第十話 マゴスのロクマーン

「ほら、二人とも友達になったんだから自己紹介しないと駄目でしょ」


 ジェサーレとセダから、二人の名前を聞きなおされた母親は、子供たちに優しく言う。


「私の名前はジェレン!」


 髪が長い子がそう言うと、髪が短い子も「僕の名前はゲチジです!」と元気が良い。


「私はダムラ。ずっとこの村で暮らしているわ。いいところでしょう?」

「はい!」

「ええ、とても」

「わふん!」


 ジェサーレもセダもジャナンも、元気よく返事をしたが、ジェサーレはずっとゲチジと名乗った男の子のことが気にかかっていた。うまく言葉にはできないけれど、どこか違和感があると、なんとなく思ってしまった。

 そうしてダムラの後をついていくと、じきに家に辿たどり着いた。

 その家もやはり他の家と同じで、床が地面よりも高く、そして壁がほとんど無い、風通しの良い作りだった。

 太い丸太で作られたような階段を一列になって上って、そうして見えた部屋の奥には、一人の若い男が胡坐あぐらをかいていた。若い男の前には床に置かれた大きな葉っぱがあり、その大きな葉っぱの上にはたくさんの魚が置かれている。それをナイフで器用にさばいているようだ。

 その若い男が顔を上げて、キョトンとした顔で言った。


「えーっと、いらっしゃい、かな?」

「あなた。この子たちは子供たちと一緒に遊んでくれたから、私が招待したの。いいでしょ?」

「あ、そういうことか。それはありがとうな。俺はそいつらの父親のロクマーンだ。今日は大漁だったから助かるよ。今、蒸し焼きを作るところだから、できあがるまでちょいとその辺でくつろいでいてくれ」


 ロクマーンはそう言うと、葉っぱを長く半分に折って端を縛り、抱えるようにして外に運んでいった。しばらくするといい匂いがただよってきて、子供たちとじゃれあっていたジェサーレもセダも、途端によだれがたくさん出てきてしまい、外に垂らさないように必死に口を閉じていた。


「さあ、じゃんじゃん食べてくれ!」

「たくさん食べてね」

「うわあ、おいしそう!」


 やがて、ロクマーンとダムラとで、たくさんの魚料理と芋料理が並べられ、ジェサーレもセダも、もちろんジャナンも、目移りしながらとても幸せな気持ちで夕ご飯の時間を過ごしたのであるが……


「うう、お腹が痛いよう」

「わ、私も」

「わふん……」


 食べ過ぎた。

 二人と一匹はこれもおいしい、あれもおいしいと、葉っぱの上を次々と平らげ、結果、食べ過ぎで大きくお腹を膨らませ、横になったまま動けないでいる。


「たくさん食べてくれてありがとうな」

「いえ、おいしい魚を食べさせてくれてありがとうございました」


 ロクマーンとの会話も、ジェサーレは寝転がったままでしか話せなかった。

 もう、お腹がぱんぱんなのである。


「ははははは、その調子じゃしばらく動けそうにないなあ。今夜はうちに泊まっていけ」

「あ、ありがとうございます」

「何から何まですみません。ありがとうございます」

「わふ」


 ロクマーンの提案にジェサーレもセダもお礼を言うが、やはり二人とも、お腹を押さえて仰向けのままだった。

 やがてジェサーレは目を覚ました。

 彼はお腹いっぱいで横になっていたせいで、いつの間にか寝てしまったようだ。

 黒い天井が見え、波の音だけが聞こえていた。

 ジェサーレがむくりと体を起こして外に目を向けると、星の光で白い砂浜がうっすらと輝いているように見えた。

 これはきっと素晴らしい星空が見られるぞと、彼は外に出る。

 あれほど膨れていたお腹はもうすっかり落ち着いていて、歩くことに問題は無かった。

 短い階段を降りると、果たしてそこはジェサーレが期待した通り、空一面に星がまたたいているではないか。

 夜の海は真っ暗で、それだけが天と地を分けているようだった。

 けれどジェサーレは、自分が星空に吸い込まれて浮いているような、そんな感覚に包まれてもいた。

 同時に、自分はどうしてここにいるんだろう。アイナの夜とはやっぱり違うな。マゴスってなんなのだろう、どうしていじめられたりするのだろう、とも考えてしまっていた。

 ジェサーレがベンチに腰を掛けて、そんな風にしてほうけたように星空を眺めていると、後ろから声を掛けられた。


「お腹の調子はどうだ?」


 ジェサーレが振り返ると、そこには笑顔で腕を組むロクマーンが立っていて、返事を待たずに隣に座り、続けて言うのだ。


「眠れないのか?」

「はい、星がとってもきれいで」

「そうか。それはありがとうな」

「どうしてロクマーンさんがお礼を言うんですか?」

「うーん、なんて言えばいいかな。俺はずっとここに住んでいて、俺たちの家族もずっとここに住んでいる。俺の親父も爺様も、そのまた爺さんも、ずっとずっとここに住んでいて、ここはいいところだって思ってる、から? ま、うまく言えないけどな」

「僕も、そういうのなんとなく分かります」

「俺もなんとなく分かる。なんとなくしか分からないけどな。それよりジェサーレ、お前、なんか悩み事でもあるんじゃないか? 俺で良ければ聞いてやるぞ?」

「ありがとう、ロクマーンのおじさん」

「俺はまだ二十代前半だ。おじさんて言われるほど経験豊富じゃないな」

「ごめんなさい」

「いや、いい。で、なんだ、悩みは? あるんだろ?」

「……実は、僕、マゴスなんです」

「うん、マゴス。それで?」

「え?」

「うん? それで?」

「マゴスが、えーっと、マゴスを迫害したりしないんですか?」

「普通、迫害しないんじゃないか? 俺もマゴスだし」

「僕がいた町では、家にまで押し掛けて、随分とひどいめにあって、それで、それで」

「お前がいたところはひどいところだったんだな。でも安心しろ。この村じゃそんなことは起きない。俺だって、火を起こすのに便利だって、随分とありがたがられているんだ」

「そうなんですか。それならどうして僕がいた町ではマゴスを迫害していたんだろう」

「さあな。そっちの事情は分からないが、ともかくここではそんなことはない。だから腹を出してぐっすり寝ても大丈夫だ」


 そうして二人で星空を眺め始めたとき、また後ろから声がした。


「むにゃむにゃ……お父さん、見つけたー」


 ゲチジの声だった。

 ゲチジは目を覚ましたときにロクマーンがいなかったことを不安に思ったのだろう。

 とてとてと小走りして回り込み、ベンチの脇からロクマーンに近づこうとしている。

 だが、いくら星灯ほしあかりがあるとは言え、やはり昼間よりも暗く、ゲチジは何かにつまづいてしまった。


「あ、危な――」


 ジェサーレがそれを見て声をあげたが……


「うわぁぁぁぁぁ」


 それはすぐに悲鳴に変わった。

 転んだゲチジの体は崩れ、彼のあどけない頭だけが、ころころとジェサーレたちの前に転がってきていた。

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