第十話 おまじない(2)
二台の馬車はスピードを緩めず、見通しの良い街道を進む。
二人目の兵士がデミルから離れたところで荷台に足を掛け、こちらに乗り移ろうとしたそのとき、タルカンの声が聞こえた。
「瞳を奪え、ファンボス」
タルカンの手から湧き出た暗闇がその兵士の視界を奪い、バランスを崩した彼はやはり転げ落ちて後方に姿を消した。
残り三人。
向こうの御者は兵士に怒られながら、怯えた顔で馬にムチを入れている。
デミルが剣を構えて立ちはだかっているためか、向こうの兵士はこちらに乗り移ることを
「馬車を止めろ」
そのときデミルがこちらの御者に指示を出した。一生懸命に走る向こうの馬車はそのまま前方へと離れてゆく。兵士が慌てて御者に馬車を止めさせて、不格好に降りる様子が見えた。
それを見たデミルが馬車を降りると、ザリッと土の音がした。
ゆっくりと剣を
兵士三人が剣を構えて、横並びで歩いてくる。デミルは少しずつ前に出る。
こちらの御者も荷台に避難した。
顔だけ出して様子を眺めるジェサーレでも、相手の顔が分かるくらい、三人の兵士が近づいてきた。「ファンボスを使うには遠いのう」とタルカンが呑気に言う。
直後、兵士の一人が雄叫び上げながらデミルに襲いかかった。
デミルに向かって振り下ろされたはずのその剣は、目標に当たることなく、二本の剣に止められた。即座に引き再び斬りかかると、今度はデミルが左手に持った剣で、相手の剣を弾き飛ばした。武器を失った兵士はそのまま土の地面にへたり込む。
残り二人……のはずだが、一人の姿がジェサーレの視界から消えている。なぜかジェサーレには、土のニオイとジャナンの呼吸がハッキリと感じられた。
一人はデミルとじりじりと
「瞳を奪え、ファンボス」
すかさずタルカンが剣をとりつつ、相手の視界を奪おうと暗闇を手から出した。しかし、相手も予想していたのか、すぐに「照らせ、ディアフォティゾ」と唱えて暗闇を消し去ってしまう。
互いの距離はとても近く、もはや剣をぶつけ合うしかなかった。
目だけを動かして様子を見るジェサーレの口に、鉄の味が広がったような気がした。少年の視線の先でデミルとタルカンが剣を使い、相手の兵士と戦っている。
ジェサーレは、この状況が分からず、ただ怯えていた。
セダは、顔を青くして震えていた。
やがてデミルが相手を
ジェサーレもセダも、そしてジャナンも、それでようやく空気を味わうことが出来たのだ。
「待たせたな。旅を続けようか」
「わふ!」
デミルが戻ってきてジェサーレとセダに声を掛けても、二人は相変わらず怯えたままで、ジャナンだけが返事をした。
四人と一匹を乗せた馬車は、何事もなかったかのように、ドロナイ大丘陵の入口の緩やかな坂道を登っていく。そこから更に進むと、太陽が傾き始めた頃に、前方に小さな集落が見えてきた。
「今日はあそこに泊まるぞ」
ジェサーレとセダは、タルカンがそう言ったのは覚えているが、宿に辿り着くまでの記憶は、はっきりしていない。
今夜、タルカン一行が宿泊する宿は、集落の農民たちが農作物の選定や加工などを共同で行なう大きな建物の一部だった。もともと宿として作られたわけではなく、たまに通る旅人から泊まらせて欲しいと頼まれるうちに、使っていない部屋を宿にすれば少しは生活の足しになるとでも考えたのだろう。
案内された部屋は飾り気もなければ鍵もない板張りの大部屋で、隅に布団が積まれているだけだった。他の客は見当たらない。しかし、タルカンとデミルにとっては都合がよかったのか、うなだれているジェサーレとセダ、そしてジャナンとは反対側の隅で、時おり二人と一匹を気にしながらひそひそと話していた。
セダは青い顔ではなくなったものの、相変わらず表情は暗く、ぼんやりと魔法辞典を読んでいた。そして、辞典を丁寧にエプロンに戻したかと思えば、突然、ジェサーレに近寄り、叫ぶように言い放ったのだ。
「あんた、マゴスなんでしょ! なんで戦わなかったのよ!」
その変わりようにジェサーレは目を白黒とさせるばかりで、何も言えなかった。
「守りなさいよ! 力があるんだから戦いなさいよ!」
セダの言葉はジェサーレに重くのしかかり、ただ「ごめん」としか返事が言えなかった。ジャナンが隣で「くぅーん」と心配そうに鳴く。ジェサーレは姉とケンカするときにも、もう少し言葉が出てくるものだったが、今にも自分に掴みかかりそうだった彼女の、その目にたまった涙が言葉を詰まらせてしまうのだ。
セダもなにか他に言いたいことがあったのかもしれないが、彼女は顔と肩を震わせた後、口をキュッと結び、元の場所に戻っていった。
タルカンがセダに声を掛けたのは、そのタイミングだった。
「セダお嬢さん、昼間の兵士たちについて、何か心当たりはないかね?」
「……知らないわ。それにお嬢さんもやめて」
「そうか、すまなかったな。次回からはセダと呼び捨てにするよ」
「……それでいいわ」
その日は結局、セダの気持ちが回復することはなく、どこからか聞こえるフクロウの鳴き声を聞きながら夜が更けていった。たった十四歳の子供が、剣を持った大きな大人たちに襲われたのだから、当然のことだろう。
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