第9話 真相へ近づく

「いまいちよく分からないんだが、詳しく教えてくれないだろうか?」

 と捜査主任が辰巳刑事に言ったが、捜査主任も辰巳刑事の性格をよく分かっているので、あまり強くは言えない。

 辰巳刑事はたまに、このような謎めいた言葉を口にすることがある。それは自分の考えがある程度まとまっているから言えることであって、だからと言って、確証を示せと言われると示すことのできないものである。あくまでも辰巳刑事の頭の中で構成された推理というだけなので、そんな確証のないことを、ハッキリと口にできる性格ではないのだ。

 だが、思っていることを口にしないと気が済まないのは、自分の中に自信として持っておきたいという気持ちであって、まわりから見ると、どこか矛盾があるように感じるのだが、少なくとも捜査本部にいる面々には、辰巳刑事の性格はよく分かっているのであった。

「まあ、そのうちに考えを言いますよ」

 と辰巳刑事ははぐらかしたが、ここまでがいつも辰巳刑事のいうところの、謎に対しての答えのようなものだった。

「何となくだけど、『入らなければ出られない』という言葉に似ている気がしますね」

 と言ったのは、山崎刑事だった。

「少し違うような気がするが、路線は間違っていないと思う。入らなければ出られないというのは、逆にいえば、出なければ入れないというのと同じ意味だろう? 要するに定員は決まっていて。今はちょうど満員なので、出ないと入れないのさ。でも、先に入ってしまうと、押し出される形になるから、結局が出されることになるんだけど、自分から出るのか押し出されるのかの違いはある。言葉が似ているからと言って、この言葉のように、それによって生じることが違っても、最終的に同じことだってあるということさ。でも、俺が言ったのはそうではない。どこから? どこへ? というのは一つのことではないんだ。つまり、さっきのことと同じで、どちらかに作為が働いていれば、もう片方も作為が働いているということさ。今回の事件のように、最初我々が考えたのは、千晶がどこ他で殺された、運び込まれたのではないか? ということだっただろう? ということは、阿佐ヶ谷に関しても同じことが言えるじゃないかと思ってね。それも作為があってのことだよ。それは殺害現場が他だったということを暗示させたいがためのものではなく、別に目的があるんじゃないかと思ってね。そう思わせるために、千晶の死体が他から運ばれてきたかのように見せたのではないかと思ったのさ。もし、あの時に、俺たちが、あの部屋がオートロックのような密室ではないかと言った時、犯人が訊いていたとしたら、やつはニンマリしていたんじゃないかと思うくらいさ」

 と辰巳は言った。

「ということは、そもそも我々が考えた下を運びこんだと考えたことは、犯人によってミスリードさせられたということか?」

 と山崎刑事がいうと、

「そういうことも考えられるということさ。俺はずっと死体が他から運ばれてきたことに何の意味があるんだろう? って考えていたんだ。でも、その結論が出てこない。出てこないのであれば、あれがフェイクだと考えて、犯人がわざと俺たちをミスリードするためだと考えると、別の考え方が生まれてくる。それがさっきの、『死体はどこから? どこへ?』という暗示になるんだよ」

 と、辰巳が説明した。

 捜査主任も、ハッキリと分かりかねてはいたが。言いたいことは分かるような気がした。辰巳の頭の中を垣間見た気がした捜査主任は、それ以上余計なことを考えない方がいいと思うほどになった。このまま辰巳刑事い考えさせておけば、必ず道は開けてくると、捜査主任は考えた。

「辰巳君は、ある程度まで事件の概要が分かってきているということなのかな?」

 と山崎刑事が聞くと、

「そこまではいってないですよ。でも今回の事件は、普段と違って全体からだけ見ていては解決できない気がしたんです。そうなると、どこかをピンポイントで見なければならない。俺はそれを、先ほどのキーワードに求めたというわけさ。そこから見えてくるものと、全体から見た時に見えてくるものが、どこかで重なれば、そこから繋がってくるものが見えてくる。それが光明なんじゃないかって思うんだ」

