第7話 催眠術

 いよいよカタルシス効果の実験と称されたイベントの開催の日がやってきた。弥生とつかさは、ほぼ強制的にというくらいの立場で、見ることになっていたので、席も特等席になった。一番前のかぶりつきと言ってもいいくらいの席である。

 今回、実験に選ばれたのは、物静かな女の子で、高校生くらいであろうか。見ていると、まるで自分の高校生の時のような気がして、他人とは思えなかった。

 実は、この時代の自分と一番顔を合わせたくないと思っていただけに、彼女の顔を見ただけで憂鬱になった。

「まるで以前の私のようだ」

 と言って憂鬱な気持ちを表に出してしまい、ハッとした気分になっていると、隣にいる弥生がじっとこちらを見ている。珍しいものでも見るような感じで、

「どうしたの? 何か顔色が悪い気がするわよ」

 と弥生がいうが。

「そうなのよ。何かあの女の子を見ていると、他人ではないように思えてきたのよ」

 というと、

「ああ、すでにあなたは催眠にかかっているのかも知れないわね」

 と言われた。

「どういうことなの?」

「催眠術というのは、その人の普段気にしていることや表に出してはいけないと思っていることを引き出させるものでしょう? そうなると、催眠術を行うという場所で、誰であろうと普段押し隠しているものを表に出そうとしているならば、それは催眠にかかっていると言ってもいいような気がするのよね」

 というではないか、

「確かにその通りかも知れないわ。あの子のように私も高校時代は自分を必死に隠して、すべての人が敵であるかのように思っていた自分がいたのを覚えている。でも、本当はまわりが皆敵だと思うことは嫌じゃなかったの。だって、勉強をするための意識として、人に負けたくないという思いがあるわけでしょう? となると、敵が存在してこその競争なのであって、仮想敵が重要であることは分かり切っている。でも、それはあくまでも好敵手であって、本当の敵ではない。そういう意味で、自分のそんな気持ちを他の人に知られたくないという思いから。内に籠ってしまっていたんでしょうね。だからね、まわりを敵だと思う感覚は悪いことではないと思うのよ。だからこうやって内に籠っている人を見て、その頃の自分を思い出す。だけど、思い出す時はいいことだけを思い出せばいいのであって。それを実現してくれるのも、また催眠術なんじゃないかしら?」

 というのだった。

 さすが、いつも楽天的なことを考えている弥生だけのことはある。だが、楽天的な言葉に説得力があると感じるのは。こんな時に迷いが生じている心の中を見せてくれようとする彼女の表現につかさは、親近感を感じるのだった。

「私は催眠術をあまり信じる方じゃないけど、弥生はどうなの?」

 と聞くと、

「私は、信じる信じないというか、目の前で起きていることは信じるんじゃないかということくらいしか思えないわ」

 と言った。

「でも、その通りなのかも知れないわね」

 それ以上は何も言えなくなった。

 いよいよ舞台の幕が開いて、開園となった。まばらな拍手が鳴る中で、ゆっくりを上がっていく幕から現れた舞台の上に、一人の女の子が中央で一人椅子に座っている。

 顔を下に向けて、どうやら眠っているようだ。すでに催眠にかかっていると言われても不思議のないほどに首を下に垂れて、まわりからの光にもびくともしない様子は、本当に眠っているのだろう。

 そこへ一人のタキシードを着た紳士と、アシスタントなのか、スタイルのいい女性が、レオタードに燕尾服を着たいで立ちで、慣れた手つきを示していた。

 タキシードの男性は中年と言ってもいいくらいの人で、レオタードの女性は、モデルかと思うほどのビジュアルだった。もし、これがテレビの映像であれば、

「何とも素晴らしい、エンターテイメントだ」

 と思うことだろう。

 リアルすぎて、最初は何も感じなかったが、それがすでに相手の術中に嵌っていて、自分の感覚がマヒしかかっていることに、その時は気付く由もなかったのだ。

 実際に舞台など見たことのないつかさには、舞台効果など分かるわけもなく、ただ、圧倒されていたのだろう。

 自分にあまり経験がないと気にしてしまうのはまわりのことである。まず気になったは一緒にきた弥生だった。

 弥生は、じっと前を見つめていて、女の子の目線に自分の目線を合わせているようだった。普段から笑顔を絶やさず、まわりに気を配っているのがよく分かる弥生がこの時ばかりは、一切まわりを見ていない。

