④久世 千夏ー2

【どうして?】


 さっきまで涙を受け止めていたマットレスが、一転変わって冷や汗を被る。

 一応そこそこ仲は良い、でもインターネットでしか知り合っていないはずの人。しかもこの人は常日頃からかなり正確に棘があるから、秘密ごとはかなり厳守してきたのに。

 そんな人からのあまりにも突然で、それでいて時期の良すぎるダイレクトメッセージ。それがどれだけ不気味で、身の危険に直結してくるかを感じ取ることは想像に難くない。

 そんなことをしたら一番危ない手前、大人しく話を続けているものの。本当は通知を見た瞬間、すぐにでもブロックして忘れてしまいたかった。


【あ、予想通りだ。というか世界って狭い、君、高校生でしょ?】


 続けて送られてきたメッセージを見て、今度は心臓の音も聞こえるくらいに強くなる。一体どうして、今日に限ってこんなことばかり。雲雀には捨てられて、知らない人には特定されて。


【仮にそうだとして、どうしたの?】

【否定しないって、もうそうじゃん。んーん? 昨日高校生の子から恋愛相談持ち掛けられたから、試しに鎌かけてみただけなんだけどね】


 自暴自棄になりかけていたその時。

 帰って来たのは。特定しましたでも特定しますでもなく、予想とは全く離れた話。……そして、今一番必要な話。

 

【え、鎌かけたのって、僕だけに?】

【なわけないじゃん、そんな得られるものも得られないようなこと。タイムラインが学生っぽい人全員に送ったよ】

【……いや、やっぱりあんた性格最悪】

【それ、昨日も言われた。言っておくけど本当だよ? その子も宮城出身でしょ】


 僕の身分がバレた。そして、雲雀の住んでいる県がバレた。そこからすぐに導けたことは、さっきまでの僕では絶対に辿り着けなかった、雲雀に昨日起こったこと。

 この事の顛末の中核をこの人が担っていたのであろうことなんて、火を見る事より、いやそれよりも明らかな事だった。


【でも、もっと交友関係出すかとかは気を付けたほうが良いよ? こういうことがあったりすると点と点が繋がっていって、最終的に私みたいなのにかなり個人情報絞られたりするから】

【ご鞭撻ありがとう。で、何でいきなりそんな話? まさか、人の別れ話の物見遊山しに来たわけでもないでしょ】

【えー、私から言っても良いけどさあ。確かに私が色々話進めたんだろうことは事実だから申し訳なさが無いとは言わないし。……でも、無いと困るのって君なんだから、お願いの一つでもしてほしいなあなんて】


  やっぱり、と心の中で舌が鳴る。まさかインターネットでだったとは思わなかったけど、やっぱり誰も唆さずにいきなりあんなことになる筈なんてないんだ。

 そしてそれはつまるところ、今日の事も、雲雀を泣かせたのも僕が今こうなのも、元をたどれば全部がこの人に起因しているということ。

 考えるだけでもうはらわたが煮えくり返りそうだったけど、でも今は話を聞けないとどうしようもない。未だにどこかからかっているような言い方が心底不快だったけど、それでもここは耐え忍がないと。


【わかった、教えてください。何言った? 昨日】

【そう急くんじゃないよ、人の話は人のペースに任せなきゃ。だっていいの、スズメが、君の彼女が君についてどこまで話してて、どういう悩みをいつも持ってたのかとかの大前提無しに結果だけポンと貰ってさ】

【……教えてください、事細かに】

【いいけど、ブロックされたから原文とかは見せれないよ】

【は!?】

【うん、昨日された。あ、君がスズメの首を何度も絞めてることは知ってるよ? もちろんその事情も】

【は!?】

【スズメ、年齢出してるわりにはリアルの口軽いんだよ。どうせスズメって名前も、そんなに現実から遠くないんじゃない?】


 目の前で返されるリプライの一文一文に、毎回心拍数を歪められる。


【そんなに思慮の浅いように見えますか? 僕の雀が】

【おー独占欲強いね、振られたのに。いや、だって私とのやりとりの範疇では完全にそうだし……】

【まあ、事実だって言うなら多少は仕方ない節はあるけど】

【あ、君はスズメよりは話ができる人なんだね。首絞めれるって聞いてたから、本当はどんな碌でなしかと思ってたけど】


 文章の節々から見て取れる性悪さと、こんな人間と雲雀が恐らく長い付き合いであるだろうという事実。仮にもうブロックされているとしても、そのことを考えるだけで僕はもう嫌な気分になる。


