第6話 現場検証

 現場がある程度入れるようになると分かった時、ちょうど第一発見者である山口が、ちょうど今から三十分ほど前に気分が悪くなり、次第に呼吸が困難になってきたということで、急遽、救急病院に搬送されることになった。

 劇薬の臭いの中には、その時すぐではなく、だいぶ経ってから、身体の変調をきたすということがあると聞いたことがあったが、まさにその通りなのだろう。

 今、山口は、集中治療室で人工呼吸器をつけて、治療を受けているということだ。となると、この場所の塀さの判断は間違っていなかったということであるが、果たしてこの臭いの正体が一体何なのか、いよいよ問題になってくるのではないだろうか。

 科学班の班長がやってきて、辰巳刑事に話しかけた。

「現場は、ひどい異臭がしていましたが、別に毒性のあるものではありませんでした。ただ、消臭を行って、ここまで臭いを落とすのに、ここまで時間を使ってしまったということは、当然、あの白い液体は牛乳ではありません。どちらかというと、あの液体だけを使うものではなく、むしろあの液体を何かの媒体のように使って、食品に利用するというような感じなのではないかと思います。普段、常温では、粉末として保管しておいて、調理の際に使うような感じですね。でもまだ完成していないのか、水と混ぜて、牛乳のようにしてしまうと、あのような激臭を放つことになる。きっとここが研究所ということなので、研究中の調味料なんでしょうね。そうなると、研究所は研究者として、会社側はコンプライアンスやセキュリティの観点から、その内容を口にすることはないでしょうね。もちろん、これが何か凶器に繋がるようなものであれば、令状も摂れるんでしょうが、凶器とは違いますからね。とりあえず言えることは、この研究所で開発している何かということしか言えないと思います。少なくとも牛乳ではないことは確かですし、あとは、鑑識さんのお仕事でしょうから、我々がこれ以上口を出すことは控えておきましょう」

 と言って、引き上げていった。

 それと入れ替わりに、鑑識が中に入っていき、殺害された二人の検視が始まった。

 少なくとも死体が発見されてから六時間近くが経っている。科学班の人が言及しなかったが、まさかあの白い液体が、犯行現場の何かをごまかすために使われたのだとすれば、どのような判断をすればいいのか、考えあぐねていた。

 鑑識が入って、写真を撮ったり、指紋を採取したりと、いつもの光景が繰り広げられているのを、二人の刑事は表からじっと見ていた。事情聴取に協力してくれた社員は、解放されたとはいえ、仕事場では鑑識が入っている。何と言っても、その場で人が殺されているのだから、そんな場所で、普段の業務を平気でこなせるわけもない。会社としては、とりあえず三日の事務所閉鎖を決めた。

 それでも、課長以上クラスの人は警察からの追加で聴取があるかも知れないということで残っていたが、すでに一度は事情聴取が終わっているので、辰巳刑事も山崎刑事も、見守るしかなかったのだ。

「監視句の捜査を見ることはほとんどないけど、こんな感じなんだな」

 と山崎刑事は言ったが、辰巳刑事は事情聴取を行うにしても、ある提訴の鑑識の情報を持ってから行うので、途中までは鑑識の動くを見ている。それだけに、テキパキと動く鑑識の仕草には、いつも感心させられていた。

 まず、辰巳の方では、いつものように同時の事情聴取がないことから、鑑識には、

「分かったことがあれば、我々はそこにいるので、随時教えてくれると助かります」

 と話していた。

 そこでさっそく中で監察としていた鑑識官が表の辰巳刑事の方を振り向いて、何か言いたげな態度だったので、辰巳刑事は頷いた。それを見た鑑識官は以心伝心で表に出てくると、

「まず、一つ分かったことがありますので、ご報告させてください」

 と言って頭を下げた。

 鑑識官は続けた。

「例の白い液体ですが、そこに、別のものが混じっているのが分かりました。それは最初から白い液体に調合されていたものではなく、白い液体がぶち撒かれてから、少し経って、その上からばらまかれたような感じです」

 というではないか。

「それはなんですか?」

 と辰巳刑事が聞くと、

「どうやら大根おろしではないかと思われます。成分は大根なのですが、綺麗に残像が残らないようにばらまかれたのだとすると、おろし状にされていたと考えるべきでしょう。大根おろしをばらまいたのであれば、何か作為的なものがこの現状からは考えられると思います」

