銀の金
有城もと
本文
「一枚につき、一枚」
与えられたルールは、その一点でした。
ここに来たきっかけは、ある男から財布を盗んだことです。話すのは得意じゃないので、少しずつ、話します。
私は、盗みで生きてきました。
盗ったものを食べ、買ったほうが楽なものは盗んだお金で買いました。冷蔵庫なんかは重くて運べないから。
父親はおらず、母も中学を卒業する頃に男と一緒に消えました。母はコンビニやスーパーで働いていて、出勤の度に何かを盗んでいました。結局、血は争えないんでしょうね。
スリは自然と出来たんです。相手を選べば簡単でした。保険証も無いし病院にも行けないし、身体は売りたくありませんでした。だから、盗みました。体捌きと勘が良いことは金銅も褒めてくれました。
男は金銅と名乗りました。私が銀子(ぎんこ)だと名乗ると「最後におもろい巡り合わせもあるもんや」と笑っていました。
金、銀、銅。確かに何か、運命的なものを感じる偶然でした。
そうでなければ、どこかで逃げだしていたかもしれません。
あの日、金銅は死人の顔をして夜の公園に座っていました。左ポケットからはみ出た財布はすぐに誰かが盗りそうな程分厚く、不用心でした。後ろから抜き取り、離れたコンビニのトイレで確認すると万札が四十八枚。それ以外は何も。
バレたかどうかは感覚で分かります。その時もバレているはずなかったのに、コンビニの前で待っていた金銅に一瞬で手を掴まれました。全く見えない動きでした。
「盗んでまで金が欲しいか、ガキ」
金銅の手にはスッたはずの財布と私の財布が握られていました。私は今まで、身の危険からは上手く逃げてきたつもりです。でも金銅は革ジャンを着せた冷たい蜥蜴の様な男で、今は言う通りにするしかないと本能で悟ったんです。
その日から金銅の指示のもと動きました。スリじゃなく、言わば逆スリです。
「百万ある。一枚ずつおれが指定する奴の懐に入れろ。全部なくなったら同じだけの金をやる」
金銅はあるアパートの一室に私を呼び出し、札束を差して言いました。意味が分かりませんでした。
表の人間には到底見えず、慈善活動でも、金持ちの遊びというわけでもなさそうでした。ただ、怪しくとも私にとって百万は大金です。それに、私の身辺は全て調べられていて、やらないという選択肢は消されていました。
金銅が指定した百人は、色々でした。会社員、現場系、運転手、警備員、先生。年齢も性別も違う。共通点があるとすれば皆どこか疲れていて、私なら簡単に盗れるし、楽に盗ってきた様な人たちでした。金銅に釘を刺されていなければ、やっていたと思います。
やること自体は簡単です。難しかったのは、金を見つけた時の反応を見ることでした。
これは指示ではなかったのですが、気になって、相手が見つけるまで一日中張り付くことも度々でした。非日常に感覚がおかしくなっていたのかもしれません。私の毎日は、ただ盗んで食べて寝るだけでしたから。
首を傾げる。何度もお札を確かめる。固まって暫く考え込む。深く考えずに喜ぶ。気づかずに帰っていく。反応は様々でした。一枚受け取って逆スリをする。アジトに帰りまた受け取る。その繰り返しの中、私はいつの間にかその人達がどんな風に生きているのか、そればかり追っていることに気づきました。
黙々と生きている知らない人、知らない仕事、知らない世界。どうやれば盗れるかでしか見てこなかったものが、変わって見えていたんです。
ふわふわした、変な感覚でした。
札束が残り一枚になった日、アジトに行くと寿司桶が並んでいました。何故か金銅は怪我をしていて、聞けば職場で揉めたと言っていました。嘘だったと、思います。
二人共殆ど会話はなく、黙々と食べました。食べながら、何故か涙が溢れてきました。たぶん、美味しかったんです。その頃には、金銅から感じた底冷えする恐ろしさは薄れていました。
「銀子。悪いことはバレるのに、ええことはバレへんなぁ」
最後の一枚を受け取り部屋を出る私に、金銅はそう言いました。なんとなく、もう会えないのだと思いました。
そしてやっぱり、最後の一枚を終えて戻ったアジトに金銅はおらず、少しだけ血のついた札束が一つ置いてあるだけでした。
金銅が何のためにこんなことをしたのかは分かりません。けど、何を伝えたかったのか今なら少し、分かる気がします。
金銅に貰ったお金はここにあります。あの日、もしも捕まったら自分のことは話してもいいと言っていました。
お前が話す頃には、おれはもう何処にも居ないからって。
私も。
これから私も、バレないように生きていけるでしょうか。
了
銀の金 有城もと @arishiromoto
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます