第二部 第五章 ケスティルメの大神殿

第十七話 大泣き

 眠い。

 ひたすら眠い。

 世の中はあちこちでいくさばかりして、相変わらず騒がしいみたいだが、昨日も今日も、そして明日も、この森の中なら至って平和で、そして何よりもお昼寝を楽しむことができる。

 儂にとっては最高の場所だ。

 だから、儂はここに神殿を建てようと思う。

 お昼寝を神聖なものとしてあがたてまつる、お昼寝神殿というものを。

 木の人形をたくさん作って手伝わせればすぐにできるだろう。

 うむ。我ながら素晴らしいアイディアだ。

〔絶版・まどろみの賢者の備忘録〕



「カシムさんたちでも、ケスティルメの大神殿がどこにあるのか分からないなんて」


 古代樹の杭が確認できた翌朝、ジェサーレ、セダ、ジャナンはいつも通り長居はせず、すぐに次の目的地に出発することにした。

 二人と一匹の旅の目的を知っているカシムとベルカントは、当然引き留めることはせず、昨晩の内に色々とアドバイスをしたのだが、次の目的地である大神殿のことは分からなかったのだ。


「うむ。俺でも分からん。あいつらは……、ああ、あいつらっていうのはテペ族のことだ。テペ族はあまり外と交流しないんだ」

「木の実の交換くらいは我々とするんですが、お互いのことはあまり聞きませんからね。ただ、集落に行けば誰か教えてくれるかも知れません。テペ族の集落は、東の道をしばらく歩くと、そのうち両脇に柱がいくつか見えてきます。そのいくつかの柱の内、上の方が藍色に塗られているのが、テペ族の集落に続く道の目印です」


 そんなやり取りが昨晩あった上での、テペ族の集落への道中である。

 カシムを始めとしたイェシリアダン族の皆が、笑顔で見送ってくれたのだが、それでもジェサーレは不安でしょうがない。


「英雄王マリクの冒険にはね、テペ族は出てこないし、ケスティルメの大神殿なんかはちょこっと出てくるだけなんだ。もし捕まったらどうしていいか分からないよ」

「そんなことで悩んでたら、杭の確認なんていつまでたっても終わらないわよ。だいたいあなたは他の人よりかなり強い魔法が使えるんだから、いざとなったらやっちゃいなさい」

「ええ……でも、恐いよ?」

「大丈夫、大丈夫よ。未来のマギサの私が言うんだから絶対大丈夫なんだから」

「わふん」

「未来の……」

「なによ、文句あるの? 私、必ずマギサになってやるんだから! だからあなたもしゃきっとしなさい。そんなんじゃ、いざという時に戦えないわよ」

「う、うん」


 セダが一生懸命にジェサーレを励ますが、彼は相変わらず眉毛の端を下げた不安そうな表情で、不安を完全に取り去ることはできなかったようだ。

 だけど、会話の前よりは足取りは軽く、背筋はしゃんとしたようにも見える。

 セダの方はと言えば、ジェサーレにはあんなことを言っていたが、実は無理をして、いつも通りに振舞っているだけだった。

 犬のジャナンはそれを知ってか知らずか、今日はセダにくっつくようにして歩き、愛嬌あいきょうを振りまいている。

 そんな、どこかフワフワしているようでいて実は重い足取りも、希望が見えれば、すぐにどこかへいってしまうものだった。


「あ、見て見て、セダ! あれ、きっとテペ族の集落への目印だよ!」


 息を弾ませてジェサーレが指さした先。

 そこには確かに、上の方が藍色になっている柱が立っていた。

 高さはジェサーレの身長よりは高いが、イェシリアダン族の柱よりは少し低い。

 色以外に高さも目印にしているのかも知れないとジェサーレは思ったが、今はどうでも良い事だ。少なくとも、テペ族の集落を見つけることができないかもしれない、という不安が消えたも同然になったのだから。

 それからも目印の柱を見つけ、二人の足取りはどんどん軽くなっていったが、ジャナンだけは、前足でさかんに目を掻いて眠そうにしていた。

 やがて二人と一匹は、イェシリアダン族の集落で見たような、木と葉っぱの家々を見つけた。

 周りの木は少なく、イェシリアダン族の集落よりも、少し明るく見える。

 すべて藍色で塗られた二本の柱の向こう側には、小さな広場のような場所があって、藍色の服を着た人が何人かいた。

 皆、洗濯をしたり、木の実を砕いたりして、思い思いに過ごしているようだった。

 ジェサーレたちをちらりと見た者も何人かいたが、その顔は穏やかで、特に顔に色を付けたりはしていない。

 それを見たジェサーレは、いきなり捕まえるようなことはしないだろうと安心し、勇気を振り絞って、話を聞いて回ったのだが――


「大神殿ねえ、私には分からないよ」

「大神殿? 見たことも聞いたこともないな」

「さあ? 他の人に聞いた方がいいんじゃないかい?」


 ニコニコとした顔で返事をしてくれるのだが、誰も彼も、知らない、分からないと答えるばかりだった。

 セダが聞いてみても結果は同じで、犬が好きそうな人に、ジャナンのモフモフ頭を撫でさせてあげても、答えは変わらなかったのである。

 これは諦めて、テペ族の他の集落に行った方がいいのではないか。ジェサーレが聞き込みを続ける中、セダがそのように思い始めたとき、家の近くで一人で遊んでいる小さな子供と目が合った。

 セダは思った。あの子なら知っていると。もしかしたら知っているかもしれない、ではなく、確実に知っていると思った。根拠などない。

 セダはジェサーレに声を掛け、その子へ早足で近づいた。恐がられたらどうしよう、泣かれたらどうしようなどと思わなかった。


「ねえ、ちょっとお姉ちゃんとお話ししてくれるかしら?」


 セダは身を屈めて、笑顔を小さな子供に近づける。

 三歳くらいだろうか。ゲチジやジェレンよりは幼く見えるその子は、満面の笑顔を返した。


「うん、いいよ!」

「ありがとう。私たちね、大神殿っていうところを探しているんだけど、知ってる?」

「うん、知ってる! 知ってるけど知らないよ!」


 その子ははっきりと、人懐ひとなつっこい笑顔で言ったのだ。

 これは当たりだと、セダも笑顔を大きくして「じゃあ、どこにあるか教え――」と、大神殿の場所を聞こうとしたが、最後まで言い終えることはできなかった。


「あんた、何やってんだ! べらべらと喋るんじゃないよ!」


 母親がどこからか現れ、目が飛び出しそうな剣幕でその子供を叱り始めたからだ。


「だって、だって、ふぐ、ふぐ、うわわーん」


 当然、その子供は盛大に泣き始め、遠巻きに様子を見ていた他の住民たちは、二人と一匹を取り囲むように近寄ってきた。


「ねえ、セダ、これって」

「いざとなったら魔法を使ってでも逃げるわよ」


 これでうまくいくだろうと思っていただけに、受けたショックは大きい。セダはもう逃げることばかりを考えていたのだが、観衆を大雑把に観察した限りでは、どうも向こうでも一部の場所で戸惑っている気配が感じられる。

 目が乾くほど緊張しながらそこを見つめていると、やがて一人の老人が現れて、口を開いた。


「この者らは儂が対応する。皆、戻れ」


 見た目より張りのあるその声に、周りを取り囲んでいた観衆も、そしてたくさん泣いていた子供でさえも大人しくなって、集落はほんの少し前の落ち着きを取り戻した。

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