第5話 不倫の末に

 第一報を受け取った時、山口が連絡しようというのを受け取り、自分が関係者に対して連絡をするという役目を自らに課した清武だったが、あの時、まずは副所長に連絡を入れた。

 二度、三度とけいたいを鳴らしたが、一向に出ようという素振りがなかったので、しょうがないので、取締役に連絡を入れた。

 取締役からの指示としては、

「とりあえずは君は出社して、警察が来ているだろうから、警察にできるだけ協力をして、真実が判明するように、現場を回してほしい。そしてその都度何かあわば、我々に報告をしてほしい」

 と言われた。

 そして続いて、

「それ以外の連絡は私の方で行っておくから、君は現場に集中してくれたまえ」

 と言われて、

「副所長の波多野さんに連絡が取れなかったんですが」

 というと、

「いいんだ。そこは我々が連絡を取ってみるから、まずは君は現場の状況を何とかうまく頼むよ」

 と言われた。

 だから、そのうちに副所長にも社長から連絡が行っていると思っていたのでタカをくくっていたが、一体どうしたことだというのだろう?

「副所長には、朝一番で私が連絡を取ってみたんですが、連絡が取れませんでした。それで社長に報告すると、連絡は茶長の方で、皆さんに入れておいてもらえるので、私には現場に行って、社員を取りしきってほしいと言われたんです」

 と、少し警察に安心感を与えるような表現で話したが、概ね間違っているわけではないので、これでよかったはずだ。

「そういうことですと、今のところ副所長は行方不明ということですね?」

 と念を押されて、

「ええ、その通りです」

 としか答えられなかった。

 これは完全に副所長は不利である。

「波多野副所長は、被害者の娘である。目に入れても痛くないほどだと思われることだろう。そして、一緒に死んでいるのは、その上司と言える人物で、見ようによってはm不倫にも見える。不倫カップルが殺されていて、女側の父親が行方不明だとすると、二人の泥沼の関係に父親が入り込んで、修羅場と化したと言っておいいのではないだろうか? 一番考えられる不倫の果ての悲劇と言えるのではないか」

 と、辰巳刑事は考えた。

 だが、それにはあまりにもおかしなことが多すぎる。このおかしなことを犯罪の隠蔽であったり、何かをごまかすための欺瞞であったりと考えると、そんな愛欲恋愛小説に出てくるようなありきたりなストーリーでもないような気がしてくるのだった。

 少なくとも、一つ一つの疑問を解き明かし、それによって近づいてくる真実でなければ、それが本当に事実なのか分からずに、状況を判断することができるであろうか?

 辰巳刑事は、笑われるかも知れないが、自分の中にある、

「刑事の勘」

 を信じている。

 そのためには、早く臭いものの正体が判明し、検屍が行えなければ、いくら考えたとしても、机上の空論にしかすぎないのだ。

 だが、もう一つ気になる事実が出てきた。まず警察としては、その事実関係だけは調べておく必要が出てきた。これから先は、一人一人をこちらに呼んで、事情を聴くことが必要になるだろう。

 ます、その前に一度、第一発見者である山口の、

「第一発見者としての事情聴取」

 を終わらせておく必要があった。

「山口さん、最後の質問になりますが、あの部屋は、あなたが発見した時、密室だったと考えていいんですね?」

 という刑事の質問に、一瞬、

――何を愚にもならない質問をして――

 と感じたが、

「ええ、その通りです。オートロックの状態だったんだから、当然のことですよね?」

 と逆に聞き返すところを見て、

「ああ、そうですか、ありがとうございました。また後で質問があるかも知れませんので、その時はご協力ください」

 と、辰巳刑事は言って、第一発見者としての山口はそこで解放された。

「清武所長、あなたにも後でまた質問したいことが出てくれば、お伺いいたしますので、今のところは皆さんのところに戻っておいていただいて結構ですよ」

 と言われた。

「じゃあ、お言葉に甘えて戻りますが、一体これはどういう事件になるんですか?」

 と訊ねた。

 まだ警察は何も分かっていないはずなので、何も答えられるわけもないが、清武は訊いてみた。先ほどのお返しという気持ちも無きにしも非ずだった。

「それは我々が訊きたいくらいですよ。ただ、何かの人間関係の縺れでしょうね。男女の間に何かがあったのか、そして、なぜあの場所なのか、そして、臭いものの正体が何で、どうしてぶち撒く必要があったのか……。考えてみればたくさんの疑問があるんですよ。今言えることはそれだけですね」

 という話だった。

 ただ一つ、気になることがあった。それは質問された山口も同じことを思ったのかも知れないが、それは最後に受けた質問だった、

「密室だったと考えていいのか?」

 だって?