 弥生のことを見ていると、

「気を遣っている」

 という言葉ではなく、

「気を配っている」

 という言葉がピッタリしている気がしていた。

 気を遣っているという言い方をすると、

「自分からまわりに対して」

 という印象が強いが、配っているというのは、まわりが彼女を気にしているので、そのことに気づいた彼女が、気に掛けているという程度のものに感じる。

 実はそれくらいの関係性が一番いいのだが、彼女に何かの力があるから、まわりが彼女を気にしているのだろうが、つかさにはその意識はない。普段から一緒にいる相手だからかも知れないが、もし自分が仲良くなっていなかったら、

「何か気になるところがある人」

 という印象を持っていたかも知れない。

 その視線に気づいた弥生が話しかけてくれることで、自然と弥生も話しかけられる雰囲気を作ることができ、相手もわざとらしさなど感じることなく、逆に自分を気にしてくれたことに感謝することだろう。

 たぶん最初の出発点は弥生の視線なのだろうが、最初が自分からだったように思わせるその視線に、

「気を配ってもらった」

 と感じることになるのだろう。

――これも一種の催眠のようなものかも知れない――

 とつかさは感じた。

 ただ、このことを気付かせてくれたのは弥生自信かも知れない。

 他の人には自分からの視線を感じさせたかったのだろうが、つかさに対しては、つかさ自身が弥生を気にしたと思わせたい。それが、彼女のつかさの前で見せる。天真爛漫で楽天的なところなのかも知れない。

 弥生が本当はどのような性格なのか、実は誰も分かっていない。弥生という女の子は、相手によって、自分がどんなタイプに見えるのかを、催眠のようなものに掛けているようだった。

 だから、弥生のことを楽天的で天真爛漫に思っているのは、つかさだけだったのだ。

 つかさは、弥生に自分のことを正直にいつも話している。それを聞いて弥生が、いつも的確な意見をしてくれるのが嬉しかった。

 それは、まるで自分が以前から意識していたことを、自分の中で消化できずに、言葉にできない内容を言葉にしてくれているかのようであった。

「痒いところに手が届く」

 という感覚が、一番的確な気がするが。それを言葉にしてくれるだけに実に分かりやすい。

 それが、元々何も言わなくても分かってくれる人が一番自分にはふさわしいと思っていたのに、弥生が現れてからは、

「言葉にしないと伝わらないことだってあるんだ」

 ということを思い知らされた気がした。

 よくテレビドラマなどで、

「言葉にしないと分かり合えないことも多いんだ」

 と、夫婦や恋人の関係でのセリフの中にあるのを感じていたが、それはあくまでも、夫婦や恋人のように、まだなったことのない相手のことに思いを馳せても。どうしようもないという感覚があったのだ。

 それだけに弥生に対してそのように感じたというのは、

「これは友情ではなく、愛情なのかも知れないわ」

 と感じていた。

 それは自分が嫌いなライトノベルでのジャンルである。BLと反対のGL、「ガールズラブ」ではないか?

