第5話

「ふあ~良い湯だったね」


「ちょっと逆上せたかも……」


 肩にバスタオルをかけるまいと、赤らむ顔に手団扇をする正樹まさき


 お風呂に入ること一時間近くが経過したところで、二人は浴場を後にする。正樹の方は湯加減の影響もあるが、長いこと裸一貫の舞といたのが原因で頭がクラクラしていた。


 電源の入ってないコタツの前で正樹が胡坐を掻く。振り返った景色に舞の姿が見えなかった。ドライヤーで髪は乾かしたはずだけど、と怪訝な眼差しを廊下に向ける。


 と、キッチンからぴょこっと兎を想起させる動作で登場する。


「お風呂の後はこれでしょ! じゃじゃじゃじゃーん」


「そ、それは⁉」


 コタツまでやって来た舞も腰を下ろし、コタツに二つのアイスクリームカップを置いた。


「高級アイスだよ。きっと食べられるのは今日ぐらいだね」


「いーや、大晦日も」


「年越しアイス! まあ一年もまだ前半戦、まだまだ先だけどね」


 二人だけの行事として大晦日にアイスを食べるというものがある。寒い日に冷たい物を喫食するほど嗜好の贅沢はないだろう。


 ちなみに、八月の真夏に鍋パーティーをする。暑い日に熱い物を食べるわけだが、鍋に対しての嗜好よりも、その後の汗まみれな状態でクーラーガンガンの部屋に飛び込む方に喜びを憶えている二人だった。


「で、百円ショップの三本入りのスプーン。三本入りでなんと百円玉一つです! だからスプーン換算で、高級アイスはスプーン九本分なのさ」


「なぜスプーン換算だ……」


 三本百円。九本三百円。


 包装ビニールが剥がされ、どこもかしこも銀一色のスプーンがお互いの体をぶつけて打ち鳴る。


 コタツに並べられた三本スプーンは、瓜二つどころではないだろう。同じ素材で、同様の工程で、一緒の棚に陳列されていたのだ。


 正樹はスプーンを一つ持ち上げると、反射した自分の顔を見ながら言う。


「百円で三本はお得だけど。どれが自分のスプーンか、分からなくならない?」


「ふふふ」

 舞は不敵な笑みを漏らす。


「まさかこの私がその解決策を考えていないと」


 余念がないと言わんばかりの舞は、マジシャンよろしく油性ペンを召喚した。

「同じ見た目なら名前を書いてしまえばよいのです! この世にある物のほとんどは量産品だからね、小学生の時は持ち物全てに名前シールを貼らされるものさ」


「ま、小学生は他人の物を欲しがる傾向が強いから、盗難対策の目的だけどな。今回は所有者をしっかり明記する意味だな」


「そうと決まれば書いちゃおう。えーと、柄の部分は細いから漢字は難しそうだね。舞の『ま』かな」


「ちょっと待って」


 油性ペンの蓋を外した舞に、正樹は待ったをかける。


「舞の『ま』だと、僕は正樹の『ま』になるんじゃないか」


「た、確かに……⁉」


 二人の頭文字が被ってしまい、同じ法則で記入すれば、両方のスプーンには「ま」の文字が書かれることになってしまう。


 文字の癖を見れば問題ないかもしれないが、見間違える可能性は高い。それも普段使いする物はルーティン化されて無意識に使用するものだから、更にだ。


 鼻と唇に油性ペンを挟み、両手を組んで考える舞。

 別段悩む程の問題じゃない。


 舞は油性ペンを持ち直し、スプーンの柄にサラサラ名前を書く。


「これで一緒じゃないね」

 スプーンに書かれたのは、至って普通の「まい」という文字だ。


「なら、僕はこうなるかな」

 油性ペンを舞から受け取り、正樹も自分のスプーンを撫でるように書き込む。書かれた名前は「まさき」の平仮名三文字。


 刻まれた、とは大げさかもしれないが、名を貸されたスプーンは照明を反射し、リロケーションした部屋を映す。


 まだ腰を据え切れていない室内には解体されたダンボールやら、新品の家具が並ぶ。封が切られたばかり部屋はまだまだ非日常の中にあった。


 しかしそれでも、二人の関係はこれからも日常であり続けるのだろう。


 スプーンに体を抉られたアイスの表面が爛々と輝く。


 アイスが食道と胃を冷やす。


 だけれども、向かい合う二人の視線は熱く、この時間は温かなものだった。

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