第3話 結果
時は流れて7月。そろそろ梅雨も明けるころである。
例年通り、東京ではヒートアイランド現象も相まって、実質的な気温が50℃近くまで上昇するという危険な状態にあった。
川口が住んでいる地域も、南から小笠原気団が張り出してきていることもあって、非常にムシムシとした状態が続いている。
そんな中川口は、課題である論文の読み込みを進めていた。川口の論文は「台風がもたらす高潮の予測」というものである。複雑な力を持ち合わせた台風に対し、人工衛星によって撮影された雲の画像から、風速や海面水位の情報を取得し、沿岸地域の高潮警報の発令に繋げるというものだ。もしこの技術がうまくいけば、地震発生時の津波の精密な情報も予測することが出来るそうだ。
気温が下がり始める夕方ごろ、川口は量子コンピュータでのシミュレーションの結果を確認する。あれから何度かシミュレーションするが、結局は熱暴走や異常な数値によるエラーを吐いてしまっていたのだ。
「さて、今回はうまくいったかなぁ?」
演算速度を極端に下げ、なるべく負荷をかけないようにするという力技で、今回のシミュレーションを行った。
「頼むよー、演算だけで1週間もの時間を使ったんだから……」
そういって演算結果を確認してみる。
量子コンピュータの演算は少し特殊なものだ。仮に「1+1」という計算をさせたとき、量子の重ね合わせを利用して複数の演算を同時に処理する。ここで1024個のビットで同時に処理出来たとして、その結果は一つに定まるとは限らない。1024個のビットのうち、半分の512個が2を、さらに半分の256個が1と3を算出したとして、最初の「1+1」の回答は、「2が50%、1と3が25%ずつ」という、実に曖昧な出力をするのである。これを最終的に人間が見て、「答えは2である」という回答を得るのだ。
本来の量子コンピュータの計算方法はもっと複雑であるが、大雑把に言えばこのようなものになる。そのため真偽は不明だが、一部の科学者からは「量子コンピュータの答えは占い師や呪術師に通ずる」なんて言われることもあるのだ。
今回川口が使った量子コンピュータは、分岐型重ね合わせシミュレーションというものである。いくつかの分岐が発生した場合、確率の低いシミュレーションを切り捨てて行う。大学生などが行う研究では最もスタンダードな演算処理方法である。
「さてさてー……、結果はっと」
プログラムのコマンド画面を開いて、演算結果を確認する。結果は当然のように英語で書かれており、それを読むという作業が出てくる。定型文のように表示されるものの、これを解読するだけでも一苦労だ。
「えーと……、AVERAGE TEMPERATUREが……31.5?」
この項目は、地球の平均気温を示している。つまり、平均気温が31.5℃であることを表しているのだ。
「……ん? 平均気温が31℃?」
2068年現在の地球の平均気温は、おおよそ16℃前後。それを考えると気温が上昇しすぎている。
「海面水位の上昇が……+240m!?」
この海面上昇は白亜紀に相当、もしくは超えている。言い換えれば、氷河や氷床のほぼ全てが溶け切った状態だ。
「人類の経済活動を大きく抑制した場合のCO2排出量でも、大気中の二酸化炭素濃度が22倍!?」
現在の人口を上限100億人にしていたとしても、森林の減少や海中に溶けたCO2の放出が加速し、結果として大気中の二酸化炭素の量が増えていることになる。
その他、海水面上昇に伴った海流の変化や、太陽の活動の影響といった要因を除いたとしても、地球の未来はかなり温暖な気候になると予測しているのだ。
「こ、これの経過時間は……?」
時間設定をしていたためなんとなく嫌な予感はしていたが、川口はこの条件になるまでの経過時間を見た。
答えは、「MONTH=24」である。
「24ヶ月……」
川口は完全に固まってしまった。たった2年の間に海面が数百m上昇し、地球の平均気温が30℃を超え、二酸化炭素濃度が現在よりも何十倍にもなるのだ。
とてもじゃないが、一介の学生である川口には受け止められない現実であった。
そんな時、川口の驚いた声に気が付いたのか、山下先生がやってくる。
「どうした、川口。変な声が聞こえてきたが……」
「せ、先生……、これ……」
先ほどの衝撃が強すぎて、ほぼ固まった状態でパソコンを指す川口。
山下先生がパソコンを覗き込むと、少し険しい表情をした。
「うーん、これはまたすごい結果が出たね……」
腕を組みながら、川口のほうへ向き直る。
「ただ、そこまで深刻な話じゃないと思うよ。今回の演算結果の確率は16%。外れる確率のほうが強いって見方も出来るね」
「そ、そうですか……」
川口は落ち着きを取り戻す。
「でも、こういうのは理想的な状況になるとは限らない。これは現状のまま、理想の状態で進んだ場合の結果だからね。もし隕石の落下とかあったら、この通りにはいかない。その他さまざまな要因が複雑に絡み合って結果となるからね」
「でも先生。これは結果として出ているんですよ。降水確率0%だからといって雨が降らないとは限らないじゃないですか」
その時、暗雲が立ち込めるように、雷の音が聞こえてくる。
「確かにそうだね。この未来が起こらないように、祈るしかなさそうだ」
そして振り出す夕立。警報級のゲリラ豪雨だ。
しかし、これもまた日常である。その日常がいつまで続くかは、誰にも分からない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます