第二部 第三章 グンドウムの生きる砂浜

第九話 砂浜の子供たち

「ああ、もう疲れ果ててしまったよ。

 何もしたくない。もう息をすることさえ面倒だ。

 だというのに、ここはなんて素晴らしい場所なんだ!

 新しい希望を連れてくる朝陽、穏やかな海、そして温和おんわな人々。

 ここを楽園と呼ばずしてなんと呼ぼうか。

 けれど、ここには何かが足りない。

 そうだ。

 子供たちの笑い声だ。

 この砂浜に、子供たちの笑い声がたくさん、たくさん、もっともっとたくさん響くようにするには、どうすれば良いだろうか」

〔ある男の独り言〕



「イシク様、ありがとうございました!」

「ありがとうございました!」

「わふん!」


 大灯台の杭が正常に動いていることが確認できたので、二人と一匹は出発しなければならなかった。

 ジェサーレはマリクとジャナンのことをたくさん教えてもらいたかったし、セダは魔女のことをたくさん教えてもらいたかった。

 だけど二人と一匹にはケレムから託された使命がある。

 だから、二人はあからさまに悔しそうな顔で、灯火の魔女イシクと別れの挨拶をした。


「どういたしまして。帰りはそこの滑り台から降りるといい。あっという間に外に出られるぞ」


 イシクが指さした方向には、彼女の大きくてふかふかのベッドがあった。

 しかしよく見ると、その向こう側には確かに手すりのようなものが見えている。

 再び二人と一匹はイシクにお礼を言って、ジェサーレを先頭に滑り台に乗り込んだ。

 その滑り台もやはり真っ白で、壁が高くて景色はほとんど見えない。

 だけど、螺旋らせん階段のようにぐるぐるとするだけではなく、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと、随分と動き回るお陰で、ジェサーレとジャナンはもうすっかり恐がって目を瞑り、セダはきゃあきゃあと楽しんだ。

 五分少々で町とは反対方向の出口に到着すると、ジェサーレはしばらく動きが取れず、セダとジャナンが順番に、彼の体にぽよんと追突してしまう事態になった。


「楽しかった! ジェサーレ、もう一回のぼろう!」

「もう、セダったらダメだよ。僕たちは次に行かないといけないんだから」


 珍しくジェサーレがセダをたしなめると、セダはハッとした後に恥ずかしそうに顔を赤らめて「ごめんなさい。さっさと行きましょうか」と、小声で言った。


 それから二人と一匹は、乗合馬車でデニズヨルの町に戻って渡し船で海峡を南に渡り、また乗合馬車に乗ってグンドウムの町を目指した。

 デニズヨルを出ると、すぐに建物がなくなって、周りには背の低い草と空ばかりしかない。

 セダはぼんやりと空を眺めていたが、じきにジェサーレが宙に向かって指を動かしていることに気が付き、何をしているのかと聞いてみた。


「魔力で線が描けるんだ」


 ジェサーレは楽しそうに言うが、セダにはそれが見えないし、そんな話は見たことも聞いたこともない。


「私には何も見えないわよ?」

「え、そうなの? だけど、面白いよ。セダもできるようになったらいいね」


 一切の悪意が感じられないその顔に、セダも線を描くことに挑戦してみたが、やはり何度試してみても、宙に線が現れることはなかった。

 しかし、その遊びも長くは続かなかった。

 デニズヨルとグンドウムを結ぶ道は人通りが少ないのか、グンドウムに近づくほど、どうにもこれまでよりも、道のでこぼこが多くなってきたからだ。

 二人と一匹は舌を噛まないように歯を食いしばっていたが、でこぼこに合わせてジェサーレのふくよかな体と、もふもふの髪の毛がぽよんぽよんと揺れるものだから、セダは一生懸命に笑いをこらえるのに必死だったようだ。

 そうこうしているうちに、馬車は壁も柵もないグンドウムの入り口近くに到着した。


「これが……本物の海?」


 青い海、青い空、そして白い砂浜。

 セダの目には全てが眩しく見えて、胸の高鳴りを抑えられず、体が勝手に駆け出していた。犬のジャナンもセダにつられて、尻尾を振りながら駆け出していた。

 そうして馬車の停留所にぽつんと一人残されたジェサーレは、それでも怒りも悲しみもせず、のんびりとセダとジャナンの後を追う。

 砂浜までは特に道らしい道はなく、人が踏み固めた砂混じりの土の地面があるだけで、その周りの家もまばらだった。

 その家にしても、土台は頑丈そうに木が組んであるが、その上は壁らしい壁もなく、大きな葉っぱを柱の上に乗せているような見た目で、自分が生まれ育ったアイナや、つい最近通り過ぎたデニズヨルの石の家とは違い、開放的でのんびりとしているようにジェサーレの目にはうつった。

 まばらに見える家々と人々を興味深そうに眺めながら歩いていくと、セダとジャナンの表情がはっきりと見えるくらいまで砂浜に近づいていた。

 すると、砂浜で元気に駆け回っているのは、セダとジャナンだけではないことに、ジェサーレは気が付いた。

 嬉しそうに声をあげてジャナンを追いかけ、しばらくすると逆に追いかけられる子供たちがいたのだ。

 その子供二人はよく日焼けしていて、一方は髪が短く、もう一方は髪が少し長い。その髪型から恐らく男の子と女の子で、セダよりも頭一つ分以上背が低いから、四歳か五歳くらいなのだろう。

 皆が楽しそうに遊ぶ光景を見て、ジェサーレはなんだかとても嬉しくなった。

 彼もやはり駆け出して、四人と一匹で砂浜を駆けまわったり、砂浜の砂で大きな山を作ったりした。

 ジェサーレもセダも、そしてジャナンにとっても、それは久し振りの平和な時間であったに違いない。

 だけど、太陽が傾いてきて、砂浜に赤みがさしてきた頃、ジェサーレは気が付いてしまった。まだ、今晩泊まる宿を探していないということに。

 ジェサーレは砂山を崩す手を咄嗟とっさに止めて、困ったように顔をしかめてセダに声をかけた。


「セダ。今夜の宿、どうしよう」

「……あ! ジャナン、どうしよう」


 セダもやはり忘れていたのか、うろたえるあまり、ジャナンに聞いてしまうが、ジャナンは楽しそうに尻尾を振って「わふん」と答えるだけだった。

 そのとき、まだ名前も聞いていなかった子供たちが口を揃えてこういった。


「あ、お母さんだ」


 視線の先を辿たどると、確かに若い女性が一人、陸の方から手を振りながら歩いてきている。


「そろそろご飯よ! 戻ってらっしゃい!」


 その女性が大きな声でそう言うと、二人は「やだ! もう少しお姉ちゃんたちと遊ぶんだ!」と、負けじと大きな声で駄々をこねた。

 一度は立ち止まっていた二人のお母さんは、急に小走りになった。

 そして、二人に近づいたかと思いきや、ジェサーレとセダに向けて口を開く。


「あらあら、こんばんは。今日はうちのジェレンとケチジとたくさん遊んでくれてありがとうね。良かったらあなた方も一緒に晩ご飯を食べていきなさいな」


 宿も探していないのだから、渡りに船とばかりにジェサーレとセダは「はい!」と返事をし、小さな子供たちはついさっき駄々をこねたのも忘れて、「やったあ」と喜色満面に言うのだった。

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