第十一話 糸

「おはようございます! ほら、ジェサーレも早く起きなさい!」


 けれど、翌朝のセダには気持ちが沈んだ様子は少しも見えなかった。四人の中で一番早く起き、気付いたジャナンをお供にしてみんなを起こして回る。朝ご飯の匂いがただよってくるまでは寝ていたかったジェサーレも、彼女の元気な声と、ジャナンにペロペロと頬っぺたを舐められて目が覚めた。

 ジェサーレは起きた途端に、昨日の襲撃を思い出してしまい、気持ちが落ち込んだのだから、明るい声を出すセダのことが不思議でならなかった。だからと言って、昨日のことを忘れたの? とでも質問をすれば、自分と同じように恐い記憶がよみがえってしまうと考え、そのことには触れるべきではないと、ジェサーレは自分の心に質問をしまい込んだ。


「さて、朝早くに出発すれば、今日の夕方には目的地に到着する予定だが、体調はどうかね?」

「問題ありません」

「あっしも問題ありません」

「大丈夫よ!」

「大丈夫です」

「わん!」


 朝靄あさもやが流れ切らないうちに、宿の外に用意された場所で朝ご飯を食べ、それが終わるとタルカンから本日の予定が発表された。「では出発しよう」とタルカンが言いかけたときに、ジェサーレは思い出した。


「あ、昨日、近くでフクロウが鳴いてたんです。出発する前にフクロウの羽根が落ちてないか、みんなで探しませんか」


 そのようにジェサーレが提案すると、二つ返事で承諾され、馬の世話がある御者を除いた全員で一斉に宿の周りを探し始めた。

 三十分後。それぞれが見つけた羽根を持ち寄り、セダが確認したところで、そのほとんどは別の鳥の羽根だった。結局、フクロウの羽根はセダが拾ってきた六枚だけで、それを彼女は革エプロンの沢山あるポケットの一つに、大切にしまい込んだ。


「すぐにニヒテリニエビオギアを使おうよ」


 ルスに向けて走る馬車の上で、待ちきれないジェサーレがセダにお願いするが、「あれは暗いところじゃないと効果が分かりにくいの」と断られ、たあいもない話をしながら馬車は進む。

 隠者いんじゃの里を目指しながら、いくつかの集落を通りすぎ、いくつかの分かれ道を登ったり下ったりするその道を、ジェサーレはとても覚えられないだろうなと思う。同時に、アイナの町にいたままでは見ることがなかった大丘陵の景色を楽しんでいた。

 そうこうしている内に時間はあっという間にち、馬車は太陽の光があまり届かない谷底の薄暗い道に入った。これまでの広い道とは違い、馬車が三台、ぎりぎり通れるかどうかくらいの道幅である。タルカンが御者に「しばらく続くから用心してくれ」と声を掛けているときに、セダはジェサーレに向かって口を開いた。


「それじゃあ、おまじないをやってみましょうか」


 そう言ってセダはパチンとエプロンのポケットのボタンをはずして、中からフクロウの羽根を取り出した。


「本当!? ありがとう!」


 目を輝かせ、ワクワクしている顔のジェサーレを見ていると、セダは何故か恥ずかしくなって「こほん」と一つ、咳払いをしてから始めた。


「何も難しいことはないけど、覚えてね。まずは、フクロウの羽根を持って、こうやって中指と薬指でおでこに押し当てるの」

「こうかな?」


 フクロウの羽根を渡されたジェサーレは、セダの見よう見まねでおでこにつけた。


「そうそう、それでいいわ。次は、真っ暗闇の中で、自分の周りだけが明るくなるのをイメージするの。どう? イメージできた?」

「うん、よく分からないけど、できたと思う」

「じゃあ、最後はおまじないの言葉ね。いい? よく聞いて繰り返すのよ?」

「うん、分かった」


 セダはそう言うと、フクロウの羽根をおでこから外して、真っ直ぐジェサーレを見て、静かに呪文を唱える。


「我らに夜の祝福を。ニヒテリニエビオギア」

「我らに夜の祝福を。ニヒテリニエビオギア」

「うん、これでおまじないは終わり。我らに、と言う呪文だから仲間も色々と見えるようになると言われているけれど、さて、ジェサーレとタルカンさんとデミルさん、何か見えた?」


 その質問に一番に答えたのはデミルで、タルカンもすぐに続いた。


「うーん、少し暗いところが見えるようになったかな」

「そうだな。儂もそんな気がする」


 そんな二人に対して、ジェサーレはキョロキョロと忙しく周りを見ていた。


「うん、これ凄いね。何かが見えるよ」


 何かが見えると言われれば、それは確かにおまじないなどかけなくてもそうなのだろうと、セダは呆れつつも、しかし、そのなにかがなんなのかは聞き出さなければならないと、質問を続ける。


「……それだけじゃ分からないわ。ジェサーレの目にはどんなものが見えているのか、説明してくれる?」

「そうだねー……、お馬さんから荷台の後ろまで、何かは分からないけどほんわりと白く光ってるんだ」


 それを聞いたセダは俄然がぜん、ジェサーレが見えているものに興味を持った。そんなものはこれまでも、そして今も見えていないのだから。しかし、今のセダは先生の立場であり、取り乱すのは格好が悪いと、冷静を装うのだ。


「ほ、他に何か見えているものはある?」

「他にはね、セダから何か細い糸のようなものが出てるよ」


 それを聞いたセダは、少しの間ピクリとも動かなくなり、そして慌てた様子で虫を払うように手をバタバタとさせ始める。


「糸!? 糸ってどんな感じの? 長いの? 短いの? 太いの? 細いの? 色は? 他の人からは出てる?」


 それはセダが全く思いもよらなかったもので、そんな得体の知れないものが出ていることが気持ちが悪くてしょうがないようだった。

 けれど、ジェサーレはのんびりとしたもので、セダがそのように思っていることにも気が付かずにゆっくり答える。


「長さはとても長いよ。通ってきた道の上にフワフワとずっとある。太さはとっても細くて、上等な絹糸みたいな色をしてる。他の人からは出てないみたいだよ」

「それ、掴める? とって、とって、気持ち悪いから早くとって!」


 などとセダが本格的にあたふたし始めたときに、ジャナンが馬車の後ろに向かって「わん!」と吠えた。

 なんだろうと思って、眩しくもないのに手をひさしにしてジェサーレが観察すると、遠くから赤みがかった馬車が二台、近づいてくる。そして、もう一度ジャナンが吠え、自分たちの馬車の前方を見ると、前からも赤みがかった馬車が近づいてきているのが見えた。こちらは一台である。

 御者も気付いたようで、「旦那様、はしに寄せてやりすごしますか?」と聞いていたが、ジェサーレはたまらく嫌な予感がして、デミルに言った。


「山賊か何かだと思います。警戒しましょう」


 そう言われたデミルは、目を大きくして驚いていたが、それは自分の勘がジェサーレと同じだったせいかも知れない。

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