 と感じていた。

 BLよりも明らかに生々しさを感じたが、

「弥生であれば、悪くもないかも?」

 と感じたのだ。

 つかさは、まわりのことも見てみた。人はまばらであるが、思ってよりも、単独の客の方が多い。

「こういうところに、一人で来る勇気、よくあるわね」

 と、隣の弥生に話掛けたが、

「一人の方が来やすいのよ。誰かとくると、その人に気を遣ってしまう人だったら、集中したいのにできなくなるという可能性があるでしょう? だからこういうところには一人で来る方が効果的なんじゃないかなって私は思うの」

 と弥生は言った。

「じゃあ、弥生はこういうところに今までに来たことあったの?」

 と聞くと、

「ええ、何度かあったのよ。もちろん、自分から進んでくるということはなかったけど、友達に誘われたりしてね。私は高校時代に、結構宗教団体に入信している人もいたりしたので、いろいろな意見も聞けて楽しかったのよ」

 と言っている。

「宗教団体? あなたが?」

 と意外な言葉が訊けたので、ビックリした。

「ええ、でも入信するわけではないので、話を訊くだけね。でも、話を訊いていると結構いろいろと面白いことも聞けて結構楽しかったわ。何か私って、昔から宗教団体の人とかに話しかけっれやすいのかも知れないわね」

 と、言っていたが、つかさから見ていて、宗教団体の人が話しかけやすそうには見えなかった。

 どちらかというと話しかけるのに勇気がいる気がしていて、よほどのきっかけがなければ彼女に話しかける勇気は出てこないような気がしたのだ。

「そういえば、その時一緒にいた人が、宗教団体に入信したんだっけ」

 と弥生は言い出した。

「というと?」

「あれは催眠術を見た時とは違う時だったと思うんだけど、一緒にいた人と二人で歩いていた時に宗教団体の人に話しかけられたの。友達は何か気持ち悪そうにしていたけど。、私が楽しそうと言って話を訊こうというと、仕方なしに一緒に近くの喫茶店でその人の話を訊いたのね。別に勧誘されたわけではないんだけど、私としては話の内容が面白いと思ったのよ。だから、話の内容を中心に聞いていたんだけど、友達の方は、途中から表情が真剣になって、それまでとは違った雰囲気で聴いていたのね。それに最後の方では、質問をしたりもしていたわ。だから私は彼女も相手の話に大いに興味を持ったんだって思ったんだけど、話を訊いているうちに、話よりも、ようやら相手の女性に興味を持ってしまったようで、今から思えば、その友達は相手の人の中に自分を見たようなのよ」

 と弥生はいうのだった。

「どこからか、話にのめり込んでしまったんでしょうね。でも確かに相手に自分を見ると、まるで金縛りに遭ったようになって、大いに興味をそそられるものなのかも知れないわね」

 と、つかさは言った。

 何といっても、自分が弥生に興味を持ったのは、まったく違って性格であるにも関わらず、弥生の中に、中学の頃の自分を見たような気がしたことで、弥生に興味を持ったのだった。

 今ではそのことを後悔するどころか、知り合ったことへの喜びしかない。弥生の友達というその人も、あの時のつかさと同じ思いを抱いたのだろうか?

 ただ、他人の中に自分を見るというのは、そうあることではない。まず、自分が何者であるかということを理解していないと、そもそも他人の中に自分を見るなどありえないことではないか。

 普段、自分の姿を見るには、鏡であったり、自分を写し出すための何か媒体を介することがなければ、見ることはできない。つまりは自分を見るのだという意思がなければ、自分を見ることはできないものだと思っている。

「見ようと思っても、そう簡単に見ることのできない自分」

 というものを見ることができたら、人生に新たな発見ができるのではないだろうか?

 その話を弥生にしてみると。

「そう、そうなのよ。友達が宗教団体に入信したというのも、自分を見たというその相手の人が、今あなたと同じような話をしてくれたのがきっかけで、自分もその宗教で学びたくなったんだって、彼女にとっては宗教団体というよりも、人生の勉強会のようなイメージのようで、彼女が信じているのなら、反対しようもないような気がしていたんだけど。今でも仲のいいお友達なのよ。それに彼女は私をその団体に決して誘ったりはしないのよ。入る気があるのなら、自分から行動するだろうって言ってね」