 と辰巳刑事は言った。

 捜査主任は、辰巳刑事が帰ってきたところで、山崎刑事の先ほどの話をもう一度、話してみた。すると辰巳刑事は大いに興味を持ったようで、

「なかなか面白い発想を聞かせてもらいました。私も実は似たような意見を持っていて、それがさっきに私の推理にも結び付いてくるような気がするんです」

 と言った。

「どういうことかな?」

 と捜査主任は身を乗り出すように言った。

 こういう時の辰巳刑事は、普段は自分だけの意見しかなかったり、自分の意見を裏付けるような話が捜査本部で浮かび上がってこなかった時は、まったく何も言わずにその場を終わるのだが、他の人の意見であったり、証拠が自分の意見を裏付けてくれるようになれば、急に有頂天になって考えていることをいうことがある。

 それもまくし立てるように話すことが多く、一度では理解できないこともあるほど、細かいところまで分析できていて、舌を巻くことがあった。

 ひどい時には、辰巳刑事自体が、頭の中で整理できておらず、話を訊きながらまわりが確認することで、話の骨格が整ってくることも多く、そのおかげで、事件が解決することが多かった。

 しかも、あくまでも推理だと言っていたことが真相だったりするから恐ろしい。

「ひょっとすると、辰巳刑事というのは、犯罪推理が真相を捻じ曲げてしまう力があるんじゃないか?」

 まどというオカルト的な発想をして苦笑してしまうこともあるくらいだった、

「まず、私が大いに興味があって、だけど、いまだに真相に近づけないでいるのが、動機ということなんです」

 と辰巳刑事が言い出した。

「動機……ですか?」

 と山崎刑事は訊ねた。

「ああ、動機なんだよ。殺された波多野千晶、そして不倫相手と目されている阿佐ヶ谷課長、しかもこの二人はすでに破局を迎えているというではないですか。もっとも付き合っていたとして、心中なら分かりますが、どうして殺されなければならないのか、しかも、分からないように殺害するどころか、まるで会社の人間に見せびらかすようにして発見させる。そこに何の意味があるのかということですね。発見させることが目的だったとすれば、動機は怨恨や復讐、少なくとも金銭的な問題などではないですよね」

 と辰巳刑事はいった。

「それは俺も思っていたんだ。一体何を目的に殺害したのかということですよね? 二人の接点となると、どうしても不倫ということになるんでしょうけど、別れている二人ですからね。ひょっとすると、誰かの秘密を握ったために殺されたのかというのも言えるんじゃないでしょうか?」

 と山崎刑事がいうと、

「だったら、なぜ同じタイミングで殺したんでしょうね? 一人一人殺す方が確実に殺害計画を立てられるというもので、一緒に殺す必要もないですよね。それを一緒に殺したというのが、今の意見からするとありえない気がするんです。だったら、二人に対して別熱に殺害動機を持っている人が殺したとも言える。だが、一緒に殺すには何かそれなりにメリットだったり目的があるのではないかと思ったんです。そこで気になってくるのが、凶器の問題です」

 と辰巳刑事が言った。

「女は刺殺であり、男は絞殺だったということだね?」

 と捜査主任が訊いた。

「ええ、そうです。たぶん、殺害のタイミングは別々だったと思うのですが、正直私が最初に波多野千晶が殺されたのが別の場所だと感じたのが、このことだったんですよ。違う凶器で殺しておいたということですね。でも、男が最初に殺されたのであればそれも分かるんですが、どうやら、辻褄を考えると、女が先に殺された気がするんですよ」

「どういうことだい?」

「女は即死だったのは分かります、表情に変化がありませんでしたからね。でも男の表情はあきらかに歪んでいました。その表情は首を絞められて苦しんでいるという断末魔の表情でありながら、よく見ていると、怯えや驚くも感じられるんです。検視の結果で男は後ろから首を絞められています、犯人の顔を見ていない可能性があるような気がするんですよ。そうなると、被害者は何に驚いたのかということになりますよね? 目の前で女性の死体が転がっていればどうでしょう。阿佐ヶ谷課長に死体を見せつけておいて、視線をそこに釘付けにしておいて、後ろから近づいて首を絞める。そう考えた方が辻褄が合いますよね。そして、どうしてナイフを使わなかったのかというと、ナイフを抜き取ると血が飛び散るからです。波多野千晶の死体が血まみれだったら、せっかく他で殺されたかも知れないというトリックが使えなくなる。だから首を絞めて殺したんでしょうが、さてこうなるともう一つ気になることがあります。果たしてその時に死体が一体だったのかどうかということです」

 と辰巳刑事はおかしなことを言い始めた。

「ん? よく分からないが」

 と捜査主任がいうと、

「ここからは私の本当に空想にすぎません。あまりにも飛躍しすぎていて、自分でも怖いくらいの発想なんだということをまず、断っておきますね。さて、波多野千晶をナイフで殺害した犯人は、本当に殺したい相手は波多野千晶だったんでしょうか? 彼女に深い関係のある人物の抹殺を目論んでいたと考えると、いまだに表に出てこない人物が気になってきませんか? ええ、そうです、波多野千晶のお兄さんである、波多野副所長の存在なんです」

 と、ここまでくると、皆話についていけないとばかりに、誰も何も言わなかった。

 捜査員の中には、ポカンとバカみたいに口を開けたまま、閉めるのを忘れているくらいで、ただ、その場に佇んでいるだけだった。

 辰巳刑事は続ける。

「私が、この事件の大きな問題として、動機ではないかと先ほど話をさせていただきましたが。それがここなんです。つまり、本当に殺したかった相手は誰なのか? 本当ン波多野千晶なのか、それとも阿佐ヶ谷課長なのか、そしてその動機は怨恨なのかということですね。二人の間に怨恨があるとすれば、それは二人が不倫をしていたが、別れたという事実を知らなかった人ということになる。つまりは、付き合い始める時は相談を受けたが、別れる時には相談されなかった人物、そうですね。千晶にとって、最初は信用できたけど、信用できなくなってしまった人物、その人が怪しい。じゃあ、なぜ二人は別れることになったのか、それを探ってみると、どうやら、誰かが阿佐ヶ谷課長の奥さんにチクったことが理由だったようです。奥さんは当然激怒する、阿佐ヶ谷毛は修羅場ですよね。阿佐ヶ谷は養子だったこともあり、奥さんには頭が上がらない、不倫のような火遊びで到底自分の人生を壊すわけにはいかない。つまりは、よくある結末だということでしょうね」

「なるほど」

 と山崎刑事は頷いた。

「だけど、彼女はすぐに引き下がるわけにもいかなかった。少しは修羅場にもなったことでしょう。ただ幸か不幸か、波多野千晶は、すでに阿佐ヶ谷課長に飽きが来ていた。別に執着するつもりはなかったが。奥さんに対して恨みごとの二ッ谷三つは言わないと気が砂ない。どうせ引き下がるつもりなので、修羅場になったとしても、本気ではない。私はそれを奥さんに確認してみましたが、奥さんも実は彼女の本心を見抜いていたようです。そえでもわざと修羅場を演じたのは、自分を裏切った旦那に対しての恨みと、また不倫をしたら二度と許さないという意思表示だったんでそうね。そんなことがあって、奥さんと千晶さんは仲良くもなったようです。昨日の敵は今日の友というではないですか。それと同じ感覚ですね。だから、阿佐ヶ谷課長の奥さんは犯人ではありえないんです」

 と辰巳がいつと、今度は捜査主任が、

「うーん」

 と頷いて。

「じゃあ、今の話のチクった人が怪しいということになるのかな?」

 というと、

「そうですね、今のところ動機を持っているのはその人、その人間は誰を殺したかったのかというのを考えてみると、どうやら、波多野副所長だったようです、ただ、波多野副所長の死体がそこにあると、自分が一番に疑われる。だけど、そこにあるのが不倫相手だったとすれば、話は変わってくる、自分はあくまでも蚊帳の外ということになるんでしょうね」

 ここまで言うと、山崎刑事も黙っていなかった。

「ということは、今行方不明になっている波多野副所長は殺されているという可能性が高いということなのかな?」

「ああ、僕はそう思っているんだ。だから、さっきも言ったように、『死体はどこから? どこへ?』というキーワードが出てくるのさ。つまりは、最初考えていた波多野千晶の死体がどこかで殺されていて運ばれてきたのではなく、逆にここで殺された人間が、他に運び出されたことで、被害者は実は二人ではなく、三人だったのではないかという考え方なんだ。それを考えれば、阿佐ヶ谷課長の怯えともいえる表情の説明もつくし、凶器をどうして女はナイフで、男は絞殺だったのかということも分かる。犯人としては、あくまでも、波多野千晶が他で殺されてここに運ばれてきたということを強調したかった。ただ、それにはもう一つの意味もあるんだ」