 密室だったからと言って、それが何だというのだろう? 表からカギを閉めなければ閉まらない扉であれば、

「密室の謎」

 というものが明らかな問題となるのだろうが、密室が出来上がったとしても、オートロックのようなものである。

 中から外にでれば自動的にカギがかかる。つまりは、結果的に密室になったからというだけで、密室殺人でも何でもないのだ。

 この部屋が密室だったとして不思議に感じるのであれば。それは、

「何かを表から運び込む時」

 というのであれば、確かにカギがかかっている部屋にどうやって入ったかということが問題になるのだが。人を殺して出ていく分には、密室になったところでおかしなわけではない。

「ん? もしかして」

 と、清武は感じた。

 それは、

「警察の方では、殺人現場はここではなく、他で殺されて運ばれてきた」

 と考えているとすればどうだろう?

 それであれば、密室であったのかどうかを確認する必要がある。だとすれば、警察は何を見て、ここが殺害現場ではないと思ったのだろうか?

「まさか、この臭い状況を作り出したのは、他から死体を運び込んだということをカモフラージュするために撒かれたものではないか?」

 と言えるのではないか、

 この場所は殺害現場としては、あまりにお不自然だ。争った跡がないというのも気になる。女性の方はいきなり刺されて即死だったのかも知れないが、男性の方は断末魔の表情を浮かべている。

 ということは、誰かと争ったと言えるのではないだろうか?

 それなのに、どこにも争った跡のようなものはない。もっとも、本格的な検証が行われる前に立入禁止になったのだから、ハッキリとは言えないのだが……。

 清武所長は、いろいろ思いを巡らせていた。

 辰巳刑事は、山崎刑事と話し合っていた。

「山崎君はどう思うかね?」

 と漠然と聞かれたので、何と答えていいのか分からない山崎だったが、

「僕が考えているのは、まず死んでいた二人の関係ですね。一見不倫のように見えるけど、どうなんでしょうね?」

 という疑問だった。

「それはきっと、個人個人に尋問していけば、一人くらいは話をしてくれる人がいるかも知れないね。誰も知らないということであれば、山崎君の考えが当たっているのかも知れない。ただ、僕はね。少し違った観点から見ているんだよ。それはね。先ほどの山口という男に尋問した時、彼は言っていただろう? いつも自分が一番乗りに会社に来るってね。でもその話をしている時の彼の様子を見ていると、どうもこの話を終わらせたいという雰囲気を感じたんだ。何もなければ、別に気にする部分でも何でもないじゃないか。そこに何かの秘密を僕は感じたんだけど、今君と話していて、君が今言った疑問が、今の僕の疑問に抵触しているような気がして仕方がないんだ」

 と辰巳は言った。

「じゃあ、僕の観点もあながち間違っていないのかも知れないね」

 とニッコリしながら山崎刑事がいうと、

「うん、二人のそのあたりの疑問も解き明かすつもりで、尋問していくことにしよう。尋問のやり方なんだけどね、基本的には皆に同じ質問を同じようにしていこう。そうしてそれぞれの皆の感じ方の違いを見ることで、何か分かることがあるかも知れないからね」

 と辰巳刑事が言った。

 このやり方は、辰巳刑事独自の方法であった。

 実際に今までにやったことがある人もいたかも知れないが、この方法はある程度、自分の頭の中で推理が完成していて、矛盾がないかを確認したい時に行うことが多いのだろうと山崎は思っていたが、それを今の何も分かっていない段階でやろうというのは、辰巳刑事は何を考えているというのだろうか?

 山崎刑事はそう思いながらも、

「それはそれで面白い」

 と思った。

 考えてみれば、どうせまだ何も分かっていないのである。皆に同じ質問をして、その質問に対しての答えと。これから分かってくる検屍などから、誰が矛盾を孕んでいるかというのを見るのも面白いだろう。

 きっと辰巳刑事はそのことを考えていると思い、山崎刑事も納得していた。

「じゃあ、まず、殺された二人についての話だね。不倫の関係ではないか? とまで聞いてもいいような気がする」

 と辰巳刑事がいうと、

「ああ、そうだね。その時のリアクションが楽しみだ。その後は、白い液体についてと、この臭いに心当たりがあるかということを聞いてみよう。最初は人間関係で、次が研究に関することなので、質問された方は、急に話が飛ぶので、ビックリするかも知れないですね」

