第五話 デミルお兄さん

 少しだけ沈んでしまったジェサーレの気持ちは、もうすっかり元通りで、タルカンはすかさず話題を切り替えた。


「ところでジェサーレ君。一歩外に出れば、自分の身は自分で守らなければならないときがどうしてもやってくる。だから、君が知らない魔法を、今ここで、一つ教えてあげよう」

「え! いいんですか?」

「いいとも。我々が守ると言っておきながら申し訳ないがね。準備はいいかな?」

「はい。お願いします」

「よろしい。これから教えるのはファンボスという魔法だ。ほんの少しの時間、暗闇を人の目にまとわりつかせて周りを見えなくしてしまうんだ。今からこのデミルにかけてみるから、よく聞いて、よく見ておくんだよ。いいね」


 デミルは少し目を開いてギョッとしたような表情だったが、ジェサーレと全く同じタイミングでぶんぶんと頷いた。


「それでは、――ひとみを奪え、ファンボス」


 タルカンがそう唱えると、彼の手からモクモクと黒い煙のようなものが現れて、ゆっくりとデミルの顔を包み込み、じゅう数えるか数えないかの頃に、きれいさっぱりと消えた。


「では、ジェサーレ君。早速やってみたまえ」


 タルカンがジェサーレにうながすと、デミルは露骨ろこつに眉をひそめた。どうやら、かけられた方はとても嫌な気分になるようだ。


「はい。――ひとみを奪え、ファンボス」


 露骨ろこつに嫌がるデミルの表情も見えていたはずだが、それでもジェサーレは元気な声で呪文を唱えた。

 するとどうだろう。タルカンと同じように手から黒い煙のような暗闇がモクモクと現れて、デミルの顔を包み込んでいく。


「ちょ、ちょっと、これ、いつまでも見えないんだけど、どうなってるんだ? タルカン様、黙って見てないで、そろそろ助けて下さいよ」


 けれど、その暗闇は終わることなくジェサーレの手からモクモクと現れ続け、とうとうデミルがタルカンに助けを求めることになってしまったのだ。


「なんだ、情けないのう。それくらい自分で解除してみせよ。それはそれとして、ジェサーレ君、その暗闇を止められるかね?」

「えっと、どんどん出てきちゃって……。どうやって止めたらいいんでしょうか?」


 ジェサーレがおろおろとすると、隣でジャナンも情けなく「くぅーん」と鳴く。


「簡単なことだよ。自分の手から暗闇が出てこないことをイメージすればいい。どうだね、できるかな?」


 そう言われて、ジェサーレがつぶらな瞳を何回かまばたきさせると、手から暗闇は出なくなった。

 だが、デミルの顔の周りは、相変わらず暗闇に包まれたままである。

 どうするのかとジェサーレとジャナンがじっと見ていると、やや静かなデミルの声で「照らせ、ディアフォティゾ」と聞こえてきて、暗闇が消滅したのだった。


「さて、ジェサーレ君。このように人間は暗闇がとても恐いんだ。だから、決して面白半分で使ってはいけないぞ」

「はい、分かりました。ところでタルカン先生、もし暗闇に包まれてしまったら、デミルさんみたいにディアフォティゾの魔法を使えばいいんですか?」

「その通りだ。学校で教わる魔法だから、誰にでもできる。それは、悪者も簡単に解除できるということだがね。……さて、そろそろ最初の目的地が見えてきたな。降りる準備をしよう」


 まるで言葉が分かるようにジャナンが元気に「わん!」と鳴き、魔法の実験台にされてふてくされていたデミルも、笑顔になった。


「あ、タルカンさん、もう一つ質問してもいいですか?」

「構わんよ。どんな質問だね?」

「どうして僕を助けてくれるんですか?」


 その質問にタルカンは顔をほころばせながら、こう答えた。


「儂は子供が大好きなんだ。困っている子供がいたら放っておけないのだよ」



「それでは旦那様、あっしは東の停車場におりますので、またお声がけください」


 目的地に着いて全員が荷台から降りると、御者ぎょしゃはそう言って馬車を操り離れていった。


「うわあ!」


 改めて最初の目的地であるユズクという名前の町を眺めたジェサーレは、目を輝かせながら、思わず声を漏らした。町のあちらこちらに赤、青、白、黄色の花々が咲き乱れ、何よりも人の数が多かった。

 ここから見える通りには、沢山の露店が並んでいて、その店先には食べ物や見たこともない不思議なものが売られ、どれも大層な人でにぎわっている。花壇がないところには全て人がいるようにも見えた。

 しおの匂いはもうすっかりなくなり、甘い花の香りと美味しそうな匂いばかりが鼻に入ってくる。


「坊主、ユズクの町は初めてか?」

「うん、初めてです。デミルおじさん」

「おじさんじゃない。お兄さんと呼べ」

「デミルお兄さん」

「よろしい。坊主はなかなか見どころがあるな」

「そうそう、この町に来るのは初めてです。デミルお兄さん」

「よしよし。坊主はとても見どころがあるから、特別に俺が案内してやってもいいぞ」

「本当ですか!?」

「ただ、めし代は自分で出せよ?」


 そう言われてジェサーレはハッとする。


「お金、持ってきてないんです」


 思い立ったその日に家を出たことで、ジェサーレはお金のことなんてすっかり忘れていたのだ。あるのはカバンの中に入れていたほんのわずかなお小遣こづかいだけだった。


「ジェサーレ君。お金なら君のお父さんから預かっているから安心しなさい。そこらでご飯を食べるには問題ないだろう。もっとも、君が無駄遣いしないように、儂が管理を頼まれている。つまり、使う前に儂の許可が必要ということだがね」

「分かりました。あそこのお肉の串焼きを食べたいので許可して下さい!」

「わん!」

「ジャナンも食べたいって言ってます!」

「わん!」


 ジェサーレとジャナンが息ぴったりにお願いするものだから、タルカンは嬉しくなって思わず目を細めてしまった。


「分かった分かった。今、お金を渡すから二人とも待ちなさい」

「はーい」

「わふ!」

「あ、そうそう。デミルが案内すると言ったが、元々、一緒に行動する予定だったから気にしなくて良いぞ。くれぐれも儂らからはぐれないようにな」


 タルカンがそう言いながらお金を渡すと、ジェサーレはぽてぽてとお肉の屋台に駆け出し、ジャナンは尻尾を振りながら、デミルは顔をしかめながら、追いかけるのだった。

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