 と弥生が言った。

「弥生はその団体に入ろうとは思わないの?」

 とつかさが聞くと、

「うん、今は入ろうとは思わない。だって、せっかく大学に入ったんだから、他にももっと面白いことがあるかも知れない。まずはいろいろ見てから考えようと思ってね」

 と弥生がいうので、

「じゃあ、まったく選択肢がないというわけではないのね。いろいろな候補の中の一つということか?」

「ええ、それに私は何かを作り出すことが好きなので、その道を目指したいと思っているの。芸術的なものだったり、学術的なものだったりといろいろと見てみたいの」

 と言っている。

 つかさとしても、

「私も同じなのよ。創作意欲が湧きそうなものが好きなのよ。ただ、今までが飽き性だったので、なかなか一つに集中することができないでいたのよ。いろいろとやってみたけど、どれも中途半端に終わってしまったわ」

 という思いがあったのだ。

「でも、やりたいとは思っているのよね? それで集中力が出てこないということは、きっと自分に自信がないのかしら? 自分には無理だという考えがあったとすれば、集中はできないのかも知れないわね。私も小学生の頃にやってみたいと思ったことがあったんだけど、結局できなかったのよ。どうしてなのかその時には分からなくて、そのうちに考えるのをやめてしまったんだけど、今から考えると、結局自分にはできないという思いからだったのね」

 と弥生は言った。

「それだけ自信がなかったということなのかしら?」

 とつかさがいうと、

「さっき、私は自分で自信がないから、自分には無理だと思ったんじゃないかって言ったけど、ひょっとするとそうではないのかも知れない。自分に自信がないことと、自分には無理だと考えることとは、一緒ではないんじゃないかって思うのよ。どこに根拠があるというわけではないんだけど、そんな風に思うのよね」

 と、弥生は言った。

「なるほど、じゃあ、自分に対して不安を感じる時というのは、自分に自信がない時というよりも、自分が何かをしようとして、できないと感じている時なのかも知れないわね」

 というと、

「自分に自信がないという中に、自分にはできないと思う気持ちが入っているかと言われれば、入っていないと思うのよ。本当にできないということであれば、逆に自信をもって、できないと言えばいいのであって、できるかも知れないしできないかも知れないという中途半端な気持ちがどちらとも決めかねている自分に対して自信を持てない、つまり判断力の欠如を自信のなさとして感じているのだとすれば、不安に感じるのは、やはり自分に自信がない時なのよ。だから、逆に自分にはできないと感じた時、考え方を変えると、できるようになるかも知れない。その考え方の違いをその友達は、その時宗教団体の人から教えられたんじゃないかって思うのよね」

 弥生がここまで一つのことに饒舌になったのは初めてだったので、ビックリしてしまったが、つかさには、弥生がこれくらいのことはいえるほど、知識があると思っていた。心理学的な本を読むのも好きだし。何と言っても弥生は今のように、話をしながら、自分の考え方を成長させることのできる人だということが分かっただけでも、彼女と友達になれてよかったと思っている。

 元々心理学的な、そして精神分析学的なことに興味があったつかさは、弥生の登場を待ちわびていたのではないかと感じたほどだった。

 今まで十八年、十九年と、違った人生を歩んできたはずの二人だったが、どこかで出会ってすれ違っていた回数が今までに一番多い相手ではなかったかと思うのだ。お互いに知り合うまでのカウントダウンは、ずっと始まっていたのかも知れない。