 と、鑑識官は答えた。

「それはどういうことですか?」

 と辰巳刑事が聞くと。

「大根おろしというのは、シミ抜くに使用されたりするんです。血液であったり、牛乳などのですね。少なくともこの現場で刺殺されている人に牛乳のような白い液体がばらまかれていて、その上に大根おろしというシミ抜きが残っていたのだとすると、そこには、何らかの犯人の思惑が潜んでいると考えるのが自然なんじゃないかと思うんですよ」

 という鑑識官に、

「なるほど」

 と辰巳刑事は納得した。

「だけど、シミ抜きというのはどういうことなんだろうね? 白い液体をばらまくというのも分からないのに、その上にシミ抜き作用のある大根おろしって何の意味があるんだろう? 白い液体の渇き具合で、何かが分かってしまうからシミ抜きとして大根おろしを使ったのだとすれば、最初から白い液体を使う必要なんかないよね、牛乳でないことも鑑識が調べればすぐに分かることだし、何よりも、それなら、牛乳にしておけばよかったはずなのだよな」

 と山崎刑事が言った。

「なろほど、だけどそれは常人が考えた場合のことでしょう? ここは開発研究室なんだから、何か含みがあったと見るのが普通じゃないんだろうか?」

 と辰巳刑事は答えた。

「ところでなんだけど、辰巳刑事は、あの二人は他の場所で殺されて、あの場所に運ばれたと思っているのかい?」

 と、山崎刑事が聞くと、ニコッと笑って。

「どうしてそう思うんだい?」

 と辰巳刑事が答えた。

「だって、君がオートロックに関してこだわっていたじゃないか。俺も途中から、よく意味は分からなかったけど、君と意見が一緒だということを、証言してくれた連中に悟らせるようにしたけど、本当のところはどうなんだい?」

 という山崎刑事に対して。

「ああ、その通りさ。まず最初に考えたのは、いくら凶器が胸に刺さったままとはいえ、あまりにも血液の量が少ないじゃないか。だから、犯行は別で行われたと思ったんだ。ただ、あの白い液体の激臭の意味が分からなかった。臭いを強烈にしたことで、毒性を疑わせ、捜査時間を後ろにずらすことで、犯行時間をごまかそうとでもしたのかと思ったけど、この科学捜査が発達した時代に、そんなことはまったくの無意味、ということは、それを分かっていて、わざとやったのではないかと考えると、本当に犯行が別で行われたのではないかと思ったんだ。ただ、そうなると、オートロック形式の部屋に、共犯の誰かが最初にいなければ、成立しない。ただ、そう思うと、死体が二体あったのが気になったのさ。一体であれば、共通の殺意を持った人はいるかも知れないが、二人を殺したいほど憎んでいる人が複数いるという可能性はグンと下がってくる。と考えた時、殺された二人のうちのどちらかが、共犯であり、共犯として利用されてから、邪魔になった相手を殺してしまうということになるのだろうが、それにしては、意味不明なことが多すぎる。山崎君は共犯がいたとすればどっちらと思うかね?」

 と辰巳刑事に訊かれて、

「やはり、阿佐ヶ谷じゃないですかね? 不倫の清算をしたがっていたとして、あのオンナであれば、男と女お関係で、恨んでいる男も結構いるだろうと思って、共犯になる人を探した」

「じゃあ、君は、阿佐ヶ谷が主犯だったというのかい?」

「そうじゃないかな?」

「だったら、どうして阿佐ヶ谷は殺されたんだい?」

「阿佐ヶ谷に死んでもらえば、彼には動機もあれば、主犯を彼にしてしまえばいいわけだよな? でも、それだと自殺に偽装しないと難しいことになる。そう思うと、本当は自殺に偽装する手立てができていたんだけど、そこで何か不都合が起こって。阿佐ヶ谷を殺してしまった……」

 という山崎刑事に対して。

「ということは、阿佐ヶ谷の殺人は、予期せぬことだったというのかい?」

「うん」

 というと、辰巳刑事は、少し考えてから、

「私が一つ気になっているのは、女性は刺殺なのに、どうして男性は絞殺なのかということなんだ。ナイフを持っているのであれば、ナイフを使えばいいじゃないか。それを使わずにわざわざ労力を使って絞め殺した。そこには何か意味があるんじゃないかって考えたんだ。それで思ったのが、犯人がもしナイフを持っていたとしても、それは波多野千晶を殺したナイフとは違うものだったんじゃないかってね。それで刺し殺したら、二人は違うナイフで殺されたということになり、事件があらぬ方向に向いてしまう。犯人がシナリオを考えているのだとすれば、それが何かの目的でもない限り、別の凶器を使うことを避けるはずだ。だから、余計に私は、女が殺されたのは別の場所ではないかと思ったんだ。それをカモフラージュするために、大根おろしが使われたんじゃないかな?」