「もうひとつ?」

 と山崎が聞くと、

「ああ、あの部屋がオートロックのような仕掛けになるので、もし、他から死体が運ばれてきたのだということになると、仲から扉を開けるために協力した共犯者を必要とするということだよ。つまり、他から死体が運ばれてきたということを強調したいのは、共犯者の存在を警察に印象付けたいという思いが強いからではないかな?」

 と辰巳刑事がいうと、

「あっ」

 という声が漏れた。

「なるほど、ここで共犯者の存在があるとすれば、不倫関係にある男女が殺されているので、お互いにどちらかを殺したいという二人の利害が一致したという捜査方針になり、動機はあくまでも、不倫の男女に対しての恨みということに固まってしまう可能性が高いですからね。犯人はそれを狙ったということかな?」

 と山崎刑事がいうと、

「その通り、その考えが一番しっくりくると思うんだ。現に我々だって、動機はそのあたりにあるという感覚で捜査していたはずなんだ。逆に他に動機があるとすれば、パッとは思いつかない。ましてや、波多野副所長の死体が発見されなければ、また別の見方がでてくる」

 と辰巳刑事がいうと、

「うんうん、その通りなんだ。なんて頭のいい犯人なんだ」

 と、山崎刑事は感心している。

「どうやら山崎君にもピンとくるものがあったようだね。そう、犯人にとってのも一つの目的は、本当に自分が殺したかった相手を行方府営にすることで、その人が実は犯人で、身を隠しているんじゃないかと思わせるところにあるんだ。そのために、波多野千晶が不倫をしていた相手を殺害するのが一番いい。可愛い妹を不倫という形で弄んだ相手を殺すというのはあり得ることだからね」

「でも、千晶まで殺すことはないのでは?:

 と山崎刑事が聞いたが。

「そこはよくわからないのだけど、犯人の中には、『可愛さ余って憎さ百倍』という気持ちがあったのではないかな? 波多野副所長がそういう気持ちでいただろうという思いだね。しかもその思いは犯人が波多野千晶に向けていた思うとしても考えられることであって、そういう意味では被害者と犯人の気持ちはある意味で一致していた。だけど、それだけに犯人には波多野副所長の気持ちがよく分かったんだろうね。そのために、殺しまで計画してしまったと言えるのではないだろうか?」

 と辰巳刑事は言った、

「じゃあ、犯人の真の目的、動機というのは何なのだろう?」

 と山崎刑事が言ったが。

「今、山崎君が言った言葉が、実はこの事件の神髄ではないかとも思うんだ。つまりは、犯人の真の目的というものが、果たして動機だと言えるかということを私は考えているんだ」

 と不思議なことを辰巳刑事は言い出した。

「ん?」

 当の山崎刑事も、ピンときていないようだ。

「犯人の目的というのは、表に見えている殺害の状況を裏付けるものであって、動機というのは、最初は小さなものであるけど、次第に膨れ上がって、相手を殺さなければ気が済まないというところまできた場合ですね。つまり、動機というものが、膨れ上がって形になって、初めてそこから殺人計画に入る。そこからが、犯人にとっては動機が目的に変わってくるのが、普通の場合の殺害の敬意なのだろうけど、ひょっとすると、これは本当に妄想の域なんだが、犯人が動機が確定して、目的に変わった時点で、動機という概念が消えてしまったとも思えるんだ。殺害目的だけが残ってしまって、当初の動機がなくなっているので、そこから少しずつ変化していっても、本人には分からない。だから、この事件の計画は実によく寝られているんだけど、その分、一か所に何か穴が見えると、そこから発覚することは大きくなってくるのではないでしょうか?」

 と辰巳刑事は言い始めた。

「殺人の目的と動機が違ってきたというのは、考えたこともない発想だね」

 と捜査主任がいうと、

「それはそうでしょう、証拠として採用されるのは、きっと目的であって、それを動機だという裁判になってしまう。それはすべてが同じだからであって、誰も疑わない。ひょっとすると、この犯人には分かっているのかも知れないと思うんですよ。もう殺害の時には自分の中に動機はないんだってね。そう思うことで、ある意味、形式的に殺害計画に忠実になれたのかも知れない」

 と、辰巳刑事は苦虫を噛み潰していた。

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