 と山崎刑事は言った。

「僕は自分の疑問に感じた、一番最初に来るのが山口氏なのかどうか、これは敢えて聞かない方がいいと思っているんだ」

「敢えてですか?」

「ああ、聞いてもいいけど、こちらの知りたい回答は得られない気がするし、それよりも、これが事件を解決するための、何かの切り札になりそうな気がするんだ」

 と辰巳刑事は答えた。

 そこに対しても、山口刑事は深く聞きなおすことはなかった。辰巳刑事は誰にも言わないと決めれば、梃子でも動かない。そんな頑固なところがある刑事だったのだ。

 二人は、一人ずつ事情聴取を行って言った。十人ほどなので、十分で切り上げたとしても、すべての人に終わるまで、二時間と少しくらいはかかるだろう。実際には二時間半ほどかかったようだが、ほとんど知りたい回答は得ることができなかった。ほとんど、まともに答えてくれなかったというのが、二人の印象だった。

 ただ、みんなの印象から、殺された二人は不倫関係を続けていたと思っていたのは事実のようだ。

 だが、そのうちの一人が気になる反応をしていた。

「あの二人、以前は付き合っていたように思っていましたけど、今は別れたと思っています。男の方から別れを切り出したんだと思いますよ。彼女はしたたかな女でしたからね」

 という話を訊けたのは、阿佐ヶ谷課長の部下であり、山口氏の先輩でもある、瀬田主任だった。

「彼女がしたたかな オンナというのは?」

 と訊かれて、

「波多野君との別れ話は阿佐ヶ谷さんが昇進の話が出た時の「ことでした。阿佐ヶ谷さんには奥さんも子供さんもおられたので、昇進に不倫という話はタブーだったんです。つかり、阿佐ヶ谷君は昇進の際に我に帰ったんでしょうね。それで別れ話を切り出したと思うんですが、普通だったら、阿佐ヶ谷さんに昇進の話が出ていることなんて、部内でも分かるじゃないですか、このタイミングに言い出した彼を本当に彼女が愛していたのであれば、普通なら逆上しても仕方がないですよね。それなのに、修羅場になるどころか、二人が付き合っていたということも、ほとんどの人が知らなかったというほど、綺麗に別れているんですよ。そこに金銭的な交渉があったのかどうか分かりませんが、課長に昇進した阿佐ヶ谷さんの浮気の話は、それからプッツリとなくなりましたけどね」

 と言った。

 なるほど、確かにそれまでに聞いた人の中には阿佐ヶ谷課長が課長就任前に誰かと不倫をしていたというウワサを訊いたことがあったが、それが誰なのか、皆知らないと言っていた。

 つまり、波多野千晶という女は、阿佐ヶ谷が不倫をしていたようにまわりが思ったとしても、その相手が自分であるということを、故意なのか、故意ではないのか、まわりに知られることはなかったということであった。

 もし、故意だとすれば、何を計算していたというのだろう。何かの企みがあって阿佐ヶ谷に近づいた。それをまわりには知られないようにしていたということであろうか。それとも本当に相手のことが好きだったとすれば、相手のためを思って、自分との不倫を知られないようにしていたのとしても、阿佐ヶ谷の方が不器用で、彼自信、誰かと不倫しているということを隠せるだけの技量がなかったのかも知れない。

 もちろん、妻子がある身で、不倫をしたのだから、阿佐ヶ谷課長が一番悪いだろう。しかし、妻子がある人だと分かっていて、不倫を繰り返していたのであれば、女性側も同罪だ。まわりの意見としては、その同罪であるということを前提にして、まず二人の立場は同じだけの罪があるとして、さらにどちらが罪深いのかというと、

「女性側の方が強い」

 という意見がほとんどだった。

 だが、そこに何らかの信憑性のある具体的な例があったわけではない。証拠になるようなものは何もなく、これもあざとさからくるものだとすれば、不倫というものの不気味さを感じさせられた。

 もし、そうだとすると、今回の二人を殺害したというのはどういうことになるのだろうか?