 と説明した。

「なるほど、辻褄は合っている気がしますね。でも、犯人の細かい演出で何がしたいのかよく分かっていないので、あくまでも想像でしかないですよね、そうなると、すべてが机上の空論でしかないことになるんですよ」

 と山崎刑事は言った。

 すると、

「それともう一つなんだけど、これは、何を今さらと思われるかも知れないけど、私はこの事件は、『他人に殺された事件』だということを言いたいんだよ、一見すれば、どちらかが自殺であることは考えられないと思うだろう? 要するに相手を殺しておいて、自分も自殺するという考えだね。もしそれが許されるのであれば、男を殺しておいて、自分も自殺をするということですよ。だって、自分で自分の首を絞めることはできないからね。首を吊るなら分かるけど。しかも、現場検証をしてみたところで、凶器はどこからも見つからない。女を殺した凶器は胸に刺さってはいるけれど、男を殺した紐のようなものはどこからも見つかっていない。ということは、男は少なくとも誰かに殺されたということだね? 男を殺しておいて、女に見つかったから殺すというのも、おかしな気がする。なぜなら男はナイフを持っていたということだからね、だったら、男もナイフで一突きすればいいだろう? あの断末魔の表情を見れば、かなり苦労して殺しているわけだろう? 一思いに殺してしまった方が、楽だろうからね。そうやっていろいろ考えて、矛盾を潰していくと、やはり二人とも他殺であり、それも、何か偽装工作をしないといけない事情があったと考えると、その偽装工作の理由として考えられるのが、他の場所で女は殺されたということになるんじゃないだろうか? ちょっと強引ではあるけど、自分の中では辻褄が合っているだけに、合理的な感じがするんだ」

 と、辰巳刑事は言った。

「女は、他で殺されて運ばれてきたんじゃないんですか?」

 と山崎刑事が言ったが、

「それは違うと思う。苦労して殺害現場を隠蔽するのであれば、たぶん、二人が同じ場所で殺されたということを表したいんだろうね。そうなると、わざわざ他で殺しておいて、この場所に運ぶというのは不自然だ、でも、同じ場所で殺されたということにどうしてしなければいけないのかが分からない。もし、同じ場所に死体があって自然だというのであれば、心中なのか、あるいは、相手を殺して自殺するという、必ずどちらか一人でも自殺でないと考えられないことに思えるんだ、そうやって考えると、女迄運んできてしまっては、死体を動かしたという痕跡を余計に残すことになる、ひょっとすると、あの牛乳のような白い液体であったり、大根おろしによる何かのカモフラージュがあるのだとすれば、それは死体を動かしたということへの隠蔽なのかも知れないな」

 と、辰巳刑事は言った。

 そんなことを話していると、また監察官が二人の会話の間に入ってきた。

「お話し中申し訳ございません」

 というと、

「あ、いやいや、何か見つかりましたか?」

 と辰巳刑事に聞かれた監察官は、

「一つ気になることがあるんですが、二人の死亡推定時刻なんですが、やはりどちらが先に殺されたのかということまでは分かりませんね」

 と言われた。

「やはり、この六時間は大きかったということですか?」

「そういうことだと思います。今は前後三時間から四時間くらいの幅があるんですが、六時間前だったら、一時間も差がないくらいに判定できたと思います。これは鑑定の技術が上がったとしても、時間が経てば、曖昧になるという当然の真理は変わりようがありませんからね。ここまで幅が広いとどちらが先に死んだのかは判定が難しいでしょう」

