第六話 女の子

「タルカンさん、この町にはどんな用事で来たの?」


 無事にお肉の串焼きを購入したジェサーレが、お肉にかぶりつきながら、笑顔でタルカンに聞いた。ジェサーレの足元ではジャナンもお肉に食いついている。


「残念ながらそれは秘密だ。極秘の用事だから君にも教えられないんだよ」

「そう、残念」

「わふ」


 極秘という言葉にジェサーレは目を輝かせたが、しかし、教えてもらえないことを残念にも思った。


「まあ、まだ極秘の用事まで時間がある。それまでユズクを探検しようじゃないか。もちろん、その串焼きを食べ終わってから」

「わふ!」


 ジェサーレは納得したような、納得しないようなもやもやとした気持ちだったが、ジャナンは納得したようである。

 そうして、ジェサーレとジャナンがおいしそうに串焼きを食べ終えると、デミルを先頭にしてみんなで人だらけの通りを歩き始めた。知らない人だらけだというのに、ジャナンは吠えることもなく、とても大人しくジェサーレの横にいる。


「わあ、すごい」

「わふ」

「わあ、きれい」

「わふ」

「わあ、おいしそう」

「わふ」


 目に付くものの全てが新鮮で楽しく、興味深く、夢中になって探検していたが――


「あれ? タルカンさん? デミルさん?」


 気付けばタルカンとデミルの姿が見当たらず、見知らぬ人でにぎわう通りの真ん中で、ジェサーレのそばにはニコニコ顔のジャナンだけしかいなかったのだ。


「ジャナン、二人がどこにいるか知ってるかい?」


 そう聞いてもジャナンはいつも通り「わふ」と答えるだけだった。

 ジェサーレは途端に心細くなったが、ジャナンが隣にいたことで、なんとか泣き出さずにいられた。

 そのときだった。


「助けて!」


 ジェサーレたちが来た方向とは反対の方向から、助けを求める声が聞こえてきたのだ。

 その声は自分より年下の男の子か、年が近い女の子の声に聞こえた。

 アイナを旅立つ前のジェサーレなら、周りにこれだけ大人がいるのだから、自分ができることはないだろうと、様子を見に行くようなこともなかった。

 けれど、助けを求める声を聞いた途端、頭にタルカンの言葉が浮かんだのだ。


『儂は子供が大好きなんだ。困っている子供がいたら放っておけないのだよ』


 だから、ジェサーレは反射的に声のした方に進み始めた。そこにタルカンたちがいるかも知れない、とも思いながら。

 野次馬たちをかき分け、断続的に助けを求める声の中心地に近づくと、そこにいたのは、アイナでは珍しい黒髪の女の子と、その子を左わきに抱えて立ち去ろうとする筋骨隆々の大男だった。

 女の子が短い髪の毛を振り乱しながらじたばたとしているので、助けを求めていたのはこの子で間違いないとジェサーレは確信した。同時に、周りの大人たちが心配そうに眺めながらも、時おり「衛兵はまだ来ないのか」などと言うだけで、誰一人として助けようとしないことに失望した。

 そして少し躊躇ちゅうちょしながらも、ジェサーレは自分でも思いもよらなかった行動に出た。


「お、おい、やめろ! その子を離せ!」

「わん!」


 なんと大男に背後から大きな声で叫んだのである。

 しかし、大男は意にも介さず、じたばた暴れる女の子を抱えたまま、たまによろけながら立ち去ろうとしていた。

 だから、ジェサーレは呪文を唱えた。できるだけ小さく目立たぬ声で。

 先ほどは躊躇ちゅうちょしていたのではなく、どうやって助けようか考えていたのだ。


「輝け。フォトスフェイラ」


 フォトスフェイラは、学校の授業で最初に習う魔法だった。

 小さな優しく光る球が手を向けた方向に進み、やがてプツンと消滅する。ランタンやロウソクの灯りが届かない場所に、物が落ちてしまったときなどによく使われる、ありふれた魔法である。人を傷つける事はなく、人の体に当たると消滅する安全な魔法だった。

 それを使って大男の目をらし、その間にファンボスを使う、そういう作戦を思い描いていたのだが、ジェサーレの手のひらから現れた光の球は、普通のものよりも一回りも二回りも大きく、そして通常の何倍もまぶしく輝いていた。

 ジェサーレはとてもびっくりして慌てふためいたが、ともかくそれを大男に飛ばすと、普通のものよりも素早く動き、大男の顔のすぐ横を通り抜けた。


「ぐわあ!」


 突然、顔の横を通り抜けたまぶしい光に、大男はたまらず目をつぶって右手で押さえ、うめき声を出す。けれど、左腕は相変わらず、しっかりと女の子を抱えていた。

 ほんの少しの間、呆然としてしまっていたジェサーレだが、考えていた作戦の第二段階を実行に移した。


ひとみを奪え。ファンボス」


 デミルを相手に練習したときと同じようにジェサーレの手からモクモクと暗闇が湧きあがり、蛇のように大男の顔にまとわりつく。

 まぶしさに慣れ、閉じた目を薄く開きかけたところに、今度は視界が真っ暗になってしまったものだから、大男はとても混乱して、再度「ぐわあ」とうめき声を上げながら、両手で顔の周りを払い始めたのだ。

 その拍子で女の子は地面に落ち、ジェサーレはすかさず駆け寄って、女の子の目の前に手を差し出した。


「一緒に逃げよう」


 まだ目がチカチカしている様子で、視線の定まらない女の子の手を取り、ジェサーレとジャナンはひたすら走った。人ごみをかき分け、入口を目指して。

 途中、ジェサーレが何度か振り返ると、大男はこちらを追ってきてはいるが、人ごみに邪魔されて思うように進めていないように見えた。

 やがてジェサーレたちは人ごみを抜け、ぽてぽてと音がしそうに走りながら、馬車を降りた西門の広場に辿り着く。

 その頃には大男の姿はまったく見えなくなっていた。

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