている。勧誘を受けた日に受け取った物だった。そこにある最初の活動日が、明日、五月十日の日付だったのである。とりあえず机の前に貼ってはいたものの、さやかは今の今まで活動日のことなど忘れてしまっていた。

「明日、新聞部の。忘れてた…」

 ただでさえ活動日の少ないクラブの日程を忘れていた。そのことを自分の振りをして書かれたブログを見て思い出すことになったのだ。

 ――間抜けもいいところだ…!

「あーっ! もう!」

 さやかは今度こそ声をあげ、両手で頭を覆っていた。そのまま椅子から崩れ落ちそうになっていた。情けなくなって、誰でもいいから相談したいような気分になった。が、誰が良いかと身近な人間数人を思い描いているその途中で、やはり説明すること自体が難しいということに気付いた。


 他人に相談するためには、まず、このブログを書いているのがさやかではないということを説明しなければならない。

 ブログサービスを利用するためにはアカウントが必要だが、さやかはそのアカウント名、パスワードを知らないので日記を書く事は不可能である。しかし、それを他の人に説明しようとすること、つまり、この日記を書いているのはさやかではなく誰か別の人間だということを説明するのは難しい。

 いつも付き合っている友人、裕美や加奈子、直子は信じてくれるかもしれない。しかし、確実にそれを証明する方法は無い。加えて、もうひとつ問題がある。

 一日早く更新され、翌日のことを予言している内容。

 ――そのことは説明のしようが無い。

 例えば、本田から告白を受けたという事実。それが、前日にブログによって予言されていたということを証明するのは最早不可能である。

 さやかは例のアドレスのメモを見た。いまさら誰かにこのブログを見せたところで、遅すぎる。それに、なんとか説明をしてみたところで、変に誤解されてしまう可能性もある。当然プライベートな内容に触れずしてそれを説明する事は不可能である。

 今日更新されている日記も予言通りになるかどうか、それは明日さやか本人にしか判らないことなのだ。

 ――どうしよう…。

 本当に一年分くらい、色々なことを考えているかもしれない。

 そう思って、さやかは何か違うような気がした。実際に気になっていること、その中で一番重要なことはなんだっただろうか。


 初めて受けた告白。

 さやかはそれを受けたときの気持ちが今も良く分からなかった。考えているうちに、色々な人の名前と顔が浮かんだ。

 遠ざかる背中。やわらかい笑顔。偉そうな口調。かけられた声。顔を覆う手。

 表情の無い目元。


 考えの途中、さやかは自分の事が少し嫌いになって目を閉じた、小さく二回、洟をすすった。

 誰かが、階段を登ってくる音がする。ゆっくりした動作で椅子に座りなおし、無意識にマウスを持つ右手を動かす。ブラウザを閉じ、電源をoffにした。

 部屋が暗くなることで、意識全体の比重が少し大きくなったような気がした。

 ――返事。しなきゃ…。

 ノックが聞こえた、続いて聞こえたのは母親の声だった。食べるの? 食べないの?

 さやかは少し考えた。

 ――保留…と言うのはいけないのだろうか?

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