「ということは、それが犯人の狙いなのかも知れないということでしょうね」

「そうかも知れません」

 という情報を得たうえで、監察官が、踵を返して、再度現場に戻っていくのを見届けて、再度山崎刑事との話の続きになった。

「やはり、二人とも他殺だということだね。もし、女が殺されて、男がその後を引き継いだのだということが分かると、犯人とすれば、大きなリスクを負うことになる。なぜなら、本当は一人しか殺していないのに、二人を殺したという嫌疑が掛かるわけじゃないか。それは絶対に避けたいはずだ、懲役五年くらいで済むものを、死刑になんかなりたいと思う犯人がいるはずはないからね。特にカモフラージュを考えるくらいの頭のいい犯人だ。考えればすぐに分かるというもの。ということは、どうしてもカモフラージュする必要があるのだとすれば、最初に死んだのはオンナの方だということなんだろうね。男は本当に殺すつもりだったかどうか、そこも難しいところではあると思うんだけどね」

 と、辰巳刑事は言った。

「さっきの、一人を共犯に使ったという説は、考えにくくなってきましたね。でも、そうなると、この部屋は密室ということになってしまうんですね。本当にオンナはこの部屋で殺されたんじゃないんでしょうかね?」

 と、山崎刑事は言った。

 山崎刑事は思い出したように、

「そうだ、この部屋には監視カメラが設置されているようなんですが、それが昨日には壊されたようです」

 と聞いて

「なるほど、そうなると、やはり犯行は他であり、この場所に運ばれたということを証明してくれているようなものじゃないか」

 と辰巳刑事は言った。

「どうしてですか?」

 と山崎刑事がいうと、

「犯人が防犯カメラの存在を知っているのだとすれば、別に壊すことはないんだよね。覆面をしたり、して、自分を分からないようにすればいいわけだから。もっとも、相手に抵抗されて覆面が取れてしまう可能性はないわけではないけど、叩き壊すということは、防犯カメラの存在を知っている裏付けなわけだからね。壊してしまうと、壊したこと自体に何か理由があると勘ぐられる可能性がある。今回のように、最初から死体を動かしたのかも知れないと思っていたとすれば、その意見を確実なものにすることになるだろう? さらにはここに液体をまき散らしたり、大根おろしをまき散らしたりするところも映ってしまう。そっちの方がよほど見せたくないと思ったことなのかも知れないな」

 と辰巳刑事は話した。

 辰巳刑事は一貫して、この事件を何かのカモフラージュが絡んでいるものだと考えているようだ。

 それは形となって表れている白い液体の存在や大根おろし、さらに、あの激臭などというものから考えているものではなく、別の方向から見えてくるカモフラージュに注目していた。

「ブービートラップのようなものだよ」

 これはゲリラ戦法などに使われる言葉で、仕掛けの爆弾を警戒線に張っておく罠のことであるが、辰巳刑事が、

「ブービートラップ」

 と表現したのは、

「あまりにも印象が強烈なものを見せておいて、相手も目を引き付けることで真相を煙に巻いてしまおう」

 という意味で表現されたもののようだったが、あまりにも裏の裏を呼んでしまったことで、他の人には意味が分かっていなかったようだ。

 探偵小説などには確かに、いろいろなトリックを駆使して犯行を行ったが、どんどんその謎が解かれていくうちに、却って袋小路に嵌り込んでしまうことだってあるだろう。

 それが故意における作戦であるかどうかは難しいところで、これが故意に行われていたとすれば、それは完全犯罪に近づくものだろう。

 だが、人間は策を弄することで、策に溺れるということもあり、完全犯罪は計画が緻密であればあるほど、一点のミスも許されなくなり、アリの穴ほどの小さな見えないと思われた節穴から、崩れてしまうことだってあるだろう。

「完全犯罪というものは、計画してできるものではない。偶然の産物などが重なることで人間が普通なら発想することができない現実を作り出し、それが犯罪を形成でもしない限り、完全犯罪などありえないのだ」

 という探偵小説作家がいたような気がした。

 探偵小説のトリックにしてもそうである。

 密室トリックなどは、本来であれば、小説世界くらいでしかありえない。犯罪を犯す方から見れば、密室殺人など、

「百害あって一利なし」

 と思うことだろう。

 なぜなら、オーソドックスな犯罪のように、自分を犯人にしたくないのであれば、他に犯人がいることになり、その人に犯罪を擦り付ければいいわけである。密室殺人を考える暇があれば、犯人に仕立てたい相手の殺害の証拠をいかにでっちあげるかということを考えた方が早いに決まっている。

