⑤一ノ瀬 雲雀/久世 千夏

 次の日は、何も聞こえてこなかった。どの教師の授業も、昼の回の時の演説も。……ただ一つ、それが終わる時のチャイムの音を除いて。

 ただ、一回一回のチャイムの音だけが、いつもよりもずっと長く、鮮明に聞こえて。鳴ったチャイムの数を数えていたら、放課後はもう来てしまっていたんだ。


「ねえ、雲雀」

「どうしたの? 千夏」


 雲雀の声が聞こえて初めて、僕は自分の場所に気付いた。自分の場所すらわかっていないのに、返事が来ることは確信していたんだ。

 雲雀の席のすぐ目の前、昨日とは正反対の、雲雀が座っていて僕がその机の前に立っている画角。雲雀は、まるで昨日の事なんてまったく気にしていないみたいに僕に向かって声を返す。


「昨日ごめんね、慌てちゃって。腕とか痛かったでしょ」

「そんな気にしなくていいよ、別に型とかが付いたりもしてないし」

「そう、良かった」

「でしょ?」

「……ねえ、雲雀」

「どうしたの千夏、そんな顔して」

「別れよう」


 なるべく動じないようにと、あらかじめ用意していた言葉を告げる僕。それでも心中の軋みだけは消えなくて、僕に余すことなくすべてを表現してきている。

 なるほど、これが昨日雲雀がやったことなのか。僕が陳腐な反論をしている時、雲雀は二人の人間と対峙していて、雲雀自身が一番自分にこれを言い聞かせていたんだ。

 好きな人と持つべき関係は、共依存なんかではいけなかったんだと。


「ああ、なんだ。ちゃんと、私の事嫌いになれた?」

「いや、まだまだ好きだよ。大好きだから離れたくない。だけど、昨日雲雀が何を言いたかったのか、今だったらわかる。……僕は雲雀の事が好きなのに、雲雀の事を全然考えてなかった」

「奇遇だね、私もだよ。まあ、それは千夏の方が先に気付いていたのかもしれないけど」

「そんなわけないじゃん。僕だって、雲雀に負けないくらい盲目だったんだから」

「『恋は盲目』ってやつ?」

「周りどころか、雲雀も見えてなかったけど」

「そうなの」

「うん、わかるかな。僕が好きなのって、雲雀だけど雲雀じゃなかったんだ」

「……なんかわかるよ」

「なら良かった。やっぱ駄目だ。ちゃんと雲雀の事も好きになれてないのに彼氏なんて」

「うん。なんか、何やっても寂しいままなんだよね」

「そうそう。それで、好きな人に好きって言われてるのに、なんで僕は幸せじゃないんだってなって。そしたら全部が見えちゃった」

「なるほど」


 昨日の今日だからか、最初は雲雀は僕の様子の変わりようを少し不思議がっているようにも見えたけど。でも、僕が一言一言をしていくうちに、雲雀の顔は少しずつ落ち着いた表情になっていって。


「……ねえ、なんで私たち駄目だったのかな」


 学生鞄に腕を置いて、吐き出すようにそう言った。


「さあね」

「まあ、わかるわけないか。……ねえ、やっぱり私も、千夏の事は好きなんだよ」

「駄目だよ、今更そんなこと言っちゃ。今更そんなの言われたって、未練にしか」

「いや、そうじゃなくて。私がどうやって付き合えばいいかを失敗したとしても、千夏の事は本当に好きだったって、それだけは言いたかったの」

「なんで、そんなこと言ったら」

「だからこそ、別れるんだよ。今の私達じゃ、で幸せにはなれないから。でも、それさえどうにか出来たら。それぐらい願っても良くない? だって、どんなに失敗しても、二人とも好き同士だったんだから」

「そう、かなあ」

「違いないよ、私はそうなんだから。後は千夏さえそうならいいの。恋愛なんて私たちの中ででしかないんだから、そこで良いなら良いんだよ」

「なるほど、それはまあ確かに」

「でしょ。……ちょっと話し過ぎたね。まだ振るかどうかも伝えてなかったのに」

「あれ、そうだったっけ?」

「そうだよ、だから私のこの先次第で、さっき千夏の言ったことを妄言にしちゃうこともできる」

「えーっと、それは」

「嘘嘘、しないしない」


 少し笑うように雲雀が言う。でも、その時に雲雀の目からは一滴の雫が流れ出ていて。


「……じゃあね、千夏」


 雲雀は、弾けるような声で言った。

 僕はただ、その泣き顔を見ていた。ずっとずっと、見ていた。

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痛くて、苦しくて、良かった。 @geki_tu

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