第3話 

 食器を洗い、ゴミを片付ける。


 引っ越しの際に大家さんから、ゴミ出しの曜日を聞かされていた。今日の分だけしかゴミは溜まっていないので、ゴミ箱はまだまだ仕事をこなせるようだ。


 そこでお風呂が温まったことを知らせるアラームが鳴る。


 台所に立つまい正樹まさきが顔を見合わせる。


「どっちから入る?」

 開口一番に舞は首を傾けて尋ねた。


 ハンドタオルで手を拭きながら、正樹は言う。

「舞からどうぞ」


「初めての、一番風呂いいの⁉」


「いいよ。舞の髪長いし、ドライヤーに時間かかるだろ。先に舞が入った方がコスパ的だ」


 食事中は髪を纏めていた舞だけど、今はストレートヘアである。


 舞はパッと顔を明るく輝かせていたのも束の間、手に顎を乗せて眉を寄せた。


「むむむっ……だけど、ね」


「どうかしたか?」


 不思議そうに見つめられて、舞は黒目を逸らす。

「い、いやさ……ほら」


「?」


 ガバッと正樹の胸元を、舞が優しく掴む。長い指の皿が皺になった部分に埋もれ、ご飯を求める魚のようにもぞもぞ動く。


 急な接触に正樹の心拍が高鳴る。舞が掴んだ場所は心臓の上なのだ、誰だって刃物を胸に立たされれば緊張が走るだろう。


 それが今回、刃物ではなく彼女の手。緊張は緊張でも、鬼気迫る死相じゃないことは明白である。


 上目遣いの舞と目線を合わせて、正樹は次の言葉を待つ。


 葉っぱを探す芋虫みたいに動いていた舞の口元が、蝶になって羽ばたく。

「さっきの番組のせいで怖いし、一緒に入ろ、お風呂!」


「…………」


 舞の声を聞くなり、正樹の顔が一瞬で真っ赤に染まった。まだ入浴していないうちから逆上せた人だ。


 頭に浮かんだピンクな妄想をかき消すため頭を振る、正樹。


「さすがに、それは……どうかな。いや、僕は嫌ってわけじゃないけど。舞は僕と、いいのか……?」


「まさ君となら問題ないじゃん。私たち、別に裸は見合ってるんだし」


「そうだけど、そうなんだけど」


 恋人なのだから夜の営みはもちろんあった。


 しかし、正樹が言いたいことは裸体の有無ではない。リラックスエリアの問題だと。


 風呂やトイレなどは人間として弱みを見せてしまう場所である。銭湯なら無意識に微量の警戒心を孕むものだ。では家の風呂はどうだろうか? 一日の中でも完全に一人の時間であり、一人だからこそ許された己の解放が生まれる。そう、積年の経験から一人で入ることを無意識に認識しているのだ。


 ラブホテルで両者が一緒に入浴するのとはまったく違う。例えるならば、一人暮らしでだらだら怠惰な姿勢を学友に見られるようなもの。自分だけという油断は、一瞬に羞恥に変わるわけである。


 正樹は戸惑う心中を宥めつつ、考えてみた。


 ……彼女と一緒にお風呂。一般的なカップルなら普通のことじゃないだろうか。それも結婚を約束する二人は一入に。これぐらいで悶々しているようでは今後の生活は長く持たないだろう。


 それに、引っ越し初めての風呂場だ。まだ一人で入ること自体が習慣になっていないはずだと、正樹は思い巡らした。


 つまるところ、舞のお願いを叶えるための言い訳を見つけのだった。

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