 どちらにしても、現場検証ができない限りは何を言っても、ただの想像でしかない。

 犯人にとっての目的が何なのか、これも想像でしかないが、殺害が目的なのか、それとも何かを物色していてそれを見つかったことで、口封じのために病む負えずにやった犯罪なのか、

 表から見た状況だけでは判断がつかない。不思議な液体が意味するものが何なのか、それが問題を解決する一つのカギではないかと思われた。

 二人の話ばかりがクローズアップされていたが、実は一人の女性社員を事情聴取した時に、何かを言いたいのだが、モジモジしている様子を辰巳刑事が察した。

 その様子は、別に、

「口下手だから」

 あるいは、

「こんなことを言ってしまうと、嫌われてしまう」

 などというものではなく、本当は言いたくて言いたくて仕方がないのだが、簡単に話してしまうとせっかくの話題がかすんでしまいそうな気がすることで、相手の気を持たせるような態度をわざと取っているという方が正解なのかも知れない。

「それならば」

 と、モジモジした態度には気づいたが、彼女の本心は分かっていないふりをする方が、正確な話が訊かれるだろうと思った。

 こういう女性は、ちょっとでも機嫌を損ねると、急に押し黙ってしまって、それ以上何も言わなくなる。せっかく自分の中で有頂天になるように気分を高めてきたのに、まわりが冷静であると分かったり、自分を試そうなどと気付くと、プライドのようなものを傷つけられてしまうに違いない。

 その彼女がいうには、まず、

「絶対に私が話したということを知られないようにしてくださいね」

 という前置きがあった。

 この前置きが本心からくるものなのか、それとも自分の態度に対しての、自分自身の演出なのか、分かりかねた。だが、言われるまでもなく、こっちは分かっていることなので、二人は心の中で、

「はいはい」

 と答えた。

 普通なら、警察官としてのプライドを傷つけられたようなものである。

 だが、相手が余計な演出をしていると分かっていると、プライドも傷つかない。

「それくらいのセリフ、当然、彼女ならいうであろう」

 という思い、持っていて当たり前だからである。

「実はね。この間すごいものを見ちゃったのよ」

 と、まるで、昔からある、女性事務員の、

「給湯室会議」

 でもあるかのように、ため口になっている。

 それが自分のこれから言おうとしていることへの大げさな演出なのか、それとも、本当に給湯室会議の場にいるかのような錯覚に陥っているのかは分からなかった。

「一体何を見たんだい?」

 と、辰巳刑事は興奮もせず、ニコニコ微笑みながら聞いた。

 これは、相手が興奮状態にあるのに、こちらも一緒に興奮状態になったのでは、相手と同じ目線であることから、彼女は聞き手が別に興味を持っていないのではないかと思ってしまうように感じるのだった。それよりも、ニコニコ笑って、興味をそそられている気持ちがあるということを含ませる方が、こちらが興奮をカモフラージュしているように見えるという心理の錯覚を辰巳刑事は利用したのだった。

「実は、波多野さんが、お兄さんである波多野副所長と、会議室でキスをしているところを見たんです。二人とも目をつぶって、うっとりしていました。あの二人は、兄妹ではあるんですが、兄妹ではないと考えると、ある意味お似合いのカップルに見えるかも知れないほど、見た目は、好男子であり、綺麗な女性なんです。いつも爽やかな笑顔を振りまいている波多副所長と、気さくで天真爛漫に見える波多野千晶さんのことを皆、兄妹という目でしか見ませんよね? 事実私もその時まではまったく二人を恋愛対象の範囲に考えていませんでしたからね、だけど、一度そんなシーンを見てしまうと、これほどお似合いのカップルはない気がして、それで兄妹であることを、もったいないとまで思うようになってきたんです」

 と彼女は言った。

 その情報が今後の捜査に何をもたらすか、妹の方は殺され、兄の方は目下のところ行方府営になっている。現場に入って現場検証ができないので何とも言えないが、もし現場検証を行ったうえで、ここまでの事実の他に何も出てこなければ、今のところの状況として、一番犯人として疑われるべきは、波多野副所長ということになるだろう。

 波多野副所長には、二人を殺したのだとすると、動機もありそうだ。一応、K署に行方不明の波多野副所長の捜索を任せているので、今動けることとすれば、この現場での事情聴取と、波多野副所長の捜索だけではないだろうか。

 次第に時間がすぎていき、昼を回ることにやっと、一通りの事情聴取が終わった。ちょうど、時を同じくして、

「辰巳刑事、現場が安全であることが分かりましたので、現場検証を行っても大丈夫ということです。ただ、臭いに関しては、なるべく消臭は試みたのですが、少しは残ってしまっているということです。実際に入ってみると、先ほどのように、身体に変調をきたすほどではなく、あれくらいの臭いであれば、この場所を研究所と考えるのであれば、十分な許容範囲だと思います」

 と言って、鑑識が、これから鑑識としての捜査が行えるようになったということを伝えにきた。

 さっそく本部に報告を入れて、いよいよ現場検証に入ることになったのだった……。

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