【あんまり嫌な蛇足は言わないで下さい、ブロックしますよ?】

【いいよ別に、インターネットの自然権だし。でも、今それで困るのは君じゃないの?】

【……まあ、うん】

【でしょ。それで、昨日もメッセージ少しやり取りしたんだよね。初めて失神するまで行っちゃったよみたいな内容】

【はい、それで?】

【そこまでいっても応えてくれて嬉しかったけど、でも申し訳なさが出てきてどうすればいいかわからないって言ってて】

【……】


 メッセージで送られてきたのは、僕の初めて聞く話。もっとも昨日の今日だから、知ってる方が無理のある話ではあるけれど。

 だから、今日散々雲雀は『迷惑』とかを繰り返し言ってたんだ。


【それで、どうやったらこんなことしないで済むようになりますか、みたいなこと聞かれたんだよねえ。元から定期的に聞いてたんだけどさ。……君と話せばいいのに、そう思わない?】

【うん】


 わざわざ聞かれるまでも無かった。なんで、彼氏なのにそんなところに至るまで頼ってくれなかったのか。今日の昼に、全部吐き出してくれなかったのか。それらのもやもやが、脳のゆとりをすべて埋め尽くしている。


【じゃあ、何で聞かなかったの? まさか、毎回何も思ってなかったなんて言わないでよ】


 でも、それはすぐに覆された。……思いも寄らない一転攻勢、どこか反則とすらいえる言葉によって。


【え? だって、それは踏み込んだら駄目な所だから】

【……そう。まあ、それは少し話が逸れるから後で言うとして。だから、なんで好きな人に愛されてるのに満足しないんですか、本当は好きじゃないんじゃないですか、って言ったんだよ。そうしたらもうブロックされた】

【最悪すぎでしょ】

【ちゃんとフォローもしたんだけどね、君とスズメはお似合いだって】

【そんな取ってつけたようなこと言った所で】

【いやいや、本当に思ってたんだよ? 無限大に愛でられたい人と無限大に頼られたい人なんて、どっちもで相性最高じゃん】


 画面の向こうから送られてくる文字が、目に見えて先鋭化した言葉になっていく。その文字列を見る度、僕の呼吸は自分でもわかるくらい荒くなっていった。

 侮辱されている、それだけで怒りが増していっていたわけじゃない。SNSは暴言の温床だ、たった一回ブロックするなりなんなりしてしまえば、根も葉もない暴言なんて消してしまえるんだから。

 ……侮辱が、何故か脳に張り付いて。この人が言っていることが、僕の何もかもを壊してしまう気がして怖かったから。


【どういう意味?】

【思い当たる節ない? 君もどうせ、スズメが好きなんじゃなくて、自分の事を好きな人がいなくなって欲しくないだけなんだよ】

【……へえ、はあ、うん】


 送られてきた言葉を、やめたほうがいいと思っていたのに咀嚼する。

 すると何回か噛むたびに、パチと炭酸がはじけるみたいに、突然記憶が湧き出てくる。


”大好きって言ったら大好きって返してくれる人なんて、雲雀以外に僕は知らない。確実に、不可分になるまで惹かれていったんだ”

”僕の言葉が、執着が、皮を剥ぐように引き剥がされる”


 紛れもない、ここ数日の記憶。―――それも、教室、僕がひたすらに雲雀を引き留めたくなっていた時のもの。


『もうこれ以上、


 その中でも一際大きく、まるで今言ったのかとすら思えるくらいに鮮明によみがえった記憶。それは他の何ものでもない、ただひたすらに寂しさだけで引き止めていた僕自身の姿で。どれだけ懇願するように雲雀が頼み込んでも、頑なに自分の意見だけを押し通し続ける僕の姿だけが、そこに居た。

 これが、愛だって言うのか。拒絶されているにもかかわらず、自分の為だけに動き続けた僕の姿が。


【ありがとう】


 たった一言そう送った僕は、おもむろにスマホを手から離す。

 最悪な結果。―――つまり、雲雀がどうしてあんな行動に出たのか。それが、今となってはわかってしまったから。

 雲雀もそうなのかはわからない。だけど、僕に限って言うなら。

 僕が雲雀を愛していたのは、雲雀が好きだったからじゃない。雲雀に好きって言い続けて、それで僕の事を好きって言い返して欲しかっただけだったんだ。そんなの、本当に両想いだったなんて言えないのに。

 でも、だけど、好きなんだ。雲雀の事が。どんな動機だろうと、結果として好きな物は好きなんだ。でも、そんなのは愛じゃない。つまり、もうどうしようもない。


「……応えないと、か」


 ほんの少しだけ感じていた、穴の空いたバケツが埋まったかのような充足感。それで、ちょっとでも油断すると湧き上がる反対の意志を抑え込んで自分に言い聞かせた。

 別れないと。

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