第十六話 霧の古代樹
「……うふふふ、くすぐったいよお、ジャナン」
ジェサーレは、柔らかく、しかしざらざらとしていて、そして湿っぽい感触を頬っぺたに受けながら、目が覚めた。
彼の目に映るのは、ハッハッハと頬っぺたを舐めまわしていたモコモコ頭のジャナンの顔と、その反対側には心配そうに覗き込むセダの顔。
その向こう、天井には
「ジェサーレ、起きたのね。具合はどう?」
セダに聞かれて色々と感覚を確かめるうち、ジェサーレは自分が草のベッドの上に寝ているのだと、ようやっと気が付いた。
「具合は、特に悪くないみたい。あ、少し痛いところがあるかな。それよりもこれは、うーん……どういう状況なの?」
「私もよく分からないわ。あなたが気を失った後、また縄で縛られたりするのかと思ってたんだけど、どういうわけか、この小屋で看病をするように言われたの」
困惑を隠せず表情に出るセダと、話を聞いてやはり不思議な顔をするジェサーレ。その横ではジャナンが後ろ足で首をかいている。どういうわけか、小屋の中にはイェシリアダン族は一人もおらず、そして静かだ。
だが、その静けさはすぐに打ち破られた。
「お! 起きたか! どうだ、元気か?」
あの大男が体を縮こまらせて小屋の中に入ってきたのだ。
大男に続いて、お面の男も入ってきたのが、二人の目にも分かった。
「そんで、坊主の名前は……あ、その前に俺が名乗んなきゃいけねえな。俺の名前はカシム。こっちの変なお面を被っているのはベルカントだ。俺が族長で、こいつは
ジェサーレが気絶するまでとは打って変わり、カシムは実にニコニコと機嫌がいい。
ベルカントの表情はお面で分からないが、ジェサーレとセダとジャナンに向かってぺこりとお辞儀をしたのだから、二人と一匹にすぐに害を加えるようなことはなさそうだ。
「えと、僕の名前はジェサーレで、こっちの可愛い犬は友達のジャナンです」
「私の名前はセダよ」
「ほう、ジェサーレとジャナンとセダか。ま、お前たちを処刑するとか牢屋に入れるとか、そういうことはしないから、安心してくれ。何せジェサーレ、お前は俺が認めた勇士だ。他の連中も手を出したりはしないだろうさ。そんじゃ、あとはベルカント、任せたぞ」
「了解しました。それでは――」
「カシム! カシムだって! 本当にいたんだ! 本当にカシムなんだ! うわあ、僕、喋っちゃった喋っちゃった! どうしよう、どうしようか、セダ!」
「とりあえず、落ち着いたらいいんじゃないかしら」
「ええ、そんなの無理だよ! だってあのカシムだよ! どうしよう、今日は興奮して眠れないかもしれないよ!」
「ジェサーレ、落ち着きなさい。ベルカントさんが困っているわ」
「わふん」
セダが冷たい目と冷たい口調をジェサーレに浴びせると、彼はようやく我に返り、ベルカントと向き合った。
あるいは無礼者と怒られて処刑されるようなことも想像したが、喋り出したベルカントの声は穏やかだった。
「さて、ジェサーレ君とセダさん。我らが集落によく来てくれました。実を言うと古代樹から、特別な力を持った者が様子を見にくるというお告げがあって、どうしようかと悩んだ末に、あのようなことをしました。ああでもしないと、皆に覚えてもらうことも難しいですからね」
「あの、僕、勝てなかったんですけど、いいんですか?」
「良いのですよ、勝てなくとも。族長は勇気を示せと決闘の前に言ったでしょう? だから逃げずに戦えば、それだけで良かったのですよ」
「なあんだ、そうだったんだ」
「そもそもジェサーレ君はとても強い光を放っている。本当はそれだけで十分だったんですから」
ベルカントはセダとジャナンを見て、何かを言おうとしたように見えたが、首を振って別の話題を話し出す。
「さて、
「はい、その通りです。古代樹にある魔法陣が正常に動いているかどうか、僕たちは確認しないといけないんです」
「なるほど。それでは、これから古代樹に行きましょうか。神聖な場所であることに加えて、覚えにくい場所にありますからね、私が案内しますよ」
「ありがとうございます!」
つい先ほどまで気絶していたというのに、カシムという名前と古代樹の話を聞くと、ジェサーレはもうすっかり元気になっていた。
そうして二人と一匹は、ベルカントとその護衛の若者二人に案内されて、道なき道を歩いた。それは、木の根っこが作り出した自然の階段を上ったり、とても太い倒木の中を進んだりと、やはり案内なしでは到底、前に進むことができないような道だった。
やがて一行は深い霧が立ち込める場所に辿り着いた。
「さあ、ここまでくればもう少しです。この霧を超えた先に、古代樹の森が広がっています。はぐれないように皆で体を縛って進みますからね」
それからどれくらい歩いたのか、正確な時間は誰にも分からない。
深い霧の中を歩いていると、方向感覚以外にも、どうも時間の感覚もおかしくなってしまうようだ。
だけど、ジェサーレの目の前には、今まで見てきたどんな大きな木よりも、もっとずっと大きくて太い木が六本、見えてきた。
「さあ、到着しました。これが古代樹です。神聖な場所ですので、くれぐれも騒いだり、傷を付けたりしないように」
「……ベルカントさんには、この魔法陣が見えますか」
ジェサーレは、周りから見れば呆然と立ち尽くしているように見える。
しかし、違うのだ。
彼から見て真ん中にある一本。
その古代樹と、そこに浮かび上がる巨大な魔法陣があまりにも美しく、目が離せないでいただけなのだ。
杭の魔法陣はどこも欠けることなく、いくつも輝いていて、時折りくるくると回転しているものもある。
あまりにも美しいために、他の人にもこの光景を見せてあげたいとも思った。
「私にはその魔法陣というものは見えません」
「とても綺麗なのに残念ですね」
「そんなことはありませんよ。だって私たちは常に古代樹と共に生きているんですから、これが杭であってもなくても、関係がないのです」
「そうですか」
「そうです。ところで杭は正常でしたか?」
「はい。正常でした。ありがとうございます」
「それは良かった。年に二回のお祭りを欠かさず行なっていたことが良かったのでしょう。それはそれとして、まだ帰り道もありますから、お礼なら集落に戻ったときに」
ジャナンとベルカントが会話をしている横で、セダはただただ圧倒されていた。
セダもやはり魔法陣を見ることはできないが、うっすらと霧が漂う中、巨大な木々が立つこの景色はとても幻想的で、とても美しいと思った。
* * *
「はっはっは! マリク、この俺に勝つなんて、お前、強いじゃないか!」
「運が良かっただけだよ、カシム」
「そんなに謙遜することはないぞ。ま、そんなことより、今からお前をイェシリアダン族の友として認めてやる。自慢していいぞ」
「ありがとう」
「ああ、今日はいい日だ。……そうだ! お前とお前の子孫たちがいつ来ても寂しくないように、族長は代々カシムと名乗ることにしてやる。どうだ、嬉しいだろ!」
〔英雄王マリクの冒険・第八章より〕
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