第2話

 荷解きが終わった頃には、太陽が沈み天上は黒い布で覆われた。神様の口みたいに笑う三日月と、ちらりほらりと煌めく星々。


 夜空を彩る光源が暗い部屋に差し込む。


 静かな室内にガチャリッと、扉のロックを解除する音が響く。


 扉が開かれると、まいが慌ただしく靴を脱いでダイニングに向かう。磨かれた床は靴下だと滑りやすく、舞はそれを利用してスケートのごとく足を浮かさず進んだ。


 後から家に入った正樹まさきは、玄関の照明を入れる。


 同時に、ダイニングにも光が点る。同じタイミングで舞もダイニングのスイッチを押したのだろう。


 靴を脱ぎ、正樹も続いてダイニングに向かう。


「帰ってきてすぐにすることは、コタツを付けることにある!」

 舞は言い切りつつ、これ見よがしにコタツの電源をオンにした。


「違うぞ。帰ってきてすぐすることは、手洗いうがい。冬が明けるからって油断しないように。季節の変わり目は風邪を引きやすいんだ」


「うむ」


「しかし、コタツが温まるまで時間がかかる。賢明な判断だ、よくやった」


「うむうむ~」


 正樹が頭を撫でると、舞は猫のように瞳を細めた。


 上着を脱いだ二人は洗面所でしっかりと手を洗い、うがいを済ませてダイニングに戻る。


 コタツの上にはビニール袋が置かれている。正樹が帰宅すぐに乗せたものであり、外出した理由の品でもあった。


「それじゃあいただくとしましょう、寿司を」

 長めの黒髪を後ろで纏める、舞。


「そうだな、寿司なんて久しぶりだ」


 引っ越しの晩食と言えば、寿司以外にあり得るだろうか。否である。


 某チェーン店の寿司屋で、テイクアウトをお願いして持って帰って来たのだ。


 その帰路で正樹と舞は寿司の入った袋を二人で持ち合うものだから、傍から見ればラブラブなカップルの光景だっただろう。


 リア充爆発しろ、のワードも最近では廃れ気味な感じもするだろうし、なんとも少子化の加速する日本では、こうしたカップル一組一組が国を継続させるのかもしれない。塵も積もればなんとやらだ。


 正樹はキッチンから新しく買った皿を用意する。引っ越し直後はどれもこれも新品な物で揃えるものである。特に値段が低い品と高い品は下ろし立てが多い。


 理由は簡単だ。安い物はせっかくならと新品にしがち。逆に高い物は家電類に該当し、実家暮らしから二人暮らしをするとすれば、必然的に新しくするほかない。実家の冷蔵庫や電子レンジを持っていくわけにもいかないだろう。


 食器が置かれる音が残響する頃には、舞が寿司の準備を終わらせていた。


 正樹が持ってきた物は小皿と箸だけでなく、お酒もだ。買って間もない冷蔵庫から取り出されたキンキンの缶はほんのりと汗を掻く。


 正樹はレモンサワー。舞は梅酒。


 二人ともアルコールに強くないことは重々承知である。大学のサークルで酷い目にあったことは少し昔の話だ。


 そして、酒類の横で待機するのは、三十貫あまりの寿司。


 規則正しく並んだ寿司は洗礼された軍隊のようだ。区切りに使用されるバランから水滴が零れ、照明で照らされネタ達が早く食べてほしそうに輝く。


 テーブルに並べられた小皿と、箸。


 小皿に醬油が注がれる。最後の一滴が水面に落ち、小さな波紋が立つ。赤みを帯びた端から中央につれて黒く彩られる醬油。


 晩餐の準備は完了である。


 正樹と舞はお互いの顔を窺い、目線を交わす。そこには数年の信頼が生み出すアイコンタクトのようなものが感じられる。


 二人は刹那の動きを以てして、両手を合わせた。


「いただきます!」

「いただきます」




「ごちそうさまでした」

「ごちそうさま」


 二人が箸を置いたのは一時間半後だった。


 容器にあったそれなりの寿司は問題なく、二人の胃袋に収められた。お酒の方も同様だろう、今しがた舞が最後の一滴を飲み干したところだ。


 最初の方はコタツを挟んで向かい合う位置だった二人だが。

 テレビを付けると冬にもかかわらず、そして近年珍しくやっていたホラー番組の影響で舞が正樹へと徐々に進軍。

 最終的に、舞は正樹の横に座っていた。


 明るく活発な舞だが、幽霊やホラーなどの心霊現象は苦手だった。彼女曰く、見えない相手は躱せないし、戦えない、そうだ。


 反対に正樹は某掲示板のオカルト板を堪能するほど、好物である。



 大学時代にサークルで心霊スポットに行った際、舞は怖くて車で待機を志願し、正樹も恋人として同じく残った。


 けれど、正樹は別段心霊スポットに足を踏み入れたいと思っていなかった。というか、元から今回の企画自体に否定的だったのだ。


 怖い話を聞く分には好意な反応だが、降霊術や心霊スポット巡りといった実践は好まない。理由は至極当然なことで「実害が出るまで入れ込むのは、一種の狂気だ」と。



 正樹はオカルト研究家ではない。仕事でなく趣味ということを忘れてはいけない。それに、未練たらたらの幽霊は見れん。人の不幸は蜜の味と言われるが、味は蜜でも摂取している物の正体はおぞましいモノだ。物語も人生もハッピーエンドが望ましい。


 舞はコタツの上に乗ったリモコンを手に取り、テレビを消した。心霊番組は残像を保つがあっけなく消えてしまった。幽霊のように。


「テレビはおしまい!」


「怖かった?」


「知ってるでしょ、私がホラー苦手なこと」


「うん。なら、チャンネル変えてもよかったのに」


「まさ君がこういう話好きなこと、知ってるんだから」


「ありがとう。付き合ってくれて」


 お酒のせいか、肉体が近いせいか、二人の頬は赤みを帯びていた。


 やはり、リア充は爆発した方がいいのかもしれない。

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