「ひょっとして、私、一年浪人したのは、弥生と出会うタイミングを計っていたのかも?」

 と、これ以上にない、ポジティブな考えに、思わず笑ってしまった。

 何も知らない弥生は驚いていたが、つかさの楽しそうな笑顔を見て、訳が分からないままに笑顔になっていた。

 弥生はその時の顔を、残しておきたかったと思うほどだったのは、その時ハッキリと鏡などの媒体がなければ見えるはずのない自分の顔を意識したと感じたからだった。

 きっと、こんな感覚になるのは、一生のうちで、最初で最後のことであろう。もっとも、普通の人は一度たりとも思えないと思うからだ。

――いや、人はみな、一生に一度この感覚を味わうのであって、私はたまたま今になっただけなのかも知れない――

 と弥生は感じていた。

 いよいよ催眠術が始まった。

 女の子が目を瞑っているところに、催眠術師が話掛ける。

「何が見えるかな?」

 と訊かれた彼女は、

「何も見えません」

 と答え、次第に身体が震えているのを感じた。

 震えは止まることもなく、催眠術師は手を彼女の上に翳して、指で空間を広げるようにしなから、まるで見えない糸で彼女を傀儡しているように思えた。拘束されているわけではない彼女は自由に身体を動かしているように見えたが、それを見ているつかさは、自分が催眠術師に操られているかのような錯覚を覚えた。

 目の前にいる子が舞台から客席を見ている。その中につかさ一人が照明に当たって、光って見える。

 彼女と目が遭ってしまったことで、目をそらそうとするつかさ。以前にもどこかで似たような感覚を味わった気がした。

――そうだ、この間までの自分じゃないか?

 一年間浪人して、一年前の自分は浪人したことで、完全にまわりから置いて行かれた気がして、本当にすべてを失ったかのような気持ちになった。どんなショックなことが起きても、浪人するまでは、後ろに下がった気はしなかった。絶えず前を向いていて、成長だけしか考えられなかった自分が、一度受験に失敗して、一年は大学生になれないという時間を過ごさなければならないことで、どれほど落胆したか。それは、完全に焦りであった。一緒に同じ時代を過ごしていさえすれば、どんなに成績が悪くても、追いつけないわけはないと思えるのに、浪人というのは、一年は絶対に前に進めないのだ。しかも、この一年という歳月は、絶対に縮まることはなく、取り返すこともできない。

 こんなにネガティブに感じたことのない一年間。今から考えても、どうやって挫折せずに過ごせたのか、その思うの方が強かった。

 そんな一年間に、どれほど嫌な夢を見た事だろう。毎日のように夢を見ていた気がした。

「怖い夢というのは、忘れることはないけど、もう一度見たいと思う夢ほど、覚えていないものなんだよな」

 と言っていた人がいたが、まさにそうだった。

 高校時代は、暗かったというイメージしか残っていないが、それでも、絶対的に遅れてしまうという焦りがなかっただけに、そこまでの落ち込みはなかった。だから、時々怖い夢を見たという意識はあるのだが、毎日ではなかった。

 それでも、怖い夢を見て、それに驚いて目を覚ました時、

「まるで昨日も怖い夢を見て、目を覚ましたかのように思えて、生々しく思い出せるくらいだ」

 と思ったほどだった。

 だが、浪人時代は毎日のように怖い夢を見ては、変な汗を掻いて目を覚ます。それだけに半分慣れっこになってしまったかのようだった。

 だが、不思議なことは、後から思い出すと浪人時代よりも、高校時代の方が、不安を感じていたような気がする。浪人時代は、一度高校を卒業し、大学受験を経験した。合格はしなかったが、経験だけはしたということで、不安が高校時代よりも薄かったのかも知れない。

 だから、焦りもあり、現実として一年は前に進めないという呪縛を感じていたのだが、なぜか不安を感じることはなかった。高校時代は、前に進めないということはなくて、比較的気持ちとしては自由だったはずなのに、言い知れぬ不安に駆られていたことで、浪人時代よりも暗くて怖かった気がした。

 浪人時代のようにリアルな思いは、不安には結び付かない。どちらかというと。大学時代のようにまったく何も知らないということの方が恐怖に近かったのだろう。

 目の前の少女を見ていて、浪人時代の自分を思い出したことで、彼女はリアルな問題は抱えているが、経験をしたことで、不安な気持ちからは、少々免れているような気がしていた。

「高校時代と浪人時代」

 受験に失敗したということで、自分の人生に捻じれが生じ、精神的にどちらが不安定なのか、焦りを伴った精神状態が、時系列をマヒさせているようで、今の自分が有頂天なくせに、何ともいえない不安が背中合わせでいることに、この時気付かされた気がしたのだった。

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