第29話 重み
「洸さん辞めちゃうんですね…」
会社内のカフェで水惟が寂しそうに言った。
洸が正式に独立を発表したのは、水惟が入社して二年が過ぎた頃だった。
「うん。でも深端とは仲良くやっていきたいって思ってるからさ、力になれることがあったら何でも言ってよ。水惟は俺の一番弟子だからさ。」
洸に言われると、水惟はニコッと笑った。
「生川さんに露骨に媚びてるよね〜」
どこからか声が聞こえた。おそらく油井か油井に近い若手社員だ。
「………」
「水惟、今の…」
「あー…気にしてないです。クリエイティブに入るってそういうことみたいだし。洸さんも昔はあったんじゃないですか?」
水惟は困ったように笑って言った。
「まあ…そうだけど…。蒼士は知ってるのか?」
洸が小声で言った。
「えっ!?」
水惟が慌てて赤面するのを見て洸は笑った。
「洸さん知ってたんですか…」
「お前らわかりやすいからなー」
蒼士と同じ返しをされ、洸が苦笑いで言った。
「でも深山さんには言わないでください。そういうことで心配されるのも特別扱いされるのも嫌なので…」
「うーん…まあ、水惟がそう言うなら…」
「…あ!そういえば洸さん、結婚もするんですよね。」
「え、うん…付き合って長いから今更って感じだけどな。」
「おめでとうございます。今度また蛍さんにもお会いしたいです。」
「うん、蛍も会いたがってたよ。」
***
「なんかさ〜、俺最近あの子が気になるんだよね。」
蒼士が会社のフリースペースで仕事をしていると、若手の男性社員が話しているのが聞こえてきた。
「あのクリエイティブの子。」
キーボードを叩く蒼士の手が一瞬止まる。
「あー!なんだっけ、藤村さん?」
「そうそう、藤村 水惟。なんか前よりきれいになってねぇ?」
「あー、俺も思ってた。前はもっと固い感じっつーか…とっつきにくい感じだったのに雰囲気が柔らかくなったよな。色気が出た、みたいな?なんだろうな、男?」
「やっぱ男の影響?わかんねーけど、彼氏いなかったらラッキーじゃん?一回飲みに誘ってみる?」
「お、いいね。」
ノートパソコンに向かう蒼士の表情が不機嫌さを帯びる。
——— 水惟はどんどん垢抜けていってるし
(………)
「え?飲み会なんて全然誘われないよ?」
蒼士の質問にキョトンとした表情の水惟が言う。
蒼士の部屋で二人でテレビを見ている。
「たまに部署では行くけど…あ、冴子さんにはこの前誘われたから今度行くけど。」
「ふーん…」
蒼士の心配をよそに水惟は呑気な様子だ。
「蒼士も行く?冴子さんなら仲良しだよね?」
「遠慮しとくよ。バレたらマズいし。」
「あ、そうだよね。内緒だった。」
蒼士がまた後ろから水惟を抱きしめる。
「あ の…?」
「内緒だけど、ちゃんと彼氏がいるって言わなきゃダメだよ?」
そう耳元で囁いて蒼士は水惟の首筋にキスをした。水惟の身体がピクッと小さく反応する。
「かわいいな、水惟は。」
「え、えっと…?」
水惟は顔を赤らめて振り向く。
「でも、何もわかってない。」
「え…」
「そういう
「う、うん…?」
(本当に何もわかってない…)
ヒトリジメ シタイ
***
それから程なくして、水惟は蒼士にプロポーズされた。
「え!水惟が結婚!?」
居酒屋で芽衣子が驚きの声を上げる横で、冴子も同じ顔をしている。
「相手は!?」
「…えっと…営業部の…深山さん…です…」
水惟は恥ずかしそうに俯いて言った。
「え!深山の御曹司っ!?水惟の彼氏ってそうだったの!?」
「あーなんかそんな感じしてたのよね〜。結婚はびっくりだけど、付き合ってそうだな〜って。」
冴子が言った。
「おめでとう。」
「おめでとー!」
「それにしても、水惟が結婚するってなんか早い気がするけど…」
「ん…うーん…あ!仕事は今のまま続けるよ。」
水惟は曖昧な表情を浮かべる。
「もー!冴さん野暮!めでたいんだから飲も!私結婚式のカメラマンやるー!」
「んーそれもそうね。酒の肴に馴れ初めから聞かせてもらおうかしら?」
「え…っ!」
「どっちからいったの?」
「えー…」
水惟と蒼士の結婚はあっという間に社内に広まり、深端の跡継ぎが結婚したことは社外にも広まっていった。
急な結婚だったため、結婚式については仕事の状況が落ち着いてから行うことになった。
「水惟って不器用な振りして、男に媚びるのが上手いんだね。」
ある日、化粧室で鉢合わせた油井に言われた。相変わらずバッチリ化粧をして、華やかな印象だ。
「え?」
「入社した時から知ってたんでしょ?深山さんが社長の息子だって。わざとらしく知らない振りなんてしちゃって。」
「え!?本当に知らなかったよ。」
水惟は戸惑った声で言った。
「そうやって生川さんにも取り入ったんでしょ?それでちゃっかり水惟だけクリエイティブに配属されてるんだもん、ずるいよね。」
油井は悪意を隠さずに笑いながら言った。
「そんなことしてない。」
「隠さなくていいよ。いつから深山さんと付き合ってたの?ずーっと裏で贔屓されてたんでしょ?」
水惟は蒼士に仕事での特別扱いは絶対にやめて欲しいと伝えてある。
「そんなことない!そんなの、深山さんにも深端にも失礼だよ。」
「信じられるわけないじゃん。バッカみたい。最っ低。」
油井は吐き捨てるように言って、化粧室を後にした。
「………」
水惟は油井とのやり取りで“深山 蒼士”と結婚したということの持つ意味を理解し、左手の薬指に重みを感じた。
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