 そういう意味で密室殺人など、

「物理的に勝手にできてしまった場合」

 でもない限り、自分から作るものではない。

 例えば、足跡を残しておいたのに、そこに雪が降ってしまって、足跡を消してしまい、本当は自分を殺した相手が侵入してきた経路を作り上げることで、犯人に仕立てるつもりだったのに、雪が足跡を消してしまうなど、何とも愚の骨頂というか、滑稽な犯罪になってしまうだろう。しかし、そのおかげで密室ができあがったとすれば、その密室の謎が分からないようなトリックを考える、自然が作り上げた事実で歪んでしまった犯行計画を、人間が辻褄を合わせようとすると、無理がいってしまうものである。

 そこに生まれた矛盾やジレンマが、無理に繋がって、せっかくの半歳をほころばせてしまう。 犯罪というものが生き物のようなものだとすれば、必ず犯行の発案者との相性があるはずだ。それが少しでもずれてしまうと、完全犯罪というものは生れてこないであろう。

 さらにもう一つ同じ時に判明したことがあった。

「女性の側の死因なんですが、解剖してみないと何とも言えませんが、確かにショック死ではあります。しかしそれはナイフを刺されたことによる出血多量のショック死ではありません。なぜならナイフは抜かれずに刺さったままですよね。大量に出血したわけではないと思っていたので、私の方でおかしいと思って調べてみました。すると、同じショック死でも、実は彼女は、アナフィラキシーショックを起こしていたようです。つまり、アレルギー性のショックを受けたということですね」

 という話であった。

「ということは、あの白い液体に、何かアレルギー性のショックを起こさせる何かが含まれていたということでしょうか?」

 と鑑識に話すと。

「そうかも知れませんね。でも、犯人は彼女に何かのアレルギーがあることを知っている人ということになるでしょうね。もっともこういう研究所なので、アレルギーに関してはかなりの注意が必要なはずです。それなのに、ここで働いているということは、食物性をアレルギーではない可能性もありますね」

 と、鑑識は言った。

「なるほど、そういうことになると、あのナイフというのも怪しい気がしてきましたね」

 と辰巳刑事が言った。

「どういうことですか?」

 と鑑識が訊きなおす。

「だって実際の死因はアナフィラキシーショックなんでしょう? ということは犯人はアナフィラキシーショックによる殺害を最初から計画しているとすれば、何も後からナイフを使う必要もない。何よりも、どうしてナイフでカモフラージュしなければならないんですか? そのまま死因はアナフィラキシーショックだと特定されても、また特定されずに謎の死ということにしておいてもいいわけですよね? なぜわざわざ、ナイフを突き刺したんでしょうね?」

 と辰巳がいうと、

 山崎刑事が口を挟んだ。

「だって、ナイフで殺したということにしなければ、彼女は殺されたことにならない可能性がある。事故ということで片づけられると、犯人には困ることがあったんじゃないですか? ひょっとすると警察が男を殺したのはオンナで、女はその後に自殺をしたという結論になるかも知れないし、ひょっとすると保険金の問題があるかも知れない」

 と言った。

「殺人の動機がどこにあるかというのが一つの難しい問題になっていることは確かであるが、一つ一つ謎を解決していくしかないのかな?」

 と辰巳刑事はそう言った。

 殺人現場の問題。殺害時刻をカモフラージュしようとしたこと、大根おろしによるカモフラージュ。他にもいろいろあるが、このそれぞれまったく独立しているかのように見える現象が、どこかで一つに繋がっているとすれば。どこから謎解きを始めるかによって見えてくるものが違うのかお知れない。

「パズルというのも、最初は面白いようにできてくるが、どこか一つを間違えると、最後には合わなくなってしまう。どこから間違えたのかを言及し、追求しなければ、答えを導き出すことはできない。だから、犯罪捜査お、ピースがたくさんあれば、それだけ可能性もたくさんあることになり、余分なピースが紛れ込んでいても、間違えて嵌めてしまうと、最後には絶対にうまくいくわけはない。もう一度頭から作り直すか、減点法で遡って考えるかの二択しかない。君ならどっちを行く?」

 と先輩に言われたことがあったが、即答できなかった気がする。今ならできる気がするが、やるとすれば、事件が解決した時である。

「一つが解決すると、余分に違う問題が発生する。それだけだと永遠に埋まることはない。相手に先にて受けようとするのか、それとも、ステップという歩幅を広げて、少し無理してでもつなぎとめておくか、難しいところである」

 と考えていた。

 鑑識の調査も佳境に入ってきた。後は、専門的な解剖であったり、検査で出てくる結果待ちということになる。

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