第28話 変化

「藤村さん、この展覧会—」

「ごめんなさい、先週末観に行っちゃいました。」


「この個展—」

「観ちゃいました…すみません!」


「今やってる映画—」

「友達と約束しちゃってて…」


蒼士は誘いを断られたのをきっかけに、ムキになったように何度か水惟を展覧会や映画に誘おうとしたが、ことごとく断られてしまった。

(洸さんの言う通り自意識過剰?恥ず…)


「藤村さん、この展覧会はもう行っちゃった?」

また二人きりになったエレベーターでポスターを見ながら蒼士が言った。

(どうせ今回も…)

「えっと…行ってないです…それ、まだ始まってないですよね…」

「え?あ…」

ポスターに書かれた展覧会の開催期間は、その週末からだった。

「じゃあ、良かったら一緒にどう?」

「…あの…どうして…誘ってくださるんですか…?」

水惟は若干怪訝な表情かおで聞いた。

(どうして、か…たしかに、俺みたいな立場のヤツに急に声かけられたら怖かったかもな…)

蒼士は水惟の今までの態度になんとなく納得がいった。

「うーん…なんでかな。なんとなく、一緒に行ったらおもしろそうかなって。」

「…じゃあ、はい。ぜひ。」


「私、夜空の絵が好きでした!色合いがきれいで…」

展覧会後に食事に入った店で水惟がいつになく饒舌で、目をキラキラさせて話すので蒼士は思わず笑ってしまった。

「藤村さん、よくしゃべるんだね。」

「え…あ、えっと…感動しちゃって。」

水惟が照れくささと申し訳なさを合わせた顔で言った。

「それに…深山さんと来れて嬉しくて。」

そう言った水惟の無邪気な笑顔に蒼士の胸がキュンと締め付けられてしまったので、蒼士は自分の気持ちを自覚することになった。

「食後のコーヒーと紅茶をお持ちしました。」

飲み物が運ばれてきた。

「あの…コーヒーに付いてきたミルク、使わないなら貰ってもいいですか?」

水惟が言った。

「甘くないミルクティーが好きなんですけど、ミルクとかレモンとか聞かれなかったから貰い忘れちゃいました…」

「じゃあ、代わりに砂糖ちょうだい。」

「え?」

「俺、ブラック飲めないんだよね。」

蒼士が苦笑いで言った。蒼士のコーヒーにはなぜか砂糖が付いてこなかった。

「意外です。」

水惟は可笑しそうに「ふふっ」と笑った。

(………)


「俺、藤村さんのことが好きみたい。」

その日の帰り、車で水惟を自宅に送り届けた蒼士が言った。

「え……」

「その反応、どう取ればいいの?」

「え、えっと…私も深山さんに憧れているというか……す……すき……なんです…けど…でも深山さんは大人って感じで私は子ど—」

焦って早口になる水惟に蒼士は不意打ちのようなキスをして笑った。

「俺は藤村さんが思ってるよりガキだよ。」

「あ、あの…わたし、深山さんが思ってるよりほんとに子どもなので…」

「…もしかして初めてだった?」

恥ずかしそうに赤面して頷く水惟を、蒼士はたまらなく可愛いと思ってしまいギュッと抱きしめた。

「かわいい」

水惟は鼓動の音以外何も聞こえなくなってしまった。

「…みやまさん…あの…」

「ん?」

「…えっと…やっぱりなんでも…ないです…」


***


「いいな〜クリエイティブは。服装が自由でメイクもテキトーで良くって。」

水惟が会社の化粧室から出て行くタイミングで、化粧直しをしていた油井がわざと聞こえるように言った。隣の女子社員がクスクスと笑う。

クリエイティブを希望していた油井はマーケティング部に配属されていた。配属が発表された頃から徐々に水惟に対する悪意をあからさまにするようになっていた。


「水惟、なんかネイルに気合い入ってる?」

蒼士が水惟の手をまじまじと見て言った。

付き合うようになってしばらく経つと、お互いの家を行き来するようになっていた。この日は蒼士の家でソファに座って話していた。

「うん。私、あんまりメイク得意じゃなくてきれいに出来ないから…ネイルだけでも可愛くしたいなって思って。お店でやってもらったの。」

「…誰かに何か言われた?」

蒼士が心配そうに訊ねると、水惟は無言で首を横に振った。

「水惟はかわいいし、どんどんきれいになってるよ。」

そう言って、蒼士は水惟を後ろから抱きしめた。水惟は幸せそうにその腕をぎゅっと掴んだ。

社内恋愛というだけならまだしも、深山家の跡取りとなると付き合っているだけでもいろいろと邪推されかねないため、二人の関係は社内では秘密にしている。二人で出かけることはあるが、こうして二人で部屋で過ごすことが多い。

「仕事でね、今度…アシスタントデザイナーじゃなくて、デザイナーとして案件を一つ任せてもらえそうなの。」

水惟が蒼士の腕の中で嬉しそうに言った。

「へぇ、すごいじゃん。まだ二年目なのに。でも頑張ってるもんな。俺も水惟のデザイン好き。」

蒼士の言葉に水惟は嬉しそうな顔をする。

「洸さんがすごく推してくれて—」

「洸さん…」

「うん」

「仲良いね。」

「え!そんな、洸さんは大先輩で仲良いなんておこがましいよ。」

「うん、知ってる。洸さんは俺にとっても大好きな大先輩だから。でも、水惟の口から男の名前が出るとちょっと嫉妬する。」

「え、でも仕事の話だし、私が好きなのは蒼士さ—っんっ」

蒼士は水惟の顔を自分の方に向かせ、少し強引に唇を割り開かせた。水惟の吐息が荒くなる。

「…蒼士。“さん”なんていらない。」

「で、でも—ん…っ…ふ…」

反論しようとする水惟の唇を蒼士が塞ぐ。

「—…そう し…」

少し荒くなった吐息と、潤んだ瞳で水惟が蒼士の名前を口にする。

「もっかい言って?」

「……蒼士…?」

「水惟、かわいい」


(水惟は何もわかってない…)


***


「なんか、そんな予感はしてました。」

いつものバーで、蒼士は洸から独立の話を聞いていた。

「寂しくはなりますけど…遅かれ早かれってやつですよね。回せる仕事は回すんで、深端のこともこれからもよろしくお願いします。」

「助かるよ。古巣と揉めるつもりはないからさ、独立しても深端に恩返ししたいと思ってる。」

洸は珍しく緊張していたのかホッと安堵した表情を見せた。

「ちなみに…水惟、連れてっちゃダメ?」

「え…」

蒼士の反応に洸は「わはは」と笑った。

「冗談だよ。そんな蒼白した顔するなよ。付き合ってること隠してるんだろ?そんな顔したらすぐバレるぞ。」

「洸さん知ってたんだ。」

「気づくよそりゃあ。水惟はどんどん垢抜けていってるし、蒼士はなんか雰囲気柔らかくなってるし。」

「………」

「たださ、水惟だってこれから先ずっと深端にいるとは限らないだろうから、深端を辞めるって時は蒼士に許可無く声かけさせてもらうよ。」

「どうかな。水惟は深端でやりたいことがあるみたいだし。」

水惟の深端でやりたいことは、未だにはっきりとは